第106話 役目を終える時
いつもお読みいただきありがとうございます!
今回は、物語の始まりを支えてきた「屋根裏の穴」が大きな節目を迎えます。
派手な戦闘はありませんが、これからの物語にとって大切な転換点となる一話です。
ぜひ最後までお楽しみください。
久しぶりに家族が揃った翌朝。
リビングには、いつもより少しだけ不思議な空気が流れていた。
母が朝食の片付けをしている。
父の悠生は、久しぶりの実家だというのに妙に落ち着いた顔でお茶を飲んでいる。
光はソファに腰を下ろし、当たり前のようにくつろいでいた。
レオン、リズ、ララは、まだ少し遠慮がちに座っている。
そして悠真は、ずっと言わなければならないことを考えていた。
母には異世界のことを話した。
レオンたちのことも紹介した。
祖父である光がゼラモードだったことも、完全にではないにしろ理解してもらった。
だが、まだ一つだけ話していないことがある。
ユウイチのことだ。
これから悠真は、しばらくヴァレルターニアで過ごすことになる。
工場のこと。
石版のこと。
神々の国のこと。
やるべきことは山ほどある。
その間、地球の生活を曖昧にしたままにはできない。
「母さん」
悠真が声をかけると、母は振り返った。
「なに?」
「もう一つ、話しておきたいことがあるんだけど」
その声が少し硬かったせいか、母は手を止めた。
悠生も湯呑みを置く。
レオンたちも静かに悠真を見る。
悠真は一度息を吸い、それから隣に立っていたユウイチへ目を向けた。
そこには、自分とまったく同じ顔をした少年がいる。
母は二人を見比べて、少し首を傾げた。
「……悠真?」
「こっちが俺」
悠真は自分の胸に手を当てる。
「そして、こっちがユウイチ」
ユウイチは少し緊張した様子で頭を下げた。
「今まで黙っていて、すみません」
母はすぐには言葉を返せなかった。
無理もない。
昨日まで息子だと思っていた存在が、実は別の存在だったと言われたのだ。
「どういうこと……?」
母の声は、怒っているというより、戸惑っていた。
悠真はゆっくり説明した。
「俺がヴァレルターニアに行っている間、地球での生活を守るために、ユウイチが俺の代わりをしてくれていたんだ」
「代わりって……」
「うん。学校のこととか、家のこととか、地球側で必要なことをしてくれていた」
母はユウイチを見つめる。
同じ顔。
同じ声。
だが、よく見れば少し雰囲気が違う。
母は何かを思い出すように目を伏せた。
「そう……だから時々、少し違う感じがしたのね」
ユウイチは申し訳なさそうに視線を落とした。
「騙すつもりはありませんでした」
「でも、悠真さんが向こうで動くためには、僕が地球にいる必要がありました」
母はしばらく黙っていた。
リビングに静けさが落ちる。
ララは心配そうに二人を見ていた。
リズも口を挟まず、ただ静かに見守っている。
レオンは腕を組み、母の反応を待っていた。
やがて母は、小さく息を吐いた。
「本当に驚いたわ」
その声に、悠真の肩が少し強張る。
だが母は続けた。
「でも、昨日から驚くことばかりだから、もう少し慣れてきたかもしれないわね」
「母さん……」
母はユウイチへ向き直った。
「今まで、悠真の代わりをしてくれていたのね」
「はい」
「ありがとうね」
その一言に、ユウイチは目を見開いた。
「怒らないんですか?」
「驚いてはいるわよ」
母は苦笑する。
「でも、あなたがいなかったら、悠真はもっと困っていたんでしょう?」
ユウイチは少しだけ口を結び、それから頷いた。
「はい」
「なら、責める理由はないわ」
母の言葉に、悠真は胸の奥が少し軽くなるのを感じた。
それでも、まだ話すべきことは残っている。
「母さん、これから俺はしばらくヴァレルターニアで過ごすことになると思う」
「向こうの工場のこともあるし、石版のこともある」
「だから、地球での生活はユウイチにお願いすることになる」
母はユウイチを見た。
「学校も?」
ユウイチは頷いた。
「夏休みが終わったら、僕が行きます」
「でも、悠真さんと完全に別々になるわけじゃありません」
悠真はポケットから共有カードを取り出した。
「これで、俺たちは地球での出来事を共有できるんだ」
「学校で何があったか、誰と会ったか、勉強のことも分かる」
「だから俺が戻った時に、何も知らない状態にはならない」
母は共有カードを見つめる。
「本当にそんなことができるの?」
光が横から頷いた。
「できる。共有カードは記憶や経験を伝えるためのものじゃ」
悠生も静かに言った。
「俺も仕組みは詳しく分からないが、親父が作ったものなら機能はする」
「説明が雑じゃな」
光が少し不満そうに言うと、悠生は苦笑した。
「親父の作るものは、だいたい説明より結果の方が早い」
「まあ、それはそうじゃ」
母は少しだけ笑った。
その笑顔を見て、ララがほっとしたように息を吐く。
「よかったです……」
リズも小さく頷いた。
「きちんと話せてよかったですね」
悠真はさらに、双界カードのことも説明した。
「それと、ユウイチにも双界カードを渡しておくよ」
「これがあれば、俺が向こうにいても連絡できる」
「必要なら、ちゃんと承認してから行き来もできる」
ユウイチは光から双界カードを受け取った。
二枚一組の新しいスキルカード。
昨日、静岡から東京へ戻る時に使ったばかりのものだ。
「これがあれば、悠真が実家に戻ることもできます」
ユウイチが母へ向けて言う。
「勝手に突然現れるものではありません」
「お互いに確認して、承認してから転移します」
母はカードを見て、少しだけ安心したようだった。
「それなら……まだ理解できるわ」
完全に理解したわけではない。
それでも受け入れようとしてくれている。
悠真には、それが分かった。
「母さん、ごめん」
「黙ってたことも、これからまた家を空けることも」
母は首を横に振った。
「もう謝らなくていいわ」
「でも、約束して」
「決して無茶はしないこと」
「困ったら、ちゃんと連絡すること」
「それから……」
母はユウイチも見た。
「あなたも、一人で抱え込まないこと」
ユウイチは一瞬固まったあと、深く頭を下げた。
「はい」
その返事には、さっきまでより少しだけ力があった。
母は二人を見比べる。
「同じ顔が二人いるのは、まだ慣れないけどね」
その言葉に、リビングの空気が少しだけ和らいだ。
ララが小さく笑う。
「私も最初はびっくりしました」
「今でもたまに間違えそうになります」
「ララ、それは困る」
悠真が苦笑すると、ララは慌てて手を振った。
「だ、大丈夫です! 今は分かりますから!」
レオンが静かに言う。
「性格は違いますからね」
「そうなの?」
母が尋ねると、レオンは頷いた。
「悠真は考える前に動くことがあります」
「ユウイチは比較的落ち着いています」
「ちょっと待て」
悠真が反論しかけると、リズが微笑んだ。
「でも、どちらも優しいところは似ています」
その言葉に、悠真もユウイチも少し照れた。
話が一段落したところで、悠真はふと思い出した。
「そういえば、おじいちゃん」
「なんじゃ?」
「地球とヴァレルターニアって、どうして時間の流れが違うの?」
その問いに、光の表情がわずかに変わった。
母も、悠生も、レオンたちも静かになる。
「それは、わしも今朝見ておこうと思っておった」
「見る?」
「屋根裏じゃ」
光が立ち上がる。
悠真たちもそれに続いた。
二階へ上がり、天井裏への入口を開ける。
そこから漂う木材と埃の匂いに、悠真は懐かしさを覚えた。
この場所から、すべてが始まった。
初めて穴を見つけた日。
何も分からないまま飛び込んだ日。
怖かった。
けれど、その先で新しい世界と出会った。
レオン、リズ、ララも屋根裏へ上がってくる。
ララは穴を見つめ、少し寂しそうに呟いた。
「ここから、悠真さんは来たんですよね」
「うん」
リズも静かに言う。
「不思議ですね。こんな小さな場所が、二つの世界を繋いでいたなんて」
レオンも穴を見つめていた。
「私たちにとっても、大切な場所です」
光は穴の前に立つ。
しばらく黙ったまま、その奥を見つめていた。
やがて、低く呟く。
「……やはり、だいぶ歪んでおるの」
「歪んでる?」
悠真が聞き返す。
「時空の軸じゃ」
光は穴から目を離さずに言った。
「本来、この穴に時間差などなかった」
「なかったの?」
「そうじゃ」
光は静かに頷く。
「地球とヴァレルターニアは、最初は同じ流れで繋がっておった」
「じゃが、長い間ほとんど使わずに放置したことで、この穴の軸が歪んだ」
「その影響で、二つの世界の時間がずれたんじゃ」
悠真は息を呑む。
「じゃあ、俺が最初に行った時には……」
「すでに歪みは起きておった」
光は淡々と答えた。
「お主が原因ではない」
「この穴が長い年月で変質してしまっただけじゃ」
ユウイチが小さく呟いた。
「だから、買い出しがあんなに多かったんですね」
悠真もはっとする。
ヴァレルターニアでは時間が早く流れる。
だから材料の消費も早かった。
ユウイチは地球で一日に何度も買い出しをして、向こうへ送ってくれていた。
光はユウイチを見る。
「穴を閉じれば、時間の流れは本来に近づく」
「そうなれば、材料を送る頻度も大きく減るじゃろう」
「今まで一日に何度も必要だったものが、月に一度ほどで済むようになるはずじゃ」
ユウイチは少し安心したように息を吐いた。
「それなら、学校が始まっても続けられます」
「地球側の材料調達は、ゼラモード食品にも頼れる」
光が言う。
「お主一人に背負わせるつもりはない」
ユウイチは静かに頷いた。
「ありがとうございます」
悠真はユウイチを見る。
「今まで本当に助かった」
「これからも頼む」
ユウイチは少し笑った。
「まあそれならいいかな」
その言葉に、悠真も頷いた。
光は改めて穴を見つめる。
「この穴を使うのは、今回で最後じゃ」
屋根裏に静かな空気が流れた。
役目を終える時が近づいている。
悠真は穴を見つめながら、小さく息を吸った。
ゼラモードは穴の前に立ち、ゆっくりと振り返った。
「では、行くぞ。」
悠真は最後にもう一度だけ屋根裏を見渡した。
見慣れた木の梁。
差し込む朝の光。
子どもの頃は物置くらいにしか思っていなかった場所が、自分の人生を大きく変える入口になるとは想像もしなかった。
「ありがとう。」
小さく呟くと、悠真は穴へ足を踏み入れた。
続いてレオン、リズ、ララ。
最後にゼラモードが穴へ入る。
身体が白い光に包まれ、何度も経験した浮遊感が全身を包み込んだ。
やがて光が消える。
目を開けると、そこは誰も住まなくなって久しい廃墟だった。
崩れかけた石壁。
割れた窓。
床には長年積もった埃が薄く広がり、風が吹くたびに静かに舞い上がる。
悠真は辺りを見回し、小さく息を吐いた。
「帰ってきたな……」
ここはヴァレルターニア。
何度も地球と行き来した、屋根裏の穴の出口がある廃墟だった。
全員が無事に到着したことを確認すると、ゼラモードは穴へ向き直る。
「さて。」
右手を静かにかざす。
すると穴の周囲に淡い金色の光が幾重にも広がり、揺らいでいた空間がゆっくりと安定し始めた。
空気が震え、耳には聞こえないほど小さな音が辺りを包む。
「長い間、ご苦労じゃった。」
ゼラモードが優しく語りかける。
まるで長年役目を果たした友人を労うような口調だった。
光は次第に小さくなり、揺れていた穴はゆっくりと閉じていく。
最後に小さな光が一度だけ瞬き、静かに消えた。
そこには、もう何も残っていない。
ただ古びた石壁があるだけだった。
悠真はしばらくその場所を見つめていた。
「終わったんだな……」
ゼラモードは静かに頷く。
「これで地球とヴァレルターニアは、本来の時間の流れへ戻る。」
「長年放置したことで生まれた歪みも、これで解消されるじゃろう。」
レオンが口を開く。
「では、今までの時間差も……。」
「うむ。」
ゼラモードは頷いた。
「穴の影響で生まれたものじゃ。」
「これからは両方の世界が、本来あるべき速さで時を刻む。」
悠真は、その言葉を聞いてふとユウイチのことを思い浮かべた。
「これなら、ユウイチも少しは楽になるな。」
ゼラモードは穏やかに笑う。
「今までのように、一日に何度も材料を送る必要はない。」
「これからは月に一度ほど補給すれば十分じゃろう。」
「地球側の材料調達も、ゼラモード食品で対応できる。」
「ユウイチは学校へ通いながら、必要な時だけ手伝えばよい。」
悠真は安心したように息をついた。
「これでようやく普通の高校生活も送れるな。」
「それでも、地球側はあいつに任せることになる。」
「帰ったらちゃんと礼を言わないとな。」
ゼラモードは微笑みながら頷いた。
「よい仲間を持ったの。」
ララは閉じられた壁を見つめながら、小さく呟く。
「もう、この穴は開かないんですね。」
「ああ。」
ゼラモードは静かに頷いた。
「これからは双界カードが二つの世界を繋ぐ。」
「時代が変わるということじゃ。」
悠真は閉じられた壁へ一度だけ頭を下げた。
この場所から始まった旅。
笑った日も、苦しかった日も、この穴が二つの世界を繋いでくれた。
「ありがとう。」
小さく呟き、悠真は前を向く。
するとレオンが一歩前へ出た。
「それでは、兄のガイオが待つ屋敷へ向かいましょうか。」
「ここからなら転移カードですぐです。」
悠真は頷く。
「そうだな。」
「まずはガイオさんのところへ行こう。」
レオンは転移カードを取り出し、静かに魔法陣を展開した。
「では、行きましょう。」
悠真たちは新たな拠点へ向けて、一歩を踏み出した。
第106話をお読みいただき、ありがとうございました!
ついに長い間、地球とヴァレルターニアを繋いできた屋根裏の穴が役目を終えました。
ここからは双界カードによる新たな時代が始まります。
次回は新たな拠点へ向かい、物語は再び大きく動き出します。
少しずつ世界が広がっていく『異世界は金で強くなる』を、これからもよろしくお願いいたします!




