激しい怒り、ささやかな償い
昼前の芝生の中庭で、模造剣の交わる鈍い音がその場に響く。
周りには人だかり。
その中央で、黒髪に黒と見間違うほど深い緑色の瞳の美少女と、黒髪に、これまた黒と見間違うほど深い藍色の瞳の美少年が、剣を交えていた。
二人の表情は、真剣そのもので、まるで相手を殺そうとするかのごとく、互いに殺気を放っていた。
しかしながら、真剣みを帯び、汗が滴り落ちても、二人とも美しい。
「やば」
黒髪の少女の腕から、模造剣が離れる。
周囲がいっせいに沸く。男子生徒は、落胆するものもいたようだったが。
「危なかった……」
黒い髪をかきあげながら、その整った顔立ちを少しゆがめて、ぽつりとつぶやく。
「勝ったくせに」
自分に勝っておきながら、危ないなどと言うのは、どこか、シェリアへの配慮な気がして、どうにも気に入らない。
シェリアは結っていた髪をほどき、さらりと流れ落ちた黒髪を、そのまま後ろに流す。
その仕草だけで、男子生徒の目は釘付けになる。
そのあまりの美しさに、シネラリアの女神と命名したのは男子生徒だが、いまや女子生徒でさえも、その呼称を認めているぐらいだ。
そんな周りの反応はいつものことなので、全く気にすることなく、タオルで汗をぬぐい、水を飲む。
いくらまだ冬だとはいえ、さすがにあれだけの運動をすれば、汗もかくし、のども乾くものだなと、どこか他人事のように思った。
「しぇ、シェリアさん……か、格好、良いです!」
声のする方を見れば、金髪碧眼の、きわめて標準的な顔をした少女が、目をうるうるさせてこちらを見ている。
「ありがとう。ターシャさんも、なかなか健闘してたじゃない」
模擬隊実践の時に知り合った彼女は、おどおどとしているが、どうにもシェリアを気に入ったらしく、よく話しかけてくる。
「お、お疲れ様です……レン、さん」
ターシャは、こちらに近づいてきた黒髪の少年にも話しかける。
心なしか、頬が赤い気がする。
―――やっぱレンは人気ね。
一年生の時からの付き合いではあるが、シェリアが知る限りでも、相当数の女子生徒から告白されている。
それを全く持って良い返事をしないというのが、よく分からないのだが、好きな人でもいるのだろうか。
「お疲れ、ターシャさん。剣技応用を選んだのは、ターシャさんだけ?」
「は、はい。き、キースさんは、騎乗槍術で、ダンテさんは、騎射、実践で、ろ、ロリーナさんは、弓術、応用だとか」
レオがにっこり微笑んで問いかければ、ターシャが少し照れたようにうつむいて、一生懸命にしゃべる。
その様子はなんだか守りたくなる可愛さだ。
「キースが騎乗槍術か……」
ターシャには聞こえなかったようだが、シェリアにははっきりとレンのつぶやきが聞こえてきた。
何か都合が悪いことでもあるのだろうか。
「あ、あの、私、これで失礼します! また、今度」
ターシャがわたわたとお辞儀して、それでもシェリアとレンを一度しっかりと見つめてから、その場を去っていく。
他の生徒が剣を交えている最中なので、人の輪から外れているシェリアとレンは、今はそこまで視線を集めてはいない。
「キースが騎乗槍術なのは都合が悪いの?」
少しだけ、レンの近くによって、小さな声で聞いてみる。
その深い藍色の瞳が、大きく見開かれたあと、整った顔立ちの美少年は、ため息をついた。
「……俺にとってというか、アベルにとって」
「あのバカにとって?」
模擬隊実践の日、再び関係にひびを入れてから、すでに三日経っている。
休日を挟んでいたので、実際にはそんなに顔を合わせていないが、それでもマリエはアベルに会うことを意識的に避けている。
「まだ無自覚だろうけどね……」
どこか遠い目をしたレンに、眉をひそめるが、彼はそれ以上は答える気はないらしい。
「ん……?」
ふと、後ろを振り返る。
そこにあるのは、この中庭を囲むようにしてある生け垣。
「誰か、見てた気がするな」
レンも不審げな様子で、そちらを見ている。
レンもシェリアも、気配には敏い。なんとなく分かるのだ、自分に向けられる敵意、殺気、そういった負の感情が。
「いなくなった……」
「だな」
ここは学内だ。しかもシネラリア養成学校。
さしあたり、嫉妬に狂った女子生徒か、男子生徒あたりだろう。
「それにしても、キースが騎乗槍術なんて、マリエにとってはラッキーね」
この緊張した空気を換えようと、とくに深い意味はなく言った言葉だったが、水に口をつけていたレンは、思いっきりむせた。
「ちょっと、大丈夫?」
何気なく手をのばして、レンの背中をさする。
周囲から黄色い声が飛んだ気がするが、すべて無視した。シェリアとレンの目立つ黒髪二人が関われば、どのみちそういう噂は簡単に立つのだ。
「だ、大丈夫」
めずらしくどもって顔を上げたレンは、何故か顔が真っ赤だった。
「顔が……」
「分かってるから、それ以上は言うな! そうじゃなくて、なんでキースがいることがマリエにとって良いこと?」
赤い顔をタオルで隠すようにしながら、レンは先ほどのシェリアの発言について聞く。
「どうしてって……そりゃ、マリエはキースにある程度好感を抱いてるでしょ」
「う……やっぱり」
うめいた後、どこか同情するような表情で、宙を見つめる。
「まあ、私もキースは好きだけどね」
初めて会った時から、あの快活な明るい少年を好きになった。シェリアが名前を呼び捨てにしてよいと最初から言う男子は少ない。
それだけキースと言う人間は、誠実そうで、信頼できそうだった。
何より、シェリアやマリエに対する邪念が感じられない。
無邪気にきれいだと言われれば、いくらシェリアだって良い気分になるものだ。
「ん?」
反応がないなと思って、レンを見る。
近くでしっかりと見つめれば、絶対に黒ではない、深い藍色の瞳が、剣を持って対峙している時よりも真剣な瞳で、こちらを見ていた。
「ど、どうしたの?」
その瞳にとらわれって、思わず腰が引ける。逃げたいけれど逃げられない。
「どういう意味?」
冷たい声に、何か混ざる激情。
「何が?」
「好きって」
「え?」
好きの意味を聞かれるとはどういう意味だろうか。
どういう意味だと思ったというのだ。
「あ……ああ。普通に人間的に好きなの。恋愛感情には至ってない」
ようやく正しいと言う考えにたどり着き、レンの表情をうかがいながら、答える。
恋愛感情を否定した途端に、レンの顔が明るくなり、その鋭い視線も緩和された。
「良かった」
レンは、その整った顔立ちで、自然な、心からの笑みを浮かべる。
シェリアは予想外にも、その笑顔をいいなと思ってしまった。
―――まさか……まさか、ね。
そんなレンの様子を見ていて、すこし思うところはあったものの、首を振る。
そんなことあってはならないのだ。
栗色の毛並をした馬をなでてやる。今日、自分がお世話になった馬だ。
騎乗槍術は、マリエには適性があるらしく、案外好評価をもらえた。
マリエは動物が好きだ。
この温かみが、そして、愛情を注げば、それだけ返してくれるところが。
「マリエは馬の扱いが上手いよな」
馬をなでていると、となりにいた金髪碧眼の少年が明るく話しかけてくる。
「動物が好きなの。キースこそ、槍術の腕は見事だったわ」
「ありがと。次の授業は何?」
「私は……えっと」
馬から手を離し、カバンを探って手帳を取り出す。
「戦術理論、かな」
「誰の授業?」
「テイラーさん」
「あ、俺も一緒だ。一緒に行こう。カバンとってくるから待ってて」
笑顔で言われ、マリエは頷く。
キースといると楽しい。会話も弾むし、何より、彼は商人の息子で、気位も高くないため、話し方もよそよそしくないし、気を遣わなくて良い。
―――キースって、私の理想に近いのかも。
子爵家の恋愛一家モンブラン家で育ってきたマリエにとって、とにかく家格が高くて面倒な家はできるだけ恋愛対象としたくなかった。
親は、身分が高かろうが低かろうが、マリエが好きになった人なら、と言ってくれているけれど、マリエ自身は、あまり身分の高い人とは付き合う気になれなかった。
男子生徒に告白されても、気位が高かったり、どこか自分に自信がある人の方が多く、マリエはその告白を受け入れることができなかったのだ。
「……あ」
キースを待ってぼんやり立っていたら、今日の授業でできるだけ目を合わせないようにしていた赤みがかった茶色の髪の少年が、こちらに向かって歩いてきていた。
その視線は、どこを見ているのか分からない。
―――アベルは最悪。
いつだってマリエの神経を逆なでるようなことばかりするし、すぐに怒る。
オブスキィト公爵家の長男であることも、マリエにとってはマイナスだ。
今度は何を言われるのかと身構えていたら、予想外にも、アベルは何も言わなかった。
しかし、すれ違いざまに、何かの入った袋を押し付けられて、彼はそのまま歩き去っていく。
「ちょっと」
思わず呼び止めようとするが、そのまま振り向くことなくアベルは歩いて行ってしまう。
「なんだろ、コレ」
袋をとりあえず開けてみる。
そのとたんにふわりと広がるのは、薬草の香り。
「……まさか」
足の怪我の治療にということだろうか。
それは、要するに、マリエを気にしてくれていたと言うことなのだろうか。
「お待たせ」
キースが明るく言う声がして、慌ててその袋を閉めて、カバンに仕舞い込んだ。
なぜか、知られてはいけないと、思ってしまったから。




