モンブラン夫婦
紅茶を注ぐとともに広がる香りが、緊張で固まった精神をほぐしてくれる。
赤銅色の女性は、手慣れた手つきでお茶を淹れていた。赤みがかった茶色の髪の少年や、そのほか三人の少年少女たちの前には、それぞれお茶請けの菓子が置かれている。
話によれば、どうやら女性が、マリエの母アナが作ったものらしい。
生まれてこの方、誰かの母親手作り料理など食べたことのないアベルは、どういう感想を述べればいいのか、食べる前から必死に考えていた。
「やっぱり緊張はほぐれない?」
一拍、間を置いて、顔をあげる。誰に言っているのか分からなかったが、自分に言われているのだと辛うじて気づいたからだ。
赤銅色の瞳がこちらを見る。顔立ちはマリエとは似ていないが、やはり母娘を感じさせる何かがある。
正直、最初は姉かとも思ったが。
「いえ……大丈夫です」
「無理しないでね。っていうよりね、私、そんな怖いお母さんじゃないのよ? マリエと喧嘩してたけど」
どうやら緊張の理由を、アナによるものだと思われたらしい。
彼女は淹れた紅茶を、四人の前に置きながら、軽い口調でそんなことを言って見せた。
「違いますよ。彼は馬車の中から緊張してましたから」
「レンっ!」
「あらそうなの? マリエもずっと落ち着かなくって」
「お母さん!」
涼しげな顔で会話をするレンとアナに、アベルとマリエはそろって抗議の声を上げた。
その後、ふとマリエとアベルの視線がかち合う。
真正面から見た赤銅色の瞳は、しばらくじっとこちらを見ていたが、はっと我に返ったようになって、慌てて視線を横にそらす。
視線を反らされて残念なのか、ほっとしたのか。もやもやとした感情を抱えて視線をずらせば、何やら楽しげな笑みを浮かべる黒髪の少女がいた。
――女神じゃなくて悪魔だ。
親友の恋人に対して失礼な感想を抱きつつも、さらにアナとレンのほうに視線をずらせば、こちらはこちらでひそひそと小声で会話をしている。
なんだか落ち着かなくって、紅茶の入ったカップを手に取り、それを口に運べば、じんわりと温かさが身にしみて、夏だというのに、その温かさに救われた気分になった。
「そういえば、お父さん、どうしたの?」
アベルの手が止まり、レンとシェリアは興味深げにマリエの方を向く。
さしずめ、この若い女性の夫となる人物とはどんな人物か、ということだろうか。
「ああ、もうすぐ帰ってくるわ。中央からお休みもらったって、一週間前くらいに手紙が届いてたし」
「そっか。そもそもみんなに来てもらったのは、二人がぜひって言ったからなんだから、二人がそろわないと意味ないものね」
マリエは特に感慨なさげにつぶやいてから、紅茶に口をつけ、菓子にも口をつける。
「ん、今日のクッキーは八十点」
「ええ? お友達の手前、百点って言ってよ」
「だって、ちょっと砂糖が足りないわ」
「マリエが甘党すぎるの。太るわよ」
「う」
母娘の会話を眺めていたシェリアが、すっとクッキーに手を伸ばして、それを口に入れる。
その様子をアナがじっと見ていて、どうやら彼女が感想を求めているのだろうと察した。
レンとアベルも、一度顔を見合わせて、口に頬張る。
「十分に甘くておいしいですよ」
食べて紅茶を飲んだシェリアは、にっこりと笑ってそう言う。アベルには見せないような、愛想の良い自然な微笑みに、驚きで思わず目を奪われる。
レンといえば、心なしか顔が赤い。あれは驚きではなく、単に見惚れているだけだろうが。
「美味しいです」
アベルは簡潔に述べる。
「本当? よかったわ」
「これ、アナさんが作ったんですよね?」
レンはあえて敬称にさん、を使い、子爵夫人に対してにしては、かなり砕けた口調で話しかける。
しかしアナは全くそのことに気にした様子を見せず、笑顔でうなずいた。
「俺の母親が作ったら……炭になるな」
「炭どころか、母上なら屋敷を燃やしかねない」
アベルのつぶやきに、レンはさらに言葉を重ねた。
そんな二人にアナは驚いたような顔をして、そうして、納得したようにうなずく。
「やっぱり貴族女性は、自分では料理しないのね」
「そうですね……。する人もいるでしょうが、母上は、ひどく不器用な人で……刺繍でさえも危うい」
「アベルのお母さんって、なんか想像できないな」
マリエが紅茶を飲み干して、アナに継ぎ足してもらいながら、ぽつりとつぶやく。
「存在感の薄い人だよ」
母親を一言で表せば、そうなる。
その解答は少なからずマリエを驚かせたらしかった。
「レン君のお母さんは、ちょっと過激なの? 屋敷を燃やすって……」
「負けず嫌いなんですよ。だから、できないことがあると、どうにかしようとして事を大きくしてしまうのが、うちの母親の悪癖で」
もうひとつクッキーをつまんだレンに、シェリアは少し驚いたような顔をしてレンに問う。
「レンのお母様にしては、あんまり冷静な人じゃないのね」
「そうかも。父上は、無口で無骨で、いかにも武人って感じのひとだけどね」
ヴェントス侯爵を思い返して、アベルは確かにと納得した。しかし、無骨とレンは言うが、彼の侯爵としての振る舞いはとても優雅なもので、洗練されている。
レンに対してはそうなのかもしれないが、無口はともかく、そこまで無骨さを感じたことはアベルにはなかった。
「色々な人がいるものよね。でもね、やっぱりなんだかんだ言って、親はいいものよ。育ててくれた人ですから」
アナがにっこりと笑ってそういう。
よく笑う人だ。マリエも笑うが、アベルが怒らせるからか、こんなにしょっちゅう笑っているイメージはない。
そうやってアナの様子を見ていたら、突然、彼女がすっと扉の方を見た。
そうして幸せそうな笑顔になる。
その変化を見たマリエが、なぜかとてもうんざりしたような表情で、扉の方を向いて言う。
「いつからいたのよ」
マリエの声と同時に、扉が開かれ、そこから現れたのは、金髪碧眼の男性。
どこか人を和ませる、そんな雰囲気を持った男性は、アナの方へ向かうと、アベル以下三人の客の存在を完全に無視して、アナの頬にキスした。
マリエのうんざりした表情から、どうやらこれは挨拶らしいとアベルは茫然としつつも思っていた。
「ただいま、アナ」
「おかえりなさい、レナート」
「気配で気づくなんてさすがだね。いつも我が子供たちは全く気付いてくれないのに」
驚くほど甘い雰囲気を醸し出した大人二人に、レンとアベルは驚き固まり、シェリアはどこか懐かしいものを見るような目で眺め、マリエはうんざりした表情で、二人の間にわって入った。
「ストップ。お客様がいるの分かってるの? 二人していちゃいちゃしないで」
娘に怒られて、さすがにレナートはしゃんと背筋を伸ばして三人に向き直り、そういて笑顔で会釈した。
「初めまして。レナート・モンブラン。アナの夫にしてマリエの父です」
「……私はついでなのね」
「い、いや、そういうわけじゃ」
「子供はどうでもいいんでしょ? ったく愛妻家もここまで来ると病気だわ」
家族を前にしているからだろうか、マリエはいつものシェリア並みに痛烈だ。
「そんなことはない! マリエもアルノルドもアナと同じくらい大切に思ってるよ」
レナートは慌てたようにそう言って弁解する。
ふとシェリアとアベルは視線が合った。
おそらく二人とも同時にレナートの言葉にひっかかりを覚えたのだろう。
しばらく視線で譲り合った後、結局シェリアが折れたので、シェリアが疑問を口にした。
「あの……アルノルドって?」
「ん? えっと、シェリアさんかな? マリエから聞いてませんか?」
レナートが不思議そうに言って、思わずシェリアとアベルはマリエの方に視線を向ける。
マリエはと言えば、気まずそうな、そしてとても苦い顔してしぶしぶと言ったような表情で話し始めた。
「アル兄のことは、正直……あんまり話したくなかったんだけど」
「マリエ……お前はもうちょっとアルノルドを認めてやっても……」
「だってうざいし……」
「いや、愛があるんだよ、あれは」
シェリアもどうやら知らなかったようだし、マリエは決して自ら兄の話題を口にしないらしい。
どうしてそんなに嫌がっているのか、疑問に思いアベルが問うと、マリエは大きくため息をついて、アベルの予想外の返事をよこした。
「アル兄はね、私のこと、大好きなの」




