表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
79/80

二章 第18話「ルインの町」

南門を出てから二日が過ぎた。


はじめに水袋の革紐が食い込んでいた一件から、休憩ごとの確認はさらに丁寧に行われた。四足型地竜の背に積まれた荷は、揺れてもすぐに直される。革紐の角度が変われば誰かが声を上げ、水袋が遅れて揺れれば、そこで手が入る。


グロムは時々、気が逸った。


前方が開いた時。横の道幅が広がった時。別の二足型地竜が足を速めた時。


首が、わずかに下がる。


そのたび、周囲の地竜の耳が動き、外周の騎乗者たちの視線が集まる。クロは手綱を強く引かず、首元に触れて戻す。クレアは後方から荷列の揺れを拾い、必要な時だけ声を飛ばす。


それが、道中の形になっていた。




昼を過ぎた頃、街道の先に町が見えた。


王都ほどではない。


けれど、宿場町よりはずっと大きい。


外壁の向こうに見張り台があり、門の前には馬車が並んでいる。南へ向かう商隊。北へ戻る馬車。砂を払う旅人。門番と短く言葉を交わす行商人。


ルインの町は、砂漠へ入る前の、交通の要所だった。


クロはグロムの背の上で耳を立てた。


人の声。車輪。乾いた革。干し肉。獣脂。遠くから流れてくる井戸水の匂い。


王都とも、ジェミノ村とも違う匂いがする。


目が忙しく動いた。


つられて、グロムの目も動く。


右。左。見張り台。馬車。人の波。


横からクレアの声が飛ぶ。


「王都から来たのに、まるでお上りさんですわね」


クロは町から目を離さないまま言った。


「仕方ないじゃん。初めて来る場所は、いつだって忙しい」


「耳が?」


「鼻も」


クレアはグロムを見た。


「グロムもね」


グロムが不満げに鼻を鳴らす。


クロは少し笑った。


「グロムも忙しいって」


「でしょうね。首の動きがあなたと同じですもの」


クロは少しだけ首を止めた。


グロムも、少し遅れて首を止める。


クレアはため息をついた。


「似なくてよいところまで似ていますわ」




門での確認を終えると、隊は町の中へ進んだ。


町の人々が道を空ける。


地竜たちを見上げる者もいれば、竜騎士団の紋章を見て頭を下げる者もいる。


クロは少し落ち着かなかった。


自分はまだ竜騎士ではない。


竜舎では糞も掃除する見習いだ。それでも、町の人の目には、竜騎士団の一員として映っている。


隊は大通りを抜け、町の駐屯所へ入った。


宿は使わない。


地竜と荷が多く、駐屯所の広場を借りて野営をする。


広場は踏み固められていて、井戸と水場が近い。荷を下ろす場所、地竜を休ませる場所、野営布を張る場所が、ルーカスの指示で手早く分けられていく。


見習いたちが集められると、ルーカスは広場の中央に立った。


「明日から砂漠入りです」


短い一言で、空気が変わった。


クロの喉の奥が、少しだけ乾いた気がした。


「この町で水と食料を補給します。水袋はすべて井戸水に入れ替えます。革具、予備紐、砂除けの布、薬箱も、再度確認します」


ルーカスは広場を一度見回した。


「今日は整える日です。余計に動かないこと。食べること。そしてしっかり睡眠をとること」


それだけ言うと、作業が割り振られた。


クロたちは水袋の補給に回った。


四足型地竜の背から水袋を下ろし、井戸水を詰め直す。冷たい水が革袋の腹を押し広げ、濡れた革の匂いが立った。


乾燥食、塩、予備紐、砂除け布、薬草の包みも駐屯所へ運び込まれる。


クレアは荷札と木箱の角を確認していた。


クロはグロムの革具を外し、首回りに擦れがないかを見る。鱗の隙間に指を沿わせると、グロムは少しだけ首を動かした。


町の匂いに、まだ落ち着かない。


けれど、走り出すほどではない。


クロは首元に手を置いた。


「明日から砂漠だって」


胸の奥に、強い意味が返ってくる。


――踏む。


クロは頷いた。


「うん。踏む。でも、みんなでね」


グロムが不満げに鼻を鳴らす。


クロは笑った。


「分かってる。グロムが踏むの、楽しみなんだよね」


グロムの目が少し細くなる。


否定は返ってこなかった。


夕方前には、野営布が張られ、水袋が並び、地竜たちも休む位置に落ち着いた。


町の中にいるのに、広場の空気は少し硬い。


明日から砂漠。


その言葉が、井戸水の冷たさの下に残っていた。


日が傾く頃、駐屯所の炊事場に町の人々が集まってきた。


竜騎士団のために、炊き出しが用意されていた。


大鍋には豆と肉の煮込み。干し野菜のスープ。塩気のある焼きパン。


砂漠入り前に腹へ残るよう、少し濃い味付けになっているらしい。鍋から上がる湯気には、肉の脂と豆の匂いが混じっていた。


炊事場では、大人たちに混ざって、小さな女の子が器を並べている。


両手で木の匙を持ち、背伸びしながら、器を一つずつ置いていく。途中で袖が落ちると、母親らしき女性がそれを直した。


クロはそれを見て、目を細めた。


「えらいね」


クレアも同じ方向を見ていた。


その表情が、少しやわらかい。


「小さいのに、きちんとお手伝いしていますわ」


クロとクレアが食事を受け取りに行くと、女の子が二人を見上げた。


黒い猫耳。


金髪。


竜騎士団の見習い服。


女の子の目が輝く。


「あなたたちは、竜騎士さん?」


クロとクレアは顔を見合わせた。


クロがしゃがみ、目の高さを合わせる。


「まだだよ。私たちは見習いなんだ」


女の子は首をかしげた。


「みならい……?」


クロは少し考えた。


「えーっとね……竜のう◯ことか掃除する人?」


クレアがこめかみを押さえる。


「クロ」


「違う?」


「間違ってはいませんけれど、炊事場で出す説明ではありませんわ」


クレアは女の子へ向き直った。


「見習いというのは、まだ一人前ではないから、先輩の竜騎士のすることを見て、真似しながら覚える人のこと。だから、私たちはまだ正式な竜騎士ではないの」


女の子は目を丸くした。


「へぇー! そうなんだ! じゃあ、いつかは竜騎士になるんだね!」


クロは少しだけ言葉に詰まった。


クレアも、一度まばたきをした。


女の子はすぐに笑う。


「あ、わたし、エマっていうの! こっちは、わたしのおかあさん!」


エマは配膳をしていた女性の裾を引っ張った。


女性が少し慌てて頭を下げる。


クレアは器を持ったまま、丁寧に姿勢を整えた。


本格的な礼ではない。


それでも、背筋は伸び、仕草は上品だった。


「お疲れ様です、エマのお母様」


女性は驚いたあと、柔らかく笑った。


「いえいえ。この町も、竜騎士団のかたたちにはお世話になっていますから。これはほんのお気持ちです」


エマが胸を張る。


「竜騎士ってすごいんだよ! おそらから、ばぁーってきて、わるいまものをやっつけるの! かっこいいよね!」


クロの顔がぱっと明るくなった。


「うん。かっこいい」


クレアも頬を緩める。


「ええ。とても、かっこいいですわ」


エマはさらに嬉しそうになった。


「わたし、おうえんする! おねえちゃんたちが、りっぱな竜騎士になれるように! だから、いっぱいたべてね!」


クロは器を受け取り、にこっと笑った。


「うん。ありがとう、エマ」


クレアもしゃがむ。


「ありがとうございます。しっかりいただきますわ」


クロがエマの頭をそっと撫でた。


クレアも少し迷ってから、同じように撫でる。


エマはくすぐったそうに笑った。


「がんばってね!」


クロは頷く。


「うん」


クレアも頷いた。


「ええ」


二人は食事を持って、広場の端へ戻った。


豆。


肉。


濃いスープ。


焼きパン。


竜騎士団の食堂とも違う。野営の簡単な食事とも違う。


明日砂漠へ入る者たちのために、町の人が作ってくれた食事だった。


クロは一口食べる。


豆がほくりと崩れ、肉の脂が舌に残った。塩は強い。けれど、嫌な強さではない。


クロは黙って、もう一口食べる。


クレアも静かに食べていた。


しばらくして、クレアが横を見る。


「どうしましたの」


クロは器を見たまま答えた。


「応援の味がする」


クレアは一瞬だけ目を伏せる。


「……そうですわね」


少し離れた場所で、グロムがこちらを見ていた。


クロは器を持ったまま言う。


「これは食べられないよ」


グロムが鼻を鳴らした。


クレアが呆れたように見る。


「食事中まで張り合わなくて結構ですわ」


クロは笑った。


「張り合ってないよ。気になってるだけ」


グロムはもう一度鼻を鳴らした。




食後、見習いたちは早めに休む準備へ入った。


町の音が遠くに残っている。


人が暮らしている音だった。


王都ほど大きくはない。


けれど、ここにも家があり、井戸があり、炊事場があり、エマのような子供がいる。


クロはグロムのそばへ行った。


水は足りている。


革具の擦れもない。


グロムは町の灯りを見ていた。


クロはその横にしゃがむ。


「エマ、応援してくれたね」


グロムは片目だけ動かした。


「小さい子。炊き出しのところにいた子」


胸の奥に、小さい、という薄い意味が返ってくる。


クロは少し黙った。


「竜騎士は、お空からばぁーって来るんだって」


グロムが鼻を鳴らす。


空ではない、というような熱が来た。


クロは笑う。


「うん。グロムは地面から行くね」


グロムの胸が少しだけ張る。


「それも、かっこいいよ」


当然だ、という熱が返ってくる。


クロはまた笑った。


クレアは野営布の中で、手袋を外していた。


指先に、まだエマの髪の感触が残っている。


柔らかくて、温かかった。


幼い頃の自分が、レイナを見上げた時のことを少しだけ思い出す。


空はいいよ。


人を助けに行ける竜騎士でいることを、誇りに思ってる。


あの時、自分は見上げていた。


エマは自分たちを見上げていた。


まだ竜騎士ではない。


怖いままの見習いだ。


それでも、エマは応援すると言った。


立派な竜騎士になれるように、と言った。


クレアは手袋を畳み直した。


いつもより少し丁寧に。




クロが野営布へ戻ってきた。


クレアが顔を上げる。


「グロムは?」


「町が気になるけど、寝る気はあるみたい」


「あなたと同じですわね」


「私も寝る気はあるよ」


「気だけでは困りますわ」


クロは少し笑い、クレアの向かいに腰を下ろした。


外では町の音がまだ少し残っている。


しばらく、二人とも黙っていた。


クロが小さく言う。


「エマ、私たちが竜騎士になるって、普通に言ったね」


クレアは目を伏せた。


「ええ」


「まだなのに」


「まだ、ですわ」


「でも、応援してくれた」


「ええ」


クロは膝を抱える。


「なんか、あったかいけど、重い」


クレアは少しだけ口元を緩めた。


「応援とは、そういうものかもしれませんわね」


クロはクレアを見る。


「クレアも、重い?」


クレアは少し考えてから答えた。


「重いですわ」


それから、少し間を置く。


「でも、悪い重さではありませんわ」


クロは目を細めた。


「うん」


二人はそれ以上言わなかった。


外から、ルーカスの声が短く聞こえた。


明朝の出発時刻。水袋の最終確認。体調申告。無理を隠さないこと。


クロは自分の喉に触れる。


乾いてはいない。


足も重すぎない。


眠れば大丈夫。


そう思ってから、一度クレアを見た。


クレアも気づく。


「何?」


「明日、砂漠だね」


「ええ」


「見てね」


「見ますわ」


クレアは即答した。


少し間を置いて、クレアが言う。


「あなたも」


クロは頷いた。


「うん」


二人は横になる。


あの夜ほど、手は震えていない。


けれど、まったく怖くないわけではない。


砂漠はまだ見ていない。


明日から、水も、足も、荷も、もっと重くなる。


それでも、胸の奥には小さな熱が残っていた。


エマの声。


――がんばって。


――いっぱいたべて。


――おうえんする。


外では、町の音が少しずつ遠くなる。


駐屯所の広場で、地竜たちが低く息を吐いている。


クロは半分眠りながら、その声を思い出していた。


――立派な竜騎士になれるように。


まだ、その言葉に胸を張って頷けるほど、自分たちは強くない。


けれど、明日も歩く。


水を見て、荷を見て、足を見て、互いを見て。


南へ進む。


エマの声を胸の奥にしまったまま、クロとクレアは眠った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ