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シネラリアの女神  作者: 如月あい
序章 赤茶色は自覚する
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模擬隊実践編②

 可能な限り小さいふり幅で、突くように、一歩前に右足を踏み出したのと同時に、剣を縦に振る。

 当然のごとく、そちらに視線がいく黒髪の少年は、今まで対峙していた相手の剣を受け止め損ねた。

「ダンテ・ホーンテッド、リタイア」

 近くにいた教師の声が聞こえ、マリエはほっとひといきをつく。

 シェリアに言われて気づいたのだ。近衛隊の最上の使命は、護衛対象を守ること。そのためには、無駄な騎士道など要らない。要するに、一対一の剣の勝負に、他者が横入りして勝っても良いのだということだ。

 その思惑通り、ダンテはわりとあっさりとリタイアしてくれた。

「おい! なんで手を出したんだよ!」

 しかしアベルが怒ったようにこちらをにらんできた。

「なんでって―――」

 理不尽だ。せっかく助けてあげたと言うのに。

「―――行くわよ、待ってらんないわ」

 シェリアがマリエの反論を止めて、再び走り出す。

「レンが足止めしてる間に上りきれば、敵は一人で済むはずよ!」

 アベルやマリエに反論される前にと、シェリアは階段をのぼりながら叫ぶ。

 アベルはシェリアを追い抜いて、前を走り、マリエはそのあとをついていく。左足の痛みが少し鋭くなっている気がするが、あともう少しでもある。

「四階の、どの部屋?」

「419よ!」

 息切れはしているものの、シェリアの問いには反射的に答えた。

 まだ悟られてはいけない。自分は足手まといになるわけにはいかないのだ。

「扉にはまだ一人だ!」

 先に階段を上りきったアベルが叫ぶ。

 シェリアもマーメイドドレスをたくしあげ、まだ走り続ける。

 マリエにも見えた。扉の前に立つ、ターシャ・クルクマの姿が。

 向こうもこちらに気づいたのだろう。おろしていた模造剣を構え、臨戦態勢だ。

「俺が行く」

 その言葉通り、アベルはターシャに向かって容赦なく剣を振る。

 シェリアはその隙に、回り込んで扉に近づく。

 しかしターシャは扉に背を向け、その前でアベルの相手をしているため、さすがにシェリアが入る隙はない。

 マリエはさきほど睨まれたことを思い出しながらも、それでもターシャに向かって一歩踏み出した。

 左足がうずく。

 それでも剣を振りおろし、ターシャがそれを受け止める。

 アベルはその隙にターシャに攻撃するかと思ったが、しかしそれはなかった。

「うわ、ぎりぎりだった。間に合ってよかった」

 鈍い音とともに、こころなしか息の切れた声が聞こえてきた。

 キースの剣が、シェリアに触れる寸前で、アベルによって止められている。

 つまり、とりあえずマリエは、一人でターシャに勝たなければいけない状況になってしまったということだ。

 左足のハンデが無ければ、ターシャに勝つことはできそうだったが、足が痛み、あまり思い切り踏み込めない。右足で踏み込もうにも、その前段階の歩みが痛むのだ。

 かわりにターシャの剣を受け止めた重みで、自分の方が一歩あとずさってしまう。

「と、通しませんから!」

 あいかわらずおどおどと喋っているが、剣はしっかりと冷静に動く。

 キースとアベルも互角のようで、まだ勝負は決まる様子はない。

 ―――やばい、足が……。

 持久力勝負になれば、足の痛みが存在を主張する。

「きゃっ……」

 ターシャが思いっきり振り上げた剣にマリエの剣が絡み、その勢いで剣は手から離れ、マリエの体は、足のせいで踏ん張ることができず、そのまま後ろにふっとぶ。

 そしてターシャの剣が自分の体に近づき、冷たい物体が頬についた。

「マリエ・モンブラン、リタイア!」

 教師の声が聞こえる。負けた。

 シェリアを守る者はいない。

「バカ、何やって……え?」

 アベルが怒鳴りそして、困惑の声を上げた。

「え、え……ええ? しぇ、シェリアさんが、いない」

 ターシャが間抜けな声を出す。

 ターシャの体は、マリエの方へ寄っているため、扉からはずれている。

「やられたな。シェリアだけが到着すれば、そっちの勝ちだから」

 キースだけは状況を把握しているだけらしく、残念そうに頭をかく。

 混乱する三人の前で、扉が開いた。

「試合終了。私たちの勝ちね」

「結果は後で発表しますから、あなたたちは訓練棟の外に出てください。他の生徒の邪魔はしないようにね」

 シェリアに続いて、おそらくタイムを計っていたのであろう教師が顔をだし、指示を出す。

 その教師は、他にも仕事があるのか、その場をさっさと離れていく。

「ターシャさんがマリエをリタイアさせたとき、扉から完全に離れたから、その隙に中に入ったの」

 シェリアがにっこりとほほ笑んで、長い黒髪をいじりながら言う。

「そ、そんな……」

 ターシャがその場に崩れ落ちる。

「大丈夫か?」

 キースが驚いたように問い、それにはターシャは一応うなずいたものの、どうやらショックらしい。

 意外と負けず嫌いなのかもしれない。

「それと、マリエも大丈夫?」

「え?」

 キースがこちらに寄ってきて、マリエの足元に視線を落とす。

 どうやらばれてしまったらしい。

「大丈夫……って、まさか怪我してたのか!」

 アベルが再び大声を出す。

「左足を、訓練の時にひねっちゃって」

 仕方なく白状すれば、キースが断りを入れてから、マリエのズボンをたくし上げて、靴を脱がす。

「うわ……酷い」

 言われて下を見てみれば、朝までは平気だったのが、無理をしたせいか、赤くなって腫れている。

「それ、いつからだ?」

 キースの心配げな声とは違い、冷めた怒りをにじませた声がマリエの上から降ってくる。アベルの赤みがかった茶色の瞳に含まれる激情が、何かはマリエにはわからない。

「……今日の、朝」

「今日の朝にもなって、なんで無茶した?」

 怒っている。座り込むマリエの肩につかみかかるようにして、こちらを覗き込んでくる。 

「体調を整えるぐらいで、わざわざ訓練なんて―――」

「―――ったのに」

 声が震える。

 言い返せない自分が悔しい。言いたいことはいっぱいあるはずなのに、いつもならこんなことはないのに。

「っ!」

 アベルの表情が、怒りから驚きへと変わる。

 それと同時に、マリエは頬に伝う熱いものの存在に気づいた。

 靴を拾い上げ、それを履くことなく、そのまま勢いで立ち上がって走り出す。

 足の痛みなど関係ない。

「マリエっ!」

 シェリアの声が聞こえたが、マリエは無視して走った。

 階段までたどりつき、一気に駆け下りようとして、左足の痛みが戻ってきた。

 体が浮く。

 思わず目をつぶって、衝撃に備えた。

「……っう」

 しかし、その衝撃がやってくることはなく、かわりに体が思っていたのとは反対の方向に倒れたのを感じた。

「危なかった……怪我は?」

 そういってこちらをみるのは、明るく快活な金髪碧眼の少年。

「キース……ごめん、ありがとう」

「とりあえず、靴、履いて」

 再び迷惑をかけてしまったと、うつむいて謝れば、キースはぽんぽんと頭に手を乗せ、そして、先ほど放り出しかけた靴をマリエに渡す。

 それと同時に、キースに抱きしめられていることを自覚して、マリエは、思わず身をよじってその拘束から抜けた。

「もう大丈夫だから」

「それは良かった」

 マリエの言葉にキースは明るく笑う。振り払われたことも、特に気にしていないらしい。本当に純粋に心配してここに来てくれたんだろう。

 そう思うと、マリエはじんわりと心が温まるのを感じた。

「ありがとう」

 もう一度そういえば、キースはどこか照れたように笑って、気にするなと言った。






 

「マリエっ!」

 叫んだ時にはもう遅い。

 一度同じような状況になっているというのに、またマリエを一人で走らせてしまった。

 自分のふがいなさに、シェリアは唇をかむ。

 そして、それを懲りずに追おうとする少年の腕をつかみ、もう一人の少年に向かって叫ぶ。

「マリエを追ってほしい!」

 キースもその時にはすでに走り出そうとしており、分かったという代わりに手を上げて、走って行った。

 けがをしていることも考慮すれば、キースはきっちりと追いついてくれるだろう。

 今日初めて知り合ったが、彼は信頼できる好少年だ。マリエを任せられる。

 問題は、目の前にいる少年の方だ。

「なんであいつに追わせるんだよ!」

「あなたがマリエを傷つけるから! あの子はあなたのために頑張ったのに!」

 逆上する少年に、シェリアは思わず大声で怒鳴ってしまった。

 普段はいくら怒っていても、声を荒げるようなことはしないのだが、この少年の度重なる悪行には我慢できない。

「俺の……ため?」

 シェリアの言葉に、驚くほどおとなしくなったアベルに、畳み掛けるように、自らが持ちうる最上級に冷たい声で言い放った。

「あなたに足手まといだと言われないように、あなたに、この班にマリエがふさわしくないと言われないように、ここ数日、私と早朝訓練をしてた」

「俺がそんなこと……」

「中途半端、その言葉が、どれだけダメージを与えたか、分からないのね」

 全く理解できていないようなアベルには、腹立たしいを超えて、憎しみさえ抱いてしまう。

 ―――なんて、なんて人の心が理解できない奴なの。

 オブスキィト公爵家の息子たるものが、円満な人間関係すら築けないなんて、ばからしい。

 そう思ったら、声に出てしまっていた。

「オブスキィトの名折れね。最低」

 さらりと、アベルの反論は許さずに言い置いて、シェリアはその場を離れた。







 赤みがかった茶色の髪と瞳の少年は、さきほど黒髪の美少女に言われた言葉が、頭の中で反芻していた。

 黒かと見間違うほど深い緑色の瞳に、怒り以上に、あきらめの色さえあった。

 まるでアベルには何を言っても無駄だと言うように。

 まだ訓練棟の中は、様々な班がそこらかしこで模造剣を重ねている。

 アベルたちは三階での攻防がゼロだったため、他の班より四階についたのが圧倒的に早かった。

 まだ続く実践の中、アベルはそれを避けながら、棟を抜けるべく歩く。

「俺……何が……」

 けがをしてまで頑張っていたゆるくウェーブのかかった、赤銅色の髪の少女を見て、自分が気づかなかったことへの苛立ち、それから、キースが気づいていたことに関する、わけのわからない苛立ちが、一気に胸に広がった。

 それに支配され、叫んでいた言葉は、確かに、彼女を傷つけるものだったと、シェリアに怒鳴られて気づいた。

「くそっ……」

 分からなかった。

 どうしてこんなに苛立っているのか。

 どうしていつもと違い、オブスキィトとしての仮面をかぶれもしないのか。

 何より、この胸にある罪悪感と、後悔は何か。

「……くそっ」

 小声で悪態をつきながら、アベルはただぐるぐるとまわる思考をもてあましながら、訓練棟の出口を目指した。


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