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狼の時代  作者: 閃紅
永禄十二年
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京の荒野

『牡丹屋』を出た景狼(黒峰景狼)は左右を見回すと、暫し考え込んだ。

傍らの白狼も同じように左右を見る。

「うむ。白狼、今日は向こうへ行くのじゃ」

景狼は右の方を指差すと歩き出した。

「若君、わたしも参ります」

後ろから玲が走って来る。

景狼は振り返って玲を見ると、溜息をついた。

白狼も振り返って玲を見ると、首を振った。

「白狼、それはどういう了見ですか!?」

玲が白狼の横に来ると、白狼を見上げた。

「朝からうるさいのじゃ」

景狼が『牡丹屋』角にある辻に差し掛かると、また考え込んだ。

「若君、何処へ参られるのですか」

「知らん。白狼と町を歩きたいだけじゃ」

「こっちへ行くのじゃ」

景狼は『出水通』を右へ曲がった。

右側には『牡丹屋』の壁や他の公家屋敷の白い壁が並んでいる。

左側も同様だった。

通りを進んで行くと、脇に井戸があった。

底から澄んだ水が湧いている。

景狼はその水を掬うと口に含んだ。

「冷たい」

白狼も水を飲む。

気に入ったのか暫く飲み続けた。

満足したのか白狼が景狼を見た。

景狼は頷くとまた歩き始めた。

「若君、人がおりませぬ。まだお早いのでしょうか」

玲が尋ねる。

「知らん」

「若君、あれは何でございましょうか」

やがて通りは大きな通り『千本通』にぶつかった。

その先に一面に生い茂る広大な荒野が広がっていた。

「京にもこのような場所があるのですね」

玲が呆然として言った。

景狼が左を向くと何処までも荒野が続いているように見える。


「向こうじゃ」

景狼は左へ向かった。

通りの真ん中を通って行く。

左側には町家の壁が無造作に並び、右側には荒野が続いている。

よく見ると荒野に点々と石が置かれていた。

通りの先に大木戸『丹波口』が見えてきた。

景狼が足を止める。

「あの先にもあの夜のような人が多くいるのでしょうか」

「どうしたら助けられるのでしょうか、お祖父様に頼めば」

「無駄じゃ」

「この町には頭(かしら)はいないのじゃ!」

白狼が景狼を見る。

玲も悲しそうに景狼を見る。

「若君、戻りましょう」

玲が景狼の手を取ると、言った。

その時、玲の目に右側の荒野の中に入って行く小さい道が入った。

玲はその道へ入って行く。

「何があったのじゃ」

景狼が玲を追う。

「若君、これを」

玲が道の真ん中にある高札を指差した。

「儂は字がわからん。何と書いているのじゃ」

「わたしも字が読めませぬ」

「ただこんなところに綺麗なのがあったので…」


白狼が玲の前に出る。

玲の姿が、その白い巨体の向こうに隠れた。

「そこに書いてある通りじゃ。こっから先、織田の陣がある。入ることまかりならん」

高札の先、道の奥から足軽の一団がやって来た。

手にそれぞれ刀や槍を持っている。

「わかったら向こうへ…」

足軽の一団は高札の直ぐ近くまで来ると、足を止めた。

先頭の男が白狼を見る。

顔がゆっくりと上を向いた。

後ろの者たちも同じように足を止める。

一人が槍を構えた。

穂先が震えていた。

彼らより遥かに背が大きい景狼がつまらなそうな表情をしている。

その横に更に大きい白い狼がいた。

玲は景狼の腕を掴みつつ、周りを見回した。

それでも先頭の男が、槍の穂先を景狼へ向けた。

白狼が口を大きく開けた。

そこまでだった。

足軽達が武器を捨て、一気に逃げ帰って行った。


「若君、この先は織田様の陣となればお祖父様にご面倒がかかるやもしれませぬ」

「そうじゃな。では出るか」

「はい。後でお祖父様にお伝えしておきますね」

「うむ。参るぞ、白狼」

景狼たちは元来た道を戻って行った。


千本通に戻る頃には日が少しづつ昇り、少しづつ人の姿が出てきた。

通りに戻った景狼、玲、そして白狼の姿が視界に入ると、目を合わせないように俯いている。

玲は首を傾げながら景狼と共に歩いていく。

出水通へ交差する辻が見えてくると、武装した一団が向こうから現れた。

騎馬二騎と槍を掲げた足軽五人、弓を持った三人といった一団だった。

十分に距離を取った位置で止まると、弓を景狼達に向けてきた。

「そこに止まれ!何奴じゃ」

騎馬の武士が叫んだ。

景狼と玲が周囲を見回す。

「お前たちの事じゃ…大人しく捕らわれよ!」

「何故じゃ」

景狼が構わず進んで行く。

「止まれ!儂は織田家家臣、蜂須賀小六(はちすかころく)じゃ。京を騒がす不届きめが」

小六が刀を抜き掲げる。

景狼達は辻を右に折れると出水通に入って行った。

「いかん、このままでは京の町に被害が及ぶ!」

「構わん、討ち取れい!」

小六が刀を振り下ろした。

その瞬間、白狼は小六が騎乗している馬を見る。

馬の目と白狼の目が合った。

白狼が一団を見回す。

引き絞られた弓がそのまま止まった。

弓兵が動けず、矢が放てなかった。

「つまらん、白狼、帰るぞ」

景狼と玲が小六に見向きもせず『牡丹屋』の方へ向う。

白狼は景狼の後ろ姿を暫く見ていると、再び馬に向き直った。

大きく欠伸をする。

その口の大きさに驚いたのか弓兵から矢が放たれた。

全然違う方向へ飛んで行く。

白狼が一団にゆっくりと寄って行くと、小六の馬が踵を返し、千本通を戻って行った。

「おい、待たぬか」

小六がいくら手綱を引いても止まることは無かった。

「小六様!」

残った一団も小六を追って行く。

白狼は景狼の後を駆けて行った。

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