珠洲と新婦
茶屋の賑わいを背に、新次郎と新婦は再び通りの流れに身を任せた。
どちらからともなく、さっきと同じようにそっと手を繋ぎ直していた。
繋いだ手の温もりだけが、そわそわとした周囲の空気から二人を切り離しているようだった。
歩みを進めるにつれ、賑やかだった露店が一つ、また一つと姿を消していく。
それに比例するように、通りを行き交う人々の足がにわかに速まっていった。
誰もが余計な寄り道を避けるように、俯き加減に通り過ぎて行く。
やがて左側に、周囲を圧倒するような大きな屋敷が見えてきた。
近衛邸の広大な築地塀だ。
その厳かな佇まいを遮るように、屋敷の手前には急ごしらえの番小屋のような建物が居座っていた。
小屋の傍らには、きらりと光る長槍を担いだ足軽が立ち、行き交う民衆を鋭い目で見回している。
その背後、風に煽られてはためく幟には、鮮やかな『織田木瓜』の紋が染め抜かれていた。
土塀や太い門柱のあちこちには、射込まれた矢を抜いた跡が痛々しくささくれ、刃物で切りつけられたような深い抉れ傷が残っている。
屋根の軒先や塀の隅は、黒く煤けたままになっており、崩れた一部の土壁は、粗末な焼き板で不格好に塞がれていた。
かつては美しく整えられていたであろう邸内の名木も、いまや主の不在を証明するように、手入れもされず塀の外へと枝を伸ばしている。
屋敷の前を通りかかる。
本来ならば華やかな公家文化の象徴であるはずの表門は、固く閉ざされており、木の柵のようなものが乱雑に置かれていた。
「ここが先の関白様のお屋敷です。今は誰も住まわれていないと聞いています」
新婦が新次郎にだけ聞こえるよう、小声で言った。
改めて新次郎が屋敷を見た。
京に着いた時は暗くよく見えていなかったが、とても人が住んでいるように見えなかった。
通りをそのまま進んで行くと右側に、黒い一文字瓦と白壁が目立つ大きな屋敷が見えてきた。
白壁で中は見えなかった。
新婦はその公家屋敷のような建物をじっと見つめると、振り返った。
新婦の視線の先には通り過ぎた『近衛邸』がある。
再び屋敷に向き直る。
「このお屋敷は先ほどのお屋敷を模して建てられているようですね。ただ向きは反対になっているようです」
新婦が言う。
「新婦姫、そのようなことどのようにして…」
「お祖父様は城を造るのに長けているのですよ。新次郎様が見られた『多聞山城』(たもんざんじょう)はわたしの住まいですが、お祖父様が造られたものです」
「あ、そうでした!あれは見事でございました」
新次郎の言葉が嬉しかったのか、新婦が嬉しそうに屋敷の方に駆け出す。
「新婦姫、待って下され」
手を引かれ、新次郎も駆け出す。
「それにしてもどなたのお屋敷なのでしょう」
「ここが『牡丹屋』ですよ」
「え」
「ええ!」
壁の先に開いている門があった。
新次郎が門の中に入ろうとするが、後ろから引っ張られる。
振り返ると、新婦がここから動くものかとばかりに足に力を入れている。
「新婦姫、どうされたのですか」
「まだでございます。身なりを整えてからでございます」
そうは言っても新婦は新次郎の手を両手で引っ張っているので着物を整えられない。
新次郎が手提げの箱を置くと、素早く新婦の着物の襟や裾を直し、微笑んだ。
「え」
新婦の顔がまた紅く染まった。
「どこからどう見ても姫様ですよ。入りましょう」
新次郎は手提げの箱を持つと、再び門に入って行く。
今度は新婦も引かれるままについてきた。
二人は砂利を敷き詰めた前庭を通って店の前へとやって来た。
店には一人の女性がいた。
明らかに新婦よりも背が低い、そして幼い顔立ちだった。
「いらっしゃい」
その女性、珠洲がにこやかに話しかけた。
「新婦姫より若い…子供か」
新次郎が呟く。
「お客様、何か気になるものでございましたか」
新婦が勢いよく首を振って、新次郎の手を引っ張る。
「新婦姫、どうされたのです、具合でもお悪いのですか」
新婦が相変わらず首を振っている。
「おお、仲良しですね…先ほども何やらいい雰囲気でしたわよね」
珠洲が新次郎の肩を叩く。
「何のことじゃ」
「ふふふ。ここからね、よく見えるのよ。着物直すのとかね」
「どっからどう見ても姫様です」
珠洲が格好つけて言った。
「え」
「まさか…」
新次郎と新婦が同時に俯いた。
「新婦姫だっけ。いい子だね。でもそんなに気を張らなくていいのよ。ゆるりとね」
「おのこはいくつになっても歳下よ」
珠洲が再びふふふと笑った。
新婦の肩が揺れている。
「あ、無理させたかな」
珠洲が慌てて店から出て来て、新婦を抱き締めた。
どう見ても珠洲が新婦にもたれ掛かっているような姿なのに、実際には新婦の方が珠洲に寄り掛かっていた。
珠洲には、新婦の目から溢れるものが見えていた。
新次郎は何が何だかわからず、呆然としている。
「ね、子どもでしょ」
珠洲が新婦の背中を叩いて小声で言った。
「はい」
新婦が頷いた。
珠洲には新婦が少し笑ったように見えた。
年相応な笑い方だった。
「で、どのようなご用向きでしょうか」
珠洲が店の中に戻ると言った。
新婦姫話が長くなってしまい、申し訳ございません。
背が高く大人っぽい10歳の子と背が低く幼い顔立ちの珠洲のやり取りを作ったら長くなってしまいました。
次回はいよいよ景狼と新次郎の再会です




