文句なんて言わせない
夜明け前のまだ薄暗い時間、二人の少女が武器を振るっていた。
長く美しい黒髪を高いところで一つに結い上げた美少女は剣を。
赤銅色の少しウェーブのかかった髪を二つに結った愛らしい少女は槍を。
剣と槍がぶつかる音と、二人が踏む足音だけが響く早朝。
黒髪の少女が、間合いを詰めて、剣を槍の端の方めがけて思いっきり下から上に振り切る。
先端をはじかれ、思いのほか強い力が加わった槍を、赤銅色の少女は受け止めきれず、そのまま槍が手から離れ、少女は槍とは反対側に倒れた。
「いたっ」
倒れ方がうまくいかず、左足をひねってしまったようだ。
「大丈夫?」
持っていた剣を放り出して、シェリアはマリエに手を差し出す。
「ちょっとひねったけど、歩けそうだし、すぐ治るわ」
シェリアの手を借りながら、マリエは立ち上がる。
「早朝訓練に付き合うって言いだしたときは、どうしたのかと思ったけど……」
深い緑色の目がすっと細くなる。
おそらく彼女が考えているのは、赤みがかった茶色の髪をした少年のこと。
「やっぱりマリエなら大丈夫よ。これであいつが文句言ってきたら、私がこの模造剣で勝負を挑んであげる」
挑戦的に笑うシェリアが頼もしくて、思わず笑ってしまう。
いつもは、シェリアの早朝訓練の時間は寝ているマリエだが、ここ何日か、一緒に訓練をさせてもらっていた。
理由はただ一つ。
今日の午後にある、模擬隊実践である。
シュトレリッツ王国、通称トレリ王国の軍は、基本的に無数の小隊を束ねて大きな一つの科とする。
そのため、一小隊だけで動くことも多く、それを実践的に学ぼうと言うことで、その一小隊に見立てて形成されているのが四人班なのである。
実際には、十人から十二人構成が多いのだが、それを学生がやるとまとまらないため、班を四人にする。
班の組み方は、一年生の時は無作為だったらしいが、今年はおそらく何か別の分け方があったのだろう。
いくらなんでも無作為にしては、この班は強すぎる。
そして、今年初めての模擬隊実践は、そのまま今年初めての四人班の共同作業を意味するのだ。
「絶対、文句言わせないから。シェリアに叩きのめしてもらうまでもないわ」
「あら、頼もしいわね」
シェリアが楽しそうに笑って、落とした剣と槍を拾う。
槍の方を受け取って、マリエは足元を見る。
立ち上がった時に左足に痛みを感じた気はするが、
戦術一位のアベルに文句を言わせないために、がんばってきたのだ。
すでに喧嘩したあの日から二週間経っていたが、あの日以来、マリエはアベルと一度も口をきいていない。
朝食の時間は、あの日以降、シェリアの提案により、いつもより遅い時間にずらした。
おかげで無駄に男子に囲まれる機会が増えてしまったものの、シェリアが適当にあしらい、かつ、とても可愛らしくお願いすることで、混んでいる食堂でも、席には困ることがなかった。
つまり、それだけ人に囲まれていれば、二人と顔を合わせることも少ない。
授業は班が同じため、必修は全て同じで、選択教科もかなりかぶってはいるが、絶対に近くの席にならないように気を付けた。
そうこうしているうちに、嫌がらせも減り、マリエにとっては万々歳だったのだ。
三日前に、模擬隊実践の通告を受けるまでは。
「でも……嫌だなあ……」
前回言われたことが、案外堪えていて、しかしそれが事実であることがもっとマリエの心を重くしている。
正直に言って、アベルの目の前に立つのが、嫌でしょうがなかった。
しかし、同時に、あの少年に負けるのは悔しいという気持ちもあった。
「できるだけ私が話すから、大丈夫よ」
心配そうな深い緑の瞳がこちらを見ていて、マリエは笑顔を作って見せた。
「……ありがとう」
黒髪の整った顔立ちの少年は、一人で颯爽と、訓練棟への道を歩いていた。
「レン君! 今日の模擬隊実践、がんばってね」
「応援してるよ!」
「がんばってください!」
一人でいるためか、女子生徒に声をかけられるが、それを適当に笑って受け流し、目的地へと急ぐ。
その場には、すでに赤みが掛かった茶色の髪の少年が立っていた。
「アベル」
「ああ、レンか。おはよう」
しゃべりに合わず幼い可愛らしい顔立ちの少年は、レンに笑顔を向ける。
その笑顔に思わずため息をついてしまった。
「? どうかしたか?」
「……そうやって笑ってれば、誰かさんにあんなに嫌われることはなかったと思うけど」
「う……」
同意見だったようで、アベルは顔をしかめてうめき声をあげる。
二週間前、赤銅色の髪の可愛らしい少女を傷つけたあと、わざわざシネラリアの女神を怒らせてまで引き留めたレンの奮闘もむなしく、アベルは謝罪一つできなかったというのだから、呆れた。
しかしながら、アベルは人に謝罪できないような人間ではない。
レンには悪いと思えばすぐに謝るし、また、他の人間には、自分が謝るような落ち度を見せることはない。
オブスキィト公爵家の人間として、ふさわしいふるまいを、アベルはできるのだ。
それなのに、なぜかマリエにはうまくいかないらしい。
「今日は謝って、すっきりした状態で模擬隊実践に臨んだ方がいいと思うけどね、俺は」
「そもそもあいつ、来るかな……」
そして、朝食の時間を、わざわざ混んでいる時間に持っていくという捨て身の作戦で、アベルとレンから距離をとったあの二人の、とくにマリエの行動に、どうやら相当ショックを受けていたようだ。
「これを蹴るほどアベルのこと嫌いなんてことはないだろ」
模擬隊実践は一日の授業をすべて返上して行われる。
かなり大きな祭りのようなもので、基本的には月一で行われる。
四人班での共同作業という意味では、ほかの実戦系の授業もあるのだが、この模擬隊実践は、その中でもかなり大きなもので、評価点も高い。
これをさぼるのは、卒業に関わってくる。
「あ」
アベルが小さくつぶやき、視線を下にそらす。
その動きで、だいたいの事態を察して、後ろを振り返った。
「久しぶりだね、シェリア、マリエ」
笑顔で二人の少女に言えば、黒髪の少女はにらんできたが、マリエは笑顔で久しぶりと返してくれた。
しかしながら、マリエはアベルの方は決して見ない。
要するに、マリエはやはりアベルが嫌らしい。
アベルはアベルで、下げた視線をもとに戻せないようだ。
これは謝れそうにない。
「今日の模擬隊実践は、近衛隊設定らしいわ」
シェリアはそんなアベルを存在ごと無視しながら、レンに向かって話しかける。
「近衛隊? 誰か護衛対象でも設定するってことか?」
シェリアの言葉に好奇心が勝ったらしく、アベルは顔を上げてシェリアの方を見た。
シェリアは、お得意の冷たい笑みを浮かべることさえせずに、あからさまに嫌そうな顔をして、非常に不本意そうにうなずいた。
その様子がおかしくて、思わず笑ったら、シェリアに睨まれた。
「ちなみに、護衛対象は学校が決めてるの。この班では私」
「げ、一番……いや、なんでもない」
アベルが言いかけたことを途中でやめる。
おそらくまた地雷を踏みそうだったのだろう。レンも、シェリアが護衛対象となって、戦力から外れるのは正直痛いと感じた。
マリエよりシェリアの方が強いのは明らかだからだ。
「それが釣り合いなんでしょうね。順位が半分より下の人たちの班は、すべて同等の力が持てるように組まれているらしいけど、半分より上は、二組ずつ同等のちからを持つように、八人ずつで調整して組んでるらしいわ。これで私が護衛対象だったら、この班が負ける理由がないじゃない。武術総合トップスリーがすべているっていうのに」
マリエの言葉に納得しながらも、彼女が意外にもそのことを受け入れている様子なのに驚いた。
班分けが、彼女の言葉通りなら、マリエは調整のためにここに放りこまれたのだ。
マリエはレンとシェリアの方しか見ていないとはいえ、それでも自分の状況を冷静に判断している。
「ちなみにフィールドはどこ?」
「訓練棟全部、だそうよ。訓練棟の入り口から、訓練棟四階にある部屋に護衛対象を無事に送り届けられればクリア。護衛班と襲撃班に分かれるらしいんだけど、襲撃班は決められた班しか襲えないっていうことにするらしいわ。訓練棟の四階は二十部屋あるから、全部で四十のチームが一気に動くことになる」
シェリアがいつの間にか取り出した紙を読み上げる。
どうやら二人はどこかにいた先生に紙と説明の両方を受け取っていたらしい。
「それって部屋の入り口に四人固めることになるんじゃないのか?」
「ルールがあるに決まってるでしょう。部屋の前には最大二人まで。それが行われてるか見るために、先生が各階に評価も含めて見回ってるわ」
シェリアはアベルの問いにそっけなく答える。
アベルの疑問はシェリアが解決するというのが、シェリアとマリエの暗黙の了解らしい。
「でも、それって遭遇率低い気がする。二十分の一しか自分の敵はいないんだろう?」
「襲撃班同士、護衛班同士の情報交換は自由なんですって」
「……あくまでも攻撃は特定の班だけってことか」
ためしにレンが質問してみれば、マリエが答えてくれた。
これは意識してやっている嫌がらせなのか、それとも偶然なのか。
アベルの方をちらりと見ると、どうにも顔色が悪そうだ。自業自得だが、友人なだけに、かわいそうになってくる。
「護衛班は、絶対に二人は護衛対象と一緒にいなければならないみたいね。でも、部屋にたどりつくのは、護衛対象だけでいいらしいわ」
「要するに、部屋の前の二人と相打ちになっても、護衛対象が傷つかなければ大丈夫なわけだな?」
「そうそう。あと、リタイアに関するルール説明は、後でまとめて先生がするらしいわ。それと私、護衛対象だから着替えなきゃいけないの」
シェリアがあたりを見回して、更衣室の方を指さす。
ちらりとアベルを見ると、アベルもこちらを見た。
これはチャンスだ。
シェリアがいなければ、アベルでも謝れるかもしれない。
「さて、じゃあ行きましょう? ここにいても暇でしょ? 着替えを手伝ってほしいし」
「そうね。行きましょ」
シネラリアの女神と称される美少女は、最上級に美しい、勝ち誇った笑みで笑って見せた。
そしてマリエを連れて歩いていってしまう。
絶対わざとだ。
アベルとレンは、心の中で全く同じことを考えていた。




