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「やりすぎです」

「しょ、正直すまんかった………」



 村長の家にて。

 トールは例の痛くなる座り方(要するに正座)でヨルサに叱られていた。

 近くで様子を見ている村長、そしてベルリンドの従者であるギーアとヤナルはどう口を挟んだものかと顔を見合わせている。

 ロキは声を出さずに身をよじって爆笑する、という器用な真似を視界の端で披露している。

 絶対に後で死なす、と考えながら、やりすぎと言われると反論のしようもない。


「トール様の力で人を叩いたら、下手しなくとも死んでしまいますよ」

「その辺はワシも承知していたから、ギリギリ手加減して殴ったんだぞ?」

「………でも、実際危なかったんですよね?」


 危なかった。

 即死ではなかったが、致命傷だったのは間違いない。

 言ってしまえば、高速で飛来した巨大な岩にブン殴られたようなものだ。

 ベルリンドは拳が当たる直前に、何とか回避をしようとしていた。

 結局間に合いはしなかったが、それが結果的に彼の状態を即死から瀕死の重傷にまで抑えた。

 トールがすぐにミョルニールで癒しはしたが、意識が戻らなかったので村長宅へ運んだのが現在までの流れだ。


「万一のことが起こったら、大変なことになったんですよ?」

「返す言葉もない………」


 詳しい事情を聞きに、丁度村長のところに顔を出していたヨルサ。

 彼女は突然運び込まれてきた騎士の姿に驚きつつ、意識のない彼を迎える部屋の仕度など、手早く整えてくれた。

 そして一息ついたところで、この状況に至る。


「次期領主となる方が命を落とされるようなことになれば、必ず領主様はトール様を処罰しようとします。そうなってしまったら、私………」

「………すまん、考えなしだった。許してくれ、ヨルサ」


 確かに、そうなってしまった可能性は十分にあった。

 少女はやりすぎてしまったことを怒っているのではない。最悪の場合を想像してしまったのだ。

 声の詰まったヨルサに、トールは立ち上がってその頭を撫でた。

 されるがままで少女は何も言わず、少しうつむき加減で頷く。


「私、そんなこと、嫌ですからね?」

「………ヨルサはしっかりものだが、少し甘えん坊でいかんなぁ」


 抱きしめながら撫でると、恥ずかしかったのか少し手足をジタバタさせる。

 どう首を突っ込んで良いのかわからない空気に戸惑っていた外野も、一先ず収まるところへ収まった様子にホッとする。


「ま、ま、お嬢ちゃん。心配するこたないぜ」


 従者のギーアが、先ず先陣を切って口を開いた。

 気軽にトールの肩など叩きつつ、岩のような顔で人懐っこい笑みを浮かべる。


「幸い、こちらの乙女が傷も癒してくれて生命に別状もなし。何より若様がご自分で挑まれた決闘によるもんだ。

 その結果にどうこう言っちまったら、オルランド王国に知られた名門ローディニアの名に傷がつく」

「ギーアの言う通り。ですから村長殿も、そんな不安そうな顔をなされず」


 ギーアの言葉に次ぐ形で、ヨナルは村長へ向けてそう言った。

 今までやや渋い顔のまま様子を見ていた村長も、その言葉に少しだけ気を緩める。


「いや、お気遣い頂き申し訳ありませぬ。見ての通り辺鄙な村でして、大したおもてなしもできませぬが………」

「こちらこそ、若様のワガママで押し掛けてきたのですから、お気遣いなく」

「ええ、“稲妻の乙女”の噂はすべて真だった。それも確認できたわけだし、寝ぼすけが目を覚まし次第、退散させて貰いますよ」


 腰を低く頭を下げる村長に、ヨナルとギーアは軽い調子で答える。

 あちらもあちらで、どうやら大過なく話も済みそうだ。

 ベルリンドを殺しかけた時は一瞬どうなることかと思ったが、無事に済みそうだ。

 安堵するトールとは対照的に、ロキはその流れには大層不満そうであったが。


「やー、これで終わりとかねーわー。どうせならもう一波乱起こって欲しいわー。あのお坊ちゃん吹っ飛んだ時はキタコレ!って思ったんだけどなぁ」

「折り畳んで鍋に詰めるぞ」


 拳を振り上げて脅すと、頭を隠してささっと逃げる。

 トールは一つため息をつくと、そんな悪友(バカ)から視線を外して。


「ヨルサ、ワシはちょっとあの小僧っ子の様子を見てくる。ミョルニールで癒したから大丈夫だとは思うが、念のためな」

「あ、はい。わかりました。それなら私、何か食べる物を用意してきます」


 そういえば、ベルリンドを殴り倒した時はまだ日も高かったが、あれこれしている間に大分傾きつつある。

 夕飯にはまだ少し早いが、ベルリンドは怪我人で体力も消耗しているはずだ。

 回復のために腹に何か詰めておくのも良いだろう。


「なら頼む。まぁすぐ起きるかも分からんが………」

「そういう時は乙女のキッスでいやごめんなさい何でもないっす大人しくヨルサちゃんのお手伝いしてきまーす!」


 常人なら視線だけで射殺せるレベルの殺意を込めて睨みつけたら、道化の神は颯爽と逃げ出した。

 村長に台所を使う了解を取るヨルサの後ろへ、ロキはそのままひょこひょこついていく。

 ベルリンドの従者二人は、そのまま村長相手に何か話し込んでいる。

 漏れ聞こえてくる限りの内容だと、今回の件をどういう形で穏便に済ませるかを話しているようだ。

 その辺りは多少政治的なものであるし、トールが口を挟むようなことではない。

 なので気にせず、トールはベルリンドを寝かしてある客室へと足を向けた。





「………お、なんじゃ。もう気がついとったか」


 見慣れない天井を見上げる寝台の上。

 まだ自分に置かれた状況が上手く掴めず、やや放心気味だったベルリンドの耳に、その声は雷鳴のように響いた。

 視線を向ければ、部屋の扉を開けて“稲妻の乙女”が立っていた。

 村の入口で見たような、大胆な格好ではない。質素な赤いチュニックを身に纏っている。

 ゆったりとした衣服だが、腰をベルトで締めているので身体のラインははっきりと見て取れる。

 間違いなくあの時の姿よりも露出は減っているのだが、ただそれだけのことで妙に色気を感じてしまう。


 いけない、と。ベルリンドはすぐさま己を戒めた。

 相手は“稲妻の乙女”、死の山を退治したという逸話もあの強さなら真に違いない。

 鍛え上げたはずの剣の技が、まるで通用せずに負けてしまった。

 敗北の瞬間、凄まじい衝撃が身体を貫いたことは覚えているのだが………。


「身体の具合はどうじゃ? 一応、ワシが治したんだが、痛むところがあれば言えよ」

「貴方が、治してくださったのですか?」

「おうよ。まぁワシがぶちかました結果の傷だしな」


 気軽に言いつつ、トールはベルリンドが横になっている寝台の端に腰を下ろす。

 ぎしりと、二人の体重を受けて寝台が小さく軋みを上げた。


「重ね重ね、ご面倒をおかけして申し訳ない。“稲妻の乙女”の伝説を疑い、無礼まで働いてしまった上に、怪我の治療まで………」

「あー、止せ止せ。頭上げろ。別に迷惑だとは思っとらんしな」


 身を起こして深く頭を下げるベルリンドに、トールは軽く手を振る。


「あと、その“稲妻の乙女”とか言うのはやめろ。ワシのことはトールと呼べ」

「………わかりました。失礼を、トール殿」


 やはり伝説だのと持ち上げられるのは、超人たる彼女にも気恥ずかしいのか。

 視線を明後日に向けながら赤面するトールの姿に、ベルリンドは思わず笑ってしまう。


「あーあー、それよりだ。怪我の具合は本当に良いのか?」

「ええ、お陰様で。痛みはまったくありません」


 確認するように腕を上げて、軽く拳を握ってみる。

 長く横になっていたせいで関節が鈍く痛むが、怪我のダメージはまったく存在しない。

 はっきりと、あの時の衝撃は死を予感させて余りあるものだった。

 死なずとも重傷はまねがれなかったろう。


 それがまったく、何の影響も残さず綺麗に治癒されている。

 これを奇跡と言わずして何と言うのか。


「………まったく、本当に凄い方だ。貴女は。奇跡など望んでいないと口では言っても、実際に目の当たりにすると心が揺らぎそうです」


 噂の中で、“稲妻の乙女”の奇跡を求めて、多くの人間がこの村に訪れたと聞いている。

 最初にそれを耳にした時、ベルリンドが感じたのは憤りだった。

 奇跡などという愚にもつかない話を広めた側にも、そんな流言に惑わされてしまう人々にも。

 何より、彼らが奇跡に縋らねばならないような状況を変えることもできない自分の弱さに、ベルリンドは憤った。


 だがそれも、実際に奇跡があることを目の当たりにした今となっては、ただ己の愚かさを恥じるばかりだ。

 “稲妻の乙女”の伝説は真実であり、彼女はその奇跡で本当に人を救っていた。

 それに対して、己はどうだ。

 見当違いの正義感に駆られて、無礼を重ねた挙句に無様な醜態まで晒してしまった。

 家門の名誉も何もかも、その愚かさで泥を塗ってしまったのだ。

 いっそ決闘の結果として果てていれば――――と、そんなことを考えていた頭を、軽い衝撃が揺らす。


 トールだ。

 緩く拳を握って、尖った部分で軽くベルリンドの頭を小突いていた。


「何を悩んどるのか知らんが、アホなことを考えるなよ。ワシは自分の都合でお前さんを助けたんだ」


 決闘の時とは違い、それこそ撫でるような力加減。

 それでもベルリンドの感じた衝撃は、あの瞬間に勝るとも劣らない。

 驚きに瞠目する騎士を真っ直ぐ見据えて、トールは更に言葉を続ける。


「あんなもんは力比べで、名誉も何もあったもんじゃないんだ。そんなことで死なれてもこっちは迷惑だし、お前さんの生命も勿体無い。

 ………あの時、奇跡などいらん、真実を確かめに来ただけだと、そう啖呵を切ったお前をワシなりに評価しとるんだ。

 だからつまらんことを考えてくれるなよ。ワシの立つ瀬がないじゃろうが」


 トールは偽りのない笑みと共に、ベルリンドの肩を叩く。

 愚かで矮小な自分の生命を、奇跡を担う稲妻の乙女が惜しんでくれている。

 ただそれだけのことが、ベルリンドの心を酷く震わせた。


「………私は、手前勝手な理由で貴女に剣を向けたのですよ?」

「お前さんなりの理があって、そうしただけの話じゃろが。そしてワシはそれを受け入れて、決闘に応じた。

 無謀で馬鹿をやるのは若さの特権。生命があるのを幸運に思って、その経験を血肉にすりゃあいい」


 ベルリンドの問いに、トールは鷹揚に頷いた。


「それに、結果はああだったが、お前さんの剣もなかなか良い腕前だった。もう十年も鍛えりゃ、良い勝負になるかもしれん」


 聞きようによっては侮辱にも取れかねない発言だが、トールの言葉に虚飾はない。

 同時にこれが侮辱などではなく、むしろ最大級の賛辞なのだとベルリンドにも理解できた。

 死の山の魔物達を打ち払った英雄に、剣の腕を認められているのだ。

 胸に熱いものを感じながら、ベルリンドは口を開く。


「もし宜しければ一つ、質問をして良いでしょうか」

「ん? なんだ、遠慮するな。ワシに答えられることなら何でも答えるぞ」

「貴女は何故、人を助けるのですか。縁もゆかりもない相手の方が、ずっと多いはずでしょうに」


 自分は騎士で、いずれはこの領地を治める立場にある貴族だ。

 故に困っている民を救うのは、ある種の義務に近い。

 そうすることが必要であると考えているからそうしているだけで、ベルリンドは自身を聖人君子だとは決して考えていない。

 だが、トールは。“稲妻の乙女”と歌われる彼女はどうだろうか。


 歌の内容が真実であるなら、彼女は遠い地からこの国に降り立った身。

 この村の人間だけならばまだしも、彼女を頼って訪れる人々まで救う義理などないはずだ。

 ならば何故、彼女は人を救うのか。


 答えはまったく間を置かずに返って来た。


「ただワシがそうしたいからだ」


 トールの言葉に虚飾はない。ベルリンドは理解している。

 ただ本当に、本心から、トールはそれだけの理由で人を救っているのだと。


「………本当に、ただそれだけで? 何か見返りは求められないのですか?」

「見返りがない、というわけではないが、それはあくまでワシの主観によるものだしな。殊更誰かに何かを求めたことはないな」


 神であるトールにとって、救った者からの祈りや感謝は、信仰として自らの力に変わる。

 普通の人間には理解できないが、それは見返りと言えば見返りだろう。

 そう、それはただの人間の目から見れば、まさに聖人のあり方そのものだ。

 嘘偽りなく、ただ救いたいから人を救っているというトールの姿に、ベルリンドは生涯で一番の衝撃を受けていた。

 胸を貫かれるとは、まさにこのことだろう。

 彼が理想とし、けれど現実としては不可能であったすべてが、今目の前にある。


 騎士の心は、“稲妻の乙女”の真実に強く惹かれていた。


「トール殿」

「お?」


 気が付くと、ベルリンドはトールの手を両手で包むように握っていた。

 性急すぎると理性は歯止めをかけようとするが、初めて生まれた情熱は留まることを知らない。

 不思議そうに首を傾げるトールに、騎士はただあるがままの気持ちを口にする。


「改めて、無礼をお許しください。貴女はまさに、苦境に喘ぐ人々が願ってやまない理想そのものだ。

 己の不明を恥じると同時に、このベルリンド、心の底から感服致しました」

「あー、いやいや、だからそんな大層なもんでも」

「いいえ。貴女は本当に素晴らしい方だ。どんな御伽噺や伝承に語られる英雄よりも、私は今、貴女の伝説に心奪われてしまった」


 だから、ベルリンドは偽りのない己の心を告げた。



「トール殿。私は貴女を――――是非、私の妻として迎え入れたい。私は貴女に、恋してしまったのです」



 何を言っとるんだコイツは、と。

 今度はトールの思考が見事にフリーズした。

 え?とかあ?とか、意味をなさない単語ばかりが頭の中を飛び交っている。

 手を握るベルリンドの顔は真剣そのもので、とても冗談を言っているような雰囲気ではない。


 ふと、気配を感じてそちらの方を見る。

 丁度タイミングよく来てしまったのだろう。開いた部屋の扉の前に、見慣れた二人の人物がいた。

 一人はヨルサだ。こちらも前後の流れもわからないので、ぽかんとしている。

 もう一人はロキ。こちらは面白いことになってきたと、にっこり満面の笑みだ。


 ………え、どうすりゃいいんだこれ。



 見上げる天井は無口で、とても有益な答えを返してくれそうにはなかった。




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