形を持ったその想い
寮の部屋で、二人の少女は、向かい合っていた。
一人は机の椅子に座り、一人はベッドに腰掛けて、深緑の瞳と、赤銅色の瞳が交差する。
「私、ね……好きになったの」
ゆっくりと、マリエは話を切り出した。
「……誰か、聞いても?」
間を開けて、シェリアはそう問うが、きっと彼女は答えを知っているのだろう、とマリエは確信していた。
彼女がまったく驚いた表情を見せなかったからだ。
「アベル。アベルを。絶対に……好きになっちゃいけない人を」
「なっちゃいけない?」
不思議そうに眉をひそめて、そして、彼女は重ねて問いかけてくる。
「なりたくない、じゃなくて?」
「え? ああ……。最初は、そう思ってたかも」
シェリアの言葉がストンと胸に落ちた。
自分の言葉を訂正する必要性は感じなかったが、自分が自分の感情にああも気づけなかったのは、無意識の抵抗があったのかもしれないと思ったのだ。
「ちなみに、どうして、好きになっちゃいけないと?」
シェリアの声が、ひどく優しい。
そういえば、こういう話をするのは初めてだとマリエは思った。
シェリアもマリエも、確かに告白される回数は多いが、自分から人を好きになったことはなかったのだ。
「だって、アベルはオブスキィトだもの。ヴェラさんと並んでも、彼女よりも家格が高いなんて……私には、遠いわ」
「オブスキィトが壁?」
「オブスキィト自体というか、アベルがね、時々、やっぱり公爵家の人間だなって見える時があって、そういうときは、私にはひどく、遠く感じられるの。子爵家の、しかもモンブラン家みたいに、そういうお家争いからは遠のいていた私にとっては、ね」
「それで……あきらめてるの?」
シェリアの言葉に少し非難の響きを感じられて、マリエは少なからず驚いた。シェリアは、どちらかと言えば、アベルを好きになることに対して反対だと思ったのだ。
普段の言動にしろ、彼女はアベルに友好的とは言い難い。
「……さっきね、二人になったとき、ヴェラさんのことで相談したいって言われたの」
「痛っ!」
突如あがった悲鳴に、あわててそちらを見ると、シェリアが先ほどの、金属片が入った袋を握り締めていて、その手を開くと、手のひらが切れて赤く染まってしまっている。
「ごめん。あまりのバ……じゃなくて、えっと……ちょっとうっかり握り締めちゃっただけなのよ。ちょっと医務室行ってくるわ」
自分の手のひらを切った金属片ながら、それから自分の血を丁寧にふき取って、それを机の上に置き、シェリアは寮の部屋を出ていく。
シェリアに話したことで、少し頭が整理されたような気がする。
彼女が部屋を出て行ったのは、マリエに考えさせる時間を与えたかったのかな、などと考えていた。
「バカはどこまでいってもバカなのね」
黒く長い艶やかな髪をもつ美少女は、その深い緑色の瞳に怒りを灯して、悪態をついた。
部屋の中に届かないように、それでも、確かに音として発した。
「怒って、手を思いっきり握りしめて、切っちゃったじゃない」
部屋に一人で置いてきたマリエが気がかりだが、昔のことを話した照れもあり、さらにそれに付随する感情の高まりもあって、あのまま部屋にいたらアベルへの怒りをぶちまけてしまいそうだった。
マリエが自覚する前なら、そのままぶちまけてしまっても良かったのだが、自覚後では、シェリアがアベルを否定すればするほど、マリエは自分の気持ちから目を反らすだろう。
マリエには、正直に気持ちと向き合ってほしかった。
向き合えなかった自分の後悔をさせたくない。そして、助けられなかったのに、さらに彼女の足を引っ張るような真似はしたくなかった。
医務室のある棟は、寮とは別なため、それなりに距離がある。
夕焼けに染まる建物を横目に、シェリアは目的地まで歩いていく。
角を曲がったところで、見覚えのある人たちが視界に入った。
声をかけようとしたところで、シェリアはぴたりと動きを止める。
「私、レンさんのこと、好き、ですよ」
金髪碧眼のトレリ標準のような少女が、いつものたどたどしい喋りで、それでもしっかりと深い藍色の瞳を捉えて、言葉を発していた。
彼女の頬は赤く染まり、それはとても嘘には思えない。
言われたレンの驚きもさながら、傍にいたキースも、彼女の告白に固まっているように見えた。
シェリアは、やっぱり、と思わなくもなかったが、何故か、足が動かず、立ち尽くしていた。
ターシャの様子を見ていれば、察しのついたことだ。以前そうなんだろうと思った記憶がある。
それに、以前、美形が好きだとも言っていた。レンなどは、ターシャの好みにあたるだろう。
しかし、実際にその場を目にすると、湧き上がる感情に、戸惑いは、あった。
ふいに、深い藍色の瞳がこちらを向く。
二つの視線は交差して、そして、初めて黒髪の美少年の顔に、焦りが見えた。
「シェ……」
「な、なんか、ごめん」
何かを言いかけたレンを振り切って、来た方の道へ戻って走っていく。
何もあの道を通らなくとも、医務室のある棟へは行ける。
しばらく走り続けていたが、さすがに疲れて足を緩め、歩く。
体中の感覚が、一気に戻ってきたようで、手のひらに痛みが走り、そちらをふと見やる。
さきほど傷つけた手のひらに、さらに爪が食い込んで、一度止まった血が、再び流れ落ちていた。
それを持っていた布で丁寧にふき取り、そのまま、その布を握り締める。
「バカは私もかな?」
シェリアはそう鈍くはないのだ。
今の自分の感情の乱れは、何が原因かぐらい、自分で自覚はある。
「なんで……今気づくのよ」
小さくつぶやきながら、シェリアはひたすらに歩く。
たぶん、好きになったのは、もっと前なのだ。
それこそ―――あの時から。
「……逃げてたのは……私か」
記憶が邪魔した。
恋心も確かに抱いていたはずなのに、過去の記憶が、シェリアに植えつけたのは悔しさだった。
たぶんいつだってライバル視してきた。
だからこそ、気付けなかった。気付きたくなかった。
「ワガママ」
レンと剣を交えるときの高揚感。
レンと学術テストで勝負するときの緊迫感。
二人の距離はいつだって良きライバルだったはずだ。
それを無意識に心地よいと思っていた自分に気づいた。
手放したくないとさえ、願った自分を知った。
「ターシャ……か」
ターシャがクルクマの人間であることにほっとしている自分が情けない。
彼女はルミエハ派の人間だ。
中立派に近ければ、それも障害にならないだろうが、クルクマ家はいつだってルミエハ家にわりと近い。
王都からつながる大きな道の設立を、クルクマ家が了承しないのは、オブスキィトの領地とつながる大きな道を作るのが嫌だと言う理由なのだ。
そのぐらい、クルクマ家は、オブスキィト派を忌避している。
そこには抗えない家の壁があって、それに対して、こんなにも安堵しているのだ。シェリアは。
ターシャのことは、わりと好きだと自分でも自覚している。
歴史について、一部的だが話は合うし、彼女の考え方は、案外興味深いものがある。
友人と言っていい距離感にいるターシャの恋は、本当なら応援したい。
いつものシェリアなら、絶対にとりもつぐらいのことはしたはずだ。
「できないわ……」
絶対に。
そして、同時に聞けもしないと思った。
レンのターシャに対する感情についてなど、聞けないのだ。
それは、レンとの関係の崩壊を恐れるだけではない。ターシャとの関係も含めてだ。
「あまりにも……弱い」
乱れ狂った感情の渦のまま思考に浸っていたら、すでに医務室の前にまで来ていたことに気づく。
扉を開ける前に、大きく深呼吸して、平静さを装う。
いつだって強くいなければならないのだ。
それが、あの少年に対する礼にもなる……そんな風に、考えていた。
次回はレンsideですね。
レンは何を思ったんでしょうね。




