火事
ジャーン、ジャーン、ジャン。
激しい早鐘が夜の静寂を引き裂いた瞬間、少輔太郎は跳ね起きた。
慌てて格子戸にすがりつき、南の空を見る。
はるか下京の果てが、ぼうっと不気味な赤色に染まっていた。
最初の鐘を合図に各寺からの鐘が鳴り響く。
隣で寝ていた妻、あややが起こすまでも無く、目を覚ました。
「お前様!?」
「火事のようじゃ」
「何処でございまするか」
「ここから見た限り、南、下の方じゃ」
「ここまで火が来るかはわかりませぬが、先ずは皆様を」
「そうじゃな。あやや、後は頼む。拙者は近衛様の元へ」
「わかりました」
少輔太郎は素早く着替えると部屋を出て行った。
あややもなるべく明るい色に着替え、部屋を出て行った。
中庭に面した座敷に全員が集まる。
景秀、珠洲、景狼、玲、白狼、そしてあやや。
「何が起きてるのじゃ」
景狼が欠伸をすると言った。
「下の方で火事のようです」
あややが応えた。
「先ほど霞をやった。じきに様子がわかるじゃろう」
景秀が座ると床に置いてあるかわらけの水を飲んだ。
冷たさで目が覚めたのか、首を振る。
「ここのところ、京はずっと戦火が続いてようやっと落ち着いたのですが…」
あややが零した。
「あやや様、これからどのように」
珠洲が思い詰めた表情をしているあややに聞いた。
「取り敢えず、湯を沸かします。簡単に食べれる食の用意も」
あややが珠洲を見た。
「わかったわ、玲手伝って」
「はい、母上様」
珠洲と玲が部屋を出て行った。
入れ替わりに中庭の方に霞が現れた。
「お館様」
「霞、戻ったか。でどのようじゃ」
「はっ。その前に店の前にこの方が」
霞が右の暗がりを見た。
暗がりから一人の男が現れる。
「某は多羅尾左近太夫の手の者で、鬼三太と申す。少輔太郎様にお目通りを」
「おお、多羅尾殿のご家来衆か。少輔太郎殿は直ぐに参るゆえ、お待ち下され」
景秀が廊下へ出ると、鬼三太に上がるよう身振りした。
「では失礼して」
鬼三太が一礼すると廊下に腰を下ろす。
「あやや殿、鬼三太殿に白湯をお願いできまするか」
「ただ今」
あややがかわらけに白湯を入れて、鬼三太に差し出す。
「忝ない」
鬼三太は一息で飲み干すと袖で口を拭った。
「で、霞どうじゃった」
「木戸があり、火元までは行くこと叶いませんでしたが、聞いたところ、一箇所ではないとのこと」
「それは連なった所か」
「そこまではわかりませぬが、下へ通じる木戸の向こうには多くの民がおる様子で、木戸の隙間から光が差し込んで来ました」
「こちらに火は上がっておらぬのか」
「見たところ、下だけの様子」
「相わかった。休め」
「はっ」
「どうやらただの火事で無いやもしれぬな」
景秀が呟いた。
景狼は白狼に寄り掛かりながら寝転がっていた。
少輔太郎と近衛が座敷に入ってきたのは、珠洲が玲を連れて戻るのと同じだった。
「夜半に大儀じゃ」
近衛がいつもの場所に座ると、あややが白湯の入ったかわらけを前に置いた。
「少輔太郎殿、こちらの鬼三太殿がお待ちで」
景秀が鬼三太を示した。
鬼三太が懸文袋から丸めた書状を差し出した。
少輔太郎が跪き書状を受け取ると、読み進めた。
「で、火事の方はどうじゃ」
近衛が景秀を見る。
「霞の調べでは下の何か所かで火が上がっておるとのこと」
「同時にか」
「鐘の鳴り方からして、同じでは無いかと」
「ふむ。先ずはこちらに火が来ぬように手配せよ」
「御意」
「近衛様、木戸を開けねば下の民たちが焼かれてしまいまする。どうか」
あややが近衛の前に座ると頭を下げる。
「焼かれる!?…」
玲が呟く。
「そうでございます。下の民は南には行けませぬ。南に向かえば公方様がおわす所。そんなところに多くの民が押し寄せれば、黙っておりませぬ。それにその先には大木戸。逃げ場がござりませぬ」
あややが頭を下げたまま、言った。
「そんなこと…お祖父様!わたし、助けたいです」
「じゃが木戸を開けば、なだれ込んで来るぞ。それも大事じゃ。ここには抑えられる兵はおらんのじゃ」
「織田殿のお力は借りれませぬか」
珠洲が口を挟んだ。
「養父様、わたしも罪なき者が焼かれるなど黙っておりませぬ!」
「十兵衛がおればあるいは、じゃが。十兵衛はそれこそ本国寺じゃ。儂の家を監視しておる織田じゃ足りないわ」
「近衛様、民をおとなしくすればよろしいので?」
少輔太郎が書状を丸めながら言った。
「それが出来るなら木戸は儂の力で開けようぞ」
「少輔太郎、如何なる手じゃ」
「若君でございまする」
少輔太郎が白狼に寄りかかって寝ている景狼をみて微笑んだ。
「朝のこと覚えてられまするか」
「朝?」
「お前様。若君様と白狼が行けばよいのですね」
あややが嬉しそうに顔を上げた。
「そうじゃ」
「若君と白狼がおれば、民は動けぬはず。考えてみて下され。木戸を開けたら、若君と白狼が立っていたら」
「知らぬ者には驚くのう」
近衛が白狼を見る。
白狼が気付いたのか、近衛を見すえる。
「うむ。これは怖かろうのう」
近衛が苦笑いを浮かべた。
「試してみましょう」
「若君、起きて下され」
少輔太郎が言葉を掛けるが目が覚めない。
「白狼丸、起きないと白狼が大変なことになりますよ」
珠洲が景狼の耳元で囁いた。
「何っ!?」
「景狼、役目ぞ」
景秀が神妙な顔をして言う。
「退屈しておったのじゃ、疾うお役目を」
「暫し待て」
「鬼三太殿、立って、こちらを向いて貰えるか」
少輔太郎が鬼三太に声を掛ける。
「は、はい」
鬼三太が言われるがまま立って、振り返った。
「若君と、白狼と共にあの男の前に行って貰えまするか」
「わかったのじゃ、役目じゃな」
景狼と白狼が立ち上がると、鬼三太の方に寄って行く。
鬼三太の前に徐々に白狼と景狼の姿が現れる。
景狼と白狼が鬼三太を見下ろす。
鬼三太は目を見開き、逃げることも声を上げることも出来なかった。
「これでよいか」
景狼が少輔太郎を振り返った。
「はい。もう戻っていただいても」
「儂に任せれば簡単な事じゃ」
景狼が笑いながら部屋に戻る。
ゆっくりと白狼がついてくる。
「あやや様、民がこちらに流れて来ても休める場所が無いのでは」
珠洲があややに尋ねる。
「近衛様、いつも通りお屋敷を使ってもよろしゅうございますか」
「無論じゃ。中も構わん。ただし、織田に先に言うべきであろう」
「珠洲様、近衛様のお屋敷と相国寺をお借りします」
珠洲があややの言葉に頷く。
「それと足りぬなら住んでおらん屋敷を使うのじゃ」
「ありがとうございまする。お前様、珠洲様にあの近衛様の書付を」
「珠洲殿、お待ちを」
少輔太郎が部屋を出ると、直ぐに一枚の折り畳んだ紙を手に戻ってきた。
「珠洲殿、こちらは近衛様が下された木戸を開けるための書付でござりまする。各木戸の門番に見せれば開けて貰えまする」
「珠洲よ、もしそれでも開けぬなら、戸など壊しても構わん」
「養父様」
「よい。京の民を助けよ」




