10
私は呆然と立ち尽くしていた。
頭の中がぐちゃぐちゃだ。
静さんの『あなたのお兄さん』という言葉だけが何度も繰り返される。
「……ねぇ、兄貴」
「なんだ?」
私は恐る恐る聞いた。
「兄貴は静さんのこと、どう思ってるの?」
兄は腕を組み、少し困った顔でつぶやく。
「どう思ってるって……」
そして、さらっと言った。
「あいつ、俺の恋人だし」
「……はあ?」
一瞬、思考が止まる。
「はあああああっ!?」
私は思わず頭を抱えて叫んだ。
「うそでしょ!? なんで!? いつから!? えっ!? えぇぇぇっ!?」
その場で発狂する私を見て、兄は腹を抱えて笑い始めた。
「あはははは!」
「兄貴!」
「悪い悪い!」
兄は涙を拭きながら笑う。
「今のは冗談」
「……え?」
「さっきの静のマネ」
私はぽかんと兄を見つめる。
「お前らの話、実はこっそり聞いてたんだよ」
「ええっ!?」
「あいつ、男が好きなんですって言っただろ?」
私は何度もうなずく。
「あれ、嘘だから」
「……嘘?」
兄は苦笑いを浮かべる。
「まあ、断言はできねぇけど。あいつ、真顔で冗談を言う癖があるんだよ」
「……」
「本人に悪気がないから、俺はなに言われても許してるけど」
「……」
「周りの奴らはいつも、あいつの冗談に振り回されてる」
私はゆっくりと兄の顔を見る。
静さんは。
私が何年も想い続けた相手は。
あんな大事な場面で、そんな冗談を言ったの?
拳がぷるぷると震え始める。
「……なにそれ」
兄は嫌な予感がしたのか、一歩後ずさる。
「明音?」
「ふざけんなぁぁぁぁ!!」
私は顔を真っ赤にして叫んだ。
「何年も探して!警察官にまでなって!勇気を出して告白した相手が、あんな冗談言う!?」
「まあまあ、落ち着けって!」
「落ち着けるわけないでしょ!」
私は怒りで肩を震わせながら、ぎゅっと拳を握った。
そのまま、私は静さんの背中を追いかけ、警察署の中へ入った。
「静さん!」
廊下に私の声が響く。
静さんは立ち止まり、ゆっくりと振り返った。
私は息を切らしながら、彼の前に立つ。
「兄から聞きました。男が好きなんて……嘘ですよね」
静さんは何も答えない。
私は唇を噛みしめる。
「人の心を踏みにじらないでください。私に…、ちゃんと本当の気持ちを教えてください!」
静さんは静かに目を閉じ、小さくため息をついた。
「……わかりました」
数秒の沈黙。
そして、まっすぐ私を見つめる。
「では、はっきり言います」
私は覚悟を決めて、その言葉を待った。
「私は、あなたに対して恋愛感情はありません」
その一言は、冗談ではなかった。
胸がぎゅっと締めつけられる。
涙がこぼれそうになる。
「……わかりました」
震える声で、私はそう答えた。
これで終わりなんだ。
そう思って背を向けようとした、その瞬間だった。
ふわりと温もりに包まれる。
「……え?」
気づけば私は、静さんに抱きしめられていた。
驚いて体が固まる。
静さんは私の耳元で、穏やかな声を落とした。
「私を好きになっていただき、ありがとうございます。森田明音さん」
長い沈黙が流れる。
私は静さんの制服をぎゅっと握りしめ、小さく笑った。
「……ずるいよ」
静さんは何も言わない。
「こんなことされたら……嫌いになれないじゃん」
ようやく顔を上げると、静さんは優しく微笑んでいた。
「私が元ホストなのをお忘れですか?」
その一言だけ残し、静さんは私から離れる。
そして振り返ることなく、廊下の奥へ歩いていった。
私はその背中を見送りながら、涙を拭く。
失恋した。
それなのに、不思議と後悔はなかった。
あの人を好きになれて、本当によかった。
「よ~し!」
と私は一人、拳を突き上げる。
私は警察官として、困っている人を助ける素敵な女性になる!
魅力的な女性になって、私を振った静さんを後悔させてみせる。
そう私は心に誓うのだった。




