五歳の編入生(バグ・エンター)
馬車の揺れに身を任せながら、ナナシは窓の外を流れる王都の景色を眺めていた。
隣には、騎士正装に身を包んだエルーシアが、心ここにあらずといった表情で座っている。
「……ナナシ。本当に、あそこへ行くつもりか?」
「あぁ。敵のメモにあった『フェーズ2』ってのが気になるしな。待ち伏せされるより、こっちから乗り込んで『固定』される前にぶっ壊す方が早い」
ナナシは手元で小さな魔力の塊を転がしながら、淡々と答える。
その魔力操作は、もはや宮廷魔道師ですら青ざめるほどの精密さだ。
王立魔導学院。
そこは、この国の特権階級や天才児が集う、魔法のエリート養成所。
本来なら15歳から入学する場所だが、伯爵の強力な推薦(と、昨日の圧倒的なデモンストレーション)により、特例中の特例として5歳のナナシが「編入」することになったのだ。
「……君の安全を考えれば、館にいた方がマシだと思っていたが。あの白仮面を見て、考えが変わったよ」
伯爵が、馬車の向かい合わせの席から苦笑混じりに言う。
「君を閉じ込めておける器など、この国にはどこにもない。ならば、いっそ台風の目になってもらう方が、周囲も納得するだろう」
学院の巨大な門をくぐると、そこには豪華な校舎と、魔法の練習に励む生徒たちの姿があった。
だが、馬車から降りたナナシに向けられる視線は、冷ややかなものばかりだ。
「おい、見ろよ。あんなガキが編入生だって?」
「伯爵家のコネだろう。最近の貴族は、魔法の才能も金で買うのかね」
周囲のひそひそ話。
15歳前後の血気盛んなエリートたちからすれば、5歳の幼児が同じ学び舎にいること自体が、自分たちの努力を馬鹿にされているように感じるのだろう。
「……ふん。さっそく『モブ』どもの洗礼か。懐かしいな、この感じ」
ナナシが口角を吊り上げた、その時。
「――静かに。特異点の反応が、こんなに近くで……」
生徒たちの輪を割って、一人の少女が歩み寄ってきた。
銀髪をポニーテールにまとめ、冷徹な青い瞳をした少女。その胸元には、学院の生徒会長を示す金色のバッジ。
そして、彼女の背後には、あのクロムの仮面を思い起こさせる「どす黒い気配」が薄っすらと漂っていた。
「……お前が、アイリスか?」
ナナシが問いかけると、少女――アイリスは、表情一つ変えずに答えた。
「執行官アイリス。……君の存在を再定義しに来た。この学園という『箱庭』の中で、君がどれほど壊れているか、見せてもらうわ」
アイリスが指先を鳴らした瞬間、周囲の空間がぐにゃりと歪む。
一般生徒たちの姿が消え、学院の庭園が、一瞬にして逃げ場のない「決闘場」へと変貌した。
「……挨拶代わりの空間固定か。お前ら、本当にこれ好きだよな」
ナナシは溜息をつき、一歩前に出る。
背後のエルーシアが剣を抜こうとするが、ナナシはそれを手で制した。
「下がってなよ、エルーシア。……こいつは、俺の『二周目』にとって、最初の大きな壁だ」
五歳の幼児と、組織の執行官。
学院の門をくぐってわずか数分。平和な学生生活など最初から存在しなかった。




