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 それからもまた、慌ただしく時間は過ぎていった。



 怪我人の殆どはトールが治療を施し、幸いにも死者は出さずには済んだ。

 しかし当然、魔物がもたらした被害は人的なものだけではない。

 畑を荒らされていた者や、酷い場合は家屋が丸ごと壊されてしまった者もいる。

 そういった残骸を片付けて、埋まってしまっている貴重品だけでもどうにか掘り起こす。


 ゴブリンやトロールの死骸は、トールが村の外れに集めた上で、ミョルニールの力で火葬した。

 ヨルサ曰く、「魔物は死んでもそのままでは土に還らず、放っておくと腐って流行り病の原因になる」らしい。

 だから灰になるまで焼かねばならないが、そのための燃料もばかにならない。

 威力を絞ったミョルニールの雷撃を何度か落とせば、魔物の死骸はほどなくすべて灰になった。


 男達が力仕事を済ませている間に、女達は食事の用意や家を失った者の寝床の準備などに奔走する。

 村長は近隣を治める領主に当てた書状を急いで書き上げ、早馬を走らせた。

 道中にある他の村の様子を見て回ると共に、そこがまだ魔物による被害を受けていないなら忠告する旨も言い添えて。

 そうこうしている内に、魔物が襲ってきた時にはまだ高い位置にあった太陽も、気づけば地平線の向こう側へと沈んでいく。


 陽の光は遠ざかり、夜の帳が世界を包む。

 この村も普段であるなら灯りも少なく、明日に備えて大半の村人が寝静まるのが常だ。

 けれど、この夜ばかりは例外だった。


 「「「乾杯っ!」」」


 村に一軒だけの酒場では、夜の闇を押し退けるような明るい音頭が響き渡る。

 女房の尻に敷かれていることを嘆く男衆がたまり場に使うか、あるいはたまに訪れる旅人ぐらいしか利用しない小さな店。

 その狭い店内を、座る椅子が足りないのも構わずに、多くの村人達でごった返していた。

 手には麦酒(エール)を注いだ木製のジョッキを持ち、男達はそれをぐびりと飲み干していく。


 いつもは楽しむ程度、ほろ酔いぐらいで切り上げるのが暗黙のルールだが、今夜は違う。

 ジョッキどころか樽ごと飲み干しそうな勢いで、酒場の麦酒をどんどん吸い込んでいる女がいるからだ。


 「はっはっはっはァ!」


 可憐な唇から豪快な笑い声を上げつつ、もう何杯目になるか分からない麦酒を飲み干す。

 周りで飲んでいた男達の何人かは、それが合図であったかのように崩れ落ちた。


 「あ、ジャックの奴が落ちたぞ」

 「すげぇな、ホントに一人で全滅させそうだ……」


 村の飲み自慢の男達と、トールによる飲み比べ対決。

 村人側は途中参戦ありで、トールよりも先に潰れなければ勝ち。

 そんなルールで始められたこの勝負だが、今のところトールの一方的な蹂躙が続いている。


 「そらそら、どうしたぁ!こっちはまだまだ飲み足りないぐらいなんだがなぁ!」

 「おい、誰か行けよ」

 「いやいや、これどう考えても無理だろ」

 「腰抜けしかいねぇな、よぉし次は俺が………!」


 今まで姑息にも様子見を続けていた何人かが、今こそ勝機かと無謀にも突っ込んでいく。

 賢明な者は辿る末路が足元で呻く死体と同じだとは察しつつも、その蛮勇だけは無言で讃える。

 そんな挑戦者を迎え撃つ気は半分程度に、トールはただ純粋に、村人達が開いたこの酒宴を楽しんでいた。


 「はぁいトール様!お待たせ!つまみの芋が揚がったよ!」

 「おぉ、すまんなぁ」


 酒場の女将が持ってきた器を、空いた方の手で受け取る。

 中に山と盛られているのは、切った芋を油で揚げただけの単純な料理だ。

 味付けは塩をふったぐらいのシンプルなもので、酒の供としてはこれ以上のものはあるまい。

 一つ摘んで、それを口の中に放り込む。

 出来立てだから当然アツアツで、噛めば芋の風味を塩の辛味がアクセントとなって引き立たせる。

 噛み締めて、麦酒を一口。それがまた美味い。

 酒は進むし、食も進む。


 ついでにトールが提供した山羊肉も、塩と香草という調味料を得たことで、一段上の焼き肉に進化していた。

 それを食した村人達も、今まで食べたこともない上質な山羊の味に驚かされている。

 神々の持ち物である以上、それが人間の育てたものよりも美味であるのは当たり前の話だ。

 トールが今飲み食いしているものも、かつて神々の食していたものに比べれば、確かに見劣りはするだろう。

 

 だからといって、トールはそれに文句をつけたりはしない。

 最上のものは知っているが、同時にそれだけがすべてではないことも知っている。

 仮に神の宴に供されるような食事であっても、ただ一人で口にしたのならば、どれほどの美味を見いだせるだろうか。

 逆に今、自身がその手で救った者達と同じ杯を手に、同じ時間を楽しんでいるならばどうか。

 例えそれが質素な酒や食事でも、最上にも勝る美味となる。

 トールはそう感じながら、出された揚げ芋をあっという間に完食してしまう。


 「……なんだか、凄いことになってますね」


 ふと、覚えのある声が隣に腰を下ろした。

 そちらを見れば、自分に祈りを届かせた少女ヨルサが、困った風に周囲の惨状を眺めていた。

 トールは口元を笑みの形に綻ばせながら、手にしたジョッキに新たな麦酒を注ぐ。


 「おぉ、ヨルサか。どうだ、お前も一杯飲むか?」

 「えっと、私はあまり強くないので……」

 「まぁまぁ、そう言うな」


 本気で嫌がるのならば引くつもりで、トールはジョッキを軽くヨルサの前に押してみる。

 ヨルスは少しだけ迷い、恩人から勧められた酒を断るのも失礼だろうかと、素直にそれを受け取った。


 「では、頂きます」


 礼儀正しく祈ってから、口をつける。

 そのままぐいっと一息に、なみなみと注がれていたはずの麦酒を飲み干した。


 「おぉ………」


 男も顔負けな見事な飲みっぷりに、思わず拍手してしまう。

 けふっ、と少し行儀の悪い声が出てしまい、ヨルスは恥じるように唇に手を当てた。

 そこにもう一杯、新しい麦酒を寄越してみる。

 またもや素直に受け取って、そのままぐびりと。

 もう一杯。ぐびり。おまけにもう一杯。それもまたぐびりと。


 「………これのどこがあんまり強くないんだ?」

 「えっと、亡くなった母は私なんかよりずっと強かったそうで………」


 立て続けに飲んでもけろりとしながら、少女は懐かしそうに笑ってみたりする。

 これより強いとなると、それこそトール並みに強いのではないだろうか。

 親の顔が見てみたいなどと真面目に考えつつ、料理の乗った器もヨルサの前に寄せてやる。


 「さ、食え食え。飲んでばかりじゃ身体に悪かろう」

 「あ、ありがとうございます」


 笑って、食べて、酒を飲む。

 最初は少し緊張していたヨルサも、トールが世話を焼く内に解れてきたようで。

 今は自然と微笑みながら、お酒を飲みつつ楽しそうに言葉を交わしている。

 本当はあまり飲み過ぎていないかとか、羽目を外しすぎていないかとか、心配で様子を見に来たヨルサ。

 けれど、二人の飲むペースに付き合おうとして脱落する村人に気づいてない辺り、完全に当初の目的は忘れているようだ。


 「そういえば、弟はどうした?流石に連れてはこんかったか」

 「はい。治して貰ったとはいえ、怪我をしたばかりですし。家で大人しく休んでます」


 トールの方は、気づいているが気にせずに、和やかな会話を楽しんでいる。

 少しばかりお酒が回ってきたか、ヨルサも大分饒舌になっている。


 「………助けて頂いたこと、本当に感謝しています。トール様」

 「おう、なんだ急に」


 麦酒で唇を湿らせながら、不意にヨルサは深々と頭を下げる。

 いきなりだったので、トールも面食らってしまう。素直な感謝に、面映ゆさも感じてしまって。

 ヨルサが顔を上げれば、そこにあるのは愛らしい少女の微笑みで、トールにとっては余計に照れくさい。

 その微笑みにどこか懐かしいものを感じるのは、酒の飲みすぎだろうか。


 「まぁ、なんだ。ワシもお前さんに助けられたんだ。お互いに言いっこ無しで良かろう」

 「そ、そうですか?でも私、大したことなんて………」

 「荒れ狂う稲妻に、自分から手を突っ込む。肝の太い男でも、そうそうできる者はおるまいよ」


 笑って、謙遜する娘の頭をくしゃりと撫でる。

 無遠慮で乱暴な手つきだったが、同時に確かな優しさも伝わってくる。

 母もよくこんな風に自分を撫でてくれたなと、ヨルサは思い出す。

 懐かしい感触に、つい涙腺が緩んでしまいそうになるのを感じながら、それを誤魔化そうと小さく俯く。


 「ん。あ、いや、すまん。いきなり髪触るのは嫌だったか。悪かった」


 それを嫌がられたかと勘違いし、慌てて謝り出すトール。

 そんなつもりはまったくなかったヨルサの方が、逆に焦ってしまう。


 「えっ?い、いえ!そんなことないですよ!大丈夫です、大丈夫!」 

 「そ、そうか?」

 

 焦りすぎておかしいテンションのまま必死に否定するヨルサと、その勢いに押されてしまうトール。

 何ともおかしなやり取りに、二人は自然と笑ってしまった。

 笑って、また新しく酒を注いで、ついていけなくなった村人がまた脱落して。

 夜は深まっていきながら、彼らの時間は続く。


 「本当に、あの時はダメかと思ったんですよ……ウルルは怪我して動けないし、後ろにはトロールいるしで……」

 「あれなぁ、ワシが来るタイミングがちょっとでも遅かったらヤバかったよなぁ」

 「ええ、凄いタイミングでしたよね!もう、私、ビックリしちゃって」


 流石にトールに合わせて呑んでいたせいで、ヨルサは大分酔いが回っていた。

 理知的で大人びた雰囲気は黄昏の彼方にすっ飛んだようで、今は逆に幼くなってしまっている。

 そんな様子が可愛くて、トールも酒を飲む手は止めない。


 「もうダメかと思って、怖かったけど、私ずっと、祈ってたんです」

 「うむ、ワシにはちゃんと届いてたぞ。それ」

 「本当ですか?」


 酔っ払いの与太にしか聞こえない言葉だが、ヨルサは素直に喜んだ。

 満面の笑顔で両手を合わせ、指を絡めて祈りの形を作る。


 「亡くなった母に、教えてもらったんです。危なくなったら、教えた通りに祈ってみろ、って」

 「………ふむ」


 母親は故人。父親らしい人物も見受けられない。

 恐らくは、両親共に何らかの理由で亡くなってしまっているのだろう。

 まだ年若く、さらに自分よりも幼い弟を抱えて、日々を過ごすのはどれほどの苦労を伴うか。

 村人達は優しく、この姉弟と好意的に接しているのは、短い時間でもすぐに見て取れた。

 それなりに、豊かな村であることは間違いない。

 他者と助け合う余裕があるのは、物理的に余裕があることの証左だ。


 「………まぁそれでも、大変なものは大変だよなぁ」


 生きるということは、つまりそういうことで。

 年齢的にもまだ甘えたい盛りだろうにと、思わず涙がこぼれてしまいそうになる。

 どうやら自分も少々飲みすぎたらしい。

 トールは手にしたジョッキを飲み干して、それを勢いよくテーブルに置く。

 そして心の奥底から溢れ出してきた感情のままに、隣に座っている少女の身体を強く抱きしめた。


 「きゃっ!?と、トール様っ?」

 「大変だったろうなぁぁぁ、怖かったろうなぁぁぁ」


 こぼれてしまいそうどころか、滂沱の涙を流しながらヨルサをハグする。

 酒どころか自分のテンションにも酔ってしまったようで、今トールは完全な酔っ払いとして完成していた。


 「と、トール様……!おち、ついて……くるし………!」


 トールの方が長身なのもあり、ヨルサの頭は丁度相手の胸の辺り。

 つまりそのまま抱きしめられると、豊満な肉に埋もれて窒息の危機がある。

 このままでは死んでしまうと、必死にジタバタもがく少女に、トールはやっと腕の力を緩めた。

 緩めはするが離しはしないままで、泣き上戸の雷神は相変わらずダバダバと涙を流している。


 「いいぞーヨルサ、ワシは神様だからなー。どうせ行くところも無し、頼ってくれて構わんのだぞー」

 「…………あの、トール様?」


 苦しくて、少し酔いも覚めてきたヨルサは、不思議そうにトールを見上げる。

 はて、自分は何かおかしなことを言っただろうか。

 小さく首を傾げるトールに、ヨルサは衝撃的な言葉を口にする。


 「名乗られた時も、仰っていましたけど…………「神」とか、「神様」って、一体どういう意味の言葉なんですか?」

 「……………」


 今度は、言われたトールの方の酔いが覚めた。

 神。神様。それがどういう意味の言葉であるのかと、少女は問うた。

 それこそ一体、どういう意味なのか。



 ――――こうして雷神トールは、この見知らぬ地での「神の不在」を知ったのだった。




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