玲と新婦
「あなた様、こちらへ」
あややが部屋を覗くと、少輔太郎を手招きした。
「拙者か」
少輔太郎が自分を指差すと立ち上がって部屋を出て行く。
珠洲が少し振り返ると外の廊下であややが少輔太郎に何やら話しかけており、少輔太郎の顔が徐々に歪んでいった。
少輔太郎があややに頷くと部屋に戻って来る。
珠洲の横に跪くと耳打ちしようとしてきた。
「少輔太郎様。聞かせて悪いことなどありませぬ。どうか堂々とお話し下され」
珠洲がチラッと少輔太郎の顔を見る。
「されば、京の町に馬よりも大きな白い獣が現れたそうです」
少輔太郎がその場で話し始めた。
「ほほ」
近衛が面白そうに言う。
「馬より大きい、とは…」
新婦が視線を上へずらしていく。
「その獣は大きなおのこと、大きなおなごを引き連れているとの由」
「何と奇妙な話じゃのう」
「で、織田の兵を軽々と倒したとのこと」
「そのような物の怪じゃ、さすがの上総介の兵どもも敵うまいよ、のう景秀」
「はあ。何やら心が落ち着かなくなって来ました」
「お前様、わたしもでございます」
「で、少輔太郎よ。それは何処に向かっておるのじゃ」
「前の通りを東へ向かっておるとのこと」
「なら、出れば見えるかのう」
「いえ、養父様。外に出ずともじきに見れる気がします…」
「儂もそう思います」
「珠洲様、景秀様。まさか!?」
少輔太郎が振り返って中庭の先の白壁を見る。
「おそらく少輔太郎が今思うておる通りじゃ」
景秀の言葉に珠洲が頷く。
「珠洲よ。おそらく戻る頃を見計らって、織田側が来そうだな」
景秀が横の珠洲を見ると、珠洲が頷いた。
「ええ、お前様、恐らくここに入ったところを見てますわ。あの明智様なら…」
やがて見えないが中庭に面した通りがざわめき出していた。
「珠洲様、若君がお戻りになられました」
あややの声が土間の方から聞こえて来た。
「戻りました」
先ず玲が廊下を通って部屋に現れた。
「儂、帰った」
続いて景狼が音を立てて廊下を歩いて来た。
「大きなおのこと大きなおなご…景狼と玲のことか」
新次郎が二人を嬉しそうに見る。
「新次郎ではないか」
「新次郎様、よくお越しに」
景狼と玲が新次郎に笑いかける。
「では、白い大きな獣というのは…」
新婦が呟く。
廊下からゆっくりと歩いて来た白狼が部屋の前に現れた。
景狼の隣に来るとゆっくりと伏せた。
新次郎と新婦が驚いて目を離せない。
「景狼、大丈夫なのか」
新次郎が白狼を撫でている景狼に訊いた。
「何がじゃ!?」
「その狼は襲ってこんのか」
「当たり前じゃ。狼は無闇に戦わない。白狼は弱い奴は相手にせんのじゃ。のう、白狼」
白狼が景狼を見て頷く。
「景狼、近くで見てもよいか」
「よい。来るのじゃ」
新次郎が立ち上がると、つられて新婦も立ち上がる。
部屋の入り口にいる白狼の傍に移動した。
「本当に大きいな」
新次郎が自分より遥かに大きい白狼の顔を見た。
「それに…雪のように白く、綺麗…」
新婦が白狼の背の毛並みを見ると言った。
そして自然と手が伸びて触っていた。
「気持ちいい…」
新婦が思わず呟いた。
白狼が新婦を見る。
新婦が慌てて手を離そうとする。
「大事ない。そのままでよいと白狼は申しておる…白狼に好かれたようじゃ」
景狼が歯を見せた。
「ああ!わたしには触らせないのに!」
玲が白狼を触ろうとすると、素早く立ち上がり、廊下を歩いて行った。
「白狼丸、織田様と争ったとのこと、間違いはありませぬか」
珠洲が自分の横を叩いて言った。
景狼が珠洲の隣、近衛の正面に座る。
玲も景狼の隣に座った。
新次郎、新婦も元の席に戻る。
「母上、儂、何もしとらん」
「母上様、若君は相手にしておりませぬ」
玲が景狼の言葉をフォローする。
「町ではあなた達が織田の兵を追い返したと言われてるのよ」
「母上、確かに織田様の兵にはお会いしました…えーと、あ、思い出しました。蜂須賀様です。蜂須賀様の兵に止められただけです」
「他に何もしていないのね」
「はい。何もしておりませぬ」
「玲よ、何故止められたと思うか?」
近衛の質問に首を傾げた。
「あ、もしや入っては行けないというところに入ってしまったからでしょうか」
「はて…それは何処の寺じゃ、それとも誰かの屋敷か」
「いえ。何もないところです。草が多く、石が転がっていました」
「草が多く、石が転がってるか、内野か。ここから西の方か」
「大木戸の傍じゃ」
景狼が気に入らぬとばかり言い捨てた。
「はい。大木戸がある通りに板が立っていて、そこが入ってはならぬと」
「内野に入ってはならん所など…」
「織田の陣ゆえ入るなと、わたしたちが入ってしまったと知って捕まえに来られたのかと…母上、わたしたち捕まるのでございますか」
「玲、大事ないわ。全て養父様がよくしてくれるわ」
「お祖父様!真でございますか」
「儂の孫を捕まえさせることなどさせんわ」
「お祖父様、ありがとうございます」
玲が頭を下げた。
「どうにも気になるのう」
近衛が呟く。
「織田が捕まえに来たことでございますか」
少輔太郎が言った。
「いや、その前じゃ…内野に板、恐らく高札じゃろうが、あったことよ。丹波口の方に織田の陣があるとは聞いておらん」
「新しく作られておられるのかと?」
「上総介がおらぬのにか…少輔太郎少し見てもらえるか」
「御意」
少輔太郎が立ち上がり、部屋を出て行った。
「新次郎様、隣の姫君はどなたでございますか」
玲が新次郎の隣に座る新婦を見る。
大人っぽい顔立ちの綺麗な方、冴とはまたタイプの違う美しさである。
「こちらは、拙者が世話になっておりまする松永様の姫君、新婦様でございまする」
「新婦様、この二人が拙者と京に来た黒峰景狼殿と妹の玲殿でございまする」
新次郎の紹介でそれぞれが挨拶をする。
「景狼じゃ。白狼に好かれるとはよきものじゃ」
景狼が新婦を見る。
「松永右衛門佐(松永右衛門佐久通)の娘、新婦と申します」
新婦が顔を紅潮させて言った。
「玲です。本当に綺麗です。同じ歳くらい?なのでしょうか」
「あ、そうなのでしょうか」
新婦が首を傾げる。
「そのお歳で京まで大変だったのでは?わたしには無理かと」
「若君と一緒にずっと山で過ごすことが多かったので山道は得意です」
「え、ずっと?どれくらいでしょうか」
「霧生に来てからずっと若君と一緒なので十年くらいです」
「十年!あれ!?」
「新婦様も十六では?」
「いえ。わたしは十になったばかり…」
新婦が皆に聞こえないように言うが、玲には聞こえていたようだ。
「十の歳!?何ゆえその様に大人になれるのですか」
珠洲は下を向いて首を振ると、立ち上がって、玲の傍に行くと、立ち上がらせた。
「ついて来なさい」
珠洲の声は普段聞かない茶化しのない声だった。
「母上、どうして」
普段聞かないような珠洲の声に玲は震えながら立ち上がった。
部屋の外へ連れて行く。




