『見て』そして『考える』
「新婦様。玲に他意はござりませぬ。何卒」
景秀が新婦に頭を下げる。
「頭を上げてください。どういうことでござりましょうか」
新婦が改めて背筋を伸ばして言った。
「珠洲が玲を連れ出したということはどういう意味かわかっておりまする」
「珠洲にも新婦様のお気持ちがよく伝わっておりまする」
「さすれば玲の言葉、赦していただきたい」
「拙者には何も見えておりませぬが」
新次郎(柳生新次郎厳勝)が頭を下げる景秀と困惑した表情の新婦を見る。
「新次郎よ、人にはそれぞれ事情というものがある。それは触れられたくないこと、触れない方がよいこともあるということじゃ。言わなくてもよいことは言わぬがよい」
近衛が新次郎の顔をじっと見て言った。
「それはどのようにわかるのでしょうか」
「それはな…よく人を見ることじゃな。そしてどういう人なのかを考える」
「見て…考える…叔父上と同じ言葉だ」
新次郎が呟くが、近衛には聞き取れたようだ。
「ほう。そなたの叔父はよほどの切れ者のようじゃな」
「はい。自分よりも剣も学も優れていると父は申しておりまする」
「ほほう。天下の柳生新左衛門よりも剣の使い手で切れ者、会ってみたいのう。儂も剣はそこそこやれるぞ」
近衛が剣を構えるような格好をする。
新次郎の額に汗が滲んでいる。
「近衛様、また叱られまするぞ」
「よいよい。最近退屈でのう。久方ぶりに剣の稽古がしたいのじゃが、少輔太郎は剣は使えんし、景秀も相手してくれん」
近衛が景秀を流し見る。
「ご勘弁を。拙者は剣が握れませぬ」
「戯れを申しただけじゃ…じゃが新次郎よ、相手してくれんかのう」
「いや拙者は未だ修行中の身ゆえ、お相手できませぬ」
「儂の新当流が柳生に敵うか見てみたかったのだがのう」
「近衛様、お祖父様より剣が綺麗だと聞いておりまする。わたしは剣はわかりませぬが、近衛様の剣の型はいつか見てみとうございます」
新婦が残念がった近衛に言った。
「おおう。そうか、見たいと申すか。なら」
近衛が立ち上がろうとする。
「養父様、お待ち下され」
珠洲が部屋に戻ってきた。
玲が後からついてくる。
「何じゃ、新婦が見たいと申しておるのに」
「少輔太郎様がお戻りになりました」
「そちらが先じゃ」
近衛が座り直す。
「白狼丸、あやや様が吉田様に詣でられるそうです、共に参りましょう」
「儂、行くぞ」
景狼が眠そうな目を見開くと勢いよく立ち上がった。
「新婦様、ご一緒に参りませんか」
玲が新婦に声を掛ける。
「え!?」
新婦が驚いた。
「新婦様、そろそろお屋敷に戻りましょう。その前に皆と詣でるのはよいでしょう」
新次郎が言った。
「よいのでしょうか」
新婦の視線が新次郎の顔と玲の顔を行き来する。
玲が新婦と視線が合うと微笑んだ。
「では…このへんで失礼いたします。温かき饗し忝なく思います」
新婦が景秀と近衛に向かって深々と頭を下げた。
慌てて新次郎も頭を下げる。
「良き出会いじゃった。また参られよ」
「はい。お祖父様にもよくよくお伝えします」
「そうか…さすが弾正の姫よ」
新婦が微笑むと立ち上がり部屋から出て行った。
『牡丹屋』を出ると、通りを右に進み、辻を左に折れた。
新婦は『牡丹屋』の向かいに見える廃れた近衛邸を見る。
「真に凄きお人でございました」
新婦が呟いた。
「新婦様、近衛様のことですか」
新次郎が言うと、新婦の指が新次郎の口を抑え、笑った。
「先の関白様は京にはいないのですよ」
「はぁ」
「わたしたちも参りましょう」
先に歩いているあやや、珠洲、景狼、玲の後を追った。
東に向かって通りを歩いていると、右側の奥に焼け野原が見える。
十三代将軍足利左近衛中将(足利左近衛中将義輝)の御所跡である。
今は崩れた土壁が寒風に晒されているだけだった。
視界が開けてきて鴨川の河原が見えてきた。
「この川を渡った先に吉田様はあります」
水面は冬の陽の光を浴びてキラキラと輝いているが、近づけば川底まで透き通るような冷徹な水だ。
橋は無い。
「母上、儂が運ぶ。あややは少し待って下され」
そう言うと景狼は珠洲を軽々と肩に担ぎ、水の中に入った。
「新婦様、ここは拙者が。失礼して…」
新次郎が新婦に向き直る。
「え!?」
新次郎が新婦を横抱きにすると、川を渡りだした。
声にならない激痛が足先から脳天まで突き抜けた。冷たいというより、刃物で切りつけられたような痛さを感じる。
川底の凍ったような石に足を取られぬよう、奥歯を噛み締め、膝下まで冷水に浸かりながらジャブジャブと浅瀬を渡った。
景狼が珠洲を下ろして振り返ると、新次郎が新婦を横抱きにして川を渡っていた。
玲の目に景狼が戻ってくるのが入った。
「わたしも渡りますね」
そう言って川に入る。
「冷たい!」
玲が叫んだ。
「玲、無理せずとも」
あややが心配そうな声を上げる。
「霧生でも川はありますので慣れております」
玲はあややに笑うと川を渡り始めた。
景狼が河原に戻ってきて、無言であややを横抱きにすると川を渡り始めた。
あややはあまりにも突然で呆然としていたが、やがて顔に朱が差した。
それは川を渡って吉田山を上っている時でも変わらなかった。




