闘茶
「新次郎様、お支度は」
新婦が部屋の外から声を掛ける。
「今、参りまする」
新次郎が板戸を開けると、そこに装いを新たにした新婦が立っていた。
淡い紅梅色の小袖に、梅の文様を散らした、わずかに紫を含む落ち着いた紅の小袖を重ねている。
背の高い新婦が身に纏うと、とても十の歳には見えなかった。
「新次郎様…」
何も言わない新次郎に新婦が恐る恐る声を掛けた。
声が震えている。
「いや、新婦姫さま。あまりにも…その」
新次郎が言い淀む。
「似合っておりませぬか」
「いえいえ…そのお綺麗で…驚いてしまいました」
「えっ…よかったです」
新婦の強張った顔が緩んだ。
「では参りましょうか」
新婦が新次郎に目を合わせず、そそくさと土間の方へ向かった。
「姫様、こちらでございまする」
瓦林左馬亮が土間の前で膝をついて待っていた。
傍らの黒漆を塗った小ぶりな手提げの箱を差し出す。
「左馬亮、面倒を掛けました」
「何を申されますか…ゆるりとお楽しみ下され。この箱は新次郎殿、お持ち下され」
「御意」
新次郎が左馬亮から受け取る。
「新次郎殿がおられますゆえ、拙者らは行きませぬ」
「よき計らいです。では行って参ります」
新婦と新次郎が門を出て行った。
「左馬亮殿、大事ないだろうか」
隠れていた家臣が出て来た。
「『牡丹屋』は近衛邸の近くじゃ。ここからなら直ぐよ」
「それに柳生新次郎殿がついておいでじゃ。危ない目には遭いますまい」
「姫様には少しでも楽しんでいただけねば」
左馬亮が微笑んだ。
「そうじゃ。新次郎殿なら儂も姫様とお似合いじゃと思うておる」
家臣が門を閉じながら言った。
「滅多な事を申すな」
「ですが拙者も同じよ」
妙顕寺の通りから出ると急に行き交う人が多くなった。
一瞬新婦が立ち止まる。
前の通りにどう入っていけばよいのか分からなかった。
「新婦姫様、ご気分が優れませぬか」
新次郎が横の新婦の顔を見る。
うっすら汗をかいているようだ。
「いえ。このような人の多さははじめてでしたので、気圧されてしまいました」
「確かにこの通りは人が多くて拙者も驚きました。逸れてしまわぬように。お手を」
「え」
新婦が言われたまま、手を伸ばそうとして止まった。
「さ、どうぞ」
新次郎が微笑んだ。
「はい…」
新婦が聞こえるか聞こえないか呟くと再び右手を伸ばした。
直ぐに新次郎の手が、離さぬようしっかりと握った。
新婦は背丈はあるが、小さい歩幅なので、自然と新次郎に遅れないように小走りになってしまっていた。
「申し訳ございませぬ。何分このようなことは拙者初めてですので。勝手がわからず」
新次郎の顔は紅く染まっている。
目は前を向いたままだ。
「新次郎様も初めてのことでございますか」
「拙者は大和の山奥柳生の者にて、このような人多きところも先の奈良がはじめてございまする」
「ましてやおなごと手を繋ぐなど…」
「なら一緒ですね。もう少しゆるりとお願いできますか」
「はい。せっかくですので、店でも見ながら参りましょう」
新婦が少しだけ握られた手に力を入れた。
通りには様々な露店が並び、多くの人々が覗いている。
中には新婦のような艶やかな小袖を着るものもいるが新婦が通ると目で追ってしまった。
当の新婦は気付かないのか、周りの景色に目を輝かせている。
店先には新春を祝う松飾りや注連縄がまだ残り、正月の名残を留めていた。
その下では塩魚や干物、味噌、酒、古着など、京の人々の暮らしを支える品々が所狭しと並んでいる。
新婦が身に纏うものとは比べるべくもないが小袖など古着も並んでいた。
新次郎がとある店先に来た時、立ち止まった。
新婦が何事かと新次郎の顔を見る。
「新婦姫。人混みでお疲れでは。暫し休んでいきましょう」
「あ、はい」
新次郎が店先の主人に何事か伝える。
主人が横の筵を指した。
「新婦姫。こちらへ」
新婦が新次郎に言われるがまま、筵まで歩いて行く。
筵は大きく既に何組かの先客が話したり、飲んだりしていた。
新次郎は筵に座ると、手を繋いだままなので新婦も筵に座りそうになる。
「え」
新婦はどうしてよいのか困惑の表情を浮かべた。
「おい、若いの。そこへ座らせたら、姫様の着物が汚れちまうぞ」
筵の客が笑いながら言った。
新次郎が筵を見る。
泥などは無いが新しいものではない。
新次郎は慌てて懐をまさぐり、風呂敷を取り出して横に敷いた。
「申し訳ござらぬ。この上で」
新婦が敷かれた風呂敷を見る。
風呂敷には「地楡に雀」が描かれていた。
新婦がゆっくりと風呂敷の上に座った。
店主が盆に二つの茶碗が載せられて来た。
新次郎が二人の前に盆を置くと、茶碗を新婦に渡す。
新婦が受け取ると茶碗から上る湯気が香ばしい香りを伝える。
新次郎も自分の分を手に取ると蓋を開け、一度息を吹き掛けると口に含んだ。
新婦も新次郎を真似て飲んだ。
抹茶の甘苦い味が口に広がる。
「結構なお手前でございます」
新婦が微笑んだ。
「このお手前、名のある茶人の方でございますか」
「姫様。これはあの主人が淹れた物じゃ。そんなたいそうなもんじゃないぞ」
客が新婦の言葉を聞いて言う。
「え」
新婦が店の主人を見る。
どう見ても新婦が知っているような茶人とは違っていた。
「結構な手前でしたが、どなたに習われたのでしょうか」
新婦が主人に声を掛けた。
「こんなもの、粉を入れて湯を注げば誰でも出来ますよ。もっとも、よい茶を仕入れるのは大変でございますがね」
「はい?」
「あ、お客様。違いますよ。これは点てた茶ではございません。気軽に茶を粉にしたものに湯を注いで飲むものです」
「こんなとこで優雅にシャカシャカやってりゃ帰っちまうわ」
別の客が囃し立てる。
「お姫さん。茶に詳しいなら、『闘茶』、やってみるかい」
主人が傍らの板を掲げる。
板には「四種十服」と書かれている。
「『闘茶』とは?」
新次郎が主人に尋ねる。
「三種の茶を飲んだ後、こちらが出した茶がどれかを当てるのじゃ。多く当てたものが勝ちで無料になる」
「なるほど。三種も茶はあるのか」
「ありますわ。京の宇治、栂尾、大和、伊勢、近江の政所や朝日山も名が知られてます」
「そんなにあるとは…新婦姫は本当にお詳しいのですね」
新次郎が言うと、新婦の顔に朱が差した。
「お祖父様が茶が好きで…一緒にいるうちに…」
「お姫さん、どうだい?」
「はい。お受けしますわ。…新次郎様は」
「拙者もやってみよう」
「お、若いのと姫様がやるなら儂も久しぶりにやるかのう」
「儂もじゃ」
気付けばほぼ全員が参加することになった。
「悪いな。そんなに板の用意が無いんでな。組で頼むわ」
主人が『い』『ろ』『は』と書かれた木札をいくつか取り出すと配った。
「新次郎様。わたしと組ですね」
「何やら緊張して参りました」
主人が『い』『ろ』『は』の茶を入れた茶碗を各自の前に置いた。
新次郎の前にも同じ三つの茶碗が置かれた。
「この三種の茶を飲み、これから10回出す茶がどれなのか札を上げる。よいな」
主人の言葉に新婦がコクリと頷く。
先程飲んだ茶より少ない量で冷めた茶が矢継ぎ早に運ばれる。
「これは上品なお味ですわ。栂尾でしょうか」
新次郎は口に含むと香りや味を一つ一つ確かめる。
「若いの、のんびり飲んでると冷めてわからんぞ」
「新次郎様、あの方の言うとおりです。冷めてしまえば、先ほどとは香りも味わいも変わってしまいますわ」
「なるほど」
新次郎が一気に飲んだ。
新婦が可笑しそうに笑うと再び茶を飲んでいく。
「あ、これはすっと静かに甘味が広がって…宇治ですかね。あれ、宇治は何番目でしたでしょうか」
その後も新婦はぶつぶつ言いながら、茶を飲んで行く。
「姫様、これは何処の茶かを当てるものじゃないぞ」
一人の客が笑いながら言う。
「あ、そうでした…」
「そろそろいいか。先ず、一番目の茶は」
皆が一斉に『ろ』の木札を上げる。
「正解じゃ。次じゃ。二番目は」
新婦ともう一人の客が『ろ』を、残りの客が『い』を上げる。
「『ろ』じゃ。次じゃ。三番目は」
全員が『い』を上げる。
「正解じゃ。次じゃ。四番目は」
新婦以外は『は』を上げている。
「お姫さん、迷ったか」
主人が札を上げない新婦に声を掛ける。
「どれでもないような気がしますが」
「お姫さん。正解じゃ」
「最初に飲ませておらん茶も混じっておる。それが客茶じゃ。ゆえに『四種』よ」
「はじめてやる者は引っかかるんだがな。お姫さん、見事だ」
「次、五番目は」
新婦は『は』を、他の客は札を上げない。
「お姫さん。正解じゃ。六番目は」
全員が『い』を上げる。
「正解じゃ。七番目は」
新婦と二人の客が『ろ』、その他の客は『い』の札を上げた。
「残念。そいつは『は』じゃ」
「え…栂尾では」
「八番目は」
新婦が『ろ』を、他の客が『い』の札を上げた。
「『ろ』じゃ。九番目は」
新婦が『い』を、他の客が札を上げない。
「客茶じゃ」
「え…宇治では…」
「そう簡単にわかっては遊びにならん。最後じゃ」
全員が『は』の札を上げる。
「全員外れ、『ろ』じゃ」
「上品さが無かったような…」
「お姫さんが言った通り、茶は冷めると変わったものと感じるもの」
「だから最初は熱く、だんだん冷めた茶を出すのよ」
「今回の『闘茶』はお姫さんが七回で勝ちだ」
「悔しいです…次はお祖父様と参ります」
「お姫さんの『闘茶』は無料じゃ」
「そろそろ出ましょうか」
新次郎が立ち上がる。
「はい」
新婦が優雅に立ち上がる。
新次郎が懐から巾着袋を取り出すと、紐を緩め、掌の前で軽く振った。
薄汚れた穴の開いた銅銭と、和紙で包んだものが零れる。
「それが金子というものでしょうか」
「はい。銭です。これで支払いまする」
「これがそうなのですね」
「新婦姫、やってみますか」
「よいのですか」
「ええ。これをあの主人に渡せば」
新次郎が自分の掌の上の銅銭を全部新婦の手に移す。
新婦はそのまま主人の元へと向かった。
主人は新婦の手にある銅銭を暫く眺めると二枚の銅銭を選んだ。
新次郎は新婦から使わなかった銅銭を受け取ると、主人に頭を下げ、店を離れようとする。
「お待ち下さいませ」
新婦は素早く踵を返すと筵の上の風呂敷を取ると丁寧に折りたたみ、新次郎に渡した。
今回は新婦姫の目を通して当時流行っていた遊び『闘茶』を取り上げてみました。
撰銭なども雰囲気が伝わればと思います。
さて次回は『牡丹屋』で新次郎と景狼たちの再会です。




