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 かつては九つの王国との交易路を持っていた大陸の中心、ナインテール。

 栄光ある十の円卓が半分にまで欠け落ちた今でも、人々の賑わいが陰ったことはない。

 しかし、それを差し引いてもその日は特別だった。


 楕円形の都市を貫く三つの大通り。

 そこでは幾つもの露店や商店が立ち並び、大陸中の品物が毎日のように商われている。

 普段から使う食料や雑貨品、西の森で採れた珍しい果実に、東の国で造られた高級な酒や煙草。

 商人はそれらを如何に多く売りさばくか、買い手はどれだけ望むものを安く手に入れるか。

 客の値引き交渉の声と、それをのらりくらりと躱す店主の声。


 普段はそれらが途切れることなく混ざり合い、大通り中を満たしているわけだが――――。


「さぁさぁ、見てってくれよ! 今日はここに並んでる商品はすべて半額だ!」

「こっちも全品半額だよ! こんな日は二度と無いぜ!」

「蒼き竜の加護と、我らを救った英雄を祝して!」


 突如として街に迫った魔物の群れと、それを瞬く間に退けてみせた見知らぬ英雄達。

 その戦いを直接目にした者こそ多くはないが、話自体は街中に広まっていた。

 既にその話を歌として、道端で弾き語りをしている吟遊詩人も見られる。

 稲妻の戦車を駆る乙女と、獅子の毛皮を纏った勇者。

 虚実織り交ぜの歌が街中に響き渡り、人々はまるで今日が祝祭であるかのように騒ぎ立てていた。


「ふーむ、見事に祭り事みたいなことになっとるなぁ」


 喧騒の中、そこからやや距離を取る形で通りを進む四人の人物。

 その一人であるトールは、通りに溢れる人々の様子を面白そうに眺めていた。


「やっぱさー、英雄なんだしどうせだったらドパパーン!って現れた方が良かったんじゃね? もう大騒ぎでウハウハよ?」

「領主殿やベルリンドの迷惑になるからやめーや」


 わざとらしく不満げな顔をしているロキの頭を、トールは軽くはたいて諌める。

 別に本気でやるつもりはないだろうが、ちょっとでも甘い顔をすると本気でやってしまうから油断ならない。

 道化の神はまだブーブーと文句を言っているが、どうせ大した事は言ってないので聞き流すことにする。


「気を使わせてしまって申し訳ありません、トール殿」


 トールのやや後ろを歩くベルリンドは、そう言って軽く頭を下げた。

 それに対して、トールは苦笑しながら首を横に振り。


「こっちとしちゃ、そんなド派手に目立っても動き難くなってしまうだけじゃしな。ロキの戯言は気にするな。

 そんな風にあれこれとおだてられたいからやったわけじゃあないんだ」


 人々が喜びと共に今この時を祝い、姿を見ない英雄に感謝を捧げる。

 それで良い。それもまた信仰としてトールの力となるのであれば、それだけで十分だ。

 トールはそのように考えながら、残りもう一人の人物へも水を向けてみた。


「お前さんだってそうじゃろう? なぁ、ヘラクレスよ」

「おう、その通りだ」


 一際背の高い大男は、露店で買った串焼きを齧りながら頷いた。

 木串に刺された牛肉の表面には満遍なく甘辛いタレが塗られており、焼けた肉の香ばしい匂いが鼻をくすぐる。

 よく噛んだ上ですべて呑み込んでから、ヘラクレスは改めて口を開く。


「名誉なんてもんはそれだけあれば十分だし、欲を掻いて身の丈以上のものを求めたってロクなことにならないんだ。

 だからそれで良いし、そのぐらいが丁度良いだろうさ。きっとな」

「実感こもっとるなぁ………」


 半神半人の英雄であり、人としての死の後に神の階梯を上った者、ヘラクレス。

 その素性に関しては、既にトール達のことも含めてお互いに話し合っていた。

 主神の息子でもある男がどのような星の下で生まれて、どのような運命を辿ってきたのか。

 詳しいことまでは、トールも聞いてはいない。ただ神の加護というのは、いつだって祝福と呪いの両方の面を持ち合わせている。

 かつては戦いの神として、何人もの勇者を見届けてきたトールとしてはなかなか複雑な思いもあった。


「ま、それはそれ。これはこれだ。昔のことをアレコレ考えたって仕方あるまいさ。いつだって大事なのは未来の話だ」


 そう言って、ヘラクレスは最後の肉を口にして、残った木串を指でへし折った。


 彼もまた、トールやロキと同じように気が付けばこの見知らぬ地に降り立っていて、ここまで放浪の旅を続けてきたという。

 自分の身に何が起こったのか。ヘラクレスには前後の記憶も曖昧で、いつの間にか放り出されていた形だ。

 どこを見渡しても峻厳たるオリュンポスの山は見当たらない。

 父なるゼウスの気配もなく、ただ見知らぬ大地だけが目の前に広がっている。

 突然のことに困惑していたヘラクレスだったが、それも最初の内だけで、彼の胸にはすぐ別の感情が火を上げていた。


 即ち、冒険心。

 課された使命として乗り越えてきた“十二の難行”に、栄光あるアルゴナウタイの一員として参加した黄金羊を求める旅路。

 冥界探索やトロイアでの戦いなど、神となる前にくぐり抜けてきた冒険の数々。

 あの時の情熱が、未知なる大地を前にしてヘラクレスの胸に蘇っていた。


 獅子の毛皮を纏う勇者。

 トールの活躍が稲妻の乙女として知られているのと同様に、ヘラクレスもまたその名で呼ばれる英雄として知られつつあった。


「大事なのは未来の話、か。間違いないな」


 ヘラクレスの言葉にトールは大きく頷いた。

 その隣で聞いていたロキも、やはりわざとらしい動作で首を縦に振り。


「うんうん、まったくもってその通りだなぁ。大事なのは過去よりも未来さ。間違いない。

 ――――だからお前ら二人とも、ベルリンドにちゃんと感謝しろよ?まともな格好にして貰えなきゃ、そんな余裕ぶってられなかったろうからな」


 ニヤリと笑いながら言われると、トールもヘラクレスも返す言葉がなかった。

 そう、大いに賑わっている通りの中で、四人が人混みに紛れて平和に話などしていられる理由。

 それはベルリンドがちゃんとした衣服を用意した上で、それをトールとヘラクレスの両名に着させているからに他ならなかった。

 決して派手な衣装ではない、町民が身につけているような質素な衣装。

 ヘラクレスに関してはその体格ゆえに、幾つかの服をバラして切り貼りしたような不格好なものになってしまったが、丸出しよりは随分マシだろう。


 紐でまとめた髪を軽く指で弄りながら、トールは小さく咳払いをした。


「あー、勿論、それに関してだって感謝はしとるぞ? というか、ワシだって好きでああいう格好しとるわけじゃなくてな」

「人間の服なんざ、お前が本気だしたら焼け落ちちゃうもんなー。そりゃ分かってるけどよー」


 分かっていて、道化の神はあえてからかっているのだ。

 また頭を叩いて地面に沈めておきながら、トールはヘラクレスに問いかけてみた。


「そういや、お前さんの方はどうなんじゃ? あの格好、流石に初めて見た時はワシも驚いたが」


 トールはメギンギョルズやミョルニールなどの神器を使うと、どうしたって人間の弱い衣服では耐えることができない。

 だから争いが予想される時などは脱いだ状態でいるのだが、この獅子の男の場合はどうだろうか。

 問われたヘラクレスは驚くほど神妙な顔をして。


「死ぬからだ」

「は?」

「パンツを履くと死ぬんだ、俺」

「なにそれ怖い」

「俺の師匠だって死んだんだぜ? そりゃ俺だって死ぬよ」

「お、おう………」


 聞いていてわけが分からないが、ヘラクレスの方はいたって真面目だ。

 それを聞いて、ベルリンドは苦笑いを浮かべ。


「だから、用意された下着の方はまったく手をつけていなかったんですね………」

「うむ、すまんな。わざわざサイズ合う服と合わせて用意してくれて悪いんだが、俺はパンツだけは駄目なんだ。履いただけで死にそうになる」


 一体それはどういうトラウマなのか。

 気になりはするが、立ち入ってはいけない領域な気がしたので、トールはそれ以上何も言わなかった。

 だから話題を変えるべく、もう一つの疑問をヘラクレスへと投げかける。


「なぁ、ヘラクレスよ。お前さんも東の地を目指しておるようだが」

「あぁそうだ。だから東への道中、一緒に向かおうって話になったんだろう?」

「うむ、それは良い。それは良いが、お前さんは東の地に関する話を何処でどうやって知ったんじゃ?」


 その問いに、ヘラクレスはすぐには答えなかった。

 トールにしてみれば、それは興味本位からの質問でしかない。

 自分がテスカトリポカからその話を聞いたように、ヘラクレスも誰かからその情報を得たのだろうか。

 それだけの疑問でしかなかったのだが、返って来たのは予想外の沈黙だ。


「? どうした、何か言いづらい事情でもあるのか?」

「んんー………少しばかり、な」


 トールはそう言って首を傾げ、ヘラクレスはやや困った様子で自分の顎を指で掻く。


「俺もまぁ、東の地に関しては別の奴から聞いた。察しはつくと思うが、相手は俺達のご同類だ」

「そうか、やはり――――」

「だが、俺から話せるのはそこまでだ」

「? そりゃどういう意味だ」


 黙って話を聞いていたロキも、眉根を寄せながら訝しげに口を挟む。

 ヘラクレスは何故か意味ありげな視線をロキの方へと向け、小さく肩を竦めた。


「どういう意味も何も、そのままの意味だ。俺が出会った奴に関して、俺からはそれ以上の話はできない。

 俺はまぁ、自分の中のアレコレを満たしたりできればそれで良い風来坊だが、俺以外の誰かはそうとも限らない。アンタらも含めてな」


 言われて思い浮かべるのは死の山の悪神に、森林帝国の皇帝である太陽神。

 彼らもまた、トールやヘラクレスらと同じ神威を持つ者であったが、その思想も目的もそれぞれ大きく異なっていた。

 ヘラクレスと、彼に東の地に関する情報を与えた神の間にどんなやり取りがあったのか。

 恐らくは何らかの取り決めや契約があったのだろうか、詳細なことは分からない。


 少なくとも、ヘラクレスにそれを違える気がないことだけは確かだ。


「悪いが、そういうわけだ。東の異変に関しちゃお互い協力できると思うし、それについては手を抜くつもりもないが」

「あぁ、その辺は分かっとるさ。そちらもそちらの事情があるだけの話じゃろう」


 ヘラクレスの言葉にトールは頷く。

 こちらが把握していない未知の神性に関する話を、知りたくないと言えば嘘になる。

 しかし、口を噤んでいる相手に無理やり話させるというわけにもいかないし、ヘラクレスは簡単にそれが出来るような相手でもない。

 いずれ必要な時が来れば、知る機会もあるだろう。トールはそう納得することにした。

 ロキは何かを気にしている様子だったが、引っ掛かるようなことでもあるのか。


「ロキよ、どうかしたか?」

「ん? あー、いや、別に何もねーけどな」


 聞かれて、ロキは珍しく歯切れの悪い答えを返す。

 本当に何となくではあるが、ヘラクレスが向けた視線に何か感じるものがあった。

 気のせいと言ってしまえばそれだけの、微かな違和感。

 その正体が分からずに、道化の神は首を傾げる。

 ロキのことを観察したような、あるいは警戒をしているような、イマイチ判然としないヘラクレスの視線。


 何故、そんな視線をロキに向けたのか。

 考えて、どうせ大したことではないとロキはあっさりと思考を放棄した。

 ヘラクレスにわざわざ聞くのも馬鹿らしいし、素直に答えてくれるとも限らない。 

 ならばその疑問自体が無意味だと、ロキはさっさと結論を出した。


 ――――もう少し、その意味するところを考えれば、あるいは答えに辿り着くこともできたかもしれない。

 しかしロキはそれ以上考えることはせず、すべての疑問は闇の中。

 彼らが正しい「答え」に出会すことになるのは、もう暫く先の話になる。


「………さて、街の様子も大体見れたか」

「あぁ、出来ればもっとゆっくりして行きたかったんだが、急ぎの旅になりそうだしな」

「のんびり歌でも考えながらダラダラ過ごせりゃ天国なんだけどなぁー」


 雷神トールと、戦神ヘラクレス。そして道化の神ロキ。

 これより東の地へと赴く三柱の神は、自分達が救った街の様子を確認できて概ね満足していた。

 また魔物による襲撃が起こらないとも限らないが、この地には二柱のテスカトリポカの別神格も存在する。

 彼らは己の目的や使命のために、この地を守ることを厭いはしないだろう。

 そしてもう一人、三柱を見送る者があった。


「………どれほどの旅路になるのか、私には見当もつきませんが。東の地でのことが終わったら、またこの街に立ち寄ってください。

 私は貴女の武運を祈りながら、その時まで己の役目を果たし続けましょう」

「別れの挨拶にゃ、少々気が早かろうよ。ベルリンド」


 軽く手を伸ばし、トールは騎士の頭をわしゃわしゃと撫でてやる。

 そうして少し目を回してしまったベルリンドの肩をバシリと叩いて、微笑みながら言葉を続けた。


「ヨルサにも約束したが、すぐに戻ってくるさ。お前は気負わず、望む通りにやってけば良い。

 もし仮に魔物共がまた沸き出して、この街を襲うようなことがあったら」

「分かっています」


 腰に下げた黒剣を意識して、ベルリンドは力強く頷く。


「この剣と貴女に捧げた誓いに賭けて、必ず戦う術を持たぬ人達を守ってみせます。だからトール殿は、何も心配せず旅立って欲しい」

「――――うむ。お前のこと、信頼しとるぞ。ベルリンド」


 しっかりやれと、トールはもう一度肩を叩いた。

 平和な喧騒に包まれた街の通りから、四人は少しずつ遠ざかっていく。


 新しい出会いと、一時の別れ。

 それを一つ一つ受け止めながら、雷神は新たな旅路へと足を踏み出す。

 向かう先は人々が住まう“既知の領域”の東端、熱砂に閉ざされた大国スラーナ。


 まだ見ぬ大いなる神が封じられた、要の地へ。



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