ついに、捕らわれる
「手紙が落ちてきませんでしたかっ!」
後さき考えず、かなり勢いよく木の裏側に回り込んだため、手紙を拾った人物を視認しても、その勢いを殺しきることはできなかった。
そのため、木の裏側にいた人物に腕を掴まれて引き寄せられるという失態を犯してしまった。
手紙が足元にぱさりと落ちた。
「……シェリア」
恐ろしく低い声で言われて、思わずシェリアは身をすくめた。
同時に、少しだけ体の向きを変えられて、背中が木につくのを感じた。
左腕は、手首のあたりを下の方でつかまれたままの状態で、シェリアは顔を上げる。
思いのほか近い距離に、深い藍色の瞳があった。
「レン……ひ、ひさしぶり……」
「うん。久しぶりだね」
整った顔立ちに、完璧な笑みを浮かべているが、その藍色の瞳が笑っていない。
そして、何気に、シェリアが逃げられないように、レンは自らの左腕を、シェリアを囲うようにして木についている。
「一か月もかかると思わなかったなあ……シェリアを捕まえるのに」
左手首を掴んでいる手に、力が籠められるのを感じた。
言われずとも分かる。
レンは怒っている。
それも、シェリアが今まで見たことがないぐらい、ひどく。
「あんなに避けられるなんて、納得がいかないんだけど?」
「……あんなに追いかけられると思わなかったわ」
「逃げるからだろ?」
「追いかけるからでしょ?」
心臓がドキドキとうるさい。
ある種の恐怖と、動揺、それからレンと至近距離で会話することに対する緊張。
それらすべてを抑え込むようにして、できるだけ冷静な声を出す。
「……ターシャのことだけど」
「聞く必要性を感じないわ」
小さくためいきを付いた後に切り出されたその言葉に、シェリアは即答した。
「言う必要性があると思う。誤解だ」
深い藍色の瞳がこちらを見る。
何を誤解しているというのか。
レンがターシャのことを好きだと誤解している、という意味ならば、そんな言葉は意味をなさない。
それはほとんど確信していることだ。
しかしだからこそ、シェリアはレンと距離を置く必要がある。
「誤解? 何が? ターシャがあなたのことを好きなのは間違いないでしょう? 私にはそれ以上の事実は要らない。あなたがどう思っているかなんて、関係ないわ!」
冷たく言い捨てながらも、シェリアはレンの顔を見ることができなかった。
下を向いて、まず最初に視界に入ったのは、レンが落とした手紙。
レンが手紙を読んだとするならば、噂になる心配はないだろう。とりあえず。
次に視界に入ったのは、二人分の足。
二人の足は、交互に並び、半分ほど足先がかぶっていて、二人の近さを再認識させることとなり、それがまた、シェリアの冷静さを奪う。
「……俺がどう思っているか関係ない……か。俺に興味がないってこと?」
声からは、レンの心情を推し量るのには限度があった。
その声は温度を含まず、起伏もない。
そして、その質問に、シェリアは答えることができなかった。
首を横に振ることはできないし、かと言って首を縦に振ることは、嘘になる。
レン相手に、今、動揺している自分が嘘をつき通すことができるとは思えなかった。
こうなれば、レンが勝手に沈黙を肯定だととってくれることを祈るしかない。
「沈黙は、否定……でいいのかな?」
「な……! 普通は沈黙は肯定でしょう!」
そんなことを考えていた矢先に、予想外の言葉を言われ、思わず反論して顔を上げた。
しかし視界に入ったのは、藍色の瞳ではなく、レンが立っていた方向にある景色。
一瞬の間に、レンはシェリアを捉える右手はそのままに、左腕をシェリアの右腕ごと抱きしめるようにしてシェリアを抱き寄せていた。
そして二人の顔は、互いの肩にのるような形で収まっている。
「ちょっと! 離れ―――」
「―――好きだよ」
慌てて振り切ろうとしたシェリアの耳元で、レンが囁くように言う。
その声に、シェリアは思わず体をびくりと震わせて、抵抗を止めてしまった。
シネラリア養成学校に入学して以来、何度となく聞いた言葉だった。
その言葉は、シェリアにとってはもはや意味をなさず、シェリアの心を揺さぶるものではない―――はずだった。
―――なんで……。
その言葉を聞くのが怖くて、その言葉を聞いて、結果、傷つけることになるのが嫌で、逃げ回ってきたはずだったのに。
―――どうして……こんなに嬉しいの?
理由は理解しているつもりだった。
でも、きっと、本当の意味では分かっていなかったのかもしれない。
「……っ! 私は……」
言葉が継げなかった。
何を言えばいい?
喜びを感じていながらも、それでも、脳裏によぎるのは、金髪の少女だというのに。
「シェリアが俺のこと好きでいてくれている以上に、好きだ」
混乱するシェリアをなだめるように、優しく、それでいてどこかおどけて、そんなことをレンは言う。
「シェリアは分かってたはずだ。じゃあ……なんで逃げた? どうして、聞いてくれなかった? ターシャの告白を聞いたにせよ、シェリアは俺の気持ちを正しく分かってたはずだ」
ふっとレンが腕を緩めて、そしてシェリアの深い緑色の瞳を覗き込むようにして、こちらを見る。
今度はその深い藍色の瞳をしっかりと見つめ返しながら、シェリアは言う。
「怖かったからよ。ターシャとの関係が崩れるのが。ターシャを、誰かを、また傷つけてしまうのが」
シェリアが傷つけたわけでないにしろ、守れなかったら、それはそれで同じことなのだ。
もう、守れないのは、誰かが目の前で傷つくのを見るのは、嫌なのだ。
「また……って、いったいいつ、シェリアは人を傷つけたんだ?」
「私が何かしたわけじゃない。でも……私が守りきれなくて、怪我をさせそうになったり、身体的には大丈夫でも、精神的には傷ついたり……そんなことが、あったのよ」
「でも今回のことは、特に誰も傷つけない」
「ターシャが……!」
レンがなだめるようにそういうが、シェリアは首を横に振る。
しかし間髪入れずにレンが、思いもよらないことを言った。
「ターシャは俺のことを好きなわけじゃない」
「え……? は?」
驚いてレンの顔を見れば、いたずらが成功した子供の様に、どこか楽しげに笑っている。
「誤解だっていっただろ? ターシャが好きなのは、あくまでも俺の顔。ついでに、シェリアの顔の方が好みらしい。なんでも、美形好きだとか?」
「え……あ!」
美形好きという単語を聞いて、ターシャの言っていた言葉を思い出す。
図書室で言っていたのは確かにそういう話だった。
そして、そういえばルミエハの令嬢の顔についても、性格は好かないが、顔は好きだと評していたように思う。
「ってことは……一か月……」
「俺が大変だっただけだね」
「何言ってるの? 私がどれだけ労力をさいたか!」
無駄な鬼ごっこに時間を費やしてしまったらしいことをようやく認識して、シェリアはためいきをつく。
「さて、誤解も解けたし、告白も済んだから、返事を聞かせてもらおうかな……と思ったけど」
「思ったけど?」
急に温度が下がったのが気になってシェリアは思わず問い返す。
「忘れてるでしょ? どうして今、捕まってるか」
その言葉と同時に、レンの視線は二人の足元へと向かう。
そしてその視線のさきにあるのは、件の手紙。
「あ……」
「どうしてこんなことになってるのか、説明してくれる?」
背筋が凍るような冷たい声に、シェリアはびくりと肩を震わせる。
どうしてダンテからの手紙の内容で、レンに怒られなければならないのか―――そんな初歩的な疑問はふっとんでいた。
「一か月の間に、何があったわけ?」




