第九話 命のやり取り
俺の手のひらから溢れ出た熱は、七色の光の粒となって前方に広がり、倉庫の中を満たしていく。
すると、襲いかかっていたケーブルの群れの動きが、心なしか鈍くなったように見えた。
「ヤマさん! ありがとうございます、完璧なデバフです!」
勇者ちゃんは、素早く後ろに下がり、襲い来るケーブルと距離を取る。
「トーマ君! 少しだけ時間を稼いで!」
彼女はそう叫ぶと、手に持った剣をスッと水平に構え、ブツブツと何やら詠唱を始めた。剣がまばゆい青い光を放ち、辺り一面を照らし出す。そこから生まれた斬撃がケーブルを粉々にしていく。
「勇者の初級剣技、『ブレイブスラッシュ』ね。ちょい威力が小さいけど」
──初級剣技! あれで、小さいのか……。しかも、やっぱり英語。
「あれじゃ、殲滅には程遠いわね」
アンジュが、俺の肩に手を置いたまま、耳元で冷静に分析する。
「さっきの要領で、もう一度何かできませんか!」
「うーん……」と、アンジュは首を傾げた。
「あれはさっき、私がこのフィールドに『私たちはデバフができる』って宣言したから、素人のあなたでも使えた、みたいなものなのよ。よその女神の管轄で、基本的には手出しできないの」
「俺だって、よその世界の勇者ですよね?」
「でも、さっき勇者パーティに『仲間登録』されたでしょ?」
「あの、『バイト枠』とかいうやつですか?」
「そそ。あれであなたは、勇者じゃなくて『仲間』になったの。シンの記憶がなかったのも、逆に良かったのかもね」
「でも! それなら、アンジュはどうなんですか!」
「私? 私は返事してにゃいもーん」
──何が「にゃいもーん」だ! 可愛く言っても駄目だ! ……いや、ちょっと可愛いけど!
「も、もしかして、このままだと俺も死ぬんですか?」
「かもねー」
「おい!!」
俺が本気で突っ込むと、彼女は真剣な眼差しで言い放った。
「仕方ないじゃない。これは、命のやり取りなんだから」
そうだ。すっかり彼女の自由奔放さに絆され、見失っていた。これは魔王軍との、真剣勝負なんだ。
「ソニアは!? ソニアなら何とかできるんじゃないか!」
「彼女も女神だから、直接は手を貸せない。それに……あれは、典型的な『加護力不足』ね」
アンジュはそう言って、隅っこでオロオロしているソニアに視線を送る。
「女神への信仰心が力になるのに、こっちの世界じゃ、彼女の存在すら誰も知らないんだもの」
──そりゃ、信仰なんてあるわけない。
目の前では、勇者と呼ばれる少女が、輝く剣を無数の触手に叩きつけている。
その後ろで、エリート男が何やら指示を叫び、トーマが大剣をむやみやたらに振り回し、アイドル風の少女が張ったか細いバリアは、いとも簡単に砕け散っている。
なんとも、珍妙な光景だった。
そして俺の隣には、ゴージャスな女神が、目まぐるしく変わる戦況を、ただ静かに見つめている。
「……終わりか」
誰に言うでもなく、言葉がこぼれた。
──詰んだ。俺は、ここで死ぬんだ。
生きる意味も見出せないまま、会社では役立たずと罵られ、最後は女神だの魔王だの、馬鹿げた騒動に巻き込まれて死んでいく。
「まあ、それも……俺らしい、か」
なぜだろう。絶望の淵にいるはずなのに、俺は穏やな気持ちに、口元には、笑みさえ浮かべていた。
勇者ちゃんは、必死に仲間たちへ指示を出しながら戦っている。
敵の動きは鈍っても、その数が減ったわけじゃない。ケーブルたちの猛攻は、なおも続いていた。
そのうちの一本が、まるで槍のように、俺の顔めがけてまっすぐ伸びてきた。
もう、避けられない。俺は、ぎゅっと目をつぶった。
「ブレイブ・スラッシュ!」
勇者ちゃんの鋭い声が響き、目の前を青い斬撃が閃光のように走る。
俺に届く寸前で真っ二つにされたケーブルの先端が、力なく足元に転がった。
「ヤマさんたちは、後ろに下がっててください!」
そう叫ぶと、再び前を向き、次々と斬撃を繰り出していく。
──勇者は、まだ諦めていない。
俺の腕に縋りつきながら、サキコが泣き叫んでいる。
「ヤマさん! 早く! 剣を出してください! 早くしないと、みんなやられちゃいます!」
「だから、剣なんて持ってないんだって!」
彼女の言葉に、俺は思わず叫び返していた。
その声に、アンジュが反応する。
「なるほどねぇ。私は力を貸せないけど、『シン自身』が力を使う分には問題ないわけか。だって今は、勇者パーティの正式な仲間だもんね」
「だけど! 俺にそんな力、ないんですよ!」
「さっき、ちょっとだけチャージしてあげたでしょ? それ、使ってみたら?」
腹のあたりに渦巻く、あの不快で強大な熱。まだ、かすかに燻っているのを感じる。
アンジュは、「名前なんだっけかなー」と人差し指を立てると、何かを思い出すようにくるくると回した。
「シンの初めての仲間であり、最初で最後の相棒……。『炎の臥竜』」
彼女がそう言った瞬間。
何かが、頭の中で弾けた。
脳裏に浮かぶ、鮮烈なビジョン。
妙に劇画タッチの、どう猛な瞳に不敵な笑みを浮かべた青年。
彼が頭上に高く振りかざしているのは、まるで生きているかのように赤く燃え盛る剣。
その剣からは、憎悪も、欲望も、悲しみも……そして、底なしの希望の光が溢れ出している。
『行くぜ、相棒!』
青年は低く呟き、その燃え盛る剣を、力の限り振り下ろした。
世界が、爆炎に包まれていく──。
「こ、これは……俺……?」
俺は、いつの間にか固く握りしめていた右の手のひらを、じっと見つめた。
その中心から、微かな炎がチロリと顔をのぞかせている。
焼けるように、右手が熱い。
もう、今にも内側から燃え出してしまいそうなほどに。
俺は、前を向く。
勇者ちゃんの頭上めがけて、無数のケーブルが黒い津波のように襲いかかろうとしていた。
おそらく、もう誰もそれを止めることはできない。
そう。勇者である、彼女自身ですら。
足が、勝手に動いていた。
黒く渦を巻いて降りそそぐ絶望の、その前に。
そして、叫んだ。
魂が、覚えていた。
あの、懐かしい相棒の名を。
「顕現せよ! 我が真なる相棒!」
──マグナフォルテ!!




