第153話 変わりゆく金の街
いつもお読みいただきありがとうございます。
いよいよアストラスカル号での空の旅が始まりました。
最初の目的地は、かつて悠真たちが訪れたグラード・マーケット。
久しぶりに訪れる金の街は、果たしてどんな姿になっているのでしょうか。
第153話、どうぞお楽しみください。
王都を離れたアストラスカル号は、青く澄み渡った空を北へ向かって進んでいた。
眼下には緑豊かな大地が広がり、遠くに見える山々の稜線が、薄い雲の向こうに霞んでいる。地上を走る街道は細い線のように見え、時折、小さな集落や畑が視界の端を流れていった。
操縦席ではララが前方を見据え、制御盤に並ぶ表示を一つずつ確認していた。
「今のところ順調ね。思っていたより安定しているわ」
「そりゃそうだろ。あれだけ訓練したんだからな」
隣に立つラパンが笑うと、ララは呆れたように横目を向けた。
「あんたはもう少し慎重になりなさいよ。昨日だって教官に注意されてたじゃない」
「ちょっと速度を上げただけだろ」
「そのちょっとが危ないのよ」
二人のやり取りを聞きながら、メリーは制御盤の表示を確かめていた。高度も速度も安定しており、魔法石の消耗も訓練で教わった範囲に収まっている。
「この調子なら、しばらくは問題なさそうですね」
メリーの言葉に、悠真は安心したように息をついた。
初めて自分たちだけで飛行船を動かすのだから、多少の不安はあった。しかし、船体に大きな揺れはなく、窓の外に広がる景色を眺めていると、空を飛んでいることさえ忘れてしまいそうになる。
「ところで悠真、最初はどこに向かうんだ?」
レオンが尋ねた。
「ゼッタ地区のグラード・マーケットに行こうと思ってる」
「グラード・マーケットか。懐かしいな」
レオンの表情が少し和らいだ。
「そこって、前に悠真たちがしばらく滞在していた街だよね?」
リズも興味深そうに顔を上げる。
「そうだよ。カミシロフーズを始めた場所でもあるし、久しぶりに会社の様子を見ておきたいんだ」
「私も久しぶりだわ。ゼラモードさんと訪ねたときは、ずいぶん賑わっていたけど、今はどうなっているのかしら」
ララが振り返りかけ、慌てて前方へ視線を戻した。
「そういえば、ララもあの街には何度か行ってるんだよね」
「ええ。最初はコロシアムの大会に出るためだったけどね」
その言葉に、レオンが小さく笑った。
「あの大会か。懐かしいな」
「ところでよ、食品の会社って、そんなに儲かるものなのか?」
ラパンの疑問に、悠真は苦笑した。
「どうだろう。俺がいない間はガレスさんたちに任せているから、今どうなっているのか詳しくは知らないんだ」
「ずいぶん気楽な経営者だな」
「それは自分でも思うよ」
悠真が笑うと、操縦席の周囲に小さな笑い声が広がった。
グラード・マーケットまでは、通常の速度なら一日ほどで到着する距離だという。しかし、今回は操縦に慣れることを優先し、無理に速度を上げず、一日半ほどかけて向かうことにしていた。
昼過ぎにはラパンが操縦を交代し、夕方からはメリーが担当した。
悠真たちは交代で操縦席を覗きながら、初めての空の旅を楽しんでいた。
夕暮れが近づくと、窓の外の景色が少しずつ赤く染まり始めた。
遠くの雲は夕日を受けて黄金色に輝き、その下に広がる大地には長い影が伸びている。
「綺麗……」
リズが窓に両手を添えた。
隣に立つクランも、しばらく言葉を発さずに景色を眺めていた。
「地上から見る夕焼けとは、随分違いますね」
「うん。空の上だと、こんなに遠くまで見えるんだね」
悠真も二人の隣に立った。
かつて地球で飛行機に乗ったことはあったが、こうして大きな窓越しに夕暮れの空を眺める感覚は、それとはまったく違っていた。
やがて夜が訪れると、操縦を担当しているメリーを除いた七人が、リビングで初めての夕食を囲んだ。
夕食の準備をしたのは悠真とレオンだった。王都で買っておいた料理をララの空間魔法から取り出し、温め直したものをテーブルに並べる。リズとクランも配膳を手伝い、ドゴルドは使い終わった調理器具を片付けていた。
温かなスープから立ち上る湯気が、船内に食欲を誘う香りを広げていった。
「飛行船の中で食事ができるなんて、贅沢だな」
ドゴルドが椅子に腰を下ろす。
「しかも、寝る場所まであるんだからね!」
リズは嬉しそうにパンを手に取った。
操縦を担当しているメリーの分は取り分けておき、食事を終えたララが交代に向かった。
しばらくして戻ってきたメリーは、用意されていた夕食を見て嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます。ちょうどお腹が空いていたところでした」
「冷めないうちに食べてね」
悠真が声をかけると、メリーは礼を言って席に着いた。
こうして誰かが操縦を続けている間も、ほかの仲間たちは普段どおりに過ごせる。実際に生活してみると、飛行船の便利さがよく分かった。
食後、悠真が三階の見張り室へ上がると、窓の向こうには満天の星が広がっていた。
地上の灯りがほとんど届かない空には、無数の星が散りばめられている。遠くの雲は月明かりを受けて淡く輝き、その下には暗い大地が静かに横たわっていた。
しばらく景色を眺めていると、階段を上がってくる足音が聞こえた。
「こんなところにいたのか」
レオンだった。
「ちょっと景色を見てたんだ。すごいよ、ここからの星空」
レオンも窓の外へ目を向けた。
「確かにな。こんな景色は初めてだ」
二人はしばらく並んで夜空を眺めていた。
「グラード・マーケット、どうなってるかな」
悠真が呟くと、レオンは小さく笑った。
「さあな。あの街は金さえあれば何でも手に入るような場所だったからな」
「物価もとんでもなく高かったよね」
「おかげで、コロシアムの賞金が随分と役に立った」
レオンが懐かしそうに目を細める。
あの大会で手にした五百万マニーが、カミシロフーズを始めるきっかけになった。
あれから随分と遠くまで来たような気がする。
「明日が楽しみだな」
「そうだね」
悠真はもう一度、窓の向こうへ視線を戻した。
夜空の下を進むアストラスカル号は、静かな作動音を響かせながら、ゼッタ地区へ向かって飛び続けていた。
翌朝、悠真が目を覚ますと、船内にはすでに朝の光が差し込んでいた。
昨夜は初めての二段ベッドだったが、思っていた以上によく眠れた。船体の揺れもほとんど気にならず、目を閉じてしまえば普通の宿に泊まっているのと変わらない。
リビングへ出ると、キッチンではレオンが朝食の準備をしていた。
「おはよう、レオン。早いね」
「腹が減って目が覚めたんだ。せっかくだから、朝飯でも作ろうと思ってな」
「それなら俺も手伝うよ」
悠真は手を洗い、レオンの隣に立った。キッチンには焼いたパンの香ばしい匂いが漂っている。
そこへ、休憩を終えたメリーが顔を出した。
「おはようございます、悠真さん」
「おはよう。もう起きてたんだね」
「ええ。ラパンが操縦を代わってくれたので、少し休んでいました」
「そっか。それなら、朝ご飯を食べていってね」
「ありがとうございます」
しばらくすると仲間たちも集まり、操縦を担当しているラパンを除いた七人で朝食を取った。
ラパンの分は取り分けておき、食事を終えたメリーが操縦を交代することになった。
窓の外には昨日とは違う大地が広がっていた。遠くに大きな山並みが見え、その手前には広い平野と、いくつもの街道が伸びている。
昼を過ぎた頃、操縦席にいたララが声を上げた。
「悠真! 街が見えてきたわよ!」
悠真たちは窓際へ集まった。
遠くの平野に、巨大な街が姿を現していた。
幾重にも続く建物の屋根、広い街道、そして中央付近に見える大きな円形の建造物。
「あれがグラード・マーケットだよ」
悠真が指差すと、リズが嬉しそうに身を乗り出した。
「本当だ! あの大きいの、コロシアムだよね!」
「そうだな。あそこで優勝したのが、随分昔のことに感じる」
レオンも懐かしそうに眺めていた。
「私にとっては、ちょっと悔しい思い出の場所だけどね」
ララが操縦席から声をかけると、レオンは彼女の方を向いた。
「そうだったな。あのときの魔法はなかなか厄介だったぞ」
「厄介だったって、結局ほとんど当たらなかったじゃない!」
ララが不満そうに言い返すと、レオンは楽しそうに笑った。
「でも、強かったのは本当だ。あれだけ魔法を使いこなす奴は、そうはいないだろう」
「……もう、そういうところは変わらないんだから」
ララは小さく呟き、前方へ視線を戻した。横顔がわずかに赤くなったことには、レオンは気づいていない。
その様子を見ていたリズが、悠真の隣でくすりと笑った。
「ねえ悠真、あのときもこんな感じだったよね」
「そうだったっけ?」
「……本当に変わらないね」
リズは呆れたように笑い、もう一度コロシアムへ視線を向けた。
街へ近づくにつれ、建物の数が増え、街道を行き交う馬車の姿もはっきり見えるようになった。
ララは街の外側にある広い平地を選び、慎重に高度を下げていった。
着陸の直前には船体がわずかに揺れたものの、大きな問題はなく、アストラスカル号はゆっくりと地面に降り立った。
「ふう……無事に着いたわね」
ララが制御盤から手を離し、肩の力を抜いた。
「お疲れさま。初めての長距離飛行だったけど、順調だったね」
悠真が声をかけると、ララは満足そうに笑った。
「まだまだ練習は必要だけど、少し自信がついたわ」
船を安全な状態にして外へ出ると、近くを通りかかった商人や旅人たちが、珍しそうにアストラスカル号を眺めていた。
「飛行船か。久しぶりに見たな」
「ずいぶん変わった色をしているね」
そんな声が聞こえてくる。
何人かの子供が興味深そうに近づいてきたが、街全体が騒ぎになるほどではなかった。
金持ちの商人や貴族が集まるグラード・マーケットでは、飛行船そのものがまったく知られていないわけではないのだろう。
悠真たちは船の出入口を施錠し、街へ向かって歩き始めた。
しかし、街の中心部へ近づくにつれ、悠真の足取りは次第に遅くなっていった。
「……あれ?」
思わず立ち止まり、周囲を見渡す。
以前は高級品を扱う店や豪華な商館が目立っていた通りに、見覚えのあるような、それでいて以前にはなかった看板が並んでいた。
焼きたてのパンを売る店、湯気を立てる麺料理の店、香辛料の匂いが漂うカレーの店。
少し先には、肉を挟んだパンを売る店や、色鮮やかな菓子を並べた店まである。
「……なんだ、これ」
悠真は呆然と呟いた。
「悠真、あそこ見て!」
リズが指差した先には、大きな看板を掲げた飲食店があった。
そこには、はっきりと《カミシロフーズ》の名前が記されている。
よく見ると、ほかの店にも同じ名前が入った看板や旗が掲げられていた。
「これ、ほとんど俺たちの会社の店じゃないか……?」
悠真が驚いていると、レオンも周囲を見渡した。
「俺たちがいた頃とは、まるで違う街になっているな」
「私がゼラモードさんと来たときも、こんなにお店はなかったわよ。いったい、いつの間に増えたのかしら」
ララも驚きを隠せない様子で、通りの両側を見比べていた。
通りには食べ物を買い求める人々が溢れ、店先からは威勢のいい呼び込みの声が聞こえてくる。
高級な衣服を身につけた商人も、旅装束の冒険者も、同じように料理を楽しんでいた。
かつて金の街として知られたグラード・マーケットは、今や地球の食文化が広がる街へと姿を変えつつあった。
「すごい匂いがするな。あれ、何を作ってるんだ?」
初めてこの街を訪れたラパンが、興味深そうに店を覗き込む。
メリーも珍しい料理の数々に目を輝かせ、ドゴルドは店先に並ぶ品物を感心したように眺めていた。クランもまた、見慣れない看板や料理に静かに視線を巡らせている。
「あとでゆっくり見よう。まずは商業ギルドに行きたいんだ」
悠真はそう言って、懐かしい通りを歩き始めた。
商業ギルドの建物は、以前と変わらず街の中心部にあった。
中へ入ると、受付にいた職員が悠真たちを迎えた。
悠真がガレスへの面会を申し出ると、職員は驚いたように目を見開き、すぐに奥へと向かった。
ほどなくして、廊下の向こうから大柄な男が姿を現した。
「悠真さん!」
「ガレスさん! 久しぶりです!」
ガレス・ヴァンロードは満面の笑みを浮かべ、悠真のもとへ歩み寄った。
「お戻りになっていたんですね! 連絡をいただければ、お迎えに行きましたのに」
「急に思い立って寄ったんです。それにしても、街がすごいことになってますね」
悠真が笑いながら言うと、ガレスは嬉しそうに頷いた。
「おかげさまで、カミシロフーズは順調ですよ。実は悠真さんに、ぜひお見せしたいものがあるんです」
「見せたいもの?」
「ええ。少し歩きますが、ご案内してもよろしいでしょうか」
悠真は仲間たちと顔を見合わせた。
「もちろんです」
ガレスに案内され、一行は商業ギルドを出た。
賑やかな通りをしばらく進むと、以前は商館が並んでいた一角に、見慣れない立派な建物が建っていた。
三階建ての建物は白い外壁と大きな窓が特徴的で、周囲の建物とは少し違う、すっきりとした造りになっている。
入口の上には、大きな文字で《カミシロフーズ》と書かれていた。
「……え?」
悠真は思わず足を止めた。
「ガレスさん、これって……」
「カミシロフーズの本社です。ついに完成したんですよ」
「本社!?」
悠真の声に、通りを歩いていた人々が何事かと振り返った。
「そんな話、聞いてないんですけど!」
「申し訳ありません。実は、驚いていただきたかったんです」
ガレスは少し照れくさそうに笑った。
「ユウジさんとゼラモードさんにも相談しましてね。これだけ事業が大きくなりましたから、工場だけでは管理が追いつかなくなっていたんです」
建物の中へ入ると、明るく広い受付があり、その奥には商品を展示する棚や商談用の席が設けられていた。
壁には各店舗の情報が整理され、職員たちが書類を手に忙しく行き交っている。
「すごい……本当に会社だ」
悠真が呟くと、ガレスは笑った。
「二階には事務室と会議室があります。店舗の管理や新商品の開発も、こちらで行うようになりました」
一行は階段を上がり、建物の中を案内された。
そして三階へ到着すると、ガレスは廊下の奥にある扉の前で立ち止まった。
「最後に、こちらをご覧ください」
扉が開かれる。
そこには、大きな執務机と椅子、応接用のソファ、書棚が置かれた立派な部屋が広がっていた。
窓からはグラード・マーケットの街並みが見渡せる。
「こちらが、悠真さんのお部屋です」
「……俺の?」
「はい。勝手ながら、用意させていただきました」
悠真は部屋の中へ足を踏み入れた。
磨かれた机の上には筆記具が整えられ、書棚には会社の資料が並んでいる。窓際には小さな観葉植物まで置かれていた。
「いつお戻りになっても仕事ができるように、準備しておいたんです」
ガレスの言葉に、悠真はしばらく返事ができなかった。
自分がいない間に、会社はここまで大きくなっていた。
それだけではない。ガレスたちは、ほとんど顔を出せない自分のために、こうして居場所まで用意してくれていたのだ。
「……ありがとうございます、ガレスさん」
悠真が頭を下げると、ガレスは慌てて首を振った。
「そんな、こちらこそですよ。悠真さんが始めてくださった事業ですから」
レオンは窓の外を眺めながら、感慨深そうに呟いた。
「五百万マニーから始まった会社が、ここまで大きくなるとはな」
「本当だね……」
悠真は小さく笑った。
そのとき、ふと思い出したようにガレスへ顔を向けた。
「そういえば、じいちゃんは今どうしてるんですか?」
「ゼラモードさんでしたら、昨日までこちらにいらっしゃいましたよ」
「昨日まで?」
「はい。地球のゼラモード食品で大事な取引があるとのことで、一度お戻りになりました」
「そっか。入れ違いになっちゃったか」
悠真は少し残念そうに笑った。
「でも、じいちゃんに会社のことを頼んでおいて正解でしたね」
「本当に助かっています。経営の進め方から商品の開発まで、いろいろと教えていただきました。もちろん、ユウジさんにも随分と支えていただいています」
ガレスはそう言うと、机の上に置かれていた小さな箱を手に取った。
「それと、悠真さん。こちらをお渡ししなければなりませんね」
「何ですか?」
「この三か月分の、悠真さんの取り分です」
箱の蓋が開かれると、中には美しく輝く王金貨が整然と並んでいた。
「……え?」
「全部で十五枚ございます」
「十五枚!?」
悠真は思わず箱を覗き込んだ。
王金貨一枚は一千万マニー。十五枚なら、一億五千万マニーになる。
「現在、カミシロフーズは月に五億マニーほどの利益を上げています。この三か月の利益が約十五億マニーでしたので、悠真さんの取り分一割をお渡しします」
「……そんなに儲かってるんですか?」
「ええ。今では街の飲食店の多くが、何らかの形でカミシロフーズと関わっていますからね」
ガレスは穏やかに微笑んだ。
「まだまだ成長できると考えていますよ」
悠真は王金貨の並んだ箱を見つめ、それから窓の外へ目を向けた。
賑やかな街並みの向こうには、かつてレオンとララが戦ったコロシアムが見えている。
あそこで手にした五百万マニーから始まった事業が、今ではこれほど大きな利益を生み出している。
そして、その会社を支えてくれている仲間たちがいる。
「ガレスさん、本当にありがとうございます。俺がいない間、ここまで会社を育ててくれて」
「悠真さん、まだまだこれからですよ」
ガレスの言葉に、悠真は思わず笑顔になった。
窓の向こうでは、今日も大勢の人々が行き交い、街のあちこちから料理の香りが漂ってくる。
かつて金の街と呼ばれたグラード・マーケット。
その街は今、悠真の知らないところで、新しい姿へと生まれ変わろうとしていた。
最後までお読みいただきありがとうございます。
久しぶりのグラード・マーケットは、すっかり様変わりしていました。
悠真が仲間たちと始めたカミシロフーズも、本人の想像を超えるほどの成長を遂げています。
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