4
齢五十を超える身となっても、レイドリック=ローディニアは巌のような男だった。
自慢の口髭も、やや生え際が後退し始めている髪も、等しく過ごした年月によって白く染まってきている。
それが老いる過程を具体的に示しているようで、少し寂しく感じることもある。
正装に包み隠した肉体は、多くの者は「昔と何も変わらない見事な身体だ」と褒め称えた。
しかしやはり、若い頃に比べれば随分と衰えている。
毎日鍛錬は欠かさず続けているが、実戦に身を置かねば戦士はただ老いるばかりだ。
それを寂しく感じることはある。
けれど戦士が老いる世とは、戦いのない平和な時代でもあった。
老いた騎士レイドリックは、己の若かりし頃を思う。
丁度その頃は魔物の発生や活動が多く確認され、国中の騎士達が討伐のために日夜戦いを続けていた。
レイドリックも部下を連れて領内を駆け回り、魔物の群れと戦う際は自ら先陣を切ってきた。
思えば若さ故の短慮であったと、老いた身で振り返って初めて気づく。
己の立場も顧みず、ただ必死に自分の手で武功を上げようと躍起になっていた。
武の名門ローディニア。たまたまその血を継いで生まれてきたのではないのだと証明したかった。
己の生命を徒に危険に晒し、結果として部下の生命を危険に晒す。
それは将としてあるまじきことだ。苦い経験も多くした。
老いた身で振り返れば、それは若さから来る愚かさだと分かる。
そして若かりし頃の過ちがあったからこそ、今の老いた自分があるということも。
ローディニア伯爵家、その屋敷の一室。
幾つも飾られた豪華な調度品は、現当主であるレイドリックの栄誉を象徴しているかのようだ。
老いた騎士はその視線を、自らの息子であるベルリンドの方へと向ける。
ベルリンド。レイドリックにとっては自慢の息子だ。名門ローディニアの血を色濃く受け継いだ麒麟児。
その才覚は父である自分を上回り、領民や家臣達からも慕われている。
けれど、まだ若い。生まれ持ったものでは、若さ故の愚かさばかりはどうしようもない。
以前の魔物騒ぎの後、吟遊詩人の歌の真偽を確かめるなど、そんな理由で飛び出してしまった時は頭を抱えた。
若かった頃の自分もまた、この息子と同じぐらいに愚かだったろうか。
そうであったように思えるし、これほどではなかった気もする。
あるいはもっと酷かったかもしれないが、その答えを出したところで意味などないだろう。
そうして今、レイドリックの前に自慢の馬鹿息子は戻ってきた。
直前まではどのように叱責し、どういう罰を与えるべきかを考えていた。
だが再び顔を合わせた直後には、その考えも吹き飛んでしまった。
「………勝手をしてしまい、申し訳ありませんでした。父上」
レイドリックが無言でその姿を眺めていると、ベルリンドの方から深々と頭を下げる。
「己の立場も忘れた愚かな振る舞い、猛省しております。どうか如何な罰でも」
「ベルリンド」
父は息子の名を呼び、その言葉を遮った。
そしてゆっくりと目の前まで歩み寄ると、軽くその肩を叩いて。
「少し見ぬ間に、成長したようだな。見違えったぞ」
何があったかは分からない。分からないが、レイドリックは一目見た時から感じていた。
若く愚かだった息子が、驚くほど大きく成長している事実を。
身に纏う空気や、身体に満ちた力。どれもこれも、以前のベルリンドとは異なる。
若さ来る愚かさ故に、人は過ちを犯す。
しかしその過ちがあるからこそ、人は成長の機会を得られる。
ベルリンドもかつての自分と同じように、愚かなことをしてしまった。
けれどその機会を無駄にせず、新たな段階へと至った。
故にレイドリックはベルリンドの父として、先達として、心からその成果を称賛した。
「お前は私の次に、ローディニアの家名とこの領地に住まうすべての人々の生命を背負っていくことになる。
それを決して忘れるな、ベルリンド。お前は私よりも優れた領主になれるはずだ」
「………勿体無いお言葉です、父上」
胸の奥が震えるような喜びを噛み締めて、ベルリンドは再び深く頭を下げた。
それを見て、レイドリックもまた微笑みながら頷く。
息子の成長を祝って秘蔵のワインでも開けたい気分だが、その前にもう一つ済ませておくべきことがあった。
咳払いを一つ。自分の空気を入れ替えて、レイドリックは息子に対して問いかける。
「それで、ベルリンドよ。あの方々はどちらに?」
「別室でお待ち頂いております。私が呼んで参りましょうか?」
「頼む。彼らはこの街を救った英雄だ、領主として礼を尽くさねばならん」
そう命じて、一時部屋を退出するベルリンドの背を見送る。
それからレイドリックは小さくため息を吐いた。
先ほど起こった魔物の大量発生。
レイドリックですら見たこともないような大群を、あっという間に蹴散らしてしまった者達。
驚くべきことだ。かつては多くの魔物を討ち取ってきたレイドリックだからこそ、その凄まじさを強く実感できる
もし仮に、あのまま街の戦力で迎撃していたらどれほどの被害が出たか。
それを無血で、まったくの無傷で、一匹も逃さずに魔物の群れを殲滅してしまった。
英雄だ。疑いようもなく、彼らはこの街を救った英雄だ。
いやあれだけの大規模な魔物の群れとなれば、その被害はこの都市のみに留まらなかったかもしれない。
最悪の場合は国の存亡にすら発展しただろう。
その危機を未然に防いだ大恩ある者達と顔を合わせるというのに、レイドリックの心は憂鬱だった。
それは一体何故なのか。理由は実に単純だ。
事前に街を救ったのがどのような人物であるのかを、レイドリックは耳にしていたからだ。
「………失礼。三人をお連れしました」
「あぁ、入って貰え」
促せば、部屋の扉がゆっくりと開く。
そこに立つ人物は四人。一人は当然、呼びに行かせた息子のベルリンドだ。
問題となるのは残りの三人。街を救った当の英雄達。
一人は白と黒のドレスを身に纏った女だ。
見慣れぬ服装ではあるし、眼に宿る光も妖しげではあるが、三人の中では比較的まともに見える。
色々と拙いのは、あとの二人の方だ。
片方は背の高い赤髪の女。
その姿は名工の手からなる彫刻のように美しく、完璧に均整のとれた肉体を惜しげもなく晒している。
そう、晒しているのだ。いや、流石に完全に晒しているわけではないが。
だが身につけているのは黒い帯のようなもので、それを身体のいたるところに幾重にも巻きつけているのみだ。
そしてもう片方の男。獅子の如くに髪を逆立たせた偉丈夫。
こちらはシンプルに毛皮のみ。それをただ腰に巻きつけているだけの格好だ。
――――彼らは街を救った英雄だ。その点に関しては疑いようもない。
ローディニア伯爵は鋼の理性と克己心によって、言いたいことのすべてを飲み下す。
ヘラクレスが毛皮の下に何も身に着けていないことなど知らぬ領主は、客人達を笑顔と共に迎え入れた。
「よく来て下さった、お客人方。私はこの交易都市ナインテールの領主、レイドリック=ローディニアと申します。
先ずはすべての領民達を代表し、感謝の言葉を。あなた方がいなければ、この都市は既に魔物達の餌食となっていたでしょう」
深々と一礼をするレイドリックに対して、最初に答えたのはトールだった。
「いやいや、顔を上げてくだされ領主殿。遅ればせながら、ワシはトールと申す。御子息には何かと世話になった。
その礼ができたと考えれば、あの程度はそう大したことでもありませんよ」
「ご謙遜を。“稲妻の乙女”の歌は、私の耳にも届いておりますよ」
領主にまであの歌を聞かれているという事実に軽い目眩を覚えるが、とりあえず表には出さない。
それを感じ取ったのかどうかは知らないが、ロキは悪戯小僧のようにニヤリと笑って。
「やぁやぁ、あの歌を領主殿にもお聞き頂いていたとは感激ですなぁ。あぁ、オレはロキと申します。
“稲妻の乙女”たるトールの活躍、これからも歌として世に出していくつもりですので、お楽しみ頂ければ無上の喜びです」
「お前まだやる気だったのか………」
やや気圧され気味の伯爵に無理やり握手をするロキの傍らで、トールは低い声で唸った。
別に好んでこの格好をしているわけではないので、稲妻の乙女だの何だのという名前が広がるのはやはり抵抗がある
しかしロキがその歌を世に流したことで、トールが強い信仰の力を得たのも事実。
今回のことも、魔物の群れを蹴散らして街を守った活躍も含め、領主公認で街に歌を流して新たな信仰の基盤にしたいのだろう。
なのでトールも強くは反対し難く、ロキはそれを分かっていてあえて目の前で歌を云々と言い出したのだ。
その辺りの思惑などまるで知らないレイドリックは、気を取り直して残り一人の方へと目を向けた。
「ヘラクレスだ。俺が通りかかったのは単なる偶然だが、同時に運命でもあったのだろう。誰も犠牲にせず済んで良かった」
「ありがとう、ヘラクレス殿。貴方の勇気と力に敬意を表そう」
老いた領主と獅子の男はそう言って握手を交わす。
見た目こそ奇抜ではあるが、三人とも必要な礼節は弁えている人物であるようだ。
これが野蛮な無頼漢の類であったらどうなっていたか。レイドリックはそっと胸を撫で下ろす。
気を取り直して、レイドリックは三人の正面に立つ。
そして彼らをこの場に集めた本題とも言うべき話を始めた。
「さて、あなた達は英雄だ。魔物の群れを容易く蹴散らし、街の危機を救った大恩あるあなた方に何か礼をせねばなるまい。
このまま何もしないのであっては、我がローディニアの家名に傷が付く。故にあなた方に問いたい。
あなた方は今回の功績の報酬として、何を望まれる?地位でも金銭でも、可能な限り報いることを約束しましょう」
問われた三者は、互いの顔を少し見合わせた。
「あ、オレは出来れば今回の活躍を歌にして街の方でお披露目を………」
「それはまた今度にしろ」
早速言い出したロキを、トールは即座に黙らせた。
口に出すつもりは毛頭ないが、ロキの歌は実際に有効ではあるのでトールも強く反対はしない。
しかし今は長々とこの街に滞在している場合ではないだろう。
突如として現れた魔物の大群と、テスカトリポカが語った東の地で起こっている異変。
その二つが無関係とは思えなかったからだ。
「領主殿、ワシが望むのは持ち運ぶのに困らない程度の金銭と、同じだけの宝石。それだけあれば良い。
ワシらはこれから東の地へと向かわねばならん。ゆえ、道中で不自由をしない程度の金を頂ければ満足だ」
「東の地………? それは何故?」
「まだ分からん。が、異変が起きているという話を耳にした。今回の件も、あるいは何か関係があるのかもしれん」
もしそれが正しければ、急いで向かう必要がある。
死の山に現れた悪神よりも恐ろしいことが、東の地で起きているのかもしれない。
領主であるレイドリックは、その言葉を深刻な表情で受け止めた。
確かに、あのような魔物の大量発生はこれまでにはなかった事態だ。
仮に原因があるのならば対処しなければならないが、それは人知を超えた領域となるだろう。
そんなことが可能な者がいるとしたら、それは彼らしかおるまい。
絶望を体現するはずの魔物達を、容易く蹴散らしてみせた彼ら以外には。
「その望み、確かに承った。直ぐにでも用意させよう」
「ありがたい。恥ずかしながらロクに手持ちもないものでな」
最悪、ベルリンドから幾らか借りることも考えていたので本当に助かった。
レイドリックは従者を呼び、望みの品を用意するように命じる。
と、そこで横で聞いていたヘラクレスが軽く手を上げた。
「あー、領主殿。俺の褒美も彼らと一緒で構わない」
「? 君もかね、ヘラクレス殿。いや、それは勿論構わないが………」
「あぁ、きっとこれも運命という奴なのだろう」
そう言うと、ヘラクレスはトール達の方へと向き直る。
言葉の意味が分からず首を傾げるトールとロキ。そんな二人に対して、ヘラクレスは軽く笑って。
「東の地へと向かう、そう言っていたな」
「あぁ、確かにそう言ったが、それがどうかしたかの?」
「俺も同じなんだよ」
そう、同じなのだ。
この日この時に、この顔ぶれが集まったのは単なる偶然だろう。
しかし偶然も二度、三度と重なれば、それは必然という名の運命に違いない。
故にヘラクレスは笑う。見知らぬ地に降り立った異なる神同士が、こうして運命を重ねることを「面白い」と笑った。
「俺もまた、東の地を目指している。その地で起きているという異変を鎮めるためにな。
―――アンタ達さえ迷惑でなければ、このまま同行させちゃ貰えないか?」




