第百九十三話 蛇
「誰だ……お前」
思わず、間の抜けた声が漏れた。
街灯の下。半開きのドアから姿を現したのは、鏡太洋ではなかった。
極端な細身。
血の気の引いた青白い肌。
異様なほど神経質そうな顔つき。
ぬらりとした冷たい双眸が、俺を上から下まで値踏みするように舐め回した。
まとわりつくような、不快な視線。
──まるで、蛇だ。
男は薄い唇の端を持ち上げ、チロリと舌を覗かせた。
「山川さんですね。お待ちしておりましたよ」
男は細い目を三日月のように細め、ねっとりと微笑んだ。
「同僚たちはね、ここで山川さんはお終いだろうって、散々からかうんですよ。でも私は信じていましたとも。あなたが、あんなバカどもに捕まるわけがないって」
アハハハ、と。
甲高い笑い声が、静まり返った夜の山間に不気味に響いた。
「……悪いが、俺は山川じゃない。人違いじゃないのか?」
しらばっくれる俺に、男は胸元から黒光りする拳銃を抜き出し、迷いなく銃口を向けた。
「そんなつまらない嘘はやめましょう。もしあなたが山川本人でないなら──僕は今すぐ、あなたをここで殺さなくてはならない」
「ね?」と、小首を傾げる。
「山川さん」
男は銃を構えたまま、再び口を開いた。
「星読みの能力者って、ご存じですか?」
「……予言者のことか?」
「ええ。そういえば、勇者パーティにも一人いましたね。女の子が」
男は薄く笑った。
「実は私もそうでしてね。その能力を買われ、過剰脅威対策室にスカウトされたんですよ」
星読み。
サキコと同じ──未来を見る力。
「ところで、もうお一人いたはずですが? どうされました?」
俺は敢えて俯き、肩をかすかに震わせた。
「彼女は……跳弾で傷ついていて。さっき、ここへ来る途中で……」
口元に手を当て、ウッ、と悲痛な声を漏らしてみせる。
男は気の毒そうに目を伏せた。
「……そうでしたか」
うまくいった。
これで彼女たちを、この厄介ごとから切り離せる。
「それはお気の毒に。……で、後ろの女性は?」
「……は?」
振り返る。
そこには、八咫烏様を胸に抱えた町田が、俺の真後ろでぽつんと立っていた。
……思わず、声を殺して唇だけで怒鳴る。
『なんで隠れてなかったんだよ!』
「だって怖かったんだよ! 置いていかれるかと思って!」
『だからって、一緒に捕まることないだろ!』
「こんな暗い場所に一人で置いてかれるくらいなら、一緒に捕まった方がマシだもん!」
気づけば、二人して本気で言い合っていた。
「……まあまあ。お二人とも、一旦落ち着きましょうよ」
男は銃を持たない手をひらひらと振った。
「そろそろ種明かしをしましょう。実は私にはね──ここで起こる一連の出来事が、最初から見えていたんです」
男はこめかみを、とんとんと指先で叩く。
「……一連、だと?」
「そうです。あなた方がここで、鏡という男と待ち合わせしていたことも」
「鏡さんは!? 無事なのか!」
「無事ですよ。もっとも、別の者たちが連れて行ってしまいましたが」
男は芝居がかった仕草で、周囲の暗闇を示した。
「あなた方二人をここで確保する。それが、僕の仕事です」
薄く笑う。
「さあ──もういいでしょう。とっとと捕まってください」
その合図とともに。
道路の向こうの暗がりから、武装した男たちがぞろぞろと姿を現した。
俺はマグナフォルテを顕現させ、低く構えた。
「もー、やめましょうよ。そうやって無駄なあがきをするのは」
男は首をコキコキと鳴らしながら、薄気味悪く笑った。
「無駄かどうかは、やってみなきゃわからない」
「無駄なんです」
即答だった。
「私の予知は、勇者パーティの少女とは比べものにならない。私が見た未来は、変えられない。百パーセント──それこそ、神でもいない限りね」
男の顔から、一瞬で笑みが消えた。
冷え切った、爬虫類の目。
「あなたのその恐ろしい剣も、結局は無意味です」
その目が、俺の心の奥を覗き込む。
「あなたは『人を殺すこと』を恐れている。だから斬れない。だから負ける」
アハ、と。
男は勝ち誇ったように笑った。
「それとも──彼らをその剣で斬り殺しますか? ただ命令に従っているだけの、罪なき弱者を」
図星だった。
気づけば、俺の手からマグナフォルテの炎は消えていた。
もう、変えられない未来。
神でもいない限り──か。
……だったら。
俺は、町田へ振り返った。
「な、なによー」
警戒する町田。
俺の視線は、彼女が抱きかかえる黒い鳥へ落ちる。
「八咫烏様! お願いだ──未来を、変えてくれ!!」
俺の叫びに。
黒い鳥が、こくりと頷いた──ように見えた。
次の瞬間。
八咫烏が夜空へ向かって、高らかに鳴く。
──クワァカ!!
鼓膜を劈く、エンジンの咆哮。
直後、ぐらり、と地面が揺れた。
「な、なんだ!?」
男が不安げに周囲を見回す。
ヘッドライトを消した黒い四駆が、闇を裂いてこちらへ突っ込んできた。
武装した男たちが、慌てて銃口を向ける。
──来い。
まだ終わってない。
マグナフォルテ!
俺は一歩踏み込み、再び顕現した大剣を横薙ぎに振るった。
炎の軌跡が走る。
狙うのは人じゃない。
奴らの構えた銃の──銃身だけ。
爆走してきた黒い四駆が、そのまま白いワゴン車へ激突した。
凄まじい金属音。
ひしゃげた運転席の窓から、男が身を乗り出す。
──鏡だ!
彼は黒い球体を握り締め、怒鳴った。
「死にたくなけりゃ、逃げな!」
鏡はそれをワゴン車の窓へ放り込み、急ハンドルで車を切り返した。
「手榴弾だ!」
武装した男たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
鏡の車が、タイヤを軋ませながら俺たちの目の前で急停止した。
「待たせたな。よかったら乗ってくかい?」
助手席のドアが開く。
その背後で──
白いワゴン車が、夜を真昼に変えるような閃光とともに爆ぜた。




