太陽の陰
鮮やかな金色の髪。まるで太陽のような輝きを持つその髪色は、ちょうど、彼が立っている傍にあるカーテンの色と似ていた。
マリエは、金髪の少年の変化に驚くとともに、その頭の回転の速さにも舌を巻いていた。
「少なくとも、レンは本気だ。シェリアはだまし討ちにあったみたいだけどな」
しかし、隣に座っていたアベルの言葉は、いくらシェンといえども予測はできなかったらしい。勢いよく首だけ動かして、深い緑色の瞳をレンに向ける。
じっと品定めするかのようにレンを観察する表情は、シェリアのものと似ていた。外見は似ていないが、しぐさなどはやはり姉弟を感じさせるものがある。
「本気なんですか?」
「本気だよ。ミドルネームは、冗談じゃ名乗らない」
真剣な表情を浮かべたレンの顔は、いつも以上に整って鋭さを増しており、真顔でもどこか笑っているようにすら見えるシェンの顔とは対照的だった。
そんな二人がしばしの間、互いの目から視線を反らさずにいる様子は、シュールですらあった。
「ヴェントス家を黙らせられるんですか?」
沈黙を先に破ったのはシェンだった。
まるでこれから剣の試合でもするかのように、慎重に間合いを測りながら、二人はゆっくりと距離を詰めていく。
「黙らせるさ。それに、父も母も、そこまで上昇意識の強い人じゃないから、問題ない」
「伯爵家と侯爵家では、特にヴェントス家ともなれば、かなり格差があります。本気でうまく行くと? 姉は残念ながら、侯爵家暮らしに向いているとは思えませんが」
それは、シェンのシェリアに対する心配なのだろうか。
レンへの問いかけは、シェリアの身を案ずるもののように聞こえる。
「シェリアが望んでくれるなら、俺はシェリアがシェリアでいられる場所を全力で作るよ」
レンの言葉が胸を打つ。
その言葉からは、シェリアへの愛情が見て取れる。あまり人の感情に機微でないマリエも、そのはっきりとしたレンの態度であれば、間違いなく理解できた。
シェリアは照れているのか、あさっての方向を向いて、組んでいる右足だけをせわしなく動かしていた。
「……人は変わるもんだな」
ふっと緊張を緩めて、ため息をつきながら、シェンはつぶやいた。
「シェリアがヴェントス家の人を選ぶなんてね。リエーソンの立場を考えたら、風当りが強いめんどくさい場所だって分かってるだろうに」
数秒の間、姉弟は見つめ合っていた。
黒かと見間違うほどの深い緑色の瞳が、互いの瞳を捉えて離さず、二人が制止することで、場の時間さえも止まってしまったかのようだった。
マリエもただ息をのんで二人の様子を見つめていた。
「それなら――」
またしても、先にシェンが口を開く。
「――僕に言わなきゃいけないことがあるんじゃないの?」
鮮やかな金の髪を手で払いのけて、愛らしい顔立ちから完全に笑みを消し去ったシェンは、一歩間合いを詰める。
シェリアはシェリアで、ソファから立ち上がり、まっすぐに自らの弟を見つめた。
そして、そのまま、すっと頭を下げる。
「お願い、私の代わりにリエーソン家を継いで」
長い黒髪が顔の両側から垂れて、シェリアの顔を覆い隠す。
そのため彼女の表情をうかがうことはできなかったが、それがいつになく真剣なものであろうと言うことは、その声からも容易に推察できた。
マリエはシェンの方へと視線を向ける。
ゆっくりと瞬きする少年の目の動きに合わせて、時が刻まれているような気分になる。
マリエは痛いほど実感していた。
この場を支配しているのは、間違いなくシェンだ。
シェンの一言で、シェリアとレンのこれからの道は大きく変動する。
ふと、右手にぬくもりを感じて、反射的に隣を見た。
「跡になるぞ」
すっと離れた左手を目で追いながら、マリエはようやく自分の状況を理解した。
どうやら手を握り締めすぎていたらしい。手を返してみてみると、爪の跡がうっすらとすでについてしまっていた。
お礼を言おうとしたが、すでに彼の赤みがかった茶色の瞳は、シェンの方へと向けられている。
「初めてだな」
シェンが話し始めたことで、場が再び動き出す。
お礼は後で言おう。
そう決めて、マリエは話しだけに集中することにした。
「いつだって、爵位は僕が継げばいいと言ってきたけど、頼んだことはなかった」
「……ごめん」
ゆっくりと顔を上げて、邪魔そうに黒髪を後ろに払いのけてから前を見た。
その仕草がどこまでも優雅で上品で、シェリアの美しさを引き立たせた。普通の男ならば、それを見ただけで、なんでも言うことを聞いてしまいそうなほどの魅力。
しかしそんな魅力も実の弟には通じない。
「シネラリアに行くのは、自立のためだって言ってたね。でもほんとはもっと別の理由があったんだろ? それこそ、軍で功績を上げることで、自分が爵位を持った時の立場固めをしようと思ってたんじゃないの?」
「何を言って……!」
「なあ、本当に最初から爵位を僕に継がせる気だった? シネラリアに入る前、両親が僕に継がせると明言してたから、それに乗っかってただけなんじゃないの。そんな雰囲気をシェリアが出してたから、僕は真剣に爵位を継ぐこと、考えたことなかったんだけど。それを今さら、継いでくれって? ずるいと思わないわけ?」
ちらりとアベルの方を盗み見た。
アベルもどうやらマリエと同じことを思ったらしい。こちらを見て、それから部屋の扉の方へと視線を滑らせる。
これ以上、ここにいてこの話に関わっていいのか。
「私は最初からリエーソンを継ぐ気なんてなかったわ!」
しかし、姉弟の喧嘩から遠ざかるには、すでに時期を逃していた。
「じゃあ言えよ! なんでシネラリアを選んだんだよ! 爵位を放棄してどこかの家に嫁ぐ気なら、軍の養成学校である必要はないだろ!」
シェリアはぐっと言葉に詰まっていた。
おそらくシェリアは話したくないのだろう。以前話してくれた、シネラリアを選んだ本当の理由について。
どうしてシェンに話していないのかは分からない。しかし、話していないからこそ、小さなわだかまりから、今に至る誤解へとつながっている。
もどかしかった。
マリエにはシェンの誤解を解く確固とした理由が手元にあるというのに、シェリアの気持ちを考えると、それはできない。
しかしその話をしなければ、おそらくシェンは納得しないのだ。
「……継ぐ気はないの?」
「理由を言えって言ってるのがわからないわけ?」
「それは……」
「分からないだろうね。シェリアには。あんたみたいなのが先に生まれてさ、男も女も
爵位を継げるこの国で、どの能力をとっても劣るやつが爵位を継ぐべきだと言われることの理不尽さが」
同じ深い緑色の瞳だというのに、どこかシェンの瞳に宿る色は暗い。
それは姉への劣等感なのか、姉の怒りなのか。
シェリアはいつもは見せることのにない驚きの表情を浮かべて、シェンをただ見つめていた。どうやら彼女は発するべき言葉を失ってしまっているようだった。
彼女の様子から察するに、シェンがこうやって本音を吐露したのは初めてなのだろう。
そして、きっと、この場にいる誰よりもシェンの気持ちが理解できるのは自分だ、という自信がマリエにはあった。
逃れることのできない劣等感。
そんなものとは、間違いなく無縁で過ごしてきたであろう三人にはきっと理解できない感情だ。
ねっとりと絡みついて離れない、黒い黒い感情。
「シェリアが継げばいいと思ってた。どうして父上が僕に継げと言うのか分からなかった。僕は何に置いてもシェリアに勝てないのに」
「でもシェンは、学校ではいつだって最優秀で!」
「同じ歳の奴らなんかバカばっかりさ。あんたみたいな傑物がいれば、僕だってがんばるだろうけど。僕にとっての比較対象はいつだってあんただけだ。そして、リエーソン家の後継者問題には、それで問題ないはずだ。そうだろ? 僕が継ぐかシェリアが継ぐか、それだけが問題なんだ」
対して努力もしていない人に勝ってもしょうがない。
本当に自分が勝ちたいのは、能力のある人間なのだ。
その気持ちは痛いほどよくわかる。
「それは……」
「気づいてる? ここが分岐点だって。父上が考えを変えるかもしれない分岐点だって。だからこそ、僕の協力が必要なこと」




