本国寺の女
景狼は開け放たれた木戸を潜る。
続いて白狼が木戸を潜るが、背が高いせいか、慎重に歩いている。
白狼が抜けるのを待って、景狼は真直ぐ南へ向かって行く。
大路に退避した町の民が一人の大男と、一頭の大きな白い狼を見送る。
景狼の手行灯と白狼の白い毛だけが浮かび上がり、何とも不可思議な光景となっていた。
景狼と白狼が見えなくなると、久吉は大路にいる民のところへ向かい、木戸へと案内する。
霞は木戸を潜った民に行くところが無ければ『牡丹屋』へ向かうように伝えた。
民たちがぞろぞろと北へ向かって行く。
下京から離れられたせいか、顔に活気が戻っているようだ。
景狼はその場に立ち止まっている人、蹲って動けなくなった人々には見向きもせず、ただ木戸へと向かって行く。
木戸の手前の小屋に門番がいた。
棒を持って震えている。
「木戸を開けよ」
景狼が小屋の入り口まで行くと門番を見下ろした。
「何を莫迦なことを言ってるんだい。今開けたら、こっちまで燃えてしまう。無理矢理でも開けようとするなら痛い目見せるぞ」
門番は威勢よく一気に言うと、震えながらも棒を振り上げる。
景狼はその棒を掴むと、力を入れた。
男の手から棒がすっぽ抜けた。
「へ!?」
「儂、壊すぞ、よいか」
漸く門番は自分が話している相手が自分より遥かに背が高い男であることがわかった。
門番がゆっくりと視線を上へ向けていくと、景狼の無表情の顔がそこにあった。
「ひぃー!」
門番が後退る。
小さい小屋なのであっという間に行き止まりとなった。
「木戸を開けよ。開けねば壊す」
「ひぃー」
門番が慌てて、鍵を外し、木戸を開け放った。
門番は木戸を潜る景狼の後に、どこから現れたのか大きな白い獣、白狼が歩いて行くのを見た。
白狼はゆっくりと門番を見下ろす。
「ひぃー」
門番は慌てて、上京の方へ走って行った。
景狼を熱風が襲って来た。
視界の下半分は赤く、上半分は黒い。
手行灯の灯など呑み込むような紅と、立ち昇る黒煙が空を覆っている。
時折、メリメリと家屋が崩れ落ち、その度に景狼の足元から地響きが伝わってくる。
建物が燃えるバチバチとした音と、町の人の絶望の声、子供の泣き声が響いていた。
衣服を乱し、荷物を抱え、互いを押しのけ合って何やら叫ぶ町の人たち。
全てが今までとはまるで違った光景だった。
景狼は眉を顰めると周囲を見渡した。
白狼も耳を立たせている。
「白狼、子供を拾ってくるのじゃ。儂はこの先の木戸を開ける」
白狼が首を縦に振ると、暗闇へと消えていった。
景狼は寄ってくる町の人を躱しながら、先へと進む。
次の木戸は開かれていた。
手に松明を持った集団が走り回っている。
松明の火と火災の炎が男たちを赤く照らす。
男たちが松明を建物に投げ込むと、ぼうっと炎が膨らんだ。
景狼には右にある巨大な建物に見覚えがあった。
「あれは散歩で通った寺じゃ」
景狼は立ち止まると、その威容を見上げた。
そこにも松明が投げ入れられている。
集中的に投げ入れられているように見えた。
建物の奥から何やら叫び声がするが、周りの音で聞こえない。
ふと寺を見上げている女がいた。
足が震え、涙を流している。
「おい、あの女、本国寺から出たのではあるまいな」
「そうであれば見逃すことは出来んな」
「我らのこと知られてはならん。捕らえよ」
男たちが女のところへ行くと、囲んだ。
「ひぃー」
女が男たちの下卑た目を見ると、声をあげた。
逃げようとするが足が竦んで動けない。
男の一人が女の右手を掴んだ。
「痛い…」
女が顔を顰める。
「寺から出おったな、何者じゃ」
「ただの下女でございます」
「さっき寺を見て泣いていたではないか」
「おとなしく言わぬと折るぞ」
女の手を掴んでいた男の身体が浮き上がっていった。
「おい、お前、どうしたんじゃ」
仲間の男たちが慌てている。
「痛ぇよ!」
男が叫び、女の手が離された。
女が倒れた。
「儂は今はこの群れの頭じゃ、頭は群れを守るもの」
景狼は男の背後から言った。
「何じゃ」
男たちが声の方へ松明を向ける。
景狼が男の首を掴んで持ち上げていた。
「儂の群れに手を出すなら…壊す」
景狼は力を徐々に込めていく。
「わかった。儂が悪かった。助けてくれ」
首を掴まれている男が喚く。
景狼はつまらなそうに男の身体を仲間たちへ放り投げた。
仲間たちが投げられた男の下敷きになった。
景狼は女の方を見る。
掴まれていたところには、くっきりと指の跡が付いていた。
女は気を失っているようだった。
景狼は女を肩に乗せると、周りを見回した。
景狼と男の騒動で町の人たちがこちらを見ていた。
「儂は今は頭じゃ。お主らを守る。木戸は開けた。ここから逃げるのじゃ」
景狼はそう言うと、北へと足を向けた。
「あの御方に付いていけ!」
「木戸が開いてるようだ!」
「儂らは助かるぞ!」
周りの町の民たちが互いに声を掛け合い、景狼の大きな背中を追うように一斉に動き出した。
景狼達が北の木戸を潜ると、白狼が待っていた。
背には何人もの子供を乗せ、着物を咥えて子供をぶら下げている。
景狼の後をついてきた町の民たちは一様に白狼の姿を見て叫びだした。
景狼が白狼に寄って行く。
「さすが白狼じゃ、ようやった」
景狼が笑う。
白狼が景狼の肩の女を見て、頷いた。
咥えていた子供が上下に揺らされる。
「お役目終わりじゃ、帰ろう」




