深緑は許さない
二の月に入り、寒さは厳しいが、食堂の中は温かい。
それに、早朝の食堂は、やはり人が少なくて過ごしやすい。
ここ一週間ばかり、マリエとシェリアは、再び早朝の食堂を利用していた。
「おはよう」
それと同時に、当たり前のように、同じテーブルにつく少年二人。
その赤みがかった茶色の髪の少年と目があって、彼にあいさつを返す。
「おはよう、シェリア」
「……」
シェリアはあの日、マリエが階段からつきおとされた日、犯人をつきとめて、何やらいろいろ“釘を刺した”らしい。アベルはきっちりと教師に通報して、教師からも怒られたはずなのだが、どちらかと言えば、シェリアからの釘刺しの方が効いたらしい。
いったい彼女は何をしたのか謎であるが、その翌日、流石シスクの化身と嫌味を言う女の子がいたことで、とにかく何か非情なことをしたのかなと思った。
あの日以降、アベルともレンとも行動しているので、嫌がらせ自体はやまないが、どうにもマリエの周りが過保護になり、絶対にこの三人もしくはラウリが、マリエと行動をともにするようになった。つまり、マリエが一人で行動することがなくなった。
そのおかげで、嫌がらせもどうにか四人の目を盗んで、あるいは四人の前で行おうとして、四人に阻止されるパターンとなった。
ただし、この方策を、シェリアは認めていない。
その原因である二人がマリエに近づくのを快く思っていないのが丸わかりだ。
マリエとしては、あまりシェリアにべったりとして、今度彼女に危害が及んだら、と思っていたのだが、その心配自体は、他の四人に全否定された。
そんなわけで、シェリアは、毎朝機嫌が悪いのだ。レンの笑顔のあいさつにも、なんだか無視が多い。
「シェリア、私、最近はずいぶんとましになってるし……そんなに無視しなくても」
マリエがためいきをついてフォローを入れる。
すると、シェリアはその美しい顔を少しだけゆがめて、そして、彼女もまたため息をついた。
「マリエがお人よしすぎるのよ。だいたい、階段から落とされるなんて……」
「間に合わなくて悪かったって言ってるだろ!」
シェリアの睨みに、アベルが苛立ったように言い返す。
最初の頃と違い、彼はあっさりと謝罪を口にするようになった。
その態度自体は、一見、反省しているようには見えないのだが、これは彼なりの誠意の見せ方なのだろうと、なんとなくマリエも思っていた。
「とりあえず、ごはん食べましょう」
永遠に続きそうな二人の言い争いに割って入る。
そうすれば、シェリアもため息をついて、それに従った。
「これで授業は終わりじゃが、三代のミオ・シュトレリッツ女王について、レポートを提出せい。来週までじゃ」
マックリンのしわがれた声が、授業の終わりを告げる。
「あ、あと、シェリア・リエーソンは、ついでに彼女の旦那についてもレポートを提出するようにの。お前さんは今ここででもミオ・シュトレリッツのレポートをかきあげられるじゃろうから、つまらんしの」
「わかりました。……まあ、旦那についても今ここで書けるけどね」
シェリアがにっこりと笑って返事した後、小声でつぶやく。
後ろに座っていたラウリが、そのつぶやきを聞いて苦笑していた。
「流石はシェリアさんだな。でも、いいの? 追加で出されちゃってるけど」
「いいのよ。大した手間じゃないし。追加で出せば加点をくれるしね」
なんでもないように言うが、歴史学のレポートは、一人について書くのも、マリエにとってはかなり難物である。
それを二人分書かされるなんて、マリエには無理な芸当だ。
「まだ二の月で、そこまで目をつけられるなんて、何をしたんだ?」
そういえば、歴史学の授業を四人並んで受けるのは初めてだ。
だからアベルとレンは知らないのだろう。二週間前のシェリアとマックリン教授とのやりとりを。
「ちょっと、歴史について討論しただけよ」
「……ちょっとのレベルじゃなかったと思うよ」
ラウリが小さくシェリアに反論し、マリエもそれに同意してうなずいた。
「だってアンリの話なんて、一番楽しいじゃない。憶測だらけで仮説も立てやすいし」
思わずマリエはラウリの方を見た。
すると、ラウリもこちらを見る。
二人で視線を合わせて、そして同時に同じことを思ったらしいことがおかしくて、二人で同時に噴出した。
「何笑ってるの?」
深い緑色の瞳を大きく見開き、まったく意味が分からないといった表情で二人を見つめてくる。
「定まってない歴史なんて、一番レポート課題で厄介だから、私たちには嫌いな部類よねって、目で会話してたのよ」
「流石、幼馴染ね」
マリエがそう言って笑えば、シェリアは何故かとても面白いものを見つけたとばかりに、目を輝かせてそういった。
「次、騎乗槍術、いくぞ」
そこへ突然、アベルの苛立った声が割って入り、そしてマリエの腕をつかんで立ち上がらせる。
「あ、遠いし、もういくわね」
「……またあとでね。それと、マリエの腕を、放しなさい」
心配そうにこちらを見た後、一瞬で剣呑な雰囲気を漂わせてアベルをにらむ。
アベルは、何を思ったのかは分からない。
ただ、放すのかと思ったそのマリエの腕を、放すどころか力を入れて、ぐいっと自分のほうへ引き寄せた。
「行くぞ」
マリエは驚いてアベルを見るが、後ろからでは、彼の赤みがかった茶色の髪しか見えない。
とりあえず有無を言わさぬその様子に、カバンをつかんでついていく。
教室を出ても、アベルがまだ腕を離してくれないため、さすがに気まずくなって、少し腕を振った。
「離して」
すると、するりとマリエの腕はアベルから解放される。
「どうしたの? というより、何か怒ってるの?」
「……いや。怒ってるんじゃない」
マリエの質問自体には否定したものの、やはりその顔はどこか不機嫌だ。
わりと愛らしい顔立ちの少年なのに、マリエはアベルが無邪気に笑っているところをあまり見たことがないなと、ふと思った。
「あ、マリエとアベルだ」
「おはよう、キース」
さらに問いかけようとしたところで、キースが二人に追いついてきた。
「そうそう、この前の戦術理論のノート、貸してくれてありがとう」
カバンからノートを取り出して、キースに返す。
「どういたしまして」
「きれいなノートで見やすかったわ」
「そう? なんか照れるな」
キースは明るく言ってはにかむ。
やはりキースは好少年だ。
マリエの心を明るくしてくれる。
「授業、遅れるぞ」
その明るい雰囲気の場を壊すような、低い声がその場に響く。
赤みがかった茶色の目が、何かを訴えかけるように、こちらを見ている。
それは怒りだけではない、別の何かもあるように見える。
「そうね、行きましょう」
どうせ今ここで理由を聞いても、答えてはくれないのだ。
マリエは小さくため息をついて、キースとアベルに挟まれて厩舎まで歩いていった。
剣技応用の授業では、再び黒髪二人による試合が行われ、今日は二刀流だったこともあり、シェリアが勝利を収めていた。
「シェリアさん、やっぱりきれいだよなあ……」
「……それより俺は、あの人の機嫌が直ってほっとしてるけどな」
「ああ、僕の目の保養……」
「麗しいなあ……」
「夢を見すぎてないか……? シネラリアの女神は、あの月の女神シスクの名から来てるんだぞ?」
シェリアとレンの勝負が終わった後、周りの男子生徒が思い思いの感想を述べる。
ほとんどがシェリアを称賛する声だが、中には安堵して緊張を解いた生徒もいた。
物事がしっかりと見えている生徒には、分かったのだ。笑顔ではいるが、授業が始まる前のシェリアの機嫌の悪さを。
「今日は笑顔が不発なんじゃないか? だましきれてない奴がいるみたいだけど?」
「……そうみたいね」
シェリアとレンは、二人の対決の後、ちょっとした談笑をするのが習慣化してきていた。
教師も、二人はこの授業では最高レベルのため、文句を言わない。
そして、シェリアとレンは、互いが互いに釣り合う、見目麗しい容姿のため、二人で話していても、周りに何の疑問も感じさせないのだ。
そもそも剣技応用をとっている女子生徒は、わりと、実力至上主義者が多いため、シェリアはねたまれるというより、崇拝されている方だ。
男子生徒がシェリアの虜なのは、言うまでもない。
女子生徒に人気絶大なレンと二人でいても、この授業では何も言われないのは、そういう理由もあった。
「アベルが気に入らない?」
「ええ。……この前、言ったわね。私は鈍いと」
「そうだったね。それで?」
シェリアの言いたいことは当に分かっているし、実際、シェリアがそこまで鈍くないことは承知だったが、レンはあえて問い返す。
「その鈍い私でも、最近の行動見てれば分かるわ。アベルは、マリエに気があるんでしょう?」
長い艶やかな黒髪が風に揺れる。
二月の風はやはり冷たい。だが、シェリアの声は、その風以上に冷たかった。
「協力してくれる気は?」
「ない。少なくとも、今のあいつには、まだ」
それはいつかは可能性があるということなのだろうか。
予想通りではあるといえ、あまりに敵意むき出しなシェリアに思わず苦笑してしまう。
「まあ、俺もアベルから直接は聞いてないから、表だった協力はできないんだけどね」
アベルが自覚したのは、おそらく、マリエが階段から突き落とされたあの事件だろう。
彼はマリエを医務室まで抱えていったらしい。
シェリアは相当激怒していたが、それをマリエがなだめたところを見ると、少しは汚名を返上したのだろう。
「でも、俺はやっぱりアベルの味方したいんだけどな」
「……悪いけど、オブスキィトっていう名も、マリエにはマイナスよ」
「知ってる。それなりの情報収拾はした」
マリエと仲のよさそうな生徒に、男女問わずさりげなく聞いたのだ。その時に、マリエの話題だけを出すのはまずいので、シェリアやターシャ、その他、有名どころの女子生徒の名前を上げて、あくまでもその中の一人として情報を集めた。
「女の子たちに聞いたのかしら?」
「え?」
「女子生徒なら、喜んであなたに情報提供しそうだわ。見守る会はちょっと過激だけど、人を選べば、誰でもあなたに協力するんじゃない」
どこか冷ややかな視線に、思いっきり首をふる。
「いや、男女問わずに聞いたって……」
「そんなことして、マリエの立場がまた―――」
「―――俺の好きな人については、少なくともマリエじゃない話はしたさ」
深い緑色の瞳を捉えるようにして、見つめ、真剣な表情を作る。
まだ、伝えるには早い想い。
それでも、彼女には、におわせるぐらいはしておいた方がいい。
そうやってまっすぐとシェリアの瞳を見つめながら、ふと、いつもの疑問が頭に浮かんだ。
どうして彼女の瞳を、黒だと間違える人が多くいるのだろうか。
しっかりと見つめれば、確かに深い色合いだが、どこからどうみても、黒ではなく、緑色の瞳であるというのに。
「あの……レンさんに、シェリア、さん。お話し中、すみません」
シェリアが口を開きかけたと同時に、割り込んできた声。
横からの、思わぬ乱入者に、笑顔を作ることなく、レンはそちらを向く。
そこには金髪碧眼のトレリでとても標準的な容姿をした少女が、立っていた。
「あの、レン、さん……えっと、もし、よろしければ……私と、手合せ、願えませんか?」
おどおどとした口調で、でも、しっかりとこちらを見て言う。
その瞳が、なんだかきらきらしている。
―――タイミング悪い……。
まったくもってターシャに非はないが、少しだけ恨んでしまう。
「……! レンとの話はもう終わったから、大丈夫よ」
シェリアが美しい笑みを浮かべて、ターシャに微笑みかけ、そしてその場を立ち去る。
「流石……きれい」
ターシャが、ふたたび目を輝かせて、シェリアを見送る。
その様子を見て、レンはため息をつく。
「じゃあ、勝負しようか」
逃げられたものは仕方がない。
レンはあきらめたように笑って、きらきらした目をしているターシャに、話しかけた。
長く艶やかな美しい黒髪を持つ少女は、その美しい顔立ちをゆがめて、あたりを見回していた。
「先生……少し、具合が悪くなったので、医務室に行っても構いませんか?」
「ああ。構わないよ。リエーソン君なら、今日少し授業を抜けたところで、S評価は揺るがないからね」
「ありがとうございます」
できるだけ弱弱しく見えるように微笑み、そして早足でその場を抜ける。
先ほど、レンと話していて、ターシャが話に入ってきたとき、鋭い視線を感じたのだ。
レンは気づいた様子がなかったため、何か他のことに気を取られていたのかもしれない。
「好きな子についてでも考えたのかしら」
思わずつぶやいてから、シェリアは軽く首を振った。
今はそれどころではない。
少しレンの好きな人というフレーズは、ひっかかるものがあったが、それを気にしてもいられない。
それに、ターシャは間違いなくレンに気があるようだ。ターシャが彼を見る目の輝きは、とても分かりやすかった。
「ああ、もう……」
感じた視線のことについて考えようと、もう一度、首を振る。
最近、時々そういう視線を感じるのだ。
以前、レンに鈍いと言われた日も、ここで視線を感じたが、最近では、どうにも色々なところで視線を感じる。
それに、どうにもその視線が、敵意だけではないような気がして、ずいぶんと気持ち悪いのだ。
「どこにいるのかしら?」
とりあえず敷地内を歩いていく。
授業時間はまだあと半分ある。
これだけあれば、手がかりぐらいは探せるだろう。
―――たぶん、狙いは私じゃない。
それは、ほとんど確信に近いものがあった。
だからこそ、シェリアは動くのだ。
しっかりと、この手で守るために。
一章開始!
一章は少し話のスケールが大きいです。
しかもわりと、どたばたします。




