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 それから瞬く間に一週間ほどの時が過ぎた。



 いつもと変わらず、“雷神の村”の日常は回っている―――というわけではない。

 全体として大きな変化はないが、決定的に違うものがひとつ。

 何故か村人に混じって、畑で農作業などしている金髪長身の美丈夫。

 元々は上等な衣装だったものが、今は連日の畑仕事や力仕事で泥だらけになってしまっている。


「いやぁ、やっぱ鍛えてる騎士様は違うねぇ」

「あぁ、素直で物覚えもいいし、こっちも助かるよ」

「ありがとう御座います。私などの力が、皆さんの役に立っているなら何よりです」


 最初はどう扱おうものかと戸惑っていた村の男衆とも、今ではすっかり打ち解けているようだ。

 人に好かれる魅力もあるのだろうか、それにしても一週間でこれだけ溶け込むのは本人の努力があればこそだろう。

 何にせよ、大したものだ。それは紛れもない事実。

 事実ではあるのだが、トールにしてみれば非常に対処に困る話だ。


「頑張ってるみたいですね、ベルリンド様」

「ワシはそれにどうリアクションしたら良いのかわからんのだが、ヨルサよ」


 時間はお昼をやや過ぎた頃、ヨルサの家にて。

 笑顔で朗らかに言うヨルサに、トールは苦虫を口一杯に噛み潰したような顔で答えた。

 木製のカップに注がれた山羊の乳酒を一口啜る。

 酸味の強い独特の風味。トールの所有する山羊から絞った乳で作られたそれは、村の者達にもよく飲まれている。

 飲み慣れた味を舌の上で転がしてから、ため息ひとつ。


「何度も無理だと言っとるのに、またしつこいんだよあの馬鹿は」

「無理なの?」

「無理に決まっとるだろうが」


 隣の椅子に座って、森で採れた果実の汁を啜っていたウルルが小首を傾げて聞いてくる。

 少年の頭を軽く撫でて、またため息が口からこぼれてきた。

 そう、無理だ。無理に決まっている。

 確かに今の身体は女性のそれだが、そもそも本来のトールは男神だ。

 鍛え上げられ、天も衝くような巨体を持つ髭モジャの大男。それがトールの元々の姿だ。

 そして幾ら外見が変わっていようと、中身まで変わったわけではない。

 ベルリンドのことは見所のある男だとは思っているが、妻子持ちのオッサンの身で一体どうしろと言うのか。


 流石にそれをそのまま伝えたところで戯言に過ぎるので、無理だとストレートに断ってはいる。

 そういう相手として見るつもりはないし、この先男を作る気もないと。

 だがベルリンドは、その程度の拒否ではまったく堪えなかった。


「まさか村に滞在し続けるばかりか、村の人間の手伝いまでし始めるとはなぁ………」

「村長様も最初は凄いあたふたしてましたけど、他の人達は割りとすんなり受け入れちゃいましたからねー………」


 おおらかと言うべきなのか、考えなしと言うべきなのか。

 村長は勿論、あのギーアとヤナルと名乗った従者二人も相当に頭を抱えているらしい。

 何とか戻るよう説得しているようだが、果たして効き目がどれ程あるものか。


「………ワシもこのままじゃ、拙いと思うんだがな」

「まぁ、そうですよね。私も、あまり良いとは思いません。時期領主でもある方ですし、何が問題になるか………」


 いっそ父親である領主が無理にでも連れ戻しに来れば話は早いかもしれないが、それはそれで別の方向で拗れそうな気がする。

 特にトールなど、やはり領主の目から見れば素性も知れない余所者だ。

 そんな相手が自分の大事な一人息子を誑かしている(少なくとも、親の目から見ればそう取られるだろう)事実を、どう考えるだろうか。

 揉める。揉める上に、間違いなく拗れる。

 トールもヨルサもその辺りのことは承知しているが、ではどうすればいいかと良策は浮かばない。


「んー………ロキ様は?」


 ふと、ウルルがその名を口にした。


「おい、ウルル。あまりアイツに頼るのはな………」

「でも、前の時はちゃんと、トール様やお姉ちゃんを助けてくれたよ?」

「いや、まぁ、確かにそれはそうかもしれんがなぁ」


 例の悪神騒ぎのことを出されると、なかなか否定しづらい。

 だがこの状況、絶対にアイツが関わるとこっちの予想しない方向に話がねじ飛ぶ可能性が高い。

 あの道化の神の本質は決して悪だけではないが、だからといって間違っても善神ではない。

 己の望むままに気の向くままに、状況を引っ掻き回す破滅の星(トリックスター)

 それが自分の破滅に繋がるものだとしても、面白ければ躊躇なくその引き金を引く。

 如何に神が他者の信仰による影響を受けるとはいえ、本質的な部分は決して揺るがない。


 本当にいざという時は頼りになるが、そうでない場合は取り扱い要注意。

 それを誰よりも理解しているから、トールは可能な限りロキに頼るという選択肢は後に回したかった。


「ふ………なんだ、オレを呼んだかウルル?」


 だがそんな事情など、道化の神が構うはずもない。

 明らかに出待ちをしていた態で、窓から遠慮なく上がりこんでくる悪友の姿に、トールは思わず頭を抱えた。


「あら、ロキ様。いらしてたんですか?」

「おーおーヨルサ、今日も可愛らしいな。あ、特におもてなしとかは必要ないぜ」


 長いスカートも構わずに窓枠を跨いで入ってくるロキ。

 無邪気に寄って来るウルルの頭も撫でてやりつつ、その表情は実に憎たらしい満面の笑顔だ。

 間違いなくろくでもないことを考えてやがる。

 トールはそう確信し、微妙に胃が絞られるような痛みを覚えた。


「おいおいどうしたんだよ親友。困ってるだろうところに、このロキ様が知恵を貸してやろうってわざわざ来たんだぜぇ?」

「お前は単に退屈しのぎがしたいだけだろうが………」


 唸るように言うと、やはり笑顔のままでサムズアップが返ってきた。

 思わずその顔面を思うさまに殴り回す妄想が脳裏を過ぎるが、トールはギリギリでその衝動を堪える。

 大変腹立たしい話だが、わざわざ出待ちまでしていた辺り、何か考えがあるのは本当なのだろう。

 こうなってしまった以上は仕方がない。

 遠ざけようとしたところで、ロキは絶対に自分から絡んでこようとする。

 ならば最初から関わらせてしまった方が、ダメージを受ける覚悟があるだけまだマシだろう。

 良薬は口に苦しとなるのか、それとも毒を食らわば皿までになるのか。

 それはすべて、毒か薬かわからないロキの腹の中次第。


「………よし、こっちも腹を括ったわ。良いぞ、ロキ。お前の考えとやらを、ワシに聞かせてみろ」

「オーケィオーケィ、流石は雷神トール。そう言ってくれると思ってたぜ」


 真正面から挑むように問うトールに対して、ロキは芝居がかった仕草で頷く。


「っても、そんな難しい話でもない。普通に断っても諦めないような奴には、昔っからやることなんて一つに決まってるだろう?」

「ほう? それは何だ?」

「おいおい、分からないか」


 ニヤリと笑い、道化の神は得意げに人差し指をぴっと立てる。

 それを自分の唇に当てて、艶かしい舌先をぺろりと覗かせながら、悪戯を楽しむ童の声で言う。


困難な試練(無茶振り)、って奴だよ」





「試練、ですか?」

「おうよ」


 トールがロキから大まかな内容を聞いて、そのすぐ後。

 既にベルリンドにとって日課となった、ヨルサの家を訪れてトールに結婚を申し込むという儀式。

 普段ならばトールが玄関先で追い払うのだが、今日それを出迎えたのはロキだった。

 ロキは困惑するベルリンドを家の中に上げて、黙って渋面を作ってるトールの横に座ると、その話を始めた。


「お前さんがどれだけ上等な身分だろうが、こちらにおわすのは死の山の魔物達を退治し、さらにそれを支配する邪悪なモノまで討ち取った“稲妻の乙女”様だぜ?

 ちょっと村で畑いじりの手伝いやらをして、頭下げ続けて結婚してください、じゃあ通らんだろう」


 仮にも領主の息子に対して、あまりに馬鹿にし切った態度であるが、聞くベルリンドはあくまで真剣そのものだ。

 真面目な馬鹿だなと、ロキは内心で嘲笑を送りながら言葉を続ける。


「だから試練だ。しかもとびっきりに難しい奴。一つじゃない」

「幾らでも構いません」


 脅すロキに、ベルリンドは迷わず即答する。


「それで私のことを、トール殿が認めてくださると言うなら、どんな試練でも超えてみせましょう」

「………だ、そうだぜ?」

「その男気は買うとるけどなぁ………」


 それとこれとはまったく別問題なので、トールもどう答えていいかわからない。

 ベルリンドの方は、その態度から憎からず思われているのは間違いないと確信して、俄然やる気が沸いてくる。

 今回ばかりは、ヨルサもウルルもあくまで外野だ。

 ウルルはただ純粋にその成り行きを楽しそうに見守っているが、ヨルサはどう転ぶかもわからない状況に何とも落ち着かない気分だ。

 何事もなければいいと考えるのは、あまりに贅沢すぎるだろうか。


「それで、試練というのは?」

「おう。お前は知らんだろうが、この“雷神の村”には五つの『難行』と呼ばれるものが存在する」


 尚、ロキの話を事前に聞くまでは、トールもまったくの初耳である。

 地元民であるヨルサもウルルも、当然知らない。ロキが今回のことのためにでっち上げた、すべて出鱈目だ。

 出鱈目の与太話であるが、それを語るのは道化の神たるロキだ。

 今から“雷神の村”に伝わる五つの難行は、すべて真実として語られる。


「どれもこれも、並の奴じゃあ達成困難。そもそも生命を落とさずやり遂げられた者は絶無だ。“稲妻の乙女”以外に、この難行を超えた奴はいない」


 できるだけ仰々しく、大袈裟に。

 ありもしない嘘を真に変えて、ロキは囁くように言う。

 生命をかけるぐらいの気概がないなら、この場で引き返してしまえと。

 だが、この若き騎士は怯みの一つも見せない。


「わかりました。その難行とやらを、超えて見せれば良いのですな?」

「………おう。当たり前だが、一つじゃあないぜ。五つだ。五つの難行すべてを、自分一人の力で乗り越えてみせろ」

「承知しました」


 答える言葉に、迷いも躊躇もない。

 ここまで馬鹿だと、無茶振りを仕掛ける方も楽しくなってくる。

 ロキはますます笑みを深くしながら、小さく頷いた。


「………おい、本気でやる気か?」


 危険な兆候を感じて、黙って見ていたトールも思わず口を挟む。

 ベルリンドは英雄の器を持つ男だ。

 戦いの才覚もあるし、その人柄も他者を惹きつける魅力に満ちている。

 トール自身もそれは認めているし、ロキもまた同様に感じていることだろう。

 だからこそ、道化の神を“喜ばせ”過ぎる。

 幾ら英雄の器を持つとはいえ、人間の身で神がやり過ぎてしまってはどうなるか。


「勿論、本気です。むしろこのような機会を与えて頂いて、喜びさえ感じています」


 トールの言葉に、ベルリンドは笑って頷く。

 ロキの言うことがハッタリなどではないことを、ベルリンドは承知しているだろう。

 実際に生命の危険があるほどの試練であり、下手をすればそれで自分が死ぬ可能性があることも。

 すべてわかった上で、ベルリンドはそれを良しとして頷いた。


「ただこれだけのことで、貴女にすべて認めて貰えるとは思っておりません。ですがどうか、見守ってください。私の貴女への想いが、偽りでないことを」


 それを証明するために、生命を賭して試練に挑む。

 若き騎士は、心から慕う雷神へと偽りなく誓いを立てた。

 結婚の話をトールに頷いて貰いたいがために、試練に挑むのではない。

 ただ己の想いが間違いなく真実であると、それを見て貰いたいから挑むのだと。


 馬鹿だ。本当に馬鹿だ。どうしようもないほどの馬鹿だ。

 だがそれを馬鹿にしてしまっては、戦いの神たるトールの名が廃る。

 想いに応えることはできずとも、試練という戦いに怖じることなく挑む勇士に、トールもまた本心からの言葉を口にする。


「無理や無茶をしても構わんが、生命を捨てるような馬鹿な真似はするなよ。自分で口にした言葉は、守ってこそ一人前の男だ」


 少し身を乗り出して、トールはベルリンドの肩を軽く叩いた。

 そして真っ直ぐにその眼を見つめて、笑みを送る。


「生きて戻って来い。仮に敗北することになっても、それを恥じるな。生きていれば、必ず次の機会がある」

「………ありがとう御座います、トール殿。しかし私は必ず、試練を乗り越えて戻ってきますよ」

「言うたな、小僧め」


 最後に少しだけ冗談めかして笑ってみせて、トールはその手を離した。

 トールの激励を受けて、ベルリンドは胸の内の誓いをさらに強固なものとする。


「………あー、よし。どうやら覚悟もできたみたいだし、結構なことだな。うん」


 何故か微妙に動揺している様子のロキが、こほんと一つ咳払いをする。

 軽く両手を広げると、再び芝居がかった仕草でこの場での話の締めくくりに入る。


「問題なけりゃ、明日からだ。明日から、五つの難行に挑んで貰う。しょっぱなからキツいの行くから、覚悟しとけよ?」

「望むところです」


 自分の胸に握った拳を当てながら、ベルリンドは頷く。

 こうして、ローディニアの騎士ベルリンドによる“雷神の村”の五つの難行、その攻略が幕を開けたのだった。




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