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 曰く、その村には“稲妻の乙女”がいる。



 曰く、乙女はその名が示す通りに、稲妻を己の意のままに操る。

 曰く、死の山から溢れ出す魔物の群れを沈めて、彼の地に生命の息吹を取り戻した。

 曰く、救いを求める者は絶対に見捨てない、心優しき聖女である。

 曰く、曰く、曰く。


 ベルリンド=ローディニアが耳にしたのは、そんなどれほど尾ヒレが付いてるかもわからない無数の「噂話」だった。

 突如として巻き起こった災害。ローディニア伯爵領を恐怖に震わせた、死の山の魔物騒ぎ。

 領主の一人息子であるベルリンドもまたその渦中にいた。

 まだ二十歳を数えたばかりの若輩ではあるが、家名に恥じぬ武芸の腕前を持ち、自ら兵を率いて魔物の群れとも勇敢に戦ってみせた。

 草原の王国オルランドの名門、武人ローディニアの血は此処に在り。

 それを知らしめるような活躍をしてみせたが、状況を考えれば大火に落ちた水の一滴に等しい。

 領主のお膝元はどうにか守られた。しかし、手の回らなかった周辺の村々は悲惨の一言だ。


 街に流れ込んでくる難民に対して、ベルリンドにできることは皆無だった。

 襲ってくる魔物から人々を守るはずの兵士らは、その武器を街の治安維持に用いらなければならなかった。

 父に討伐隊の派遣を進言したが、聞き入れられなかった。

 状況も完全に把握できないままで、徒に兵を失うような無謀な真似はできない。

 我々の目の前には、行き場をなくした無辜の民が大勢いる。

 まず彼らを守ることから考えねば、更なる犠牲を生むことになる。

 そう諭されてしまっては、ベルリンドも頷く他ない。


 無力を噛み締め、遠くで苦しむ人々に何もしてやれないという屈辱に耐えながら、ベルリンドは自らの務めに専念した。

 この一時さえ乗り越えることができれば、必ず魔物達をこの手で打ち払える。

 苦しみに喘ぐ民草を救い、家門の名誉にかけて正義を実現する。

 そう固く誓って耐え忍び――――。


「………耳に入ったのは、“稲妻の乙女”を讃える歌と、彼女の手で魔物は退治されたという噂話だ」


 良く晴れた日のこと。

 砂利を撒いて舗装しただけの田舎道を、数人の男女が行く。

 一人は甲冑を帯びた騎士だ。立派な体格の馬に跨り、慣れた手つきで手綱を操る。

 よく手入れされているが、幾つもの傷を誇りと飾った板金甲冑(プレートアーマー)

 その上から羽織った軍衣(サーコート)には、馬上槍を掲げる騎士を意匠としたローディニアの家紋が刻まれている。

 短く切った金髪は兜に隠されぬまま、陽光を浴びてキラキラと煌めいて見える。

 ベルリンド=ローディニア。彼は社交界の貴婦人らを悩ませる甘いマスクに、僅かに苦い色を混ぜながら小さくため息を漏らした。


「その噂は真実や否や。お前はどう考える?ギーア」

「少なくとも、死の山の魔物が退治された、という話は真実と考えないわけにはいかぬでしょうなぁ」


 主の問いかけに、従者の男は馬に揺られながらのんびりと答える。

 ベルリンドが絵に描いたような貴族の美男子であるのに対し、従者のギーアは絵に描いたような荒くれ者だ。

 黒く逆立った髪はハリネズミのようで、顔はゴツゴツとした岩にも似ている。

 筋骨逞しい肉体は、主と違い革鎧(レザーアーマー)胸部装甲(ブレストプレート)で比較的身軽に固められている。


「ヤナルはどうだ?」

「それを確かめるために、お館様が止めるのも聞かずに来られたのでしょうに」


 もう一人の従者。褐色の肌を持つ女性は、わざとらしくため息を吐いてみせる。

 肩の辺りまで伸ばした白い髪に、血のように鮮やかな赤い瞳。

 身に帯びているのはギーアと同様、革鎧と胸部装甲の組み合わせだ。

 似たような装備でもこちらは無骨な印象はなく、スレンダーな身体を無理なく包み込んでいる。

 美しい、というよりも凛々しい顔立ちを悩ましげに曇らせながら、ヤナルは続ける。


「本当に行かれるのですか?若」

「既に向こうの村長殿には知らせてある。自分の眼で真実を見極めるまでは、とても納得などできないよ。私は」

「魔物は無事に退治されて、平和になった。それじゃ駄目なんですかい?」

「駄目に決まっているだろう」


 即答する主人に、従者二人は軽く肩を落とす。

 普通に考えて、次期領主であるベルリンドがたった二人の共連れだけで、こんな領地の端っこまで足を運ぶなどあり得ないことだ。

 あり得ないというか、父である現ローディニア伯も当たり前のように反対した。

 噂の真偽を確かめるために、自分の手で事の真相を暴きに行くなど。

 しかし言って止めるぐらいなら、そもそもそんなことを言い出したりはしない。

 現実に魔物による襲撃も無くなり、治安維持なども多少余裕が出てくると、若き騎士の正義感が再び燃え上がってしまったのだ。


 今この地に何が起こっているのか。

 何もわからぬまま、ただ「そういうものだ」と安易に見過ごしても良いのか。

 もしかしたら今回の騒動は、単なる嵐の前兆に過ぎないのではないか。

 一度悪い方へ考え出すと、思考は坂道を転がる石のように奈落の底まで止まらない。

 気が付けば書置きだけを残し、馬を駆って飛び出してしまった。

 父が連れ戻すために送ってきた従者二人も、かなり強引に説き伏せた。

 それなりに長い付き合いだ。若様がちょっとやそっとじゃ止まらないのを知ってるから、諦めただけかもしれない。


 何にせよ、騎士とその従者二人は、やがてその目に目的地を捉える。

 深い森を背負ったその村の姿を。


「………あれが、“雷神の村(サンダーヴィレッジ)”か」


 ベルリンドは、口の中で小さくその名を呟く。

 奇跡を起こすという“稲妻の乙女”が降り立った場所。

 果たしてその歌に語られる内容は、何処までが真実であるのか。

 

「さぁ、行くぞ。二人とも」

「………いえ、若。少しお待ちを」


 馬を進めようとするベルリンドを、従者のヤナルが不意に押し止めた。

 何事かとそちらを見れば、ヤナルは道の先を指差している。

 視線でそれを辿り、若き騎士は気づいた。

 “雷神の村”の入口。その場所を塞ぐようにして立っている、二人の女。


 一人は、赤い髪を長く伸ばした長身の女性だ。

 まだ距離があるためはっきりとは言えないが、背の高さはベルリンドとそう大差ないかもしれない。

 その美貌は目にした誰もが息を呑み、瞳が宿す金色の輝きは見た者の心を射抜く。

 ただそれだけでも強烈に印象を刻み込まれる相手だが、それ以上に目を引くものがある。

 それはズバリ、その女の格好だった。

 遠目から見て一瞬全裸かと思ったが、よく見れば違う。

 何やら黒い帯状のものを、胸や脚の間などの要所にしっかりと巻きつけている。

 それ以外の衣服は、何も身につけていない。完璧な造形美を宿す豊満な肢体を、女は惜しむことなく曝け出していた。

 我が目を疑い、思わず二度見してしまったことを、果たして咎められる者がいるだろうか。


 もう一人は、白と黒の見慣れないドレスを着た小柄な女性だ。

 綺麗に纏めた黒髪など、細かく目に引く特徴は確かにあるのだが、隣に立つ女のインパクトに比べれば霞んでしまう。

 より正確に言うなら、あえて煌びやかな華の影となるような、そんな控えめな美しさだ。

 場の中心にはならないが、同時にふと気づくと目で追っているような。

 見た目の印象とは逆に、その眼差しは獲物を見定める猫のように鋭く、口元には嗜虐的な笑みが浮かんでいる。

 ただ、しきりに自分の頭をさすっているようだが、何か痛むのだろうか。


 そんな奇妙な取り合わせの二人が、村の前に立ち塞がっている。

 従者のヤナルが主人の足を止めてしまったのも、無理からぬことだろう。


「………なんですかね、ありゃあ」

「私が聞きたいぞ、そんなことは」

「あの、凄いこちらを睨んでるみたいですけど」


 三人はそれぞれ顔を見合わせて、戸惑いを言葉にする。

 見る。やはり赤毛の女は、挑みかかるようにベルリンド達を睨んでいる。

 黒髪の女は視線に気づいたのか、わざとらしいぐらいの笑顔で手を振ってくる。

 一体どういう意図があるのか、皆目見当がつかない。


「とはいえ、ここで立ち往生を続けても仕方あるまいな………」


 あれ関わっちゃ駄目な相手じゃないですかね、とギーアが視線で訴えてくるが無視する。

 ヤナルは何も言うつもりはないようだが、諦めたように首を横に振っている。

 ベルリンドが意を決して馬を進めると、従者二人もそれに続く。

 二人の女はその場から動かない。赤毛の女は胸の前で腕を組み、根を生やした大木のように堂々と佇んでいる。

 必然距離は近づいていき、やがて互いの顔もはっきりと見えるほどに縮まる。

 騎士の視線と、赤毛の女の視線が正面からぶつかった。


「失礼、ご婦人がた。我々に何か御用でしょうかな」

「お前が領主の息子とやらか?」


 問いかけるベルリンドに対し、赤毛の女――――トールは逆に問い返す。

 ベルリンドも二人の従者も、その女の無礼な態度に一瞬鼻白んで、そして気づく。

 歌や噂話を聞いて漠然と抱いていた印象、それとあまりにかけ離れたこの奇妙な美女こそが、自分達が探し求めた相手なのだと。


「………貴女が、まさか、“稲妻の乙女”?」

「用があるのはワシの方ではなく、そちらじゃろうが。こっちも忙しいんだ、手早く用件を言え」


 好かない呼び名を使われて、トールは少し眉間に皺を寄せる。


「なーなー、トールよ。やっぱ村長に任せた方が良くね? お前が直接何かしても拗れるだけじゃね?」

「ワシがこうすること知っててギリギリまで黙とった奴がよう言うな………」


 神妙な顔つきでさも助言のようにほざくロキを、トールはひと睨みで黙らせた。

 村長からも同じように言われたが、彼らが望んでいるのは“稲妻の乙女”の真偽を確かめることだ。

 ならば自分が矢面に立つ方が、話も早いし手っ取り早い。

 もし領主の息子と揉めるようなことになれば、最悪村全体に迷惑がかかる。それはトールも重々承知していた。

 その点は留意しつつ、下手に出ることはなく意識して強い態度で挑む。

 何を意図して自分のことを調べに来たのかわからないのだ。変に弱みを見せるわけにはいかない。


「ワシが………その、い、稲妻の乙女?とか言われとる、トールに間違いない。村長から、概ねの事情は聞いておる」

「……失礼、私はベルリンド。ベルリンド=ローディニアと。こちらの二人は私の従者、ギーアとヤナルです」


 答えるベルリンドは乗っていた馬から下りて、トールに向けて一礼する。

 従者二人も馬を下りて、主人の傍らにそれぞれ控える。

 思っていたよりもずっと礼儀正しいその態度に、今度は逆にトールの方が少々驚いた。

 

「不躾を承知で、貴女にお聞きしたい。巷に聞こえる“稲妻の乙女”の噂は、すべて真実なのでしょうか?」

「その噂とやらをワシもすべて把握しとるわけではないが、概ね間違っちゃおらんはずだな」

「死の山の魔物を退治し、数々の奇跡を起こしたのは事実である、と?」

「そうさな」


 即答するトールに、成る程と頷くベルリンド。

 従者の二人は黙って成り行きを見守り、ロキはトールの傍らで愉しげに眺めている。


 ロキとしては、これはまったく望む通りの展開だった。

 今まで多くの人間がトールの起こした「奇跡」を知って、それを求めに来た。

 純粋に助けを求めて、助けられたら素直に感謝する。そのタイプは少なくはないが、決して多くもない優等生だ。

 大抵の場合、神が思うよりも人間という生き物は強欲だ。

 あれよあれよと要求を重ねるばかりの馬鹿もいれば、交渉めいた真似をする狡賢い輩もいる。

 前者はただ頭が悪いだけなので問題外だが、後者はトールがお人好しであることも勘定に入れて、最初にドカンと要求をしてくる。

 トールが応えられそうなギリギリの望みをぶつけて、通らば良し、通らなければ一歩引き下げる。


 ただ楽をしたいから奇跡に乗っかろうとする者、もう後がない程追い詰められているから奇跡に全力で縋ろうとする者。

 様々だ。この世界でも、人間は本当に様々だ。

 ロキはそれを楽しみ、トールは色々いるもんだと呆れ半分感心半分。

 さて今回の領主の息子様は、果たしてどういうタイプの人間であろうか。


 確認する意味でも、トールは自分の方から一歩踏み込む。


「………とはいえ、口で何を言ったところで、それが真実であるという証明にはならんだろう。

 良いぞ、ベルリンドとやら。ワシの奇跡がお望みであれば、言うてみるといい。余程無茶な話でない限り、お前が望む通りにしてやろう」


 豊作をもたらすだとか、雨を呼ぶだとか。

 普段はあまりやらないが、それで領主の身内が満足するならやっても良いだろう。

 過度に求められても迷惑なので、後々のフォローは必要だが。

 しかし予想に反して、ベルリンドはトールの言葉を聞くと険しい表情で口を開いた。


「馬鹿にしないで頂きたい。私は奇跡を望んで、貴女を訪ねに来たわけではありません」

「………ほう? ならば、何を望んでおるのだ」

「貴女が真実、人々を救った“稲妻の乙女”であるのか否か。人心を惑わす化生の類ではないのか。それを確かめに来たのです」


 大真面目に、そしてどこまで真摯にベルリンドは言う。

 奇跡を欲しているわけではなく、ただ人々のために、そこに偽りがないかを確かめに来ただけだと。

 あまりに予想していなかった言葉に、トールはまじまじとベルリンドを見た。

 ロキの方も、まさか本気でそんなことを言い出すとは思っていなかったらしく、余計に笑みが深まっている。


「………本気で言うとるんだな?」

「偽りは我が家紋を穢す行いです。ローディニアの名に誓って、私の理由はただそれだけです」

「わかった。信じよう。ワシの方こそ、そちらを甘く見ていた。謝罪しよう」


 相手の器を見誤っていたことに、トールは素直に頭を下げた。

 成る程、この男は馬鹿かもしれない。奇跡を知りながらそれを望まないなど、決して賢くはないだろう。

 だが、馬鹿は馬鹿でも気持ちの良い馬鹿だ。

 少なくとも、トールはそういう男は嫌いではない。


「だが、そうなるとお前の望みにどう答えるべきかな。何を以て、我が身の潔白を証明しろと?」

「………正直、こうして言葉を交わすだけでも、貴女に後暗いものがないのはわかります。それだけでも、十分やもしれませんが」


 言って、ベルリンドは腰に佩いた愛剣の柄に手を掛ける。


「私もまた、一介の武人。稲妻の乙女が真実であるなら、歌われた武勇もまた真実なのかも確かめたくあります」

「自分が相当無謀なこと言い出しとると、理解しとるか?」

「これでも、腕に自信はあるつもりです。貴女が奇跡を起こさなければ、決して劣らぬものと」


 それは慢心でも何でもなく、ベルリンドにとっての真実なのだろう。

 己の中で培ってきた自負があり、それは簡単に負けることなどないと信じている。

 雷を操るなどの天変地異さえなければ、この剣は稲妻の乙女にも引けは取らないと。

 その真実を確かめたいと、武人として望み。

 トールもまた、戦いの神としてその心意気を無下に扱うわけにはいかなかった。


「わかった。その挑戦は受けて立つが、ワシは素手でやる。お前は剣でも何でも好きに使え」


 これはお前に対する侮辱ではない、と眼差しで強く訴える。

 ベルリンドも口を開こうとしたが、それを感じたのか文句は言わなかった。

 それがもし余裕の類であるのならば、自分の剣で目を開かせればいい。


「この場で、構いませんか?」

「あぁ、構わん」


 剣を鞘から引き抜いて、ベルリンドは隙なく構える。

 俄かに広がる戦の空気に、二人の従者はそれを止めるべきか迷った。

 迷って、その機会は失われる。


「はっ!」


 従者達の迷いを払うように、気合一閃。

 ベルリンドは構えた長剣を鋭く真っ直ぐに、トール目掛けて突き込む。

 手加減はない。全力を傾けるに値する相手だと、ベルリンドも悟っているからこその本気の一撃だ。

 対するトールは、良い動きだとその突きを評価する。

 構えから最短ルートを貫く一撃だ。

 尋常な相手ならば、真正面から仕掛けられて防げるものはそうおるまい。


うちの娘(ヴァルキリー)が見たならば、死後の英雄(エインヘリヤル)の列に引っ張りこもうとするやもしれんな」


 惜しむらくは、その剣は未だに人の域に留まっていること。

 それでは神の領域には届かない。

 そう正しく評価し、トールは軽く拳を握り締めた。

 ヤルングレイプルに覆われた左手の甲で、鍛えられたベルリンドの突きをあっさりと受け止める。


「なっ………!?」


 本当に、事も無げに止められてしまった。

 その事実にベルリンドの動きがほんの僅かに止まる。

 次の瞬間の未来を察して、道化の神はニヤリと笑って。


「ほっ」


 一発。トールが構えたベルリンドに対して、拳を振るった。

 それで終わった。

 板金鎧で固めた騎士が、まるでボールのように跳ね飛ばされた。

 ロキは腹を抱えて爆笑し、従者は理解が追いつかずに固まっている。

 メギンギョルズによる増幅もかけていないし、可能な限り手加減してブン殴ったから、死んではいないだろう。

 気を失ったまま痙攣してる辺り若干ヤバい気がしてきたので、トールは軽く走って駆け寄る。


「………さて、これで納得してくれりゃいいがなぁ」


 言いながらベルリンドの傍らに膝をつき、ミョルニールによる癒しを施す。

 とりあえず、これでこの話はおしまいだ。

 またいつもと同じ毎日が続き、思い出したように今回みたいなトラブルが起こったりするのだろうと、トールは気軽に考えていた。



 今回の騒動が、今の拳の一発からはじめて幕を開けたことなど、トールには知る由もなかった。



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