月夜に巡るそれぞれの想い
むっとするような暑さの夜。
月明かりに照らされた庭園で、赤みがかった茶色の髪の少年と、金髪の男性は向かい合っていた。
少年は月を背に立ち、その表情は夜闇に隠れて見えない。
「聞きたいこと……というのは?」
月に向かって立っている男性の顔は、月明かりによって照らされている。その表情は、あくまでも穏やかなものだった。
しかし男性が後ろに回している手は、落ち着かないといったように親指だけ動いている。
「あなたは……マリエが、あなたの娘が、選んだ人なら、どんな人でも、反対しませんか?」
「選んだ人なら……ですね」
男性は穏やかな笑みを崩さなかったが、それでもその目は何かを探るように鋭く光っている。
「それがたとえ……公爵家の人間でも?」
「私は娘の幸せを祈っています」
「それは――」
少年は顔を上げて、男性を見た。
「――しかし、ヴェントス家のご子息の言い分は正しいのですよ」
男性はもう、笑ってはいなかった。真剣な顔をして、少年をまっすぐと見つめていた。
「我が家が自由恋愛主義である理由は、もう、察しているのでしょう?」
「今から約一七〇年前、ルミエハとオブスキィトの対立が表面化した時期と同じくらいに、カルケオスは当時の王よりモンブランの名と子爵の爵位を賜ったそうですね」
「よくご存知ですね」
男性は少年から視線を反らし、庭園に咲く花を見つめながら、小さくため息をついた。
「そのカルケオスの出生と叙任された当時の功績が、どれだけ探しても、出てこないトレリの黒い歴史の一つであると父から聞きました。父の……オブスキィト家の想像では、カルケオスはトレリの要人の血を引くが、認知はされなかった子供だった。しかし、彼が認知されなかったのは、母親の身分の低さではなく、彼の優秀さではないかと、推測しています」
「彼の優秀さ?」
問いかけてはいるものの、レナートは疑問以上に好奇心を抱いてアベルの方を見ているような様子であった。
「認知されず子爵家を賜ることで、カルケオスは目立つことなく、情報を仕入れることが出来た。彼はそういった情報を操ることに長けていたからこそ、彼を認知しないまま、駒にすることに、当時の王は決めたのではないかと」
生ぬるい風がアベルとレナートの髪を揺らす。
夏は避暑地で過ごすことが多かったアベルには、この気候はつらい。しかしながら、そんなことがあまり気にならないくらいに、今はレナートの表情にだけ集中していた。
「……モンブラン家は、王家の血筋を引くと?」
「はい。そして、これは個人的な推測ですが……モンブラン家の当主には、必ず金髪の人が選ばれているのではないですか?」
月明かりに照らされたレナートの顔がこわばっている。彼は答えに困窮し、しかしながら、その沈黙そのものが答えとなってしまっていることに気づいたようで、あきらめたように小さく微笑んで、うなずいた。
「マリエは適格者ではないという予測は正しいです。それ以外のことも全て。まさかそこまで知っているとは……。オブスキィト家をなめていましたね」
「オブスキィト家の力を使ったことは否定はしません。そして、その情報がオブスキィト家のもとにあるということは――」
「――ルミエハ家にもある、ということでしょうね。だからこそ、両家はモンブラン家に手を出さない。モンブラン家が自由恋愛主義をかかげて、のらりくらりと生きてきた割に、存続しつづけているのは、そういった所以です」
アベルの言葉を勝手に引き取って、レナートはそうまとめてしまったが、それは少々事実と異なる。
「優秀だったのは、初代モンブラン家当主のカルケオスのみではなかった。オブスキィト家とルミエハ家の対立を、水面下で押さえることに関して、この家の者は、子爵家という立場を隠れ蓑にして、その優秀さを隠し続けてきた。だからこそ、この家は、レンの言った通り、自由恋愛を突き通す必要があったんですね。あまり上位貴族と婚姻を結んでしまえば、どうしてもオブスキィトか、ルミエハか、どちらか寄りになってしまうから」
「歴代に関しては否定はしませんが、私に関しては買いかぶりすぎです。ただアナを好きになった……それだけですよ」
もどかしい思いがアベルの中で消えてなくならない。
どうして彼は核心を話してはくれないのだろうか。どうしてこんなにも隠そうとするのか。
「本当に無能なら……オブスキィトとルミエハの対立の原点を調べたりはしないでしょう」
レナートの蒼い瞳を覗きこむようにして、まっすぐと自身の赤みがかった茶色の瞳をそこに向ける。
「ルミエハ家は……いえ、オブスキィト家も、自らの家が勝者となることを望んでいます。だからこそ、ルミエハ家とオブスキィト家の対立の原因がはっきりするのは、都合が悪かったのでしょう。アナさんのお父上はそれで国外へ逃れ、そして、ともに調べていたレナートさんとアナさんも、ルミエハに狙われた。これが建国祭での誘拐事件の本当の動機でしょう。クラリサ家はルミエハ家にいいように誘導されただけです。実行犯がクラリサ家であっても、計画を立てたのはルミエハで間違いないはずです。……対立の原因が何であったかは知りませんが、少なくともルミエハに都合が悪かったのでしょうね」
ルミエハ家は動いて、オブスキィト家ないしはアベルの父が動かなかった。もちろんオブスキィト家は知らなかったということもあり得るのだが、そうだとしても、どのみちルミエハに不利な情報であったと言うことには変わりがないだろう。
もし有利な情報であったのならば、アナの父親は、むしろルミエハ家に引きずり込まれていたはずである。
「ただ……救いだったのは、ルミエハ家がメディウム家にも手を出したことです」
「何故ですか?」
静かにアベルの推理を聞いてたレナートが、すっと眉をひそめて問い返してきた。おそらくここからの話は、レナートも知らないはずだ。
模擬隊実践でヴェラに関する誤解が解けたあと、さらに何度かの文通で、アベルもようやく分かったことである。そして、これは絶対に公にはならない事実だ。
「メディウム家は……その実態はオブスキィト派です。そして、ルミエハ家はそれを知った」
迷いながら口にした最初の前置きは、やはりというべきか、彼は知っていたことらしい。
特に驚いた様子は見せず、レナートはアベルに先を促した。
「だからこそ、メディウム家もまとめて崩そうとして、ヴェラを誘拐する計画を立てた。ただ、ルミエハ家の一番大きな過ちは、ヴェラ自身がかなりの策士であることです。彼女はおそらくこの国の誰よりも頭の切れる人間で、ルミエハの策略を事前に見抜いたばかりか、それを自分の策略に書き換えてしまいました」
「自分の策略に……?」
「ヴェラはアレクシオス殿下の気持ちを確かめたいと思っていました。そんな時、自分とモンブラン家の令嬢を誘拐しようとする計画に気づきました」
レナートの瞳が大きく見開かれ、何かに気づいたように小さくうめき声を上げる。
「殿下がシネラリアに視察に行き、そこであったことは、フェルナンド殿より聞いています。そのことから察するに……彼女はあえてマリエと自分が、アベル君に救出される状況を作ったんですね? 私たちにマリエの無事を知らせる伝令が異常に早かったのも、彼女がもし助けがこなかった時のことを想定して、最初からすべて仕組んでいたからですか。……そうか、個人裁量だから、こちらに話が回ってきていないのか」
最後の方は自身に向けたつぶやきだろう。
丁寧な口調がわずかに崩れている。
アベルは次の言葉をどうやって切り出すか、悩んでいた。心臓の音がうるさい。
ここまでの話の流れで行けば、アベルにとっては、不利なことの方が多すぎるのだ。しかし、ここを突破できなければ、どうにもならないのも事実。
そんなアベルの葛藤を見抜いているかのように、すっとレナートがこちらを向いた。
「話は分かりました。そして……最初は娘の幸せを願う、と言いましたが、ここまで知っているなら話は早いです。マリエは……モンブラン家の血をひく彼女は、オブスキィトには嫁げません」
先手を打たれてしまった。
「あの子が子爵家を継ぐわけではなくとも、モンブラン家がオブスキィト家に嫁げば、モンブラン家の存在意義が失われるのは……分かりますよね?」
ダメ押しされる。
それでも、ここで引くわけにはいかないのだ。
風のないまとわりつくような暑さの中、大きな木の影に息を殺して潜んでいる少女がいた。
少女の黒髪は月光に照らされて、艶やかに光っている。
「カルケオスが王の庶子だったなんて……。しかもアナさんが両家の対立について知ってるってことよね……」
話しこんでいる少年と男性は全く少女の存在には気づいていないようだった。
「ただ……救いだったのは、ルミエハ家が――」
「――何してるの」
突然声をかけられて、思わず悲鳴を上げそうになったシェリアの口を、大きな手がそれなりの力でふさいだ。
おかげで少年と男性にはばれなかったが、シェリアの心臓は狂ったように脈を打っている。
その声の主が自分の見知った顔であることは分かったため、シェリアは身振り手振りだけで、その場から離れようと提案する。
暗闇の中で、ほとんど黒に見える深い藍色の瞳は、シェリアを真正面からとらえたあと、しっかりと頷いて、シェリアを解放した。
そして二人で物音を立てないように細心の注意を払って、その場から離れ、声が絶対に届かない場所まで来てから、シェリアは無駄だとは分かっていながらも文句を言った。
「驚かせないでよ」
「いやあ……盗み聞きもどうかと思うけどね」
何をしているのか尋ねた割には、シェリアが何をしていたかしっかりと把握していたらしい。全く悪びれずにしれっと笑って流されてしまった。
しかしふっとその笑みも消えて、真剣な表情でシェリアを見つめて、レンは聞いてきた。
「シェリアは、知りたい?」
「え?」
「ルミエハ家と、オブスキィト家の対立の原因」
「知ってるの!?」
「アナさんに聞いたからね」
なんでもないようなことのようにさらりとそう言って見せたが、もしアナから聞いたというのならば、レンはアナがその原因に関して知っていると言うこと自体は知っていたのだろう。
「シェリアの予想は大当たり」
「……え?」
いつレンに予想を話しただろうかと考えていたら、レンが首をかしげて、覚えてないの、と聞いてきた。
「建国祭が終わって、模擬隊実践はまだまだ先だった時だけどさ、キースとマリエがどうして二大公爵家はずっと公爵家なのかって聞いた時、その話になったの、覚えてない?」
「……あ……ああ。恋愛のもつれだって言って、アベルに否定された時のことね」
レンの言葉でシェリアはようやく思い出していた。
「ミモザ・ルミエハと、リエン・オブスキィトは二人で自殺したらしい」
「二人で……」
一度目を閉じて、二人の情報について頭の中で整理しなおしたら、一つの仮説がシェリアの中で形作られた。
「オブスキィト家とルミエハ家だったから……? 両家の血はトレリ建国以来、一度も混ざっていないわ。永遠の公爵家は、当時では、永遠の兄弟だった……ってこと?」
「流石。俺は分からなかった」
「歴史は好きだから」
国内にあるかなりの数の歴史書を読んでいるという自負はある。しかしながら、モンブラン家のことは全くでてきていなかったことを考えると、やはりオブスキィトとルミエハにまつわることは、かなり隠蔽されているものがあるのだろう。
「なあ……あの二人、大丈夫だと思う?」
唐突なその質問の意味を測り兼ねて、シェリアは返答に困った。
レンもシェリアも、アベルとマリエの気持ちがお互いを向いているのは分かっている。それなのにあえて彼がこうやって聞くと言うことは、外部に不安要素があるということなのか。
「アベルは本気だよ。ちょっとマリエと向き合う時間が減ってるけど……その分、真剣に外堀を埋めてる」
「外堀……?」
「モンブラン家っていうのは、特殊な家みたいで、俺は親が諜報科の科長だから、情報を手に入れられたけど」
「あ……まさか」
ようやく先ほどのアベルとレナートの会話の意味がシェリアの中でしっかりと理解できた。
カルケオスが王の庶子であり、彼の役目がオブスキィト家とルミエハ家のバランスを取る役目だったとするならば、今でもモンブラン家が子爵家で、自由恋愛主義を掲げている限り、その役目は終えていないと考えられる。
そうなれば、モンブラン家は調和を乱すようなことはできないということだ。
「二大公爵家の対立が……こんなところに影響するなんて」
気づいた事実に愕然として、思わずそうつぶやけば、レンがいつになく真剣な顔をして、シェリアの方を向いた。
「何ができるかな……俺らに」
ぬるい風が、シェリアの髪を、そっと揺らした。
幼いころから身に馴染んだ暑さを感じながら、マリエはゆっくりと庭を散歩していた。
どうにも眠れないのだ。
今日は月がとても大きくて明るい。
月明かりに照らされた庭園は神秘的で、眠れぬ夜の鑑賞物としてはもってこいだった。風が吹けば最高なのだが、今のところ無風状態である。
ゆっくりと庭を歩き回り、茂みをぐるりと迂回して、池のある方へ出ようとした時だった。
「マリエ?」
声をかけてきたのは、赤みがかった茶色の髪の少年。
「アベル……どうしたの、こんなところで?」
「マリエこそ、なんでこんなところに?」
「眠れなくって。夜の散歩よ」
夜の静かさのおかげか、今日はアベルと向かい合っても、おどろくほど心が穏やかで、マリエは自然とほほ笑んでいた。
アベルはその様子を見て、わずかにたじろいだ後、息を大きく長く吐き出して、思いっきり吸った。
「どうしたの?」
「……ね、眠れないなら……」
何故か顔をそむけて、いつもよりも小さな声でぼそぼそと喋るアベルに、マリエは思わず近寄って、下からその顔を覗き込む。
「っ……そのっ……ちょっと話さないか?」
「え……ええ。そうね。二人で話すの久しぶりだもの」
いつ以来だろう、と考えながら、思いがけずアベルと話せることになって、高揚する気分を外に出さないように気を付けながら、マリエはにっこりと笑って見せた。
アベルはマリエの反応を見てほっとしたような顔になり、どうせなら池を見ながらにしようと言ってきた。
マリエはそれに同意して、二人で池の傍にあった手ごろな石に腰を下ろす。
池は月を抱いていて、その光のおかげで周りにある木や茂みが写りこんでいる。
「なあ……マリエは本当に、衝動的にシネラリアを選んだのか?」
夜の静寂の中、アベルの声だけがその場を支配する。
別段責めるような口調ではなかったのに、マリエには何故か重く響いてきた。それは自らに、嘘を付いた自覚と罪悪感があるからだろうか。
「マリエが適当にやってるようには、俺には思えない」
そうやって、分かってくれるということは、少しはマリエのことを見てくれているのだろうか。
「十歳の時、軍の人に助けてもらって……その時、決めたの。シネラリアに行くことは」
家族には告げていない、本当の理由。
あの時は、兄の反対を見越してのことだったが、今となっては、少し別の見方もできるようになった。
「反対されると思ったから、ああいう風に見せかけたのか?」
「あの時は、ね。もちろん、アル兄が建前だった総合学校まで反対するとは思わなかったから、計画的じゃなかったけどね。もともとは勝手に応募して、ぎりぎりに家族に告げようと思ってたの」
「なかなかの行動力だな」
「そうかも。ただ、入ってすぐに、一度後悔したんだけどね」
「後悔?」
両親がどうしてマリエに総合学校を薦めたのか、入学後にようやく分かったような気がしたのだ。
今でも両親に確認をとってはいないから、本当のことはわからない。
しかし、マリエが入学してすぐに感じた違和感は、きっと間違っていない。
「外に出てみて、分かったの。モンブラン家は、オブスキィト家とルミエハ家の対立にあえて関わらないようにしてるんだって。だから、アベルと同じ班になった時、これはダメなんじゃないかって、思ったの」
一度後悔して、それでも最近は、後悔より良かったと思うことの方が多くなった。
それはシェリアの存在も大きいが、一番の理由はもう、自分ではしっかりと自覚があるのだ。
「それが……後悔?」
「……うん」
アベルは池の方を見つめていた。
こちらを見ないのは、あえてだろうか。
伝えたい。
好きだという気持ちを伝えるなんてことはできなくても、このくらいは、許されるのではないだろうか。
「……でもね」
本当に言いたいのは、こちらなのに、彼はマリエを見ない。
「ねえ、アベル」
マリエは身を乗り出して、アベルの腕を掴んでいた。
驚きに見開かれた彼の瞳が、ようやくマリエを映して、マリエはその瞳に映る自分自身を見つめていた。
「最初に後悔したけど……でも、やっぱり良かったって、今では思ってるわ」
腕がかすかに震えている。
それでも、これだけは伝えたいのだ。
「シネラリアに来て、アベルに会えて、良かったって……思ってるわ」
数秒の間。
二人は瞬きもせずに、お互いを見つめていた。
「……大丈夫、か?」
「え?」
何を心配されたのか分からずに、首をかしげれば、すっとアベルの手がマリエの顔にのびてきて、その親指がマリエの頬をぬぐう。
「嘘……」
極度の緊張からか、どうやら泣いてしまっていたらしい。
愛の告白をしたわけでもないのにこれでは、自分の想いを伝えるなど、マリエにはできそうにない。
「ごめん、すぐに泣き止む――」
泣き止むから、と言い終える前に、腕がひっぱられる感覚がして、気付けばマリエの身体は、すっぽりとアベルの腕の中に納まっていた。
アベルの右手が、規則正しくマリエの背中を優しくたたく。
「俺も……良かったと思ってる」
その言葉が、とても心に沁みて、何故か収まりかけていた涙が再び溢れ出してきた。
「おい……本当に、大丈夫か?」
困ったように、慌てたように言うアベルに悪いと思いながらも、マリエは首を横に振るだけ振って、気のすむまで泣いた。
夜はこうして更けていく。




