第144話 聖剣マクベスの力
悠真たちが三十億マニーを用意する、その少し前。
ウィストンの武器屋を訪れた二人の男。
聖剣マクベスを巡り、悠真たちの知らないところで事態は動いていました。
数日前。
ディアボロスは広い執務室の椅子に腰掛け、目の前に立つ二人の男を見上げていた。
二人とも、とにかく大きい。
鍛え上げられた腕は普通の男の太腿ほどもあり、分厚い胸板の上から着ている服が窮屈そうに見える。裏社会でそれなりに修羅場を潜ってきた者でも、道で出会えば思わず進路を譲るだろう。
テーブルの上には、一つの収納鞄が置かれていた。
「お前たちにはアルファ地区へ行ってもらう」
一人が収納鞄へ視線を落とす。
「アルファ地区ですかい?」
「そうだ。北の港町、ウィストンだ」
ディアボロスは椅子の背にもたれた。
「そこに一軒の武器屋がある。聖剣マクベスという剣を売っているらしい」
「聖剣?」
「ゼラモードが作った剣だ」
二人の表情が変わった。
ゼラモード。
その名前の意味を知らないわけではない。
「本物なんですかい?」
「さあな」
ディアボロスは薄く笑った。
「だから確かめる」
そう言って、収納鞄を指で軽く叩く。
「金は入っている。これで買ってこい」
「いくらするんで?」
「三十億マニー」
「……三十億?」
さすがの二人も顔を見合わせた。
「剣一本にですかい?」
「本当にゼラモードが作った聖剣なら、むしろ安い」
ディアボロスの声に迷いはなかった。
「ただし、店主は売りたがらない可能性がある」
「三十億も出すのに?」
「あの値段は、誰にも買えないと思ってつけた値段らしいからな」
ディアボロスは机の引き出しから一枚の紙を取り出した。
「その場合は、これを使え」
男が紙を受け取り、目を通す。
やがて口元を歪めた。
「なるほど」
「昔、裏社会に武器を流していた記録だ。表には出ていない」
「どこでこんなもんを?」
「知らない方が長生きできるぞ」
「へい」
男はすぐに紙を畳んだ。
「それでも渋るようなら、五億上乗せしていい」
「三十五億……」
「間違っても奪ってくるなよ」
ディアボロスが念を押す。
「金はちゃんと払え。俺は強盗を頼んでるわけじゃねえからな」
二人が笑う。
「分かってますぜ」
「じゃあ行ってこい」
二人は収納鞄を持ち上げ、部屋を出ていった。
扉が閉まる。
ディアボロスは椅子へ深く腰掛けた。
「ゼラモードの聖剣か……」
その目に、わずかな興味が浮かんでいた。
翌日。
ウィストンの武器屋。
扉が開いた瞬間、店主は思わず手を止めた。
ギィィ……。
古い扉の向こうから、二人の巨漢が入ってくる。
一人でも店内が狭く感じるほどなのに、それが二人。
店主自身も武器を扱う仕事柄、それなりに鍛えている。
だが、目の前の二人とは比べものにならない。
「……なんだ、お前ら」
店主が警戒しながら声をかける。
「聖剣マクベスはあるか」
一人が店の奥を見た。
「あれを買いに来た」
店主の表情が変わる。
「悪いが、あれは売れん」
「三十億だろ?」
「……」
「持ってきたぜ」
ドサッ。
収納鞄が作業台へ置かれた。
店主が目を細める。
「三十億でも売れん」
「値段がついてるじゃねえか」
「あれは昔つけたもんだ。今は売る気はない」
店主はマクベスを見る。
代々受け継いできた家宝。
金に換えるつもりなどなかった。
「帰ってくれ」
「そうかい」
意外にも、男はあっさり引いた。
ただし帰ろうとはしない。
懐から一枚の紙を取り出し、作業台へ置いた。
「じゃあ、別の話をするか」
「なんだ?」
「昔、あんたが裏で流した武器の話だ」
店主の顔から血の気が引いた。
「……どこで、それを」
「さあな」
男がニヤリと笑う。
「これ、この街に流してもいいんだぜ?」
「……」
店主は黙り込んだ。
「別に俺たちも、あんたを困らせたいわけじゃねえ」
もう一人が収納鞄を軽く叩く。
「三十億じゃ嫌なんだろ?」
「……何が言いたい」
「五億、色をつける」
店主が顔を上げる。
「三十五億だ」
「……!」
「三十五億払う。昔のことも俺たちは忘れる」
男は店の奥に飾られたマクベスを見る。
「悪い話じゃねえと思うがな」
店内が静まり返る。
店主は長い間、マクベスを見つめていた。
父から受け継いだ。
その父も、さらに前の代から受け継いだ。
いくら金を積まれても手放すつもりなどなかった。
だが、自分自身が三十億という値段をつけた。
そして今、目の前にはそれを上回る三十五億がある。
「……分かった」
絞り出すような声だった。
「持っていけ」
男たちが笑う。
「商談成立だな」
その日の夜。
ディアボロスのもとへ、聖剣マクベスが届けられた。
「これですぜ」
巨漢の男が鞘に収まった剣を差し出す。
ディアボロスはすぐには受け取らなかった。
「どうだった?」
「三十五億で話をつけました」
「そうか」
「ただ……」
男の表情が少し曇る。
「なんだ?」
「こいつ、変なんですぜ」
「変?」
「へい」
男はマクベスの柄を握った。
「持つだけなら、どうってことねえんですが」
鞘から剣を抜く。
そして構えようとした。
「ぐっ……!」
太い腕に力が入る。
筋肉が盛り上がる。
だが、剣は動かない。
「ぬぐっ……!」
額に血管まで浮かぶ。
それでも、マクベスはまるで空間そのものに固定されたかのように動かなかった。
男は諦め、息を吐いた。
「こんな感じですぜ」
「……」
「ディアボロス様。この剣、まともに振ることもできませんぜ」
「なるほど」
ディアボロスの表情には驚きよりも、納得が浮かんでいた。
「簡単には使えないってことだな」
男からマクベスを受け取る。
手にした感覚は普通の剣と大きく変わらない。
だが、ディアボロスには分かった。
ただの剣ではない。
「ゼラモードが作ったんだったな……」
かつて神だったディアボロスだからこそ、その意味が分かる。
ゼラモードがわざわざ作った聖剣。
誰にでも使えるような代物であるはずがない。
「使い手を選ぶってところか」
「使い手を?」
「たぶんな」
ディアボロスはマクベスを鞘へ戻した。
「どんな条件かまでは知らねえが」
「ディアボロス様なら?」
「さあな」
口元に笑みが浮かぶ。
「試してみりゃ分かる」
そして、その夜。
ディアボロスの手元にある魔道具が淡く光った。
クランからの定期連絡だった。
『ディアボロス様』
「どうした?」
『悠真たちは海底ダンジョンで手に入れた宝を売却しました』
「ほう」
『三十億マニーを確保しました』
ディアボロスの口元がわずかに上がる。
『明日、ウィストンへ向かい、聖剣マクベスを買う予定です』
「そうか」
『はい』
「だったら、もう遅いな」
少しの沈黙。
『……え?』
「マクベスなら、もう手に入れた」
今度は明らかに長い沈黙があった。
『……もう?』
「そうだ」
ディアボロスは壁に立てかけてあるマクベスを見る。
「お前が教えてくれた情報が役に立った」
『……』
「どうした?」
『いえ……何でもありません』
「引き続き頼むぞ」
『はい』
通信が切れる。
クランは一人、手元の魔道具を見つめていた。
少し前まで、同じ食卓で悠真たちと食事をしていた。
三十億マニーを用意できた。
明日には聖剣マクベスが手に入る。
みんな、そう信じて笑っていた。
「……」
クランは何も言わなかった。
ただ、いつもより少しだけ長く、その場に立っていた。
翌朝。
空を巨大な影が横切った。
ゴォォォォォ……。
低い唸りを響かせながら雲の間を進んでいるのは、巨大な黒い飛行船だった。
魔導飛空艇。
大型の灰色魔法石を中核とし、複数種類の魔法石によって浮遊、推進、姿勢制御を行う特注の飛空艇。
製造にも維持にも莫大な金がかかる。
個人が所有する乗り物としては、明らかに常識から外れていた。
その船内には、およそ二十人。
そして船首近くに立つディアボロスの腰には、聖剣マクベスがあった。
「まもなくアルファ地区へ入ります」
操縦士の声が響く。
窓の向こうに、白い山々が広がっていた。
さらに進む。
やがて雪が激しくなってきた。
ゴオオオオオッ!
猛烈な風が船体へ叩きつけられる。
グラッ。
巨大な船体が揺れた。
「うおっ!」
船内の何人かが壁へ手をつく。
「高度を維持!」
「やってます!」
操縦席の周囲に埋め込まれた魔法石が強く輝く。
それでも船体は安定しない。
ディアボロスは窓の外を見た。
「この辺りか」
「報告された場所には近いはずです」
隣に立つカインが答える。
反対側にはダイマ。
二人ともディアボロスの側近だ。
さらに進もうとした瞬間。
ゴガンッ!
船体が大きく傾いた。
「これ以上は危険です!」
操縦士が叫ぶ。
「魔法石の消耗も急激に上がっています!」
「分かった」
ディアボロスはあっさり答えた。
「ここで降りるぞ」
「ここでですか?」
「そうだ」
無理に船ごと近づく必要はない。
「カイン、ダイマ。ついて来い」
「はい」
「承知しました」
三人は装備を整え、地上へ降りた。
雪山は、空から見ていた以上に過酷だった。
ゴオオオオオッ!
横殴りの雪が視界を奪う。
一歩進むたび、足が深く沈む。
「こりゃ……想像以上だな」
ダイマが腕で顔を覆う。
「まだドラゴンの姿すら見えていません」
カインが周囲を警戒する。
ディアボロスは黙ったまま進んだ。
腰にはマクベス。
今日の目的はスノードラゴンの討伐ではない。
この聖剣が本物なのか。
どれほどの力を持っているのか。
それを確かめるために来た。
しばらく進んだ時だった。
「ディアボロス様」
カインが足を止める。
「あれを」
雪の中。
巨大なくぼみがあった。
ディアボロスが近づく。
「足跡か」
一つだけではない。
巨大な足跡が、吹雪の向こうへ続いている。
三人はそれを追った。
やがて。
ゴォォォォ……。
風とは違う音が聞こえた。
三人が同時に足を止める。
「……なんだ?」
ダイマが目を凝らす。
吹雪の向こう。
白い山肌だと思っていたものが、動いた。
ズズズ……。
「……!」
巨大な翼。
雪に覆われた白銀の鱗。
太い四肢。
そして、人間など一口で飲み込めそうな巨大な頭。
スノードラゴン。
三人とも言葉を失った。
遠い。
かなり距離がある。
それなのに、圧迫感がここまで伝わってくる。
「……あれが」
ダイマの声が低くなる。
「スノードラゴン……」
カインも表情を硬くしている。
ディアボロスだけが、しばらく黙ってその姿を見つめていた。
「本物のドラゴンは初めて見たが……」
口元から、いつもの余裕が少しだけ消える。
「ちょっとレベルが違うな」
近づけば分かる。
いや、近づかなくても分かる。
今まで相手にしてきた魔物とは根本的に違う。
「ディアボロス様」
カインが低い声で言う。
「これ以上の接近は危険かと」
「ああ」
ディアボロスも否定しなかった。
「俺もそう思うよ」
ダイマが驚いたように見る。
ディアボロスが素直に危険を認めるのは珍しい。
「今日はあいつを倒しに来たわけじゃねえ」
ディアボロスは腰へ手を伸ばした。
「こいつを試せれば、それでいい」
聖剣マクベス。
ゆっくりと鞘から引き抜く。
シャキン……。
白銀の刀身が、吹雪の中に姿を現した。
ディアボロスは柄を握る。
「……」
重くない。
先ほど手にした時と同じだ。
巨漢の男がまともに動かすことすらできなかった剣。
だが、自分の手の中では違う。
「どうやら」
ディアボロスの口元が上がる。
「俺は使ってもいいらしい」
「振るおつもりですか?」
「もちろん」
カインがスノードラゴンを見る。
「しかし、この距離では……」
「まあ見てろ」
ディアボロスは両手でマクベスを構えた。
遠くにはスノードラゴン。
近づく必要はない。
まずは振ってみる。
それだけだった。
「三十五億だったか」
ディアボロスが小さく笑う。
「その価値、見せてもらおうか」
足を踏み込む。
雪が沈む。
そして。
「ふっ!」
マクベスを一気に振り抜いた。
次の瞬間。
ズバァァァァァンッ!!
「なっ!?」
ディアボロス自身が目を見開いた。
剣から放たれた巨大な斬撃が、吹雪を真っ二つに切り裂いた。
ドドドドドドッ!
雪原が一直線に抉られていく。
積もっていた雪が左右へ爆発するように吹き飛び、白い壁となって舞い上がる。
「なんだ、これは……!」
ダイマが叫ぶ。
斬撃は止まらない。
数十メートル。
さらにその先へ。
猛烈な吹雪さえ切り裂きながら、一直線にスノードラゴンへ向かっていく。
そして。
ドガァァァァァン!!
命中した。
スノードラゴンの巨体が雪煙に包まれる。
「……当たったのか?」
カインが呟く。
ディアボロスもマクベスを構えたまま動かない。
ここまでの威力は想像していなかった。
「……なるほど」
ゆっくりと手元の聖剣を見る。
「こいつは、とんでもねえな」
その時だった。
ズズ……。
雪煙の向こうで何かが動いた。
三人の視線が上がる。
巨大な影。
スノードラゴンの頭が、ゆっくりと持ち上がる。
「……」
ディアボロスの笑みが消えた。
白銀の巨竜が首を動かす。
そして。
その巨大な瞳が、まっすぐこちらを向いた。
「ディアボロス様……」
カインの声が低くなる。
スノードラゴンの瞳は、もう別の場所を見ていない。
明確に。
こちらを。
ディアボロスを捉えていた。
「……まずいな」
ディアボロスがマクベスを握り直す。
次の瞬間。
「グオオオオオオオオオオオッ!!」
山全体を震わせるような咆哮が響き渡った。
聖剣マクベスを手に入れたディアボロス。
本物のドラゴンを前に、試しに振った一撃は想像を超える威力を見せました。
しかし、その一撃によってスノードラゴンは完全にディアボロスを敵として認識。
果たして、ここからどうなるのか。
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