13
真夜中の酒場に他の客の姿はなかった。
普段ならば店仕舞いをしている時間だが、トールの頼みで特別に開けて貰っていた。
一つのテーブルを囲うのは、異なる四柱の神格。
ヤナルはまだ難しい顔のままでロキの方を睨んでおり、それに対してロキは挑発するようにヘラヘラと笑っている。
微妙に棘のある空気に、ギーアはため息を漏らして。
「それで、一体何の話をするんだ?」
「まぁ待て、その前に先ず一杯だな」
トールが笑って答えると、店の女将が四柱の前にそれぞれ木製のジョッキを置く。
その中をなみなみと満たしているのは黄金色の液体だ。
甘く懐かしさを感じさせる香りに、ギーアもヤナルも自然とジョッキに手をかけた。
「これは………」
「蜂蜜酒って奴じゃな。ここじゃ作られておらんかったから、ワシが教えたんだが」
「オレが手ェ加えた奴だから、人間が作るよりもずっと美味いぜ?」
「ええ、おかげ様ですっかりウチの人気商品だよ」
ロキと女将が笑い合いながら、軽くハイタッチをしてみせる。
確かに、香りだけで胸がすくような気持ちになる素晴らしい蜂蜜酒であるようだ。
この黄金色の液体で舌を湿らせたなら、どれほど芳醇な味わいが待っているのだろうか。
期待を感じ取ったか、トールは自分もまたジョッキを手に取ると、軽くそれを掲げてみせる。
「一先ずは、ワシらの出会いに」
本来ならば起こるはずもなかった邂逅に。
それが幸運であったことを祝おうと、雷神は笑う。
ギーアとヤナル。原初の太陽たるテスカトリポカの別神格らも、それに答えてジョッキを掲げた。
「我らの新たな運命に」
「「「「乾杯」」」」」
四つのジョッキの端が軽くぶつかり合い、黄金の酒が波のように揺れる。
そうして全員が、ぐいっと一気に蜂蜜酒を呷った。
甘い香りとは裏腹に、酒自体の味はそれほど甘さを感じさせない。
むしろ発酵が進んだことによる酸味の方が強く、それが穏やかな甘味と合わさって口当たりは爽やかだ。
アルコールは相応に強いようだが、一杯や二杯でどうこうなるような神はいない。
「………美味いな。懐かしさも感じる味だ」
「お? 飲んだことあるのか?」
「あぁ、蜂蜜を発酵させたものは俺達の世界にもあった。よく飲まれていたのはプルケという花の汁を発酵させた酒だがな」
「それはまた飲んでみたいもんじゃなぁ」
話を聞きながら、トールは未知の酒の味に思いを馳せる。
ジョッキを飲み干すと、またすぐに新しいジョッキが運ばれてくる。
今度は飲み物だけではなく、焼いた肉や揚げて塩を振った芋の盛り合わせなど、手軽に摘める食べ物も出てきた。
「さ、さ。遠慮なく食べろ。ワシの奢りじゃからなー」
「本当にただ飲み食いしに来ただけに思えてくるな。話はどうするんだ?」
「まー聞きたいことがないわけじゃあないが」
どちらかというと、酒飲んで食べて騒げる方が大事だと。
割と真面目にトールはそう考えていた。
しかし、確認せねばならないことは確かにある。
「腹の探り合いとか面倒だからストレートに聞くが、お前さんらベルリンドに何か良からぬことをするつもりじゃあるまいな?」
何を置いても、一番大事なのはそこだ。
彼らはベルリンドの従者としてこの地にやって来た。
あの騎士の様子からしても、自分の従者が異世界の神格であるなど知らないだろう。
どういう目的があって、これほど強力な神が人間のフリをしているのか。
このトールの問いかけに真っ先に反応したのは、女従者のヤナルの方だった。
「私達が若様に妙な真似などするわけがないでしょう。
ここに来た目的はあくまで、この地に降り立ったと思しき神――――つまり貴女がどんな神かを探ることよ」
そう言って、ヤナルはトールのことを指差した。
成る程と頷くトールに、ギーアは軽くこめかみを抑えてため息を吐く。
「あっさりバラしてどうする。いや、確かに隠す意味もないっちゃないんだが………」
「失礼な誤解をされてる方が問題だわ。………言っておくけど、若様がここへ来たのは偶然よ。
私達が貴女のことを調べる必要があったのは、あくまで私達の事情によるもので、若様は無関係だから」
思ったよりもザクザクと、ヤナルの方が情報を話してくれている。
いいのかとも思うが、同僚のギーアは困った顔はしているが強く止めはしていないので、まぁ良いのだろう。
酒を飲みつまみを口にしつつ、そのぶっちゃけトークにロキも乗っかっていく。
「ならもう大体目的済んでるんじゃねーの? お前らもう帰ったら?」
「若様を置いて戻れるわけないでしょうが! 特にアンタみたいなのに目を付けられてるような状態で!」
「おいおい試練受けるのを了承したのはその若様本人なんだぜ~? 従者の分際で文句垂れるとか無くな~い?」
「言ったわね………!」
まだ大して酒も入ってないだろうに、あっさりとぶつかり合う火花がデカくなるロキとヤナル。
腹を割って話をできてるとう意味では良いかもしれないが、このままではさっさと殴り合いに移行してしまいそうだ。
鼻息が荒くなってきているヤナルを落ち着かせようと、ギーアが軽く手で制した。
「落ち着けって、お互いに戦り合うつもりで来たわけじゃなかろうに」
「ロキの馬鹿がすまんなぁ。お前も挑発すんのも大概にしとけ」
トールもトールで、隣に座っている道化の神の頭を軽く殴って黙らせた。
またジョッキの中身を飲み干し、新しく届いた酒に口をつける。
最初のものは特に手を加えていないストレートの蜂蜜酒だったが、次からは果汁なども足した異なる風味の酒が出てくる。
どれも趣きは違うが味わい深く、自然とペースも早くなっていく。
こんな風に、誰かと酒を飲みながら話をするのはいつぶりだろうか。
原初の太陽が持つ現身であるギーアは、そんなことを考えて少しだけ笑った。
敵に値する相手か、味方にする価値のある相手か。
目の前に座る異邦の雷神を推し量るという当初の目的も含めて、ギーアは話を続ける。
「ヤナルの奴が概ね言っちまったが、俺達が若に拘ってるのはあくまで俺達個人の事情だ。
アンタを襲って力を試したりした事とそれは、まったく無関係だ。………と言っても、信じて貰えるかどうかは分からんが」
「………ふむ」
ギーアの言葉を聞いて、トールは少し考え込む。
成る程、確かにその言葉に嘘は含まれていないだろう。騙すつもりならもっと上手い手は幾らでもある。
彼らは虚偽を語っていない。それは間違いないが、気になることはあった。
「つまり、お前さん方は個人の事情とは異なる理由で、ワシらのことを探ってたと。そういう話じゃな?」
「まぁ、そうなるな。気になるか? その辺りの事情も」
「そりゃ気にならんっつー方が嘘になるが」
だからと言って、それを率直に聞いていいものかどうか。
酒が不味くなるような話なら別に聞かなくても良いんじゃないかと、そんなことも考えてしまう。
それが顔に出ていたのか、ギーアは思わず苦笑いをこぼした。
「正直者だな、アンタ」
「腹芸ができるほど器用じゃないってーだけだがなぁ」
「それならそれで、こっちもやりやすくて済む」
甘酸っぱい酒の味を楽しみながら、ギーアは率直な感想を口にした。
ヤナルがどう思っているかは分からないが、ギーア自身はトールのことを「面白い相手」だと感じている。
本来ならば、この程度の情報であっても部外者に軽々しく話していいわけがない。
ましてその相手が、いつの日か敵として見える可能性があるならば尚更だ。
だが酒も手伝ってか、語る口は思いの外饒舌になってしまう。
これもまた、雷神トールの持つ魅力に惹かれ始めているからだろうか。
「面倒な説明は省くが、俺達は一つの国を治めている」
「国? この世界でか?」
「そうだ。この場所から遠く北西に位置する森林帝国ゴロムトラン。
俺達の主、太陽の皇帝たるテスカトリポカを頂点にした国だ。この地に元々ある国々とは相容れない、俺達が新たに創った帝国だ」
この世界における被差別階級である亜人種。
その中でも森に散って暮らしているエルフ達の諸部族を糾合して築き上げた森林の大帝国。
村の外の情報にはまだ疎かったトールには初めて聞く話だった。
「オレは行商人から噂話程度には聞いてたが、成る程。ありゃお前さん達の国なのか」
「そうだ。人々の信仰を集めるには、自分達を中心とした共同体を広げていくのが一番安定しているからな」
「ほー、成る程なぁ」
その手があったか、という様子で真面目に感心しているトール。
「………お前な、オレらがやってることも似たようなもんだって自覚ある?」
「………言われてみるとそうなる、のか?」
指摘されて初めて気づいたらしい。
勘は鋭いのに思考自体が脳筋なのはどうにも改善されないようだ。
ロキはわざとらしく肩を竦めた。
「そーだよ。実際なぁ、あの悪神みたいな恐怖や暴力撒き散らすのは即効性あっても長持ちはしないんだよ。
飴と鞭の両方をくれてやりつつ、より多くの人間の信仰を確保してこうとすると、やっぱり国を創るってのが結論になるよな」
トールには言っていなかったが、ロキもまた最終的にはそういう形になるだろうとは考えていた。
そうやって世界を広げていくことができれば、いずれ自分達がこの地に招かれた理由や真実に触れることになるだろうと。
時間はある。焦ることなくのんびり楽しくやっていけばいい。
道化の神はそう考えていたが、思っていたよりも世界というものは狭いらしい。
恐らくは自分達よりも遥かに真実に近づいてるだろう神々が、こうして目に前にいるのだから。
「で、その辺の話をしたっつーことは、続きもこっちの予想通りでいいのかね?」
「………そっちの道化じみた方も、雷神殿とは別の意味で腹芸が通じそうにないな」
腹の底まで見透かすような眼差しに、ギーアは苦笑した。
「だが、そうだな。単刀直入に言わせて貰うが、我々の味方になるつもりはないか?」
「本当にズバっと来おったな。酒の席で勧誘とはなぁ」
「無粋は承知だが、この場だからこそ真っ正直に言わせて貰ったんだ」
「………ギーア」
本気で言っているのか、と。同一神格であるヤナルの思念がギーアに伝わってきた。
トールにせよロキにせよ、彼女もまた相手の力と格は認めている。
だが味方にする程の意味があるかとなれば話は別だ。
強くは反対しないものの、早計ではないのかとヤナルは苦言を呈する。
ギーアもそれは承知しているが、それでもこの場であるからこそ問う意味があるとも考えていた。
「それはお前さん達の戦いに、ワシらを巻き込みたいと、そういう話か?」
「この村の者達を気遣っているなら、当然配慮はしよう。戦争は必要な手段ではあるが、この国を焼け野原にすることが目的ではない」
「だが、必要があればそうすると」
「………そうだな。目的ではないが、戦争自体は必要な手段だ。それを止めるつもりはない」
「正直な奴じゃな」
いいように取り繕うこともできたろうに、言い訳もせずに答えるギーアにトールは苦笑いを返した。
「………誤解しないで欲しい。私達は、必要であるから戦という手段を取ることを選んでいる。
血を好む性は否定しないけれど、私達は私達の大義があって行動している。そのことは理解して欲しいわ」
「ワシもまた戦士に加護を授ける戦いの神。別に戦争という手段は否定せんよ。お前達がお前達なりの理由でそうしとるのも分かる」
「なら―――」
「とはいえ、即答するのは厳しいな。この場で頷くには重い話じゃ」
酒を一口呷ってから、トールは小さく首を横に振る。
相手が邪悪でないことだけは、今までの短いやり取りからでも感じられる。
血を好む性というのも、雷神であると同時に戦神でもあるトールにしてみれば別段不快に思うことではない。
戦いとは決して悪ではない。神にしろ人にしろ、その歴史を戦い抜きで語ることはできないのだから。
しかし、いやだからこそ、トールにとって今あるこの村の平穏は何よりも尊い。
どういう形であれ、彼らの語る戦いに関わってしまえば、それを捨てることにもなりかねない。
「だが、アンタも分かってるはずだ」
異なる世界から招かれた異境の神。
望む望まないに関わらず、争乱を招き寄せる。
どういう形であれ神としての力を振るっているならば、それは避けようもない。
ロキは無言。トールは分かっていると、小さく頷いた。
「お前さんがたは、ワシが知らんことも多く知っておるんだろうなぁ」
「アンタ達より随分早くにこの地へ落ちてきたからな。それなりのことは知ってる。味方になってくれるんだったら、隠す理由もない」
「魅力的な話じゃな」
それでも、と。
「答えるのはもう少しばかり、待ってはくれんか? ベルリンドの奴がやることを済ませる頃には、ワシもどうするかを決めよう」
「………承知した。すまないな、酒が不味くなるような話をして」
「いやいや、気にするな。そっちもそっちの事情があるだろうしの」
頭を下げてくるギーアに対して、トールは軽く笑って答えた。
ロキはその横でニヤリと嫌な笑みを浮かべて。
「まーオレはトールがどうするか次第だけど、ゆっくり悩んどきゃ良いと思うぜー? ベルリンドの奴もそう簡単には突破なんざできないだろうしなぁ」
「………貴女、あれ以上若様に無体な真似をしたら流石に承知しないわよ?」
道化の神のろくでもない腹の底が見えたのか、再度ヤナルが低い声で唸った。
だがその程度の恫喝で怯むようであれば神々の黄昏など起こしていない。
逆に余裕の表情で笑いながら、挑発するように目を細める。
「おいおいご主人様の決めたことにケチつける気かよ。危険なの承知でアイツは試練に挑むことにしてるんだぜぇ?」
「だから、限度ってものがあるでしょう。貴女はやり過ぎなのよ」
「甘ったるいなぁオイ。神様の試練ってのは危険なぐらいで丁度良いだろ?」
「ホントに平行線じゃなーお前ら」
酒をグイグイ飲みながら正面から睨み合う二柱の神に、トールもまた呆れたようにため息を漏らした。
ヤナルの方もかなりベルリンドにご執心であるようだし、ロキはそれも分かっていてあえて挑発するような言葉を選んでいる。
このままだと結論も出ない上に、最終的には流血沙汰になりかねない。
ならばと、火花を散らす両者の間にトールは片手を突っ込んで制する。
「まぁ待て、落ち着け。確かにワシもロキの奴にだけ任せておいては、色々危ないとは思っておったんだ」
「えー、良いじゃんかよー。最悪死んでも死後の英雄に」
「それがいかんっつーとるんじゃ黙っとれ阿呆」
ジョッキの底で脳天をぶっ叩き、ロキはテーブルの下まで沈めておく。
今の一言で殺気レベルにまで視線を強くしているヤナルは、ギーアの方がどうにか押さえ込んでいた。
こほん、と軽く咳払いを一つ。それから改めてトールは言葉を続けた。
「流石にワシも、ベルリンドの奴に今から止めろとは言えん。だったら次の試練からは、お前達も関わるという形はどうだろうな」
「俺達が、か?」
予想外の提案に、ギーアも驚いたような顔をする。
「おう、ロキ一人に任せちゃ不安なんだろう? だったらお前達も試練を与える側に参加すれば、ロキにも妙な真似はさせんで済むだろう」
「………成る程。それは確かに、考えていませんでした」
悪くない案だと、落ち着いた様子でヤナルは頷いた。
テスカトリポカもまた戦いを司る神であり、その一部である彼らもまた英雄としてのベルリンドの器に惚れ込んでいる。
その手で試練を与えることで新たな成長を促すというのは、なかなか魅力的な話だ。
ヤナルが視線を向けると、ギーアもまた小さく頷いて。
「それで良ければ、俺達の方も異論はないな。だがそうなると、逆に手を抜けるかどうかが心配だが」
「アイツがその程度でどうこうなるタマじゃないのは、お前さんらがよく知っとるだろ。存分にやりゃあいい」
お互いに笑いながら、神々はまた手にしたジョッキを軽く打ち合わせる。
何かと面倒な話は一先ずこれでおしまい。
後は夜が明けるまで、酒を飲みながら楽しく時間を過ごせばいい。
「でもなー、ホントに大丈夫かー? そっちのヤナルって奴は試練っつっても甘やかしそうで怖ぇーなぁ」
「貴女がやり過ぎなだけで、そういう話なら私だってやることはやるわ。馬鹿にしないで頂戴」
「ホントにー? ダイジョウブー? 贔屓しちゃダメなんだぞー?」
「………ちょっと、喧嘩売ってるなら買うわよ?」
「お前ら実は仲良いと違うか?いや、喧嘩するならもの壊さんような方法で白黒つけろな」
笑う。異なる神が四柱、今は共に笑っている。
この先に待つ未来が戦いなのか、そうではないのか。
今は誰にも分からない。未来を語る予言は、今はどこにもない。
ただ穏やかに夜は更けて、また新しい朝がやってくる。




