緊張と戯れと
揺れる馬車の中、自然に身体が揺れるのは仕方がない。整備された道を走っているときはいいが、そうでない小さな道なら尚更。
しかしながら、馬車が砂利道で揺れる以上の揺れを、自ら引き起こしている彼には、さすがにそろそろ何か一言かけてやる必要がある。
そう判断した少年は、口を開いた。
「落ち着かないのは分かるけど、もう少しその足、なんとかならない?」
あえて冷めた口調で黒髪の少年が言えば、今の今まで足を揺らしていた赤みがかった茶色の髪の少年が、はっと気づいたように動きを止めた。
その顔が心なしか青い気がするのは、決して馬車酔いのせいではない。
「はあ……」
いつもはそれなりに大きい態度も、今日はとても小さい。
中身とアンバランスさのある、少し幼さを残すその顔は、今のアベルにはほどよくマッチしていた。
「オブスキィトなんだから、王城とかにも上がったことあるだろ? あんな緊迫感のある空間に飛び込むよりはましだと思うけど」
レンは、そう言いつつも、アベルは王城の方がマシだというだろうと、半ば確信めいた予想をしていた。
実際、彼は緊張するような性格でもないので、王城に上がるぐらいは、なんてことないだろう。
その割に、女子とはいえども、友達の家に行くだけに、この緊張度はないだろう。
「全然違うだろ……。国王陛下に会う方が緊張しないぞ……」
声がこんなにも力ないのは珍しい。
「重症だね。でもさ、言っとくけど、アベルは恋人ではない、ってこと分かるべきだと思うよ?」
「……何が言いたい?」
すっと細められた目がこちらを向いて、いつもより若干、赤の度合いを増したその瞳は、何かしら怒りのようなものさえ含んでこちらを見ている。
レンは軽く肩をすくめて見せて、そうして小さく首を振る。
「ただの友達の家、しかも、自分より格下の貴族の家に、お邪魔するのに、そこまで緊張しているのは不自然じゃないか?」
「う……」
さすがに正論だと思ったのか、それとも冷静になったのか。アベルの瞳から怒りの感情は消えたようだったが、レンの指摘は案外アベルをへこませたらしい。
さっきまでより深いため息をついて、そのまま馬車の壁にぐったりともたれかかってしまった。
「シェリアにからかわれるよ」
「ほんと、あいつは女神っていっても、シスクの名がぴったりだ」
うなるように言うアベルに、シェリアを庇うべきかしばし悩んだ後、慎重に言葉を選んで返答する。
「女神シスクのような冷酷非情さ……。男に関しては、そういうとこ、あるな」
馬車の揺れがふいに止まる。
窓の外から覗く屋敷を見る限り、目的地に着いたということだろう。
レンは開けられた扉から降り、そしてアベルも降りるように促した。
いつもの彼らしくない、どこか儚げにすら見える様子で、よろりと馬車から降りる。
そんなアベルを気遣いながらも、マリエが気にしていた屋敷を眺める。
モンブラン家の屋敷は、確かにレンの生家ほど大きくはないが、比較的新しそうな家で、デザインも小さいながらに凝っていて、無駄に権力誇示をしたがる伯爵家程度の屋敷よりはよほど好感が持てた。
「お待ちしておりました。アベル様とレン様でいらっしゃいますね?」
屋敷を眺めていたところを話しかけられて、そちらを見やると、若い女性が立っている。
「あら……具合がお悪いのかしら?」
「いえ……その、大丈夫です」
最初の一言こそ、力なかったが、人前ということもあってか、アベルはいつもの状態に近いところまで体制を立て直した。
その様子を見て、若い女性は首をかしげたあと、ふんわりと笑って、大丈夫なら良かったです、と言ってこちらを見る。
レンは初め、使用人かと思ったが、それは違うのではないかと思い始めてきた。
服装は動きやすそうなシンプルなものであるが、女性の髪の色が、マリエと同じ赤銅色で、顔立ちは似ている、とは思わないもの、ずいぶん可愛らしい人だ。
母親か姉か、悩むぐらいの歳である。母親であれば非常に若いし、姉であれば、それなりに歳が離れているように思える。
「失礼ですが……マリエのご家族ですか?」
「え」
レンの言葉を聞いて、いつもほど頭の働いていないアベルが思わずと言ったように声を上げた。
若い女性は、少しだけ残念そうな顔をした後、いたずらっぽく笑って言った。
「はじめまして。アナ・モンブランです」
レンも子爵家の女性が自ら出迎えに来たことに驚いたが、アベルは驚きというよりはショックを受けたらしい。
目を何度もしばたいて、何か言葉を探しているように見える。
レンはしばし考え、そこでようやく、彼女の母親が、貴族ではなく平民出身であることに思い当たった。
平民ではこれは普通なのか、その判断は侯爵家長男のレンには分からない上に、そもそも彼女が姉か母かも分からず、流石のレンでも混乱していた。
そんなレンとアベルの様子をよそに、アナは小さく本音を漏らした。
「んーやっぱりばれちゃった……。マリエに怒られるなあ……」
「マリエは知らないんですか?」
ようやく緊張がほぐれてきたのか、アベルが思わずといったような感じで口を挟む。
「だって言ったら怒るもの」
「お母さん!」
アナが言ったのと同時に、マリエの声がして、そちらを見る。
彼女はいつもの制服とは違い、ドレス姿で、こちらに駆け寄ってくる様子も、どことなく走りにくそうだ。
赤銅色の髪は左側で一つにくくられていて、ゆるやかに波打っていたが、走ってきたため多少乱れてしまっている。
「何してるの!?」
「う……使用人のフリ?」
「バカじゃないの! どうしてお母さんはじっとしてられないのよ!」
「だって、子爵家夫人なんて暇なのよ! 料理も毎日はできないし!」
「そんなことでダダこねないで! お父さんに文句言ってよ!」
唖然茫然としているレンとアベルを置いて、母娘の喧嘩は止まることを知らない。
「レナートが、アナの好きにしていいよ、って言うから……」
「お母さんもお父さんも、三十にもなってバカ夫婦を卒業できないの!?」
「お父さんはもう三十二よ」
「なお悪いじゃないっ! お父さんもお母さんを甘やかしすぎだわっ」
「当然よ。愛されてるんだから」
潔く言い切ったアナに、マリエはうんざりだという表情を見せていて、これが日常茶飯事であることを悟らせる。
しかしながら、レンとアベルの母親は絶対にしないような行動をするアナに、もはやどんな反応を返せばよいのか分からず、完全に置いて行かれていた。
「マリエ。その辺にしといたほうがいいんじゃない? レンとアベルが変な顔してる」
いつからいたのだろう。
「……シェリア」
「久しぶり。レン」
いつもならば絶対に見失うことのないだろう、強い存在感を発してそこにいる黒髪の美少女は、今日はアナの陰に隠れ、レンでさえもシェリアが近づいてきたことに気づかなかった。
「あ……ああ、やっちゃった……」
マリエはと言えば、完全にレンとアベルの存在を忘れ去っていたらしい。頭を抱えてしゃがみこんでしまった。
同時に彼女のドレスがふわりと広がって、そのまま地面についてしまう。
「あら、大丈夫?」
「お母さんのせいよ……」
アナが軽くマリエの肩に手を置いて問えば、彼女は顔だけアナの方を向けて、むっとした表情でつぶやいたのだった。




