14
気が付くと、夜は過ぎて東の空は白み始めていた。
酒場から一人外へ出ると、トールは軽く身体を伸ばした。
結局、なんだかんだと一晩ずっと飲み明かすという形になってしまった。
本来ならそこまで飲む気はなかったのだが、飲んでいる酒があまり良くなかった。
ただの酒なら何の問題もないのだが、トール達が口にしていたのはロキの手が加えられた蜂蜜酒。
神であっても飲みすぎれば酔っ払ってしまう代物だ。
トールやギーアは程々に酒量を抑えていたが、当のロキとヤナルの方がヒートアップしてしまった。
喧嘩すんのは良いが流血沙汰は控えろ、というこちらの意見を守った結果、先ず始まったのは飲み比べだ。
思えばトールの奢りだと、女将や店主にも酒を振舞ったのも拙かった。
店にあった酒を飲み干すような勢いでロキとヤナルは互角の勝負を繰り広げ、静観していたトール達にまで飛び火。
押し付けられた酒を飲んでいる内にトールやギーアも大分酔っ払ってきてしまい、ブレーキを入れる役がその時点で消失した。
後はもうひたすらどんちゃん騒ぎだ。
「いやまぁ、楽しくはあったがなぁ………」
軽く痛む頭を抑えながら、トールは苦笑する。
流石に飲みすぎて酒の量も少なくなり、決着をつけねばと行われたのが何故かダンス対決。
上着を脱いで見せてくれたヤナルの民族舞踊は、実際に見応えのあるものだった。
いつの間にか勝負とかブン投げていたロキが、ダンスの見物に回って合いの手を入れたりしていたが、まぁロキだから仕方ない。
あれ後で思い出して絶対に後悔する流れだろうが、その辺のフォローは同僚のギーアの仕事だろう。
「さて、と」
酔い潰れている三柱の神様は一先ず放っておいて、トールは酒場を離れた。
まだ早朝であるため、起き出している村人も殆ど見られない。
涼しげな初夏の空気を胸いっぱいに吸い込みながら、静かな村の中をゆっくりと散歩する。
ベルリンドがこの村を訪れてから随分とドタバタした毎日が続いているが、村が平和であることに変わりはない。
そう、平和だ。“雷神の村”と人々が呼ぶ、トールが守り続ける平和。
何にも代え難い尊いものであり、できればそれが変わらず続けばといつも願っている。
だが、変化というものは常に訪れる。時間の流ればかりは、例えトールであっても抗いがたい。
異境の神、テスカトリポカ。
トールやロキ達よりも早くこの地に現れ、今や大国を支配する程の力を得ている強大なる神威。
来るだろうと思っていた変化は、トールが思っていたよりもずっと早く現れた。
自分達の味方にならないかと、彼の神はその手を差し伸べる。
「………悪い話では、ないんだろうがなぁ」
むしろ、下手に敵対すれば大きな危険を伴うことになる。
テスカトリポカの別神格、その一柱であるギーアとの戦い。あれは実に良い勝負だった。
つまり今現在のトール一柱の力では、複数いるテスカトリポカの一柱と互角程度でしかない。
まして向こうの勢力は、国同士の戦争が行えるほどに広がっている。
敵になる道を選べば、村に危険が及ぶことも想像に難くない。
だが安易に味方になることを選ぶのも、また違う気がする。
今ある自身の平穏は捨てることになるが、そうすればこの村を戦火から守ることはできるだろう。
それは間違いない。けれどそれだけの理由で選んで良いほど、それは軽い道なのか。
どうにも思考ばかりがぐるぐる回って、トールは悩ましげに吐息を漏らした。
「………トール殿?」
ふと聞き慣れた声が耳に入り、トールは意識をそちらへと向ける。
畑の合間を通る田舎道。まだ他の村人達の姿もないその場所に、大分見慣れた青年が立っている。
ベルリンドだ。軽装から覗く腕や足には治療の跡がまだ残っているが、見たところ調子は悪くなさそうだ。
「おぉ、ベルリンドか。おはよう。起きとって大丈夫なのか?」
「おはよう御座います。ええ、お陰様で」
まだ出会ったばかりの頃に比べると、態度も随分と軟らかくなった。
特に示し合わせるでもなく、トールとベルリンドはお互いに肩を並べて道を歩く。
「お前さんも散歩か?」
「はい。大分眠っていましたから、少しずつ動かしませんとね」
「難行も残りは三つ、次で折り返しになるか。気合が入っておるのは良いことだが、無理はするなよ」
騎士の背中を軽く叩きながらトールは笑う。
気遣われていることを素直に嬉しいと感じて、ベルリンドも笑みと共に小さく頷いた。
あと三つ。超えねばならない試練の数をベルリンドは思う。
それを突破した暁には、自分にどんな変化が訪れるのだろうか。
そして心奪われた“稲妻の乙女”は、自分をどんな風に思ってくれるだろうか。
邪念だと、それを冷静に切り捨てようとする理性はある。
しかし同時に、その欲望もまたこの身を突き動かす原動力であるという理解もあった。
望み欲するからこそ、人は困難な道でも走り続けられる。
今のベルリンド自身が正にそうだ。
果たしてそれは、“稲妻の乙女”にとっても変わらないものか。
「トール殿」
「ん? どうした?」
「貴女には何か、得たいと望むようなものはありますか?」
気になって、ベルリンドは自然とその問いを投げかけていた。
問われた方は少し間を置き、悩むように首を捻る。
「得たいと望むもの、か。………正直な、丁度色々と悩んでおったところだ」
「貴女でも悩まれることがあるのですね」
「そりゃ当然じゃろうが。流石に何も悩まんような阿呆のつもりはないぞ?」
失礼な奴めと笑いながら、トールは空を仰ぐ。
得たいと望むものは何であるのか。問われた言葉を、頭の中で転がしてみる。
この村で過ごす穏やかな時間。それは今この手の中にあり、そして失いたくないと思っているものだ。
ならばそれを脅かす変化、テスカトリポカの提案は忌避すべきものか。
それも単純にそうだとは言い切れない。
この世界が何であるのか。そこにどんな真実があるのか。
そしてそこにはどんな変化と戦いが待っているのか。
トールは戦いの神として、それもまた自らが望むものだと肯定する。
二律背反。穏やかな時間も、新たなる戦いも、どちらもトールが望んで欲するものだ。
「ベルリンドよ、逆に聞いてみても構わんか?」
「なんでしょうか。私に答えられることであれば、何なりと」
「うむ。まぁ例えばの話じゃが、今自分が欲しいと思うものが、目の前に二つ並んでいる。
どちらも同じぐらい欲しいわけだが、どっちかしか手に取ることはできん。その場合、お前さんならどうする?」
ベルリンドはその問いに、少しだけ驚いたような表情を見せた。
トールにそれの意味するところは分からなかったが、心の琴線に触れるその言葉を、若き騎士は慎重に考える。
彼女もまた自分と同じように悩んでいるのだと、その事実に喜びを感じながら。
「………そうですね。私なら、とりあえず考えます」
「考える?」
「ええ、どちらを手に取るのが、自分にとって一番良いのか。考えます。
そしてできれば、両方を共に手に取る方法はないかと考えます。後悔してしまうことのないように」
「考えても、やっぱり片方しか手に入らん場合は?」
「それでも考えますね。一歩引いてみたりとか、視点を変えてみたりしながら。他の者に意見を聞いてみるのも良いですね。
新たな何かを見つければ、違う答えもあるかもしれません」
たった一人で考えられることなど、高が知れているからと。
世界とは、そんな簡単に決められることではない。自分には思いも寄らないことが、他にあるかもしれない。
自分もこの試練を超えた時、自己満足以外の何かを得られる可能性もある。
分からないが、分からないからこそ一歩踏み出す。
見える景色を変えて、新しい何かを探し、そうして考え続ければ新たな道も見つかるだろう。
あるいはそれすら望む場所に繋がらなかったとしても、すべてやり切った後ならば後悔は残らない。
少なくともベルリンドはそう信じていた。
「………成る程、な」
悩んだところで答えが出ないなら、答えとなる新たな何かを探してみる。
それはまた別の苦悩を招くだけかもしれないが、立ち止まり続けるよりは良いはずだ。
単純だけれど複雑で、簡単であり困難な結論だ。
あるいはそれこそが「生きる」ということなのかもしれない。
「ありがとうな、ベルリンド。ちょっと自分の中で考えがまとまってきた気がする」
「そうですか? 私程度がトール殿の助けになったのなら幸いです」
「いやいや、そんな謙遜するな。本当に助かったんじゃからな」
トールは笑いながら、冗談混じりにベルリンドの肩を抱き寄せた。
身体を密着させれば自然と胸が強く当たり、流石に騎士も平静を装う余裕が消し飛ぶ。
「と、トール殿っ?」
「おう? なんだ照れとるのか?」
「て、照れているわけではありませんが………!」
反射的に逃げようともがくが、人間の力では雷神に敵うはずもない。
そのまま抱きついたりなど、ひとしきりからかってから解放してやった。
「トール殿、お戯れはできれば程々に………」
「ウブな奴じゃなー。別にこんぐらいスキンシップの範疇じゃろうに」
弱めに抗議するベルリンドに対し、トールは悪戯っぽい笑顔で返す。
何となくロキの楽しみ方にも理解が及んだ気もするが、多分これは深みに嵌ると拙い類だ。
面白いのは間違いないが、たまにやるぐらいで良いだろうとトールは結論づける。
「さて、そろそろ寝こけてる奴らも起こしに行くか。
………そういえば、お前さんの従者二人をちょいと借り取ったんだった。すまんな、事後承諾になって」
「あぁ、ギーアとヤナルの姿が見えないと思ったら、そういうことでしたか。いえ、お気になさらずに」
どういう惨状になったかまでは知らず、ベルリンドは気軽に答えた。
そのまま二人は離れて、ベルリンドは村長の家に、トールは一度酒場の方へと歩き出す。
「それじゃあ、またな! 試練の方は頑張れよ!」
「ええ、ありがとう御座います。全身全霊を尽くしますから!」
「あんま無理すると従者の方が心配するっちゅーに」
気合の入った言葉に、トールは苦笑しながら軽く手を振って応える。
そうして背を向けると、まばらに見えてきた村人達に対しても軽く挨拶を交わしながら来た道を戻る。
「………ん?」
すると、酒場の前に誰かが立っているのを見つけた。
ギーアだ。こちらも相応に酒が残っているのか、やや渋い顔でトールに向かって軽く手を上げる。
トールもそれに応えて手を振り、近くまで歩み寄った。
「よう、気分はどうじゃ?」
「起きた後のヤナルよりはマシぐらいだな」
ため息混じりの返事に、トールは思わず笑ってしまいそうになる。
腹を抱えて爆笑したいぐらいの気分だったが、流石に含み笑い程度で我慢した。
そんな気遣いを察したのか、ギーアはがりがりと頭を掻いた。
小さく肩を竦めて、またため息を一つ。
「あまり若のことはからかわんでくれよ? あれでも若い男なんだ」
「おや、のぞき見でもしとったか?」
「大事な身だ、そのぐらいの心配はするさ」
我ながら過保護な話だと、ギーアは苦笑する。
その様子を観察するように眺めながら、トールは一つ気になっていたことを聞いた。
「なぁ、テスカトリポカ………いや、ギーアと呼んだ方がいいのか」
「あぁ、できればそっちで呼んでくれ。で、なんだ?」
「お前さん方は、随分とベルリンドのことを気にかけてるようだが………それはどういう理由でだ?」
酒の席では、ギーアにしろヤナルにしろベルリンドに拘るのは彼ら個人の事情だと言っていた。
その個人の事情とは、一体どういう意味で口にした言葉なのか。
問われた意味を察してか、ギーアは難しそうな顔をした。
どう答えるのが正解であるのか、悩んでいるようでもあった。
「………若は英雄の器だ。その辺は、アンタも分かってると思うが」
「あぁ、そうじゃな」
「俺は目的があって、人に化けて潜り込んだ身だ。だがそれはそれとして、俺が若に惚れ込んでるのは間違いない。
ヤナルの奴とはまた別の意味で、だがな」
トールと同じく、戦を司る神の属性もテスカトリポカは有している。
故に一柱の神として、ギーアはベルリンドが持つ英雄の資質に魅せられているのだ。
「………最終的にどうするつもりだとかは、あえて問わんぞ。それを聞いたら、こっちも考えなきゃならんくなる」
「気を遣って貰って悪いな」
その実力を認めた戦士を、死後に辿り着く英雄の館に招くのが北欧神話における戦乙女の役割だ。
ギーアが戦いの中で見せた豹頭の戦士達も、恐らく死後の英雄と成り立ちはそう変わらないはずだ。
だからそれ以上深く問うことはせず、その話は一先ず棚上げとした。
「次の試練をどうするかとか、ロキも起こして話をせんとな。ベルリンドの奴なら、大抵のことはどうにかしそうではあるが」
「そうだな。………俺としても、気になっていることはある。試練の過程で、それを確かめられれば良いがな」
敵となるのか、味方となるのか。
今はまだ判然としない、白と黒のまだら模様な関係。
互いにそれで納得して、トールとギーアは親しげに話を続けながら酒場の中に戻った。




