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雷神の朝は早い。
日が昇る前から起き出して、同じ家で眠っているヨルサ達を起こさぬように外へ出る。
トールが悪神と激しい戦いを演じてから、早三ヶ月。
あの頃は春先だったが、季節はもう初夏だ。
日中は大分暖かくなって来ているが、日の出前や日の入りの後はまだ肌寒い。
少し冷たい空気を胸いっぱいに吸い込みながら、村の外れにある森へと軽く走り込む。
道中、まだ薄暗い村の中も軽く見て回る。
立ち並ぶ家の数や、綺麗に整えられた畑の広さなど、明らかにトールが来た頃よりも増えていた。
あれから、更に多くの人々が“雷神の村”の噂を聞きつけて、その奇跡を頼ってやって来るようになった。
魔物の被害により住む場所を失った者や、それ以外の事情で元いた場所では生きるのが難しい者など、事情は様々だ。
数もまた相当なもので、僅かな期間で百人以上の人間が村を訪れた。
本来ならば到底受け入れられるような数ではない。
十人や二十人なら(本来それも難しいが)まだしも、以前の村の人口を上回る人数など、普通に考えれば受け入れることなど不可能だ。
その不可能ごとを、トールとロキの二柱の神が何とかした。
最初はトールが自分一人でもやるつもりだったが、結局ロキも「べ、別に手助けしたいわけじゃないんだからねっ!」と錯乱しながら手伝ってくれた。
トールが主にやったことは、以前までの難民相手にしたことと大きく変わらない。
怪我や病気があればミョルニールで癒して、住む場所を確保。そして自活するための手段を共に用意する。
誰も彼もが上手く行ったわけではない。
途中で膝を折ってしまった者は、まだ良い。それは仕方のないことだ。
そういう者であれば、トールは立ち上がれるように辛抱強く相手をすることができる。
―――生きるのは辛く、困難なことであると。それはここまで生きてきた歩みの中で、十分に知っているはずだ。
―――立ち上がることを望むのであれば、手を貸すことぐらいはできる。
トールはそう諭して、多くの者はそれに応えることができた。
その足で歩き出せるようになるまで、決して見捨てることなく傍で支えてくれる雷神の存在は、人々にとって何よりの救いだった。
けれど本当に厄介なのは、挫折してしまった者ではない。
自分で地に足をつけることさえ厭う人間――――トールの助けに、すべてを乗せようとしてしまう者だ。
「………まぁ、気持ちは分からんでもないが」
思い出し、トールは少しだけ憂鬱そうにため息を吐く。
畑に囲まれた田舎道。青い穂麦が朝の風に揺れる中を、トールは走る。
実在する神の力に縋って、自分の足で歩くことを望まなかった人間は少なからずいた。
「アンタだったら、家も何もパッと用意できるんだろう?だったら、そうしてくれよ」
「ちまちま畑を耕したってしょうがない。なぁ、アンタならいつだって豊作にできるんだろう?」
「死なない山羊を連れてるんでしょ?それ、あたしにも頂戴よ」
口にするのは、己の内にある望みばかり。
求めて、欲して。けれどそれを自分の力で達成しようとは思わない。
そういった者達も、トールは粘り強く諭した。
それでは駄目なのだと。人の一生とは、自らの足で立って歩むからこそ尊いのだ。
神が人を助けるばかりでも、人が神に縋るばかりでも、それはどちらにとっても良い結果にはならない。
諭して、受け入れられる者はいい。だがそうでない者も、当然いる。
「そんな力があるなら、もっと助けてくれたって良いじゃないか」
「どうして、できないことを無理にやろうとしなくちゃならないんだよ」
「できない奴のことを、見下して笑ってるんだろ?アンタはお強いもんな」
落胆と失望。彼らは口々に、そんな毒をこぼした。
そして期待を裏切られたことへの敵意を眼差しに乗せて、そうした者は去っていく。
気にするなと、ロキは言うが。どうしても、胸の奥に引っかかる。
「いかんいかん」
悪い方向へ考え込んでしまっているのを自覚し、首を大きく振る。
神があらゆる人間を救えるわけではないのと同じで、すべての人間が立ち上がれる強さを持つわけではない。
仕方のないことだと、簡単に割り切れはしない。
それもまた人の持つ弱さであり、一面なのだと呑み込むことにした。
いつの日か、誰もが神の助けを必要とせず、自分の足で歩み続けることのできる未来が訪れるのだろうか。
そんな遠い先のことを、雷神は少しだけ夢想する。
「しっかし、ロキの奴は一体裏で何をしとるんだかなぁ………?」
手伝ってくれた、という道化の神だが、実は具体的に何をやっているのかをトールは知らない。
トールが主に流れ込んで来た人間の面倒を見ているのに対して、ロキは元々村に住んでいた住民の相手をしていた。
恐らく、新参者と古参の間で摩擦が大きくならないよう、あれこれ調整はしていたんだろうと思う。
村長相手にも色々と交渉していたようだが、詳しくはわからない。
聞いてもはぐらかされるか、「お前はそいつらの面倒見るのに集中しとけよ」と誤魔化されてしまうばかり。
「まぁ、何ぞやりすぎとらんければ良いが」
神様が人間へ過剰に手を貸すのは良くない。
ヨルサに諫められてから、それはトールの中で堅く守られている。
ロキが何か無茶苦茶した場合、止められなかった自分もまたあの痛い座り方で説教されてしまう。
まぁまた折を見て吐かせれば良いかと、トールは楽観的に考えていた。
――――そう、トールは知らない。
ロキが自分の髪や爪などを農作物に種に変化させて、村長を通じて村の人間達に与えて。
さらにそれらや元々育てていた作物のローテーションにより、休耕地を出さずに農牧を継続的に行う方法。
何より自分を利用して家畜そのものの質の向上や改善を行うなど。
やり過ぎるなという言葉が空しくなる程に好き勝手やっていた、という事実を。
後ほど判明しても、トールも見て見ぬフリをして匙を投げるレベルだ。
そこまでやらかして後になってひっくり返すでは、村の方が困ってしまう。
ついやり過ぎちまったぜ、とかほざく道化の神は当然のようにミョルニールでしばき倒すわけだが。
「さぁて、と」
そんな近い未来のことなど知る由もなく、トールは森の中へと入る。
あまり奥までは入らず、定位置となっている開けた場所まで来ると、右手にミョルニールを取り出す。
全力を出すと危険なので、意識して抑えた力を大鎚へと集めていく。
メギンギョルズとヤルングレイプル、二つの神器の助けも得ながら、トールは自らの内で雷を練り上げる。
鋭く、強く。荒れ狂おうとする力の流れを、意思の下で完全に制御する。
その感覚を確かめながら、やがてトールは力強く、右手に持つミョルニールを天高く掲げた。
雷光と雷鳴。
光は朝焼けに染まる空を貫いて、音は一瞬遅れて村全体にまで響き渡る。
「………うむ、特に異常もないな」
その結果を見届けて、トールは満足そうに一つ頷いた。
毎朝の日課。能力制御の鍛錬と、異常が起こっていないかの確認作業だ。
完成された神であった頃は不要だったが、今は完全には程遠い受肉した半神の身。
信仰による能力変化は、日を跨いだだけでも大きく異なる場合がある。
いざという時に加減を間違えては洒落にならないので、日々の確認作業と変化が起こっていた際の慣らしなどは必須項目だ。
長々とやるものでもないので、簡単に何度か雷を起こしたりしつつ、日が昇り出す頃に鍛錬を終える。
尚この時の雷鳴が、最近の村人達の目覚まし代わりになっていることをトールは知らない。
「やぁ、トール様! おはよう御座います。今日も良い天気ですなぁ」
「おはよう、トール様。毎朝お疲れ様です」
「おはよう御座います、トール様!」
「あぁ、おはよう! 今日も一日、しっかり働けよお前達!」
森から戻る途中、起き出してその日の仕事を始めた村人達と挨拶を交わす。
これもまた、毎朝繰り返されている日課の一つだ。
多くの村人達の感謝と祈り。
それは朝の空気のようにトールの胸を心地よく満たしてくれる。
「おはよう」「おはよう御座います!」「おはよう!」
手を振り、言葉で応えて、雷神は朝の村を走っていく。
思うことはあるし、悩むこともないではない。
それでも自分の選んだ道には確かな価値があったのだと、彼らを見て思う。
こうして懸命に生きる人々の今を、この手で守ることができたのだと。
充実の二文字を感じながら、トールは帰ってきた家の前で足を止めた。
そして扉を開き、中へと。ふわりと鼻腔をくすぐるのは、朝餉を仕度する匂い。
奥の台所に立っていた少女が振り返る。
花のような微笑みに込められた親愛の情は、戻ってきた雷神を優しく迎え入れた。
「おかえりなさい、トール様。朝ごはんもうすぐ出来上がりますから」
「おぉ、いつもすまんな」
ヨルサの言葉に、トールもまた微笑みながら答えた。
それから起き出してきた弟のウルルも加えて、いつものように朝食を取る。
少し固めに焼いたパンに、薄く切ったチーズ。そしてトールが提供した山羊肉の燻製。
それらをパンに挟み、塩を軽く振る。
幾つかの豆を山羊のミルクと合わせて煮込んだスープに、飲み物は薄めたワイン。
出てくるものは細かく変わったりするが、これが平均的ないつもの朝食だ。
「そういえばトール様、知っていますか?」
「? 何の話だ?」
「領主様の御子息の話ですよ」
領主の子供。
ヨルサが振ってきた突然の話題に、トールは首を傾げる。
パンを齧りながら思ったままの疑問を口にした。
「領主の子供とやらがどうしたんだ? ワシはそもそも、その領主とやらもまったく知らんわけだが」
「………あれ、そうでしたっけ。すみません」
頷くトールに、ヨルサは申し訳なさそうに謝罪する。
自分にとって当たり前の知識を、相手が知っているとは限らない。
まったく当然のことなのだが、気が回らなかった。
なのでヨルサは、トールの知識を埋めるためにまずそこから説明を始めた。
「この村を含めて、この辺りはオルランド王国の貴族、ローディニア伯爵がお治めになられてます。
ローディニア伯爵家はオルランドでも指折りの武門の家柄で、下の身分の者を徒に貶めたりしない“理想の武人”だと人気も高いです」
「ほほーう」
「現ローディニア伯もその評判通りの方で、魔物で被害を受けた人々の救済に、ご自身の私財まで投じられたとかで。
流石に全員、というわけにはいなかったようですけど………」
その辺りは、以前に村長から聞いていたのでトールも知っている話だった。
実際に手が回らなかった人間が、多くこの村にも流れてきた。
仕方のないことだ。あの状況では、救える人間の数には限度がある。
なのでそのことに関しては、トールはローディニアという領主を責めるつもりはない。
評判がどれだけ真実かは不明だが、仮に話通りの人物であるなら決して悪い相手ではないだろう。
「んで、その領主の子供とやらが何だって?」
「ロキ様から聞いた話なので、私も詳しいことは知らないのですけど。どうやら、この村に来るそうなんです」
「なんでまた?」
「トール様が目的だそうですよ」
「は?」
意味が分からず、思わず間抜けな声が出てしまう。
どういうことかと理解できないでいたら、横でスープを啜っていたウルルが顔を上げた。
「トール様の、稲妻の乙女の伝説が本当なのかどうか、確かめに来るんだって」
「待て、なんじゃそりゃ」
「どうもロキ様の詩が、領主様のお膝元にまで届いたそうで………」
またロキの野郎が原因か。
ロキ経由の情報ということは、恐らく村長も知っていることだろう。
「そりゃいつの話になるんだ?」
「わかりません。ロキ様か、村長なら知ってると思いますが」
「………ワシの耳にギリギリまで入れんようにしとったのは、間違いなくロキの考えだな」
恐らく、その方が面白そうとか、そういうロクでもない理由からだ。
村長をどんな尤もらしい理屈で丸め込んだかは知らないが。
この姉弟を通じて自分に知らせたのなら、恐らくそう時間もないだろう。下手したら今日中かもしれない。
先ほどまではじっくり味わっていた朝食を、トールは急いで流し込む。
トラブルになるのは十中八九間違いないが、その前にロキを締めてできる限りの準備をしなければ。
「えっと、行くんですか?」
「おう、ロキはどうせ村長のとこだろ。ちょいと行って締め上げてくるわ」
手加減してあげてくださいね?とヨルサは涙が出そうなほどの優しさを見せるが、それには応えられない可能性が高い。
どうしたものかと渋い顔で頭を掻くトールに、姉弟は互いの顔を見合わせる。
そして立ち上がり、外へと向かう雷神の背に向けて、ヨルサとウルルは声をかけた。
「いってらっしゃいませ、トール様。気をつけてくださいね」
「いってらっしゃい、トール様!」
送り出す言葉に足を止めて、トールは二人の方を振り返った。
その響きを確かめるように自分の胸元に手を置いて、対となる言葉で雷神は応える。
「あぁ、いってくる」
笑って、送り出して。笑って、踏み出して。
こうして、雷神の一日が始まる。
新たにやって来るだろう騒動の予感に、少しだけ弾む心を抑えながら。




