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第十話 夜明け前


 右手には、燃え盛る真っ赤な剣。


 美しく、それでいて狂暴な力を秘めた、かつての相棒。


 剣から噴き出した炎が、まるで生き物のように渦を巻き、黒い津波となって降り注ぐ触手の束を、正面から受け止めた。


 瞬間、目に見えない衝撃波が周囲に走った。

 炎は爆炎と化し、触れたケーブルを端から焼き尽くしていく。


 ギュワオオォォォンンン!!


 それが触手の断末魔か、剣の雄叫びか。鼓膜を破らんばかりの絶叫が、倉庫中に響き渡った。


 腕が痛い。

 手が熱い。


 体中の血が、燃えるように滾っている。


「……勇者……シン?」


 後ろで、へたり込んだままの勇者ちゃんが、呆然と呟く声が聞こえた。


 俺は振り返り、彼女に向かって叫ぶ。


「早く! サーバーを破壊しろ!」


 彼女は、ハッと目を見開き、弾かれたように立ち上がる。


 そして青く輝く剣を構え、倉庫の中央——無数のケーブルが接続された巨大なサーバーラックへと一直線に駆け出した。


 その進路を塞ぐように、なおも間断なく襲い来る黒い触手。


 後方から、「危ない!」という鋭い声が聞こえた。あのエリート風の男だ。ルーリの進路上に、壁のように分厚いケーブルの束が薙ぎ払うように迫っていた。


 だが、俺の身体は、思考よりも速く反応していた。


「──邪魔だ」


 口からこぼれたのは、自分のものではないような、低く、冷たい声。


 マグナフォルテを、ただ、振るう。


 薙ぎ払うでもなく、叩き斬るのでもない。

 まるで、そこにまとわりつく埃を払うかのように、軽く。


 それだけで、分厚いケーブルの壁は、赤い残光を残して、塵となって消滅した。


「な……」


 エリート男が、信じられないものを見る目で、俺を凝視していた。恐怖で震えていたトーマも、その口をあんぐりと開けている。


 そんな彼らを気にする余裕はない。俺は、ルーリの背中を守るように、ただ並走する。


 右から来る槍のような一撃。──潜り込み、柄を断つ。

 左から来る鞭のような連撃。──炎の壁を作り、焼き払う。

 頭上から来る圧殺の塊。──剣尖から放った炎の矢で、中心を貫く。


 無駄がない。淀みがない。


 会社で、あれほど「手が遅い」と罵られた俺の身体が、水を得た魚のように、いや、炎を得た竜のように、戦場を舞っていた。


 ああ、そうか。

 俺は、ただ、不器用だっただけなんだ。

 この平和な世界で生きるには、あまりにも。


 身体が、魂が、十年の時を超えて、歓喜の声を上げている。


 サーバーの一歩手前で、勇者ちゃんが強く床を蹴り、高く跳躍した。

 青く輝く剣を天に掲げ、全身の力を込めて振り下ろす。


「ブレイブ・スラッシュ!」


 高らかな宣言に応えるように、剣が閃光を放ち、サーバーを真っ二つに分断した。


 ゴウッ、と空気が揺れる。


 倉庫全体が大きく震え、切断されたサーバーから、どす黒い瘴気が渦を巻いて立ち上った。


 それは倉庫の薄っぺらい屋根を突き破り、夜の空へと吸い込まれていく。


 やがて後に残ったのは、ぽっかりと開いた天井の穴と、そこから覗く満天の星々だけだった。


「勝った……」

 ぺたんと地面にへたり込んだ勇者ちゃんが、ぽつりと呟く。


「……勝てた……!」

 その目から、大粒の涙が溢れ、頬を伝っていった。


 後方では、天井から吊るされていた仲間たちが降ろされ、ソニアが必死に回復の光を当てている。


 その隣で、他のメンバーたちも、見よう見まねで同じように手をかざしていた。


 そこに、アンジュが割って入り、何やら指示を出している様子だ。


 俺は、剣を握っていた右手に目を遣る。


 いつの間にか、あの燃えるような剣は消えていた。


 だが、その熱だけは、今も確かにこの手に残っている。


 燃え盛るような、確かな熱が——。



▽▽▽


 その後、倉庫の周りには黒塗りの四輪駆動車や高級セダンが数台乗り付け、そこから、これまた黒のスーツを着た男たちがワラワラと降りてきて、手際よく周囲の検分を始めた。


 続いて数台の消防車と救急車が到着し、現場を完全に包囲する。


 さっきまで吊るされていた人たちも、ギリギリのところで息を吹き返したようで、次々と救急車に搬送されていった。


 消防士や黒スーツの男たちは、誰一人として言葉を発することなく、ただ淡々と自分たちの任務をこなしている。


 この異様な光景に、俺はあっけにとられたまま、倉庫の隅でぼんやりと立ち尽くしていた。


「……頑張ったじゃない、シン」


 いつの間にか隣に立っていたアンジュが、どこか嬉しそうに俺を見ていた。


「俺は、ヤマさんですよ」


「そうだったわね」と、アンジュは楽しそうに笑う。


「さ、行きましょう。これ以上いると、面倒なことになりそうだし」


 彼女は、スタスタと歩いて行く。


 その姿は、堂々としていて、それでいて夜明け前の薄闇に溶けるように美しかった。


 すれ違う黒服の男たちは、誰もが彼女の存在に気づきながらも、決して声をかけようとはしない。まるで、それが暗黙のルールであるかのように。


 倉庫を出ると、パーティの仲間たちが輪になって、にぎやかに言葉を交わしていた。


 作戦前は、互いに無関心で、ともすれば言い争いをしそうな雰囲気だったのに。今は皆が笑顔で、互いの健闘を称え合っている。


「現金なものね。勝った途端に、命を懸けた戦友ってわけだ」


 アンジュが、少し呆れたように笑う。

 しかし、その笑顔は長くは続かなかった。彼女は黙り込み、じっと集団を見つめている。


「……とはいえ、今回はたまたまラッキーで勝てただけ。次からは、こうはいかないわ。この戦争は、一度負けたらそこでお終い。たとえ命拾いできても、無傷ではいられない。……シンなら、よく知ってるでしょ」


 彼女は遠くを見つめ、何かを思い出すように呟いた。


 いつの間にか夜空は白み始め、東の端が、暁の色に染まっている。


「俺には、よく分からないです。こんなの初めての経験ですし、今は素直にほっとしてます」


「……そっか。あなたは『ヤマさん』だったわね」


 彼女は目頭を軽く押さえ、疲れたように、それでいて愛おしそうにクスクスと笑った。


 俺は、自分の右手を見つめる。

 あの時、確かにこの手に握っていた燃えるような赤い剣。

 その重みと熱が、まだこの手に残っているようだった。


 ──いったい、あれは……。


「あの、アンジュさん……」

 俺が声をかけた、その時だった。


「アンジュせんぱーい!」


 昇り始めた朝日を背に、ソニアがこちらへ手を振りながら駆けてきた。


「お疲れさん。初勝利、おめでとう」

 アンジュが軽く手を上げて応える。


 するとソニアは、なぜかアンジュの肩を掴み、その背中に隠れるようにしてもじもじし始めた。


「な、なによ、どうしたの?」


 アンジュが尋ねると、ソニアは肩越しにチラチラと俺を盗み見てくる。


 ──なんなんだ? 俺、また何かしたか?


 すると、ソニアは小さな、蚊の鳴くような声で呟いた。


「…………ほん……に……シン……ま……」


 ──はい? 何か言ったか?


 俺が眉を顰めてソニアを見つめると、彼女は顔を真っ赤にして、ぎゅっと目をつむり、そして、叫んだ。


「本当に、シン様だったんですね!」


「「様!?」」


 俺とアンジュの驚きの声が、夜明けの埠頭に、高らかに響き渡った。



~第一章プロローグ「夜明け前」 完~


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