第147話 知らぬ者、知る者
吹雪が去った翌朝。
悠真たちはスノーフローターの定期便でノルディアへ戻る。
そこで目にしたのは、話に聞いていた巨大な飛行船だった。
翌朝。
昨日までノルディアを襲っていた猛烈な吹雪は収まり、空には久しぶりに穏やかな時間が戻っていた。
町外れに着陸した《ディアボロティクス》では、日の出とともに出発の準備が始まっていた。
「もっと持ってこい! この程度じゃ足りねえぞ!」
船体の右側では、何人もの男たちが凍りついた氷と格闘している。
昨日、スノードラゴンのブレスを受けた場所だった。
ただ表面に雪や氷が付着しているだけではない。船体の一部を包み込むように分厚く凍りついており、道具で叩いても簡単には砕けなかった。
火を使える者も加わっているが、一気に熱を加えて船体まで傷めるわけにはいかない。
「くそっ、なんて氷だ」
「こっちはまだ奥まで凍ってるぞ!」
作業は思うように進んでいなかった。
一方、別の部下たちはすでにノルディアの街へ向かっていた。
目的は魔法石の調達だった。
向かったのは、ノルディアでも規模の大きな素材商だった。
店そのものは石造りだったため倒壊を免れていたが、窓の一部は割れ、外壁にはまだ分厚い氷が張りついている。
店内も無事とは言い難い。
棚から落ちた商品が床に散乱し、店主と従業員たちが朝から片付けに追われていた。
「魔法石を売ってもらいたい」
突然入ってきた男たちを見て、店主の手が止まった。
揃って体格がよく、顔つきも穏やかとは言い難い。
「ま、魔法石ですか?」
「あるだけ欲しい」
「あるだけって……」
店主は困った顔で棚の奥を見る。
「今は無理ですよ。昨日の吹雪で町中がこんな状態です。暖房にも使いますし、壊れた魔道具の代わりにも必要になる。町からもできるだけ確保してくれと言われてまして……」
「こっちも必要なんだ」
「そう言われましても……」
店主も簡単には引かなかった。
金を稼ぐための商品ではある。
だが今は、町の人間が生きていくために必要な物資でもあった。
すると男の一人が袋を取り出し、カウンターへ置いた。
ずしりと重い音が響く。
「これでどうだ?」
中を確認した店主の目が大きくなる。
「こ、こんなに……?」
「足りなければ追加する」
「いや、しかし……」
店主が顔を上げる。
目の前には無言で自分を見つめる男たち。
脅されているわけではない。
剣を抜かれたわけでもない。
それでも断り続けるには、少々勇気が必要だった。
「……分かりました」
結局、店主は最低限の在庫だけを残し、ほとんどの魔法石を売ることになった。
大量の魔法石が運び出されたあと、店主は積まれた金と寂しくなった棚を見比べる。
「こんな時に金だけあってもなぁ……」
小さな呟きだけが、荒れた店内に残った。
同じ頃。
悠真たちは運行を再開したスノーフローターの定期便に乗り、ウィストンを出発していた。
昨日とは違い、風はかなり弱まっている。
それでも窓の外には、吹雪の爪痕が至るところに残っていた。
やがてノルディアが近づいてくる。
そのときだった。
「悠真、あれ!」
リズが窓へ張りつくようにして外を指差した。
「なんだ、あれ……」
悠真も思わず身を乗り出す。
町外れの雪原に、とてつもなく巨大な船が鎮座していた。
船と呼んでいいのか迷うほどの大きさだった。
頑丈そうな船体の一部にはまだ氷が残り、右側には何かに削られたような傷も見える。
「昨日聞いた飛行船って、あれじゃない?」
ララも驚いたように見つめている。
「でかすぎだろ。あんなものが本当に飛ぶのか?」
ラパンまで目を丸くしていた。
そんな中、一人だけ表情を硬くした者がいた。
クランだった。
見間違えるはずがない。
(……ディアボロティクス)
昨日、巨大な飛行船がノルディアへ降りたと聞いたとき、まさかと思った。
だが、本当にここにいる。
(ということは……)
クランの胸に、嫌な緊張が走った。
スノーフローターを降りた悠真たちは、自然と巨大な飛行船へ足を向けていた。
近づくほど、その大きさがよく分かる。
「すげえな……」
悠真は船体を見上げた。
その近くでは数人の男たちが作業をしている。
そして少し離れた場所に、一人の男が立っていた。
ディアボロスだった。
右側の船体を確認するため、出発前に外へ出てきていたのだ。
もちろん悠真は、そんなことを知らない。
「すみません」
声をかけられ、ディアボロスが振り返る。
「なんだお前たちは?」
「この飛行船って、あなたのですか?」
「まあな」
「すごいですね。こんな大きな飛行船、初めて見ました」
悠真が素直に感心すると、ディアボロスはわずかに口元を緩めた。
「珍しいだろうな」
リズも横から船体を見上げる。
「これ、本当に空を飛ぶんですよね?」
「飛行船だからな」
「どうやって飛ぶんだろ……」
興味津々の悠真たちとは対照的に、クランは後方で口を閉ざしていた。
視線を上げることさえためらう。
そのとき悠真が、船体の右側に残った氷へ目を向けた。
「ずいぶん凍ってますね」
「昨日の吹雪にやられたんだ」
「もしかして、スノードラゴンに遭遇しませんでしたか?」
一瞬だけ、ディアボロスの視線が悠真へ向く。
だが、その表情は変わらなかった。
「いや。たまたまこの近くを通ったらこの有様だ」
「そうなんですか……」
「おかげで余計な足止めを食った」
それだけ言って、ディアボロスは悠真の後ろへ何気なく視線を動かした。
レオン。
ララ。
リズ。
そして、その目がクランで止まった。
ほんの一瞬だった。
クランの心臓が大きく跳ねる。
(ディアボロス様……)
声が出そうになるのを必死で抑えた。
幼い頃から自分を育ててくれた人。
絶対の忠誠を誓った相手が、すぐ目の前にいる。
しかし今、自分は悠真たちの仲間としてここにいる。
呼びかけることなどできない。
ディアボロスも何も言わなかった。
初めて会った人間を見るように、その視線はクランを通り過ぎる。
だが、その一瞬でディアボロスは察した。
(なるほど。こいつらか)
「そろそろ出るんでな」
ディアボロスが会話を切り上げた。
「あ、すみません。引き止めちゃって」
「気にするな」
それだけ残し、ディアボロスは船へ戻っていった。
クランは、その背中を見つめることしかできなかった。
船内へ戻ったディアボロスは、窓から外を見下ろした。
「思わぬところで、例の奴らの顔を拝めたな」
口元に薄い笑みが浮かぶ。
クランは自然にあの中へ溶け込んでいた。
少なくとも、疑われている様子はない。
「うまく馴染めているようだな」
潜入は順調。
ならば焦る必要はない。
ディアボロスが欲しいのは、残る石版へ繋がる情報だ。
「さて……次は何を持ってきてくれるか」
やがて《ディアボロティクス》がゆっくりと浮かび始めた。
「おおっ!」
悠真たちは揃って空を見上げる。
巨大な船体が雪を巻き上げながら上昇していく。
「すごい! 本当に飛んだ!」
リズが子供のように声を上げる。
「一度くらい乗ってみたいわね」
ララも空を見上げていた。
悠真も同じだった。
あれほど巨大なものが空を飛んでいる。
ヴァレルターニアへ来てから随分経つが、まだまだ知らないものばかりだ。
そんな仲間たちの横で、クランだけは黙っていた。
遠ざかっていく《ディアボロティクス》を見つめる。
ディアボロスは自分を知っている素振りを一切見せなかった。
自分の立場を守ってくれた。
そのことに安堵する一方で、胸の奥には説明できない重さが残っていた。
飛行船が雲の向こうへ消え、悠真たちはノルディアの中心部へ向かった。
そして、先ほどまでの興奮は一瞬で消えた。
「……これはひどいわね」
リズが呟く。
ウィストン以上だった。
木造の建物は、ほとんど原形を残していない。
屋根が吹き飛び、壁が倒れ、柱だけになった家もある。
石造りの頑丈な建物は形こそ残っていたが、壁や窓を分厚い氷が覆っている。
道路には瓦礫や折れた木材が散乱し、町の人々が必死になって片付けていた。
負傷者を運ぶ姿もある。
そして、白い布をかけられた人の姿も、一人や二人ではなかった。
「ウィストンより酷いな……」
レオンが低い声で呟いた。
悠真は何も答えられなかった。
巨大な飛行船に興奮していた自分が、急に遠く感じられた。
悠真たちはそのまま町長のもとへ向かった。
「俺たちにも何かできることはありませんか?」
悠真が尋ねると、疲れ切った顔の町長は驚いたように八人を見た。
「助けていただけるのなら、何でもありがたい。人手も物資も、何もかも足りていません」
「一番必要なものは?」
「まずは負傷者の救護です。それと瓦礫の撤去を。魔法石も必要なのですが、町の在庫がほとんどなくて……」
「魔法石まで?」
「朝、素材商の在庫が大量に売れたらしく……今、方々から集めているところです」
悠真たちには、それが誰の手に渡ったのか知る由もなかった。
「分かりました。できることをやります」
そこからは全員が動いた。
悠真とレオン、ドゴルドは大きな瓦礫を運び、倒壊した家屋から使える物を取り出した。
リズとクランも片付けや救助を手伝う。
ララとラパンは魔法を使い、重い瓦礫を動かした。
メリーは負傷者の治療に回った。
気がつけば、日は大きく傾いていた。
その夜。
一日の作業を終えた悠真たちは、町が用意してくれた部屋に集まっていた。
全員、疲れていた。
それでも悠真の頭から、昼間に見た光景が離れない。
「ドゴルド」
「どうした?」
「昨日、言ってたよな。ドラゴンがいるとしたら、本来はもっと西の山奥だって」
ドゴルドは少し考えてから頷いた。
「昔からの言い伝えではな」
「やっぱり、おかしいと思うんだ」
悠真は窓の外へ目を向けた。
暗闇の向こうには、広大なアルファ山脈が続いている。
「どうしてあれだけ強いスノードラゴンが、自分のいた場所を離れて、ノルディアの近くまで来たんだろう?」
誰も答えられない。
「何か理由があるはずだと思うんだ」
「西側で何かあったってこと?」
ララの言葉に、悠真は頷いた。
「その可能性を調べたい」
マクベスはもう手に入らない。
今の自分たちでは、スノードラゴンを力ずくで倒すこともできない。
だったら、別の方法を探すしかない。
「もう少しこの町を手伝ったら、西へ行こうと思う」
悠真の言葉に、皆の視線が集まる。
「スノードラゴンを倒しに行くんじゃない」
昼間見た、壊れた町。
泣いていた人々。
白い布をかけられた者たち。
同じことを繰り返させるわけにはいかない。
「どうしてあいつがここまで来たのか。その理由を探しに行く」
悠真の中で、次に進む道は決まっていた。
目指すのは、アルファ山脈の西側。
スノードラゴンが、本来いたはずの場所だった。
悠真とディアボロス、思わぬ形での初対面となりました。
何も知らない悠真たちとは違い、クランにとっては緊張の時間だったと思います。
そして、ウィストン以上の被害を受けたノルディア。
スノードラゴンはなぜ本来の生息地を離れたのか。
悠真たちは、その理由を探るためアルファ山脈の西側へ向かうことを決めます。
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