『牡丹屋』での歓迎
新次郎(柳生新次郎)は呆気に取られた。
「新次郎様。用向きを伝えられておりませぬ」
新婦が小声で言う。
新次郎が今気付いたかのように、新婦の顔を見る。
「拙者、柳生新左衛門の嫡男、新次郎と申す。京までの道中何かとお世話になり申した。新年のご挨拶に参った次第」
今までの頼りなさそうな声から一転している。
手提げ箱を珠洲に手渡す。
珠洲が視線を新次郎の隣の新婦へと向けた。
「わたしは松永右衛門佐(松永右衛門佐久通)の娘、新婦でございます。『牡丹屋』にご挨拶に参りました」
新婦が頭を下げる。
「あなた様が新次郎様。白狼丸と違った綺麗なお顔ね。白狼丸と玲が大変お世話になりました」
「それから弾正様のお孫さんなのね、可愛らしいわ」
珠洲が二人を見て微笑んだ。
(あれ、この子に言われても…嫌な気にならないな…)
新次郎は珠洲のことを改めて見た。
「新次郎様、わたしはあなたの相手になれませんよ」
「え?」
「わたしは珠洲。白狼丸と玲の母です。ようこそいらっしゃいました」
「うん?」
「うん」
「母?」
「母。だから新次郎様の相手にはなれないわ」
「景狼の母!?」
「はい。よろしくでございます」
「新次郎様、どうされたのですか」
新婦が新次郎を揺する。
「あの子が景狼の母…どういうことなんだ…」
「そのように驚かれることでしょうか」
「新婦様も景狼に会えばわかります。拙者の驚きが」
「はあ」
「さて、そろそろよろしいですか。ここで話してると休みで無くなります」
珠洲は新次郎と新婦を、店の奥から屋敷へと案内した。
珠洲は新次郎と新婦を中庭に面した廊下を通り、扉が明け放たれた部屋へ案内した。
「ここへお入り下さい」
新次郎が部屋に入ると、見たことの無い男たちが三人いた。
一人は浅黒く、がっちりとした身体つきの、いかにも猛将といった男。
向かい合う男は涼やかな容姿で書生のような男。
そして上座に座る男は三人の中で最も若々しく、微笑んでいた。
新次郎は上座の対面に座ると、深々と頭を下げた。
新婦が新次郎の斜め後ろに座り、同じように頭を下げた。
「初めてお目にかかる柳生新左衛門の嫡男、新次郎と申す」
「こちらは松永右衛門佐様のご息女、新婦さまでございまする」
新婦が立ち上がると、新次郎の横に座って、再び頭を下げた。
「おお、新左衛門の子か。新次郎殿、息子と娘から聞いておる。儂は黒峰景秀と申す。二人の父である」
浅黒い男が笑った後、言った。
「あなた様が柳生を助けて下さった…お会いしとうございました」
新次郎が景秀を嬉しそうに見る。
「やめてくれ。昔の話じゃ」
「うん。景秀、そんなことしておったのか」
上座の男が意味ありげな視線を送った。
「昔のことでございます。まだ若かりし頃のことでございます」
「ふむ。後で詳しく聞かせよ」
「は」
「拙者はこの『牡丹屋』を任されおる少輔太郎と申す者。以後よしなに頼みまする」
少輔太郎が頭を下げた。
「そなた、新婦とか申すのか。右衛門佐にそちのような大きな娘がおるとは知らなかったわ」
上座の男がじっと新婦を見る。
新婦は見られることには慣れていたが、男の視線で自分が全て見られてるかのような恥ずかしさを感じていた。
男の頭を珠洲が叩く。
「え」
新婦が珠洲を見て呆然としている。
景秀と少輔太郎も驚いていた。
「痛いではないか、珠洲…仮にも儂は養父じゃぞ」
「家族が間違えば直すのも家族でございまする」
「それに初めてお会いした子を怖がらせてどうするのですか」
珠洲のいつものような飄々とした感じではなく、一字一句はっきりとゆっくりと言っている。
言い聞かせているように言った。
「仮にも儂は摂関家筆頭ぞ」
「摂関家筆頭!?」
新婦が信じられないとばかり口を抑える。
「離縁しますよ。家族として恥ずかしいです」
「珠洲よ。待つがよい。せっかく儂にも孫が出来たのじゃ。二条に自慢が出来ておるのに」
「二条!?」
新婦から声が漏れる。
「白狼丸や玲をそんな風に扱うなんて」
珠洲が溜息をついた。
景秀と少輔太郎は見たくないのか、俯いている。
「もしや近衛様であらせられますか」
新婦が前の男を見て言った。
「そうじゃ、儂が近衛前久じゃ」
「ええ。近衛様、言ってよろしいのですか。弾正様のお孫様ですよ」
少輔太郎が慌てて顔を上げて、近衛の顔を見る。
「お主たちだけ名乗って、儂が名乗らぬ訳にもいくまい」
「いや、そうですが…」
「近衛様は京をお出になったとお聞きしておりますが」
新婦が恐る恐る聞いた。
「出たわ。本願寺へ行って、その後は有馬で湯に浸かって帰ってきた。有馬は流石じゃな」
近衛が頷く。
「先ほどお屋敷の前に兵がおりました。危なくはないのですか」
「儂のこと知らんよ、誰も。そちも儂を知らぬであろう」
「はい。失礼ながら」
「そう畏まらずともよい。儂の顔を知る者など、そう多くはないわ。そちは二条も知らぬであろう?織田上総介を知っておるか。今や知らぬ者が少なき名前ぞ」
「名前だけは」
「のう。そういうことよ…弾正の孫にしては素直じゃな」
「ところで景狼と玲はおられますか」
今まで口を挟められなかった新次郎が言った。
「あら…忘れてたわ」
「先ほど、白狼と出て行かれましたが」
少輔太郎が言った。
「そうなのね。では少しお待ちいただいて…」
珠洲が言い掛けて、目を見開いた。
「白狼と!?」
珠洲が聞き直す。
「はい。昨夜、珠洲様が明智様からお許しをいただいたので白狼も外を歩けますよ、と」
「そうでした…大事なければいいのですが」
当時は現代と異なり、写真技術も無く、名前は知っても顔は知らない人がほとんどだったと思います。
それを逆手に取った前久の自由っぷりを楽しんでいただければ。




