月と太陽の姉弟
王都からの大きな道が通っている領地である、リエーソン伯爵領は、旅人のみならず、商人たちの休息場としても栄えていた。
トレリの南に面する国につながる道を抱えるリエーソン領では、南方の国から入ってくる珍しいものが並ぶ店も少なくない。
シェリアにとっては見慣れた光景だが、マリエにとってはかなり珍しいものであったようで、馬車の中から食い入るように見つめるその様子がほほえましかった。
アベルとレンは、そういう珍しいものは見慣れているだろうから、特に感動はないかもしれないが、マリエは気に入ってくれたようで、シェリアは安堵して一息ついた。
馬車の中でわずかに揺れる赤銅色の髪をみながら、自らの父の反応を予想する。
おそらくマリエは父も気に入るだろう。
アベルも、問題はないだろう。彼はシェリアに対して、友情以上の感情を抱いたことはないからだ。
「レンは……どうかしら」
「どうしたの?」
窓の外から視線を外して、こちらを見た彼女は、不思議そうな表情を浮かべている。
「いや……お父様はレンをどう思うかしらって思っただけよ」
「ああ、そっか」
納得したようにうなずいて、さらにつづけたマリエの言葉は、シェリアにとって計算外のことで、思わず小さく声を上げた。
「レンにはプロポーズされてるんだっけ?」
「あ」
完全に忘れていたが、そういえばそうだった。
レンはおそらくその話を父にするだろう。
「これは……荒れるわね。シェンに先に話を通しておくんだったわ」
「シェンって……弟くん?」
「ええ。優秀は優秀だけど、ちょっと冷めてるのが難点な弟」
何気なく言ったシェリアの言葉に、何故か驚いた顔をしたマリエに理由を尋ねるより先に、馬車が揺れて、止まった。
「怒られるわ……きっと」
さらりと癖のない黒髪に、整った顔立ちの少年は、普段と変わらない、どこか余裕のある表情をしていたが、馬車の中で組まれた足は、おちつかないとばかりに足先が動いていた。
ただの友人であるはずのアベルでさえも、マリエの家に行くのは緊張したというのに、レンに至っては、シェリアとの婚約の件まで話を付ける気でいるのだ。
緊張しないと言う方がおかしいのだ。
「降りるぞ」
レンに声をかけてから、先にアベルが馬車から降りる。
すでに馬車から降りていたらしいシェリアとマリエがこちらを振り返った。
「こっちよ」
出迎えてくれたリエーソン家の使用人たちに荷物を預けて、呼ばれた方に歩き出す。
一度振り返ってみたが、予想以上にレンは平然とした様子で馬車から降りてきていた。
「お父様はたぶん、まだ家にいないから、先にシェンを紹介するわ」
シェリアはおそらく、アベルたち三人に言ったのだろうが、それをしっかりと聞いていた使用人の女性が、すばやくシェリアに問う。
「シェリア様、シェン様をお呼びになられますか?」
「ええ。客間まで来るように伝えて」
「かしこまりました」
いつもは結っている黒髪は腰までさらりと流れ落ち、しっかりとドレスを着て、使用人に支持をだすシェリアは、どこからどうみても伯爵家の令嬢だった。
――これで黙ってれば、かわいげがあるだろうけどな。
口を開けば、聡明すぎてかわいげがない。アベルに対してはなおさらだ。
「じゃあ、客間まで案内するから、ついてきて」
ついてきてと言うなり歩き出したシェリアの後を追いながら、まだ一度も言葉を発していないマリエとレンの方を見た。
マリエはどうやらシェリアの家に置いてある調度品に興味を引かれたらしく、黙っていると言うよりは、そちらに注意が言って、会話には気が回らないようだ。
レンは、何度か口を開こうとはしているものの、言葉が出てこないのか、結局そのまま口を閉じてしまう。
どんな時でも冷静なレンにしては珍しく、彼の緊張が行動の端々に見え隠れしている。そんなレンを見ると、すこしだけほっとした。
「シェリア」
「何?」
振り返ることなく歩くシェリアにアベルが自ら声をかけてみた。
「シェンって言うのはシェリアの兄弟か?」
「弟よ。家族構成は話したことがなかったかしら?」
「知らないな」
そういえば、シェリアから家族の話を聞いた覚えがない。
シェリアの家族ならば、きっとどれも美形ぞろいなのだろうが、性格までもシェリアにそっくりなのだろうか。
「母親もシェリアと同じく美人なのか?」
何気なくきいたつもりだった。おもった事をそのまま口に出してしまったのだ。
一瞬、空気の流れがとまった気がした。マリエの顔が、なんともいえない表情を浮かべてこちらを見る。
「弟と父と私の三人家族よ」
シェリアは淡々と、特に表情を変えずに言い放った。
レンは驚いたようにシェリアを見ているので、レンも知らなかったことなのだろう。
「でも―――母は、見た目はそっくりだって、よく言われたわね」
シェリアと目が合った。
アベルはまだ、言葉がでてきていなかった。思考がうまくまとまらない。こういう時に、気の利いた一言が、どうにも言えないのだ。
そんなアベルの葛藤を見抜いたかのように、シェリアはふっと笑って、そして首を振る。
「気にしなくていいわ。うわべだけの言葉も要らない。私はそこまで悲観してるわけでもないから」
「ごめん」
「あら、素直に謝れるんじゃない」
マリエがあえて明るくそう言った。
マリエとシェリアの間では、すでに話ができているのだろう。
「入って」
客間の扉をシェリアが押さえ、三人を中に促す。
「押さえてる」
レンが短く言って、シェリアを部屋の中へ入れ、扉を押さえた。
レンに礼を言って部屋の中に入ると、部屋には中央にテーブルがあり、その周りにソファが並べられていた。
「適当に座ってね」
長い黒髪をかきあげて、右肩のほうに全て流してから、シェリアはソファに座る。マリエもそれにならって、シェリアの向かい側のソファに腰掛けた。
レンは気をつかったのか、それとも自分のためなのか、シェリアの隣に自然と収まった。
そうなれば自然とアベルはマリエの隣になり、マリエと目を合わせる。
「無神経だったな」
座ってから、小さくつぶやけば、マリエはちらりと横目でこちらを見た後、小さく首を振って言う。
「私も、同じことしたから、人のことを言えないわ」
「失礼します」
どういうことか問い返そうとした時、扉をノックする音ともに、まだ声変わり前の高い少年の声が聞こえてきた。
「入っていいわよ」
シェリアが声をかけると同時に扉が開き、一人の少年が立っていた。
さらりと流れ落ちる鮮やかな金髪に、深い緑色の瞳。
シェリアと同じ色の瞳を持った少年は、意外なほどにシェリアと似ていなかった。シェリアの顔立ちはとても整っており、どちらかといえば冷めた印象を与える容貌である。
しかしながら、少年は、とても愛らしい顔立ちをしており、真顔でも、どこか笑っているような、そんな印象を与える少年だ。
「紹介するわ。弟のシェンよ」
「初めまして。シェン・リエーソンです。姉がいつもお世話になっています」
少年は人懐っこい笑みを浮かべて、明るく自己紹介した。
見た目も中身もシェリアとは似ていないらしい。
「こちら、順番にレン・ヴェントス、アベル・オブスキィト、マリエ・モンブランよ」
「初めまして」
マリエがにっこりと笑って、シェンにあいさつをする。
その様子を見ていたら、マリエと初めて会った時のことをふと思い出した。アベルが悪いと言えば悪いのだが、あのときマリエには、ずいぶん嫌な顔をされたものだ。
しかしこうしてみると、マリエはあまり人見知りする性質ではないらしいし、愛想もよいのだと改めて実感した。
「シェン君はいくつなの?」
「今年、十一になります」
マリエの質問に笑顔で答えるその様子は、どこからどう見ても、良くできた貴族の息子といった風であった。
しかし、どうにもアベルはひっかかるものがあった。直感的だが、この少年の笑顔には、どこかシェリアと同種類のものを感じたのだ。
笑っているけれど、心のうちは、どこか別のところにあるように思える。
「シェン。ちょっとお父様に話す前に、話があるんだけど」
ちらりとシェリアの方を見ると、シェリアの後ろにある窓の横に寄せられているオレンジ色のカーテンが目に留まった。裾の方が濃い色で、天井の方に上っていくにつれて色が淡くなっていくグラデーションのカーテンだ。
鮮やかで美しい色合いだが、シェリアのイメージとはどこか違う。
「無理」
そんなことに気をとられていたら、シェンの恐るべき変化の瞬間を、アベルはいまいち処理しきれなかった。
さきほどの愛想のよい明るい声から打って変わって、トーンの落ちた不機嫌さを隠すことのない声色。
その愛らしい見た目からは想像できないような反応に、マリエとレンも驚いたようで、二人とも目を瞠っていた。
「まだ何も言ってないでしょう?」
たしなめるようにシェリアが肩をすくめてそういえば、シェンは深い緑色の瞳をシェリアに向けて、先ほどと同じ低さの声色でつぶやいた。
「……ヴェントス家だからダメ、とは言われないだろうね。どの男もきっとダメって言うだろうから」
「え」
レンとシェリアが同時に短く声を上げて、驚いたように顔を見合わせた。
アベルもまた、マリエの方をちらりと見る。
「言っていないって言ってたのに……?」
マリエのつぶやきから推測するに、どうやらシェリアはシェンにレンのことを全く話していなかったらしい。
その鋭さは、流石シェリアの弟と言うべきか。
シェンは立ち上がって、オレンジ色のカーテンを右手で掴み、窓枠に持たれるようにして外を見た。そしてさらに言葉をつづける。
「でもまあ……学生時代の恋愛に、そんなにあの人が口を出すとは思えないけど。そりゃ、ヴェントス家なら……ミドルネームを教え合った仲、とか言ったら、相当荒れるだろうけどさ」
ソファがきしむ音がした。
額に手を当てて、整った顔を隠すようにして前のめりになったシェリアは、大きく息を吐いた。
レンはといえば、そんなシェリアを気遣わしげに見つめたあと、シェンの方を向き直り、ソファから立ち上がった。
部屋の空気の変化に気づいたのか、窓枠から体を離したシェンは、ちらりと姉に視線をやり、そして、今度はアベルを見た。
「……まさか本当なんですか?」
心底呆れたという顔をしながらも、きちんと敬語を使っているところから、アベルに話しかけているようだ。
言っていいのだろうか。
悩んで答えに詰まっていると、ちらりと視界に赤銅色の少女が映った。
彼女がわずかに距離を詰めて、そしてさりげなくアベルの背中を押した。
「少なくとも、レンは本気だ。シェリアはだまし討ちにあったみたいだけどな」




