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「要するに、領主は軍を動かすことができんと」
状況はつまり、そういうことだった。
村の中でも特に大きな村長の家で、トールはその話を聞いていた。
来客を迎えるための広い居間にて。
トールの対面に座る老翁は、眉間に刻まれた皺をさらに深くする。
「ええ、その通りです。どうやら我々が思っていたより、魔物の被害は深刻のようで……」
この村はトールのおかげで奇跡的に無事だったが、それは奇跡であるが故に例外だ。
領主の治める街に向かった使者が見たものは、焼かれて荒らされた村の残骸。
そして救いを求めて領主を頼る、傷ついた難民の群れだった。
それだけではない。
魔物は当然のように、街に対しても被害を与えていた。
撃退こそしたが、人や物の被害も少なくない。
それをどうにかする必要があるし、難民の対処もせねば暴動になりかねない。
故に領主はまともに身動きを取ることができない。
この報せを受けて、村長はようやく現状を正解に認識した。
むしろこの村は、これ以上ないほどの幸運に恵まれていたのだと。
村を焼かれ住民を殺されることもなく、魔物の群れを追い払うことができた。
その上、難民達はまず領主を頼ったので、唐突な流入を受けることもなかった。
今までと変わらない生活を送ることができているという、何よりの幸運。
だからこそ、老翁は考えねばならない。
この幸運が薄氷のものに過ぎないなら、如何にしてそれを保つのか。
そのために、文字通り降ってわいた幸運である女を、この村に長く引き留める。
それが一番の道で、村長もそれ以外は考えられない最善だ。
ヨルサとウルルの姉弟に情が移ってはいるようだが、話は慎重に進める必要があるだろう。
多くの者がそうではないかもしれないが、自分は村の命を預かる立場だ。
彼女は素性の判然としない余所者だと、自分だけは考えて接しなければ。
一体どんな気紛れを起こすか、分かったものでは………
「村に当分滞在して欲しい?いいぞ、ワシも最初からそのつもりだ」
一切の迷いなくあっさり頷かれてしまった。
あまりの躊躇いのなさに、それを頼んだ村長の方が言葉に詰まってしまう。
「よ、よいのですか」
「いいぞ。どうせ行く当てもなし、何より一度救った責任もある」
「しかし、ここは見ての通り、村人達だけでやっていくのが精々の小さな村。大した礼などもできませんが……」
確認し、念を押すように言葉を重ねる。
それは事実であるし、できる限りの礼をするつもりはあるが、限度もある。
トールは最初に魔物の群れから村を救った時、何も特別に要求することはなかった。
要求しないどころか、村の被害を不思議な力で癒し、村人の仕事を率先して手伝いもした。
何を望んでいるのか、何のためにそんなことをしているのか。
村長はそれを推し量るつもりだった。
何の見返りも求めていないにしては、トールの献身は度を過ぎている。
何かあるはずだと、村長は怪しんでいた。
「別に贅沢を言うつもりはない。ただワシは、この村の者達が気に入った。ワシが何かをするのに、それ以上の理由はいらん」
けれどトールの言葉は、一切の虚飾はなく、どこまでも真っ直ぐだった。
本気かと訝しむも、どう考えても本気にしか聞こえない。
本心からトールは、ただ村人を守るために己の力を貸すと誓っている。
「……本当に、それだけの理由で?」
「おう、頼られたから助ける。それだけだ。分かりやすかろう?」
愉快そうに笑うトールに、村長は自らの不明を恥じた。
この雷の娘は、本当に裏表なしに自分達を助けたいから村に留まると言ってくれたのだ。
助けを求める誰かがいるから、手を差し伸べる。
当たり前のことだ。
当たり前で、なんと人として尊い在り方だろうか。
「ありがとう御座います、トール様。厚かましいとは思いますが、今我々に頼ることができるのは、貴女だけなのです」
「おぉ、何かあれば遠慮なく言ってくれ。ただ手を出しすぎるとヨルサに叱られてしまう。だからそこは程々にな」
冗談めかして言うトールに、村長も渋い顔をようやく少し綻ばせる。
未だに未来は不透明だが、彼女が味方についていてくれるなら、何とかなるかもしれない。
他者を自然とそんな気にさせる魅力が、彼女にはあった。
「ところでだ、村長。村に留まるのはいいが、少し聞きたいことがある」
「私に答えられることであれば」
「あの魔物についてだ」
トールが見たのは、醜い顔の小人に、岩の肌を持つ大男だった。
魔物。その血肉は土に還らない、呪われた生命。
悪意と敵意に満ちたその有り様を思い出したか、村長は痩せた身体を震わせる。
「魔物について、何をお聞きしたいと?」
「あれらの住処だ。心辺りがあれば聞かせてくれ」
「住処、ですか」
予想していなかった問いに、村長は思わず首を傾げる。
それから自分の中の知識を掘り出して、怪しい場所について思い浮かべる。
「やってきた方角からして、北に流れる川を越えた向こうにある、山から下りてきたのではないかと」
「それは確かか?」
「はい、魔物は何処からでも現れるわけではありませぬ。この辺りで魔物が現れそうな場所と言えば、その山ぐらいしか思い当たりません」
「ならば次にやることは決まったな」
さらりとそんなことを言いながら、トールは椅子から腰をあげる。
次にやること。頼もしいが、何やら不安を感じさせる言葉だ。
「と、トール様? 一体何をお考えで?」
「ん? そりゃ勿論、決まっているだろう?」
責任者として、念のために確認を口にする村長に、トールはにやりと笑う。
悪童が悪戯を自慢するような笑みであり、猛獣が牙をむく様にもよく似ていた。
「守るばかりは性に合わん。だから今度はこちらから攻めてやるのさ」
巨人が人間達にもたらした、豊穣の大地。
人が幾つかの国と都市を築いて住まう、既知の領域。
その南端に、その山はあった。
さらに下れば穏やかな海に繋がり、あたりはすべて緑の恵みに溢れた地にて。
その山だけが死に果てて、腐臭さえ漂わせていた。
その山に呼び名はない。
ただ死の山とだけ呼ばれて、近隣の村に住む人々は、魔物がうろつく禁断の地として恐れた。
恐れたが、それ以上のことはなかった。
山に近寄りさえしなければ、魔物が人を襲うことは滅多にない。
仮に山から迷い出てきた魔物がどこかの村にたどり着いても、多くて数匹。
稀にやってくる自然災害のようなもので、月日を重ねていけば対応にも慣れていく。
誰もがそう考えて、恐れはしながらも、その恐怖を軽んじていた。
そしてそんな浅はかさを後悔する暇さえなく、幾つかの村が魔物の手で焼け落ちた。
小鬼が、岩妖が、食人鬼が。
今や死の山に魔物は数百と溢れだし、さらにその数を増やしている。
それだけではない。
彼らは山の外に出て人を襲い、奪い取ったものを使って山に砦を築きつつある。
岩や木材、時には動物や人の骨。
それを無秩序かつ無茶苦茶に組み合わせて、山の中腹に悪夢を具現化していく。
あらゆる生命に対する、怨嗟と呪い。
それを固めて煮詰めたかのような醜悪さ。
人が作るような、要地を守るための砦とはまるで意味合いが異なる。
それを目にした人々は、例外なく恐怖を思い出す。
呪われろ、呪われろ、呪われろ。
耳を塞いで目を閉じようとも、決して忘れることなどないように。
呪われろ、呪われろ、呪われろ。
お前達の犯した罪を思い出せ。こぼれた血は、今呪いとなって溢れだしたのだ。
名前もなき死の山は、その呼び名の通りの地獄と化した。
赦さない、呪われろ、思い出せ。
怨嗟と呪いは終わりなく渦巻き、山に漂う障気はさらに濃くなる。
この地獄は、やがてこの地からも溢れ出すだろう。
そうしてさらに多くの人々を呑みこんで、より凄惨な地獄となっていく。
魔物達は歓喜する。
地獄が生まれる呼び水となった、彼らの主を讃える。
渦巻く闇は空さえ侵して、死の山からは太陽の光もろくに届かない。
病のように広がって、既知の領域を蝕む。
人々は恐怖を思い出し、闇から響く不気味な声から逃げようと背を向けた。
魔物達は悪意と殺意をたぎらせて、その背を追いかけた。
追いかけて、いや追いかけようとして。
彼らは例外なく、その輝きを目にすることになる。
闇を切り裂くような、稲妻の輝きを。
「ぅおらァッ!」
死の山にて、ミョルニールが鮮やかに煌めく。
腐敗した山肌を抉り、枯れた木々を吹き飛ばし、雷神の神威が荒れ狂う。
それに抗うために、悪夢の砦から魔物の群れが次々と現れる。
そして一塊の暴力となって、雷を纏うその女を呑み込もうと雪崩打つ。
だがそれは文字通り、荒れ狂う嵐に挑むが如き無謀だった。
「でかい的だなぁオイ!」
裸身に巻いたメギンギョルズが、ギリギリと軋む。
ヨルサの母の形見を焼いたらことだと、今は彼女の手に預けてある。
豊満な身体を黒い帯で縛っただけのこの姿なら、躊躇うことなく全力を引き出せる。
弓を強く引き絞るように、ミョルニールを大きく構える。
そして向かってくる魔物の群れに対して、思い切り投げ放った。
稲妻が吼えて、雷光が迸る。
雷撃へと変じた大鎚は魔物達のど真ん中を貫き、轟音と共に弾け飛ぶ。
鎧袖一触とはまさにこのことだ。
村での襲撃を蹴散らした時と同様、雑多な魔物ではトールの敵ではない。
「悪いが、今回は一匹たりとて逃がさんぞ。お前ら」
ミョルニールを肩に担ぎ、トールは無慈悲に宣言する。
それは唐突に落ちた稲妻のようで、打たれた魔物達は浮き足立つ。
混乱しながら向かってくるもの。
あるいは怯えて逃げ出そうとするもの。
トールは例外なく、それをミョルニールの雷で打った。
一匹も逃がさんと宣言した通りに、トールはこの山の魔物を残らず殲滅するつもりだ。
そうしなければ、血を流すのは戦う術を持たぬ人々だ。
ヨルサやウルルの笑顔が、心の内に浮かぶ。
大鎚を振るって雷を落とし、あるいは蹴りや拳で魔物を打ち倒す度に、また黒い気持ちは沸き上がる。
それは更なる力となって己の内を満たそうとするが、トールは強く自らを律する。
大きな力を持つならば、それに溺れてはならない。
力を持つ者がその力以上の責任を持たなければ、ただ弱者を苛むだけの嵐となってしまう。
トールは誇り高き雷神だ。
流れる血が、死した敵の魂が、嵐に呑まれた無為な犠牲とせぬように。
煮えたぎるような衝動を押さえつけ、戦う者の使命に徹する。
この雷の一振りが、争いの悲劇を守るべき者達の平和に繋げられると信じて。
「……さて、粗方片付いたか?」
稲妻が荒れ狂い、焼け焦げた地面に無数の魔物の亡骸が横たわっている。
覚悟はしていたが、思ったより数が多い。
薙ぎ払っている内に、何匹かは山の何処かに逃げ散っているのが見えていた。
それも追って仕留めるつもりだが、その前に。
「………なんだなぁ、こりゃ」
戦いの余波で半壊しているが、不気味な姿を見せる魔物の砦を、トールは見上げた。
村を襲って得た木材や石材に、動物や人の骨、山の枯れ木や腐った土。
それらを組み合わせ、複雑に絡めながら、塗り固めて作られた悪夢の建造物。
魔物の考えることなど知る由もないが 、一体何を思ってこんなものを作ったのだろうか。
獣がデタラメに組み上げたにしては、明確な狂気を感じる。
その思考は間違いなく歪んでいるが、この気持ちの悪い砦を築いたことには、確実に何者かの意図がある。
何の根拠もない直感だが、トールはその砦を見てそのように感じていた。
「なんにせよ、とりあえずこれを壊すか。残しとく理由もない」
これが何だか理解できないな、それに関しては悩む理由もない。
既に半分崩れそうになっているし、あと一撃でもミョルニールを打ち込めば倒壊するだろう。
そう考えて、トールが早速実行しようと大鎚を振りかぶった、その時。
「ちょい待ちちょい待ち!」
「あん?」
何故か制止された。
きょろりと見渡すが、それらしい人影はない。
気のせいか、流石にワシも少し疲れているだろうかなと、首を捻りつつまた構える。
「ちょいちょいちょーい! だから待てって! 無視しないでくださーい!」
また誰かに止められた。
誰だよ喋る魔物か?無視してぶっ飛ばそうかとも考えたが、視界の端で何かが動く。
それはトールから見て死角となる、崩れかけた砦の影。
ねじくれた木に繋がれた一頭の馬が、ジタバタもがいて必死に存在をアピールしている。
………今の声は、まさかあの馬が?
いやいやまさか、馬が喋るはずがないだろう。
そんなもんは幻聴に決まっている。
いやしかし、もし仮に幻聴でないとしたら、何か聞き覚えのある声だった気がする。
なんか大分昔、馬に変身したこともある知り合いの声に、似ているような。
「………お前まさか、ロキか?」
「ィヤッホウ! 流石はトール、アース神族が誇る雷神! 我が無二の友よ!」
相も変わらず、ロキは無駄にテンションの高い声で一息にまくし立てる。
「そんなフレイヤもかくやという美女になってもお前は変わらない! 最高の親友だ!
例え中身が品のない乱暴なオヤジなのに、ビッチ臭い美女のコスプレしてるような変態でも、オレはお前に永遠の友情を誓おう!
でもごめん、ちょっと一緒に歩く時は距離をあけて。みんなに噂されると恥ずかしいし」
「よし、ぶっころす」
「待って! ごめん、今のは再会の挨拶みたいなもんだから! 悪気はないの!
悪気はないけど、ちょっと久しぶりに再会した親友がオカマ野郎になってたことがショックだったんだよ!」
「絶対にぶっころす」
牝馬の姿のままで器用に命乞いをしつつ、さらりと最大級の侮辱を突っ込んでくる。
悪気もなしにそれを言うとか、尚更悪くて弁解の余地もない。
北欧神話の道化の神ロキ。
彼は黄昏が訪れる前も、それが過ぎさった後も。
変わらずどうしようもない奴だった。




