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狼の時代  作者: 閃紅
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二人だけの旅路6

小部屋から広間に出る。

丁度反対側に書院があった。

書院には2列に数十人が並んでいて、景狼たちが入ると一斉に視線を向けた。

景狼は気にも留めず、書院を見回した。

「惣国とこの寺の住職たちよ」

冴が景狼に耳打ちする。

景狼がつまらなそうに頷く。

「お待ちしていた。こちらに来られよ」

床の間に最も近い所に座っていた僧が、隣の席に呼ぶ。

「景狼様、玲様、ついで私の順にお座りくださいませ」

冴の指示に玲が頷き、玲は景狼を僧の隣――最も格式高い上座上座へ導きながら、小さく肩を強張らせた。

景狼、玲が座ると冴が口を開いた。

「私は皆様ご存知かと思いまするが、甲賀の多羅尾の娘冴と申します」

冴は軽く頭を下げた。

「縁あって、こちらの方とご一緒する機会に恵まれましたので、わたしの方から紹介させていただきます」

「こちら霧生の黒峰景秀様のご嫡男の景狼様でございます」

「こちらが同じくご息女の玲様でございます」

言い終わると冴は玲の隣に座った。

代わりに玲が立ち上がる。

「今ご紹介に与りました黒峰玲でございます。何分山育ちゆえ、不作法ご容赦くださいますよう」

玲は座った。

タイミングを合わせたように、小僧たちが一人一膳の料理を運び込んできた。

伊賀の赤味噌の匂いが微かに漂うが、大根や豆腐は京の都の噂を真似て、不器用ながらも美しく花の形に飾り切りされている。

「よくぞお越しいただきました。拙僧はこの平楽寺の住職、澄海と申します」

「なにぶん貧しい寺ゆえ、たいしたおもてなしはできませぬが、どうぞごゆるりとお過ごしくだされ」

澄海が景狼に頭を下げる。

玲が肘で合図する。

「黒峰景狼でござる。よろしくお頼み申す」

景狼が頭を下げる。


澄海に続いて、澄海の対面にいた、小柄だが目の奥に鋭い光を宿した初老の男が、座布団から進み出て畳に両手を突いた。

それがしからもご挨拶を。喰代ほおじろの砦を預かります、百地丹波守三太夫ももちたんばのかみさんだゆうにございます」

三太夫は深く頭を下げたが、その声には部屋中の数十人を一瞬で静まり返らせる不思議な威厳があった。

「黒峰の若君が、まさかこれほど立派に成人されておいでとは……。伊賀惣国を代表し、心より歓迎申し上げまする」

「これなる澄海住職が申した通り、山に囲まれた貧しき国ゆえ、都のような華やかなもてなしは叶いませぬがごゆるりとお過ごしいただきたい」

三太夫が景狼に見定めるような視線を送る。

景狼は頷くだけだった。


三太夫の底知れない挨拶が終わるか終わらないかのうちに、対面の列から、一際体格が良く、髭面のいかつい男が膝を進め出た。

「――百地殿に続き、俺からも名乗らせてもらう」

「北伊賀・柘植郷を統べる、柘植三郎左衛門つげさぶろうざえもんだ」

柘植は頭を下げたが、その礼は浅く、すぐに顔を上げて景狼を睨みつけるように凝視した。

その眼光には、百地のような計算高さはなく、純粋な戦士としての獰猛さがある。

景狼は頷きもしなかった。

代わりに箸で大根を摘まむ。

花の形に切られた大根は見た目に反して味は普通だった。

三郎左衛門が歯ぎしりする。


柘植の荒々しい挑発で、書院の空気が一触即発の緊張感に包まれる中、上座の列の少し離れた場所から、低く、冷ややかな声が響いた。

「――柘植殿、言葉が過ぎるぞ」

声の主は、端正な顔立ちに一切の感情を浮かべない中年男であった。

彼は衣服の乱れ一つなく、静かに景狼へと視線を向けた。

その目は、人の心の裏まで見透かすような、深い硝子のようだった。

「北伊賀の湯舟城を預かります、藤林長門守にございます。景狼様、お初にお目にかかる」

長門守は、型通りに、しかし無駄のない完璧な所作で一礼した。

「なるほど……確かに珠洲殿によく似ておられる」


柘植や藤林が景狼の態度を深読みして勝手に緊迫する中、列の真ん中あたりから、一際きらびやかな小袖を着た小太りの男が、おののきながら進み出た。

「――あ、平楽寺明楽寺の兵糧補給を一手に預かります、沢村一学さわむらいちがくにございます。若君、お初にお目にかかる……!」

沢村は額の汗を拭いながら、景狼の手元にある膳をじっと見つめた。

「此度のお膳、実はこの沢村が私財を投じ、京の味を再現せんと、大和国からわざわざ特上の昆布と白味噌、さらには飾り切りを心得た料理人を極秘裏に呼び寄せて作らせたものにございます。……されど!」

沢村はゴクリと唾を飲み込み、景狼の「……出汁が薄いな」という呟き(ただの本音)を耳にして、顔面を蒼白にさせた。

「……若君は一瞬にして見抜かれた! 」

「……昆布の質が僅かに落ちておったのです」

「それを一口で見抜かれるとは……」

「恐るべき御方よ……」

沢村は畳に頭を激しく叩きつけ、ガタガタと震え出した。


「玲、この寺の汁、お湯みたいだな」

「母上の味噌汁と違いまする。場所によって味は変わるのです」

景狼と玲の話を聞きながら冴は微笑んだ。


景狼が目の前の膳を食べ尽くした頃、下座の方で話が聞こえてきた。

「織田の勢いが凄まじいの」

「南近江の六角が喰い破られたわ」

「そうじゃ、伊勢の北畠も危のうござるわ」

「六角は甲賀に隠れておるようじゃが、伊賀も巻き込まれるのかの」

「冴殿、どうなのじゃ」

一人がこれみよがしに声を大きく、冴を睨む。

冴は素知らぬ振りで食事を続けている。

玲が心配そう冴の方を見ている。

「聞いておるのじゃ、返事をせい!」

男が立ち上がった。

完全に冴に対して怒りの表情だ。

冴が箸を置き、口を開きかけたところ、急な威圧感が景狼から発せられた。

男が思わず、尻もちを着く。

三郎左衛門が面白そうに唸る。

「食事は静かに座って食え、と教わらなんだか」

景狼が男を見ることなく茶を飲む。

空気が殺伐なものとなった。


澄海が空気を変えるように咳払いをした。

「その鮮やかな揃い小袖よくお似合いですな」

「冴殿と玲殿、姉妹に見えるの」

「さしずめ美人姉妹といったところかの」

澄海が戯けるように笑いながら言った。

玲は自分の着ている小袖を一度見ると、澄海に向き直った。

「これ、冴様が貸してくださったのです」

「わたし、こんな綺麗なもの着たことなかったので嬉しくて」

玲が嬉しそうに言う。

「冴殿がそうですか」

澄海が何度も頷く。

「冴殿も関白様の迷い子かもしれんな」

どこからともなく聞こえてる。

「やめんか、下衆な勘繰りはよさぬか」

長門守が窘める。

冴の話題なのに視線は景狼を向いている。


「景狼殿、こちらを」

三太夫がかわらけを差し出す。

白い濁ったものが満たされている。

「これはなんじゃ」

景狼がはじめて緊張した表情をしている。

「これはこう飲むものじゃ」

三太夫が自分のからわけを飲み干す。

景狼が恐る恐る口を付け、一気に喉に流し込んだ。

「……んぐっ、……げほっ! ごほっ! な、何だこれは……! 酸っぱい、泥のようだ……!」

「ど、毒か」

涙目で咳き込む景狼を見て、三太夫は大笑いする。

「これは酒よ。伊賀のじゃ」

「これが酒か」

景狼が空になったからわけを不思議そうに見る。

「なんじゃ、初めてか」

「儂、初めて飲んだわ」


「ところで景狼殿」

長門守が三太夫の隣に来る。

景狼の目と鼻の先の距離である。

「織田はどう思う?」

「織田…知らん」

「知らん、とはまたこれ景狼殿のお言葉とは思えませんな」

「どういうことじゃ」

「景狼殿の黒峰は確かに惣国には加わっておりませぬが、ここ伊賀の者であることは確か」

「その黒峰が知らぬ、とはどういう存念か」

「先ほどの者が申した通り、伊勢、南近江が落ちれば次は伊賀ですぞ」

長門守は探るように景狼の感情の消えている眼を見つめる。

「儂は狼じゃ!」

景狼が叫んだ。

大きくは無いが低い声は全員を止めるに十分だった。

「狼は無闇に戦わん」

「じゃが…縄張りは…守る…」

だんだん声が小さくなり、最後には聞こえなくなった。

景狼の身体がゆっくりと玲にもたれ掛かる。

「寝てしまいました」

玲が冴の方を向く。

「初めての山から下りてきた疲れと、初めてのお酒で眠ってしまわれたようです」

「今宵はここまでで」

冴が頭を下げる。

「そうじゃな、誰か景狼様を部屋へ」

澄海が小坊主に告げる。

「儂が一緒に行こう」

三郎左衛門が立ち上がると、景狼の肩を担いだ。

「案内しろ」

小坊主が一礼すると書院を出て行く。

三郎左衛門、玲、冴が続いて出て行った。

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