第百八十九話 橋梁にて滾る
眉間を這う、無数の赤い光点。
じりじりとした熱を感じるほどの明確な殺意が、俺一人に集中していた。
俺は腰を深く沈め、燃え盛る大剣──マグナフォルテを横に構える。
背後には、傷ついた羽を震わせる一羽のカラス。
俺が動けば、コイツは死ぬ。
『どうやらターゲットが魔物から、反逆者に移ったようですよ』
「みたいだな。……って、反逆者?」
『どうしますか? ここから全てを覆すような、スゴイ必殺技とかないんですか?』
「無茶言うな。相手は現役の勇者パーティだぞ」
タン、タン、タンッ。
闇を切り裂く、連続した発砲音。
俺はマグナフォルテを一気に振り抜き、飛来する凶弾をことごとく弾き飛ばした。
散る火花。夜空を焦がす炎。
『来ますよ! 勇者の本命が!』
俺はマグナフォルテを正眼に構え直す。
風が泣く。
鉄橋が、ギシギシと不気味な悲鳴を上げる。
──来るか!?
極限の集中。
息を呑み、見えない敵の挙動を探った、その瞬間。
『いつまでカッコつけてんのバカ!』
イヤホン越しに鼓膜を殴りつけたのは、勇者の斬撃でも魔法でもない。
町田の怒声だった。
『橋のたもとを見てよ! 奴らが来てるから、早く逃げなきゃ捕まるって!!』
視線を向けると、銃を手に迷彩服を着た一団が、鉄橋の縁によじ登ろうとしていた。
その先頭は、今にも電車に乗り込もうとしている。
『あわわ。奴ら、電車の中に乗り込んできましたよー』
「ムッシュ! 勇者パーティの動きは?」
『なぜでしょう。あれ以来、ピタリと動きがないですね』
──マグナフォルテに気づいて躊躇しているのか。
あるいは、この強襲に彼らは関与していないのか。
姿は見えない。
だが、“本命”の研ぎ澄まされた殺気だけは、今も暗闇のどこかから確実に俺を捉え続けていた。
『弾道を見る限り、橋の向こう側のほうが敵の布陣は薄そうです。どうします?』
俺は橋梁の先、濃い暗闇へと視線を向ける。
「……行けるか?」
『今すぐなら……』
ムッシュが答えかけた、その瞬間。
パン! パンッ!
電車の方から、乾いた発砲音が響いた。
乗降口の扉が強引に開け放たれ、中から町田が転がり出てくる。
「ヤベー! 銃持ったお兄さんたちやってきたーっ!!」
両手を振り上げ、叫びながら猛ダッシュしてくる町田。
そのまま俺の背後に滑り込み、コートをがっちりと掴んで盾にする。
「来ちゃ来ちゃ! 銃持った人来て、撃ってきちゃ!」
極度のパニックで言語中枢がバグり、完全に赤ちゃん言葉になっていた。
突っ込んでいる余裕はない。
電車の方へ目を凝らすと、暗がりに迷彩服がチラリと動き──再び、銃口が火を噴いた。
──ツッ。
焼けるような熱が、右腕を掠めた。
見れば、コートの袖が裂け、二の腕のあたりにじんわりと黒い血が滲み出している。
『あらあら。完全に殺す気で来てますねー』
イヤホンの奥で、ムッシュが他人事のように淡々と評価を下した。
「こりゃ、にげにゃきゃーッ!」
町田は幼児退行した悲鳴を上げ、俺のコートをグイグイと引っ張る。
引かれるままに、橋の向こうの暗闇へと駆け出そうと向きを変えた。
その時。足元に横たわる黒い影に目が留まる。
勇者パーティが直々に討伐に来たというターゲット。
傷ついたカラスは、ぐったりと横たわり、羽を微かに震わせながら俺をじっと見つめていた。
自分でも思ってもみなかった言葉が、自然と口をついて出た。
「……一緒に来るか?」
微かに、その黒い瞳が瞬き、頷いたように見えた。
俺は大剣を持たない方の手を差し入れ、黒く艶のある体をそっと抱え上げる。
「にゃないに&%’)$()’$#ー=ーーッ!?」
再び上がる、町田のバグった絶叫。
言語として成立していないそれを華麗に無視し、俺は新たな相棒を小脇に抱えたまま走り出した。
背後から、連続した銃声が響く。
「ギゃ&’%$#’ーーーーッ!?」
異星からの通信かと思うほど、奇々怪々な悲鳴を上げる町田。
頭を両手で庇いながらも器用に枕木をステップし、猛スピードで駆け抜けていく。
……逃げ足だけは一級品だ。
その時。
背後から、鋭い制止の声が飛んだ。
「動くな! 動けば撃つ!」
足を止め、振り返る。
暗がりの中、迷彩服を着た五人の男たちが、一斉にこちらへ銃口を向けていた。
「その魔獣を、こちらに引き渡せ!」
五人の背後に立つ、リーダー格らしき男が前に出る。
彼が指差した先には、鈍く銀色に輝く、頑丈な檻のようなものが置かれていた。
「そいつは魔獣だ。放置すれば人に害をなす。さあ、こちらへ渡せ」
男が顎でしゃくると、部下の一人が金属製の柵の扉を重々しく開け放つ。
『あの檻。単なるケージじゃなさそうですよ』
ムッシュの言う通りだった。
檻の側面には無骨な黒い金属箱が取り付けられ、そこから幾本もの太いコードが鉄格子へと這うように伸びている。
ただ捕獲するだけのものではない。嫌な予感がする。
「あんた、元・勇者パーティの山川新次郎だな」
リーダーの男が、銃を構えたまま冷たく告げた。
「これ以上逃げ回っても、立場を悪くするだけだ。その魔獣を渡し、大人しく投降しろ」
そう言う男の口の端が、だらしなく吊り上がっていた。
「一つ聞きたい。なぜ俺たちは追われてるんだ」
「あんたは社会の枠からはみ出したイレギュラーだ。それでいて、奇怪な術を自分のためだけに行使する」
男は呆れたように鼻で笑った。
「今だってこうして、魔獣の味方をしてるじゃないか」
ニタニタと笑う男たち。
『ここは余計な問答をせず、早く行動した方が良いですよ』
「いい助言ありがとよ、ムッシュ」
俺はこれ見よがしにマグナフォルテをくるりと回し、男たちへと歩み寄った。
「そ、それ以上近づくな! 撃つぞ!」
警告を無視し、前へ。
パン、パン、パンッ!
痺れを切らした男たちが、一斉に引き金を引いた。
燃え盛る大剣が勝手に動き、飛来する銃弾を次々とはじき返す。
俺は防御を剣に丸投げし、弾幕の中を一直線に駆け抜けた。
雨あられと降り注ぐ銃弾が、マグナフォルテの炎に触れて次々と火花に変わる。
視界が、爆ぜる光で埋め尽くされる。
止まらない。
奴らの懐へ素早く潜り込むと同時に──あの忌まわしい檻へ、大上段からマグナフォルテを力任せに振り下ろした。
ドゴォォォォンッ!!
分厚い金属の檻は、炎の刃に見事なまでに両断され、屑鉄となって谷底へ落ちていった。
『あーあ!』
イヤホンの奥で、ムッシュが盛大にため息をつく。
それでも俺は止まらない。無様に尻餅をついたリーダーの男の喉元へ、マグナフォルテの切っ先をピタリと突きつけた。
「これ以上俺を追うなら、いつでも相手になってやる」
男は引きつった顔で白目を剥き、何度も首を縦に振った。
俺は踵を返し、その場から走り出した。
『なんであんな無茶苦茶なことするんです!? やけっぱちですか? 自殺志願者ですか!?』
耳元でわめくムッシュに、俺は軽く息を吐いて答えてやった。
「なんてことない。──奴らの薄笑いが、死ぬほど気に入らなかっただけさ」




