母親
シュトレリッツ王国南部の、小さな山に囲まれた盆地。
緑広がるのどかな町並みの中に、モンブラン家は存在していた。
一応、貴族だけあって、それなりの広さを誇る庭を、行ったり来たりしながら、赤銅色の髪の少女は、友人二人の到着を待っていた。
「……はあ……」
シネラリアにいるときと違い、制服のズボン姿ではなく、貴族のお嬢様らしい、ドレスを身にまとっている。
シンプルではあるが、それなりに品のあるドレスだ。
久々に着ることとなった、制服よりも重いドレスは、心にのしかかる重石のように感じられる。
「憂鬱になりすぎでしょう?」
長く艶やかな美しい黒髪の美少女が、庭に置いてある椅子にゆったりと腰掛けながら、右往左往としている赤銅色の少女に向かって話しかける。
少女もまた、ドレスを身にまとい、その長い黒髪は、右サイドに流されている。
シェリアの生家、リエーソン家は、王都のすぐ南に位置しており、リエーソン家には、王都からまっすぐ南へと延びる大きな整備された道が通っているため、それを使用して、リエーソン家よりさらに南にあるモンブラン家に来るのは、比較的容易である。
そのため、三人の中では、一番早くにモンブラン家に到着しており、すでに滞在三日目であった。
「だって……やっぱり緊張する……」
心臓が早鐘を打ち、なんだか奇妙な圧迫感に心を急き立てられて、マリエは落ち着かなかった。
シェリアはまだ許容範囲だが、公爵家ならびに侯爵家という、なんとも格式の高いお家柄の二人が、子爵家にくるのだ。
政治的なものではないとはいえ、やはり複雑な思いを抱えている。
そして何より、マリエの心配は、両親である。
「マリエ、お茶、持ってきたわよー。シェリアちゃんもどうぞ」
両親についての不安を頭に思い浮かべた途端に、母親の明るい声が聞こえた。
マリエと同じ赤銅色の髪を持つ女性が、紅茶とカップをトレーに乗せて、こちらに運んでくる。
軽やかな足取りで歩み寄ってきた女性は、正真正銘マリエの母親であるが、たいていの場合、最初の一度では信じてもらえない。
彼女はとても見た目が若い。否、むしろ幼い。
彼女の誕生日がマリエのよりも遅いため、マリエが十三歳になってもしばらくは二十代である彼女は、実際に若いのだが、そういうレベルではないのだ。
マリエの母親ではなく、姉ですと紹介しても、誰も疑わないほど、彼女は童顔であった。
マリエは髪と瞳の色こそ母親のものを受け継いだが、顔立ちはどちらかというと父親よりなので、母親ほど童顔ではない。
「……ありがとう。そこ、置いといて」
相変わらずの母親の若さに、ためいきをつきながらも、何気なくシェリアの前にあるテーブルを指した。
「ありがとうございます」
シェリアも優雅に礼を言って、座ったまま軽く頭を下げた。
「どういたしまして。それにしても……マリエは心配性ねえ」
「お母さんがのんきすぎるのよ!」
「だって、あなたのお友達でしょう? 大丈夫よ。十二分に広い屋敷だし、そもそも来るのが嫌なら、理由をつけて断ると思うわ」
のほほんと笑って言った母親の言葉は、確かに正しい。
しかしながら、平民出身の彼女が十二分に広いと思ったところで、爵位があがればあがるほど、特に侯爵クラス以上となれば、屋敷の広さはけた違いに変わってくる。
自分の家を恥ずかしいと思ったことは一度もなかったし、この家を気に入ってはいるものの、自分でもよくわからない、プライドのようなものが、マリエの神経をとがらせる。
「ほら、紅茶が冷めちゃうわ」
しょうがないわね、と笑ってためいきをついて、マリエの頭にぽんと手を乗せてから、背を押して、マリエを椅子に座らせた。
マリエは母親に促されるままに席につき、そうして紅茶を口に運んだ。
香り高いこの紅茶は、マリエのお気に入りのものだ。
「じゃあ、ごゆっくり」
自分の娘が座って紅茶を口にしたのに満足したのか、そう言って、彼女はその場から退散した。
その後ろ姿を、シェリアがじっと見つめている。
「……不思議ね」
滞在三日目にして、もう何度目になるか分からない、その言葉を、シェリアはつぶやいた。
やはりそれだけ違うということなのだろうか。
しかし、マリエは怖くて聞けなかった。すでに二年経っているとはいえども、以前、その話題で地雷を踏んでしまっているため、どうにも気が進まないのだ。
だからマリエはただ、シェリアの横顔をじっと見つめた。
「どうしても不思議だわ。私のお母様もさしてプライドが高い方ではなかったし、直情型でもなかったけれど……娘のためにお茶を運ぶなんて考えられなかったもの」
過去形で語られる事実がつらい。
マリエが深くは踏み込めない彼女の事情を、一片であったとしても、レンとアベルは知っているのだろうか。
リエーソン家に行くならば、あらかじめ知っておいた方が良いとは思うが。
「それでも、きっとマリエのお母様にとっては、やることが当たり前で、やりたいこと、なんでしょうね」
「そう思うわ。自分でやりたいのよ。家事は私のテリトリーだ、って言い張ってるからね。私を育てたのもお母さん」
「乳母がいないの?」
「ええ」
シェリアが驚いた様子でこちらを見たことから察するに、きっとそれは貴族の子女としては珍しいことなのだろう。
そういえばラウリの家にも乳母はいた。
彼の両親は、貴族であるからだろう。
「でも……」
シェリアはすっと立ち上がり、テーブルに手をそっと乗せる。
「私のお母様がいれば、きっと……マリエのお母様とは気が合ったと思う」
この三日間で一番踏み込んだ話に、マリエは思わずシェリアを見上げた。
彼女と重なる太陽が、まぶしい。
彼女の表情は、強すぎる光によって、こちらからは見えなかった。
「ねえ、マリエ。私、たぶん、マリエが思っているほど、お母様のこと、気にしていないの」
それは彼女の強がりだ。
確かにマリエは知らない。彼女の母が生きていたときのシェリアを。
だからこそ、彼女の母の死が、彼女をどう変えたのか、知っているわけではない。
それでも、彼女が母親について話すとき、どこかに一抹の寂しさを漂わせる。まだマリエが彼女の母親の死について知らなかった頃、深く考えずに聞いてしまったのだ。
シェリアのお母さんはいくつかと。
あの時見せた彼女の表情が、忘れられないのだ。
「確かに悲しかった。でも、私は嘆いているばかりではいられなかった。弟もいるしね」
明るい声。
その声に嘘は無いように感じられるが、マリエは何と言ってよいのか分からず、答えに窮した。
そんなマリエの反応も全て分かっているというかのように、シェリアは、そっと、言葉をつづけた。
「今はもう、お母様のこと、思い出にできるくらいにはなったの。だから、あまり私に気を使わないでほしい。うちにきても、そういうつもりでいてほしいの」
まっすぐとシェリアがこちらを見ている。
逆光のせいで、シェリアの顔は相変わらず見えにくいけれど、その強く確かな視線は、マリエに届いていた。
きっとこれは彼女の願いなのだろう。
事情を知らないアベルとレンが来る前に、言っておきたかったこと。
そうして、この話題を出したいがために、この三日間、同じ話題に触れていたのだ。
「……分かった」
まぶしさで目を細めながらも、マリエは笑って見せる。
「約束、ね」
シェリアも笑顔になった、気がしている。
いつのまにか、マリエは緊張を忘れていた。
どうしてここで若干シリアスムードになったんだろう……
と書き終わってから思いました。
二人で話す機会を探ったら、ここになってしまったんですけどね。
この後は、マリエの家ではしばらく平和な夏休みです!




