模擬隊実践編⑥
赤銅色の少女は、もやもやした気持ちを抱えて、一人必死に思考を巡らせていた。
守衛棟が目的地だと断言したところを見ると、シェリアとレンはこの不可解な状況をすでに掌握しているように思えた。
そして、シェリアの言動から、アベルは、シェリアよりもっと前から、何かしらの情報を得ていたようだったのだ。
謎の青年二人のうち、一人はフェルナンド。もう一人が分からない。
そしてシェリアは何故か、守衛棟が目的地だと言った。その確信は、おそらくヒントからではなく、もっと外部の情報だったはずだ。
シェリアはなんといっていただろうか。
フェルナンドはアレクシオス殿下付だと。
――ヴェールをかぶってないなんて、って言ったわよね……? そんな、でも、まさか!
フェルナンドはアレクシオス殿下付の近衛隊長だ。
それならば、現在も、アレクシオス殿下の護衛をしているのではないか。
フェルナンドの隣の青年は、アレクシオス殿下その人なのではないだろうか。だからこそ、ヴェールをかぶっていない、という発言につながったのだ。
シュトレリッツ王家の十八未満の者は、公に姿を現すとき、必ずヴェールをかぶる。
それは男女問わず同じことで、そのヴェール自体が、王族であることを粟原しているようなものでもあった。
しかし今、青年は、ヴェールをかぶっていない。
これは普通に考えれば、彼が王族ではないことを示すのだが、今の状況では、彼が王子であることの方がしっくりくる。
そして、仮に、ヴェラの場所が守衛棟と決めたのが、単にその場所が最も西の門に近い、つまり、王城に近いからだとしたら、どうだろうか。
王子がまさか視察という名目をぶらさげてくるとは思わなかったのなら、一番、侵入が容易な場所を選ぶのではないだろうか。
そうだとすれば、ヴェラの目的は、いったい――。
「開けるぞ」
アベルの声で現実に引き戻される。
目の前にある扉の向こうに、彼女がいるのだろうか。
すでに守衛棟の一番上まで登ってきてしまっているというのに、マリエはまだ、半信半疑だった。
扉が開く。
アベルは迷いなく部屋の中に入り、そして、残り五人もそれに続く。
「ああ。いらしてくださったのね」
にっこりと笑顔で、出迎えたのは、見事に波打つ金髪と碧眼をもつ美女。
心の準備ができる前に会ってしまった。
変わらぬその美しさに、マリエはふと視線をそらす。
「マリエも会えて嬉しいです」
マリエにもきっちりと言葉をかけてくれた彼女に、そらした視線を何とか戻して、そして、あることに気づいた。
彼女の反応にどこか違和感を感じる。
彼女は王子の婚約者なのだから、本当にあの青年が王子であれば、もっと反応があってもよいと思うのだが、完全に二人の存在を無視しているのだ。
「ヴェラ……」
しかしそんな疑問に答えるかのように、青年が、一歩前に踏み出して、そして、ヴェラに声をかけた。
その表情は、怒っているとも、嘆いているともどちらともいえないもの。
ヴェラはといえば、その呼びかけに、初めて二人の存在に気づいたようだった。
「殿下? どうなさいました? アベルと私が会うことが、そんなにお気に召しませんか?」
ヴェラの言葉と、それに対する周りの反応を見て、マリエは自分の推測が正しかったことを悟り、そして、自分の中の王子への認識があや誤っていたことも同時に悟った。
「アベル!? そいつはどいつだ!」
アレクシオスは怒気を隠すことなく、叫ぶ。
そして、先ほどアベルが名を名乗らなかったことの理由に、ようやく思い当たる。
「私です。殿下。しかし……」
すっと名乗り出て、前を見た少年に、アレクシオスは、眉根を寄せる。
「どうしてそんなにお怒りですか?」
「どうして、だと? ふざけているのか!」
王子の怒気を含んだ声に、マリエは肩を震わせるが、ヴェラもアベルも、そして何故かフェルナンドも特に気にした様子はなく、むしろ余裕さえ見せて、王子を眺めていた。
「私とヴェラ嬢の、ささやかな、精神的なつながりは、全く持ってこの国に害はないとは思われませんか?」
赤みがかった茶色の髪の少年の言葉に、マリエは思わず視線を反らした。
認めるのだ。彼は。ヴェラとの関係を。
その言葉が、どれだけ重大な問題か、今のマリエには理解が至らなかった。本来ならば、王子に喧嘩を売っているともとれるその言葉は、看過されるべきものではないのだが、フェルナンドは何も言わず、ただ成り行きを見守っている。
「なんだと……!」
王子は冷静さを失っていた。
マリエと同じくらいには、周りが見えていなかった。
「ヴェラと私は婚約者だ!」
「何も婚約を邪魔しようとは思っておりません。ただ、私はヴェラの幸せを祈るだけで」
ずきりと胸が痛む。
ヴェラと確かに名を呼び捨てにした。
二人の関係性は、そこまでに進んでいるからこそ、アベルはヴェラが捜索対象であることに対して驚きをみせなかったのだろう。
そして、王子のことも、ヴェラから聞いたのかもしれない。
「ヴェラの幸せ? 私では不足だと?」
「ヴェラの心次第ではないでしょうか?」
「バカな! お前のような子供に誰が負けるか!」
「子供? その子供に対して、ずいぶんと余裕がないようですね?」
マリエはふと、違和感を感じる。
もっと前なら気づけなかったかもしれない。しかし、数か月アベルとすごし、この気持ちに気づいてからは、マリエはアベルのことをそれなりに分かっているつもりだった。
少なくともマリエの知っている彼は、こんなふうに、自分の立場もわきまえずに、王子に喧嘩を売ったりする人物ではなかったはずだ。
そもそも話の中心のヴェラと、傍にひかえるフェルナンドの様子がおかしいことに、マリエはようやく気付いた。
二人とも、それなりに神妙な顔をしているが、どこか笑いをこらえているようにも見える。
オブスキィト家の後継者とトレリの王位継承者が口論している事態に、だ。
「うるさい! オブスキィトの後継者が私をバカにするなど!」
「では公表して糾弾なさいますか? オブスキィトの後継者に敗れた王子の話は、瞬く間に国民の知るところとなりましょう」
「っ! ヴェラ!」
アベルの方が年下であるはずなのに、あきらかに王子の方が押し負けていた。それは皇子が冷静さを欠いているからであったのだが、そういえば、何故王子はここまで激昂しているのだろうか。
ヴェラの話によれば、王子はヴェラには興味がないような様子だったというのに、今目の前の彼は、どうにもヴェラを盗られたくないと必死であるように見える。
――まさか……王子は、ヴェラさんのこと?
一瞬頭をよぎった考えだが、ヴェラはそうは言っていなかった。
「なんでしょう?」
しかし、ヴェラはどこか嬉しそうに、王子の怒りの呼びかけに答えている。
「お前はどうなんだ! 私の方がオブスキィトの後継者よりも、この、私より年下の子供よりも劣ると思っているのか!」
王子はいまだ怒り狂っていたが、ヴェラはそれに動じる様子もなく、しばし考える様子を見せた。
ヴェラとアレクシオスの視線が絡む。
ヴェラが再び口を開く前に、アベルがぽつりと一言漏らした。
「女性は、心を求めるものですよ」
「どういう意味だ!」
赤みがかった茶色の瞳が、アレクシオスの碧の瞳を射抜く。
「そのままの意味です。より、想ってくれる人の方がよい、ということです」
「バカな! 私がどれだけヴェラを――」
場に落ちる突然の静寂。
マリエは赤銅色の瞳を見開かずにはいられなかった。
最後まで聞くことは叶わなかったが、今の言葉は間違いなく、ヴェラへの想い。
王子はヴェラの言葉とはちがい、しっかりとヴェラを想っていた。
勢いに任せて言葉を放ったアレクシオスは、自分の口元を抑え、ぎゅっと目をつぶっている。
「くっ……あーはははっはは!」
それまで黙っていたフェルナンドが、突然、腹を抱えて笑い出した。
マリエがアベルに視線を移すより前に、場にそぐわぬ笑い声によって、アレクシオスが再び怒りに燃える。
しかし、そのフェルナンドを制したのは、アレクシオスではなかった。
「フェルナンド。どうしてもう少し我慢できないのですか? アベルの渾身の演技で、あと一歩まできていましたのに……」
呆れかえった口調で言うヴェラは、それでもどこか満足げだった。
そんなヴェラの様子とその言葉の内容に、マリエは思わずアベルの方を向いた。
赤みがかった茶色の瞳がこちらを見ていて、そして、小さくうなずく。
「どういうことだ! 演技!?」
「ヴェラさん……二度はないですよ。王子を怒らせるなんてこと、あなたがオブスキィトに関する損失は全て責任を負うと、この書面にサインしてくださらなかったら、絶対にしませんでしたからね」
状況を飲み込めていないアレクシオスの問いには答えず、アベルがヴェラを軽くにらんで懐から出した紙を王子に突き出す。
「この計画に加担したことによる、アベル個人および、オブスキィトに対する損失は、全てヴェラ・エミーリヤ・メディウムが責任をとるものとする……? まさか、全部ヴェラの……?」
「ええ。アベルと取引しました。取引内容に関しては言えませんが」
言葉を失ったアレクシオスの代わりに、シェリアがとても楽しそうな表情で、問いかけた。
「ヴェラさんは、欲しかったんですね。王子殿下の言葉が。そして、フェルナンド殿は協力し、視察と称して、この学校に王子が乗り込む機会を作った」
「ええ。そうですよ。聡明な御嬢さん。今度こそ、お名前を聞かせていただいても?」
さきほどまで大笑いしていたが、流石は、王子付の近衛隊長というべきか、一学生であるシェリアに対しても丁寧に対応してみせる。
そんなフェルナンドに、シェリアは、にっこりと笑って、名乗る。
「シェリア。シェリア・リエーソンと言います」
「ああ! なるほど。学術総合一位の生徒さんですね。学校長から話は聞いております。来年の任命式が楽しみですね」
「……私はまだ二年生ですが」
「それほどの成績ならば、二年で卒業はほぼ確定でしょう。謙遜はいりません」
シェリアが一瞬だけ見せた表情の陰り。
それがマリエには気にかかるが、シェリアはすぐに笑顔に戻ったため、この場で問いただすわけにもいかない。
レンもそれに気づいたらしく、シェリアの方をじっと見つめている。
「不愉快だ! フェルナンドもヴェラも、それからアベル・オブスキィト、お前も! 全員でこのような茶番を!」
「……王子殿下が悪いのです。私に対する想いを、全く口になさってくださらないのですから」
「それは……!」
「国を思うが故だとおっしゃるのならば、あなたはやはりまだ甘いのです。シュトレリッツ王国において、真に中立で、王家に忠実なのは、誉れ高きストケシア家のみ。私との婚姻の理由が、メディウム家の中立だとおっしゃられるのであれば、それは、王子殿下の無知を露見させかねません」
ヴェラの思わぬ反撃に、アレクシオスは言葉に詰まる。
マリエは、その様子をみて、思わずシェリアの方を一度見た。
太陽のような美しさと、月のような美しさを持つ二人。
初めは正反対だと思った二人は、実はどこか根本的な部分では同じなのかもしれない。この二人は、美しいだけの女ではない。
「私ごとに巻き込んだアベルには申し訳なく思います。しかし、今回、欲しい言葉をもう少しでいただけそうでしたから、それで私は満足です」
ヴェラが美しく、上品にお辞儀をする。
アベルはそれに礼を持って応えた。
「その言葉の続きは、いつか、聞かせていただければ――」
「――私の想いを確かめるために、それだけに、この計画を?」
いいかけた言葉を制して、アレクシオスが問う。
「……はい」
ヴェラは、少し驚いたような表情を見せたあと、静かにうなずいた。
「ヴェラ」
先ほどまでの声とは違い、アレクシオスの声はとても落ち着いていた。しかし、その中には、激しい情熱がある。
「私はお前を愛している。だからこそ、婚約者として選んだ」
王子の言葉は、そのまま誓いのようでもあった。
その場にいる、ヴェラ以外の五人の存在などないかのように、堂々と、当然のことのように言うその姿は、次期国王としての、威厳すら感じさせる。
「この場の五人が、私の言葉の証人だ。これでヴェラの目的は、果たされただろう?」
五人、と言いながらも、アレクシオスはアベルを見てそう言う。
初めてアレクシオスは、穏やかな表情を見せていた。
アベルはその言葉を受けて、礼をとる。
フェルナンドは驚いたようにアレクシオスを見たあと、小さな笑みを漏らした。
ヴェラはと言えば、王子の言葉をこの場で聞けるとは思っていなかったのだろう、なんと声をかけるべきか悩んでいるようだった。
「帰るぞ、ヴェラ、フェルナンド」
「……はい」
しかし、続いて言われたその言葉には、しっかりと返答を返す。
ヴェラの帰る場所はどうあってもアレクシオスなのだ。
そして、ヴェラが思っているのは、アベルではなく、間違いなく、アレクシオスなのだとマリエも実感した。
「事後処理はお任せくださいね」
フェルナンドが先導し、この国の次期頂点たる二人が部屋から退出する寸前に、ヴェラがアベルに言って微笑みかける。
「それも契約内容のうちですからね」
当たり前だとばかりにアベルが肩をすくめる。
「情報を漏らさなかったのも、ヴェラさんの口止め?」
「ああ」
レンの問いにより、マリエもアベルの一連の行動の原因をようやく完全に理解する。
「そういえば……リエーソン伯爵と同じ、深い緑色の瞳ですね」
そんな会話の隣で、フェルナンドが今思い出したとばかりにそんなことを口にする。
最近、問題となった話題であるばかりに、シェリアは目を丸くして、そうして微笑んだ。
「流石、近衛隊長ですね。よく見ていらっしゃるわ」
そんなシェリアの反応に、フェルナンドはどうやらその意図を掴むことができなかったらしく、あいまいに笑った。
「頭の回転の速さも、あの男そっくりだ。あれほどの男なのに伯爵の地位に甘んじているのは、何故なのか疑問だが」
王子がどこか嫌そうにいった言葉にも、シェリアは笑顔で礼を返す。
「マリエ」
ヴェラの声で、マリエはそちらを見た。
「私は王子をお慕いしておりますし、アベルのことは、昔馴染みの弟のように思っております。そして、アベルも、私に姉以上の親愛は抱いておりません。だから、どうか誤解はなさらないでね」
ヴェラは優雅微笑んで、隣で王子がわずかに顔を赤くしているのにも気づかないように、さらりとそんなことを言った。
マリエはその言葉に深くうなずき、微笑み返す。
「姉ほどの親愛も抱いていないですよ」
三人が部屋を出て行ったあと、ぽつりとつぶやかれたアベルの本音に、マリエは久しぶりに、心から笑ったのだった。
模擬隊実践編終了!
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