決意は誓い
「果物、ありがとうございます」
「リエーソン家ぐらいまでなら、日持ちすると思うわ」
長く黒い髪を持った少女は、自然な笑顔で赤銅色の女性に礼を述べ、女性はそれに答える。
「父と弟も喜ぶと思います」
シェリアは無意識だった。しかしその言葉はどうやら女性に余計な気遣いをさせてしまったらしい。
「……! ええ。よろしく伝えてね」
女性の顔が一瞬、強張った。その一拍置いたあと、すべてを承知したとばかりに頷いて、そうして笑顔になった。盗み聞きした話も、レンから聞いた話も、やはり本当なのだろう。
アナはとても鋭い。しかし、その観察力は、歴史の研究に携わっていたと考えるならば、自然なものであるともいえる。
「じゃあ、行ってくるわ」
マリエが馬車に乗り込みながら、アナとレナートに向かって声をかけた。
レンとアベルは連泊になるが、それでもかまわないということだったので、マリエの家からそのままシェリアの家に向かうことになっていた。
アベルとレンは乗ってきた馬車に乗り込み、シェリアとマリエは、リエーソン家から来た馬車に乗り込んだ。
「シェリアさんとレン君の家に行ったら、一度戻ってくるのよね?」
アナがマリエに確認をとるために、馬車を外から覗き込むようにして聞いた。
「そうそう。アベルの方は、本家じゃなくて、別邸の方にお邪魔するから、方角が逆だからね」
本家は王都の東にあり、ヴェントス家とも近いのだが、避暑に使われているオブスキィトの別邸は、王都の西にあり、ルミエハ本邸と近い位置に存在している。
そのため四人はレンの家までは連続で宿泊し、そのあとは一度日を置いて、アベルの家を訪れようということになっていた。
七の月の間に三人の家に行き、八の月の中ごろにオブスキィト家を訪れるというのが当面の予定だ。
「それまで体調には気を付けなさいよ」
「ええ」
マリエは明るくそういって、窓から顔を出し、アナとレナートに向かって手を振った。
夫妻はそれを見て、顔を見合わせ、同じようにして手を振りかえす。
馬車が揺れて、動き出す。
マリエは頭を引っ込めて、そうしてシェリアの斜め向かい側に座った。
「シェリアの家、楽しみだわ」
流れていく窓の景色を眺めながら、マリエはつぶやくように言った。
「さして楽しい家でもないかもよ?」
「シェリアがどんな家で育ったのか、興味あるわ」
即座に切り返してきたマリエの言葉に、シェリアは思わず目を丸くして、そちらを見てしまった。それは、レンが出会って間もない頃に言った台詞と同じだったからだ。
しかしそんなシェリアの驚きに気づかずにマリエは言葉を重ねた。
「なんだか、緊張してたのがバカみたいだったわ」
「ああ……言った通り、平気だったでしょう?」
シェリアにとっては衝撃的な情報が多すぎて、マリエが三人を、とりわけアベルを家に呼ぶことに抵抗があったことなど、すっかり頭から飛んでいた。
「そうね。アベルもなんだか楽しそうだったし」
口元にかすかな笑みを浮かべながら、照れくさいのか、マリエは窓の外を見つめ続けていた。
そんな何気ないマリエの言葉に、ふとシェリアはあの夜のことを思い出す。
シェリアがアベルとレナートの会話を盗み聞きして得た情報は、モンブラン家は実は王家の血を引いているということと、アナとその父は、ルミエハとオブスキィトのトレリ二大公爵家の対立の原因を突き止めていたということだ。
しかし何か、シェリアが二人の会話を盗み聞きするような、そんな価値ある情報はもっと話の始めに提供されていた気がするのだ。
頭を必死に回転させて、あの時のことを思い出す。
窓の外にふと目をやって、そうして、マリエの横顔を見る。
――そういえば、最初に聞いてた!
思い出した。
そもそもシェリアが足を止めたのは、アベルがレナートに、娘の相手が誰であっても反対しないかどうかを聞いたことだった。
要するに、アベルは本気で、マリエを手に入れるつもりでいる。
本人に大切なことを伝えていない割に、しっかりと外堀を埋めているあたりが、流石はあの公爵家の息子だというべきか。
そして、あの後どんな話の続きがあったのかは分からないが、翌日以降、どことなくアベルの機嫌はよかったように見えるので、おそらくレナートはそれなりに色よい返事をしたのだろう。
「オブスキィトは……そうはいかないわよね」
「え?」
「なんでもないわ」
思わず口にしてしまったつぶやきを、適当にごまかしてから、小さくため息をつく。
現オブスキィト公爵は、ルミエハへの対抗心が強い人だ。
それならば、どうあってもオブスキィト派の有力貴族の娘を、自分の息子の嫁にする気だろうというのは、火を見るよりも明らかである。
「戦いは……避けられない、か」
まだ二人がお互いの想いを確かめあってもいないというのに、二人に付随する様々な家事情が複雑すぎて、シェリアは思わず頭を抱えたのだった。
走り去っていく馬車が遠く小さくなって、やがて見えなくなったころ。
金髪碧眼の男性は、隣にいる女性の腰を引き寄せて、小さく息をついた。
「どうしたの?」
赤銅色の髪の女性は、自分を引き寄せた男性を見上げて、尋ねる。
「どうなるかなと思ってね」
「マリエとアベル君?」
「あの子は君にも話したのか?」
レナートは少しだけ手を緩めて、アナの顔を覗き込むようにして聞いた。その顔の真剣さに、アナはふっと笑って、首を横に振った。
「見てれば分かるわ。あとは、レン君が、父のこと知っててね」
「まったく……頭のまわる子たちだよ」
困ったものだ、と肩をすくめたレナートに、アナはそれで、とその先を促した。
「あなたは、アベル君になんて言ったの?」
「……モンブラン家の娘をオブスキィト家の嫁にはやれないと」
「ま、それはそうね」
驚くでもなく平然と言い放ったアナに、レナートは意外だという顔をして、アナをじっと見つめた。
言葉は発さなかったものの、レナートの心情を正確に理解したアナは、さらに問いかけた。
「それでアベル君の反応は?」
「え……?」
「あっさり引き下がるような子には見えなかったなあ」
「やっぱり君にはかなわないな」
レナートはあの夜のことを思い返す。
月夜に輝く赤みがかった茶色の瞳。
その瞳に宿る意志の強さに、レナートは呑まれてしまいそうな感覚を味わった。
こちらが釘を刺したにも関わらず、即座に彼は言い返してきたのだ。
「マリエを手に入れるために、あの子をもらうことに誰もが反対しないぐらいに、強くなって見せる……そう言ってたよ」
「強く……」
「オブスキィトとルミエハの対立を終わらせたいとも思っているらしい」
「! 本気?」
アナは庶民の生まれだが、下手したら子爵令嬢として育ったマリエよりも、貴族の世界を熟知している。
アナは単にそれをあえて無視しているだけなのだ。
その彼女から言わせてみれば、オブスキィト家の長男が、ルミエハ家との対立の終焉を望むのは、奇異なことだろう。
「もしかすれば、遠くない未来に、モンブラン家はその役目を終えるのかもしれない……」
考えても見なかった可能性。
シュトレリッツ王国のバランスを取るために存在するこの家は、そのバランスを崩す原因がなくなれば、その存在意義を失う。
「応援してあげるの?」
いたずらっぽく笑いながら、アナが問いかけてくる。
「……いや? ただ、阻止はしないでくれと頼まれた」
娘の苦労を思えば、本当は阻止してやりたいような話だが、それでも、娘の気持ちがそこにあるのならば、親としては見守ってやるべきなのだろう。
「なるほどね」
アナは全てお見通しだとばかりにレナートの肩を軽くたたいて、そうしてすっと距離を取る。
「もし……モンブラン家が要らなくなったら――」
アナはくるりと踵返して、その赤銅色の髪を揺らす。
「――アルノルドと合流して、遺跡巡りの旅にでも出る?」
のんきに幸せな夢を語るアナに、そんな未来は案外ありえるのかもしれないと思いながら、レナートは小さく笑みを漏らしてうなずく。
邪魔はしないが、助けもしない――それがモンブラン家の最大の譲歩であるが、アベルはきっと、一人でどうにかしてみせる。
レナートはそんな確信めいた予感を胸に抱えて、馬車が過ぎ去った方角を、ただひたすらに眺めていた。




