足利左近衛中将
足利義昭様登場です。
入江殿は義昭の姉とあるのですが夫である烏丸光宣との年齢差が大きく、義昭と光宣の年齢差が12年ですので姉となると永禄十二年当時34歳となります。
更に2年後の永禄十四年に出産後亡くなってしまったようなので36歳以上の出産となり、公家なのに高齢出産過ぎないかと思い、妹とさせていただきました。
京の南の入り口である鳥羽口より北へ向かうと本国寺はあった。
鳥羽口の大木戸を潜り、畑や荒れ野を過ぎると見えてきた。
土塁と巨大な空堀に囲まれた寺院要塞である。
今は正月なので、人足はいないが、このところ更なる要塞化で多くの人足で溢れていた。
客殿にて十五代将軍となった足利左近衛中将(足利左近衛中将義昭)は文を書いていた。
「公方様、どなたへの文でございまするか」
幕臣の一人、三渕弾左衛門尉大和守(三渕弾左衛門尉藤英)が一心不乱に筆を進める左近衛中将を見る。
「兄上じゃ」
「え、光源院様(足利左近衛中将義輝)でござりまするか」
弾左衛門が驚く。
「ははは。そんな訳なかろう。光源院様ではなく、織田の兄上様(織田上総介信長)じゃ」
「織田殿でございますか。なるほど、もう少し良い暮らしが出来るようにでございますな」
弾左衛門がわかったとばかりに己の膝を叩いた。
「ははは。莫迦を申すな。京のあの住むことも出来ぬ民を見たであろう」
「はあ」
「一日も早く日ノ本に平穏を戻さねばならぬ」
「では織田様には何を」
「決まっておろう。新年の挨拶じゃ。余は兄上様に会いに行けんからな」
「そんなこと…」
「何じゃ、三渕という家の者が。礼儀は大事じゃぞ」
左近衛中将が笑った。
「公方様、ただいま戻りましてございまする」
「おお。十兵衛よ、大儀じゃった。してどうじゃった」
「はっ。町の者にも聞いてみましたが、難しいとのこと、恐らくいくらあっても足りないであろうとのこと」
「そうよのう。余に力があれば救えるのじゃが」
「十兵衛殿、何の事じゃ」
弾左衛門が明智十兵衛(明智十兵衛光秀)に尋ねる。
「外の住めぬ民のことでござる。公方様が京の町の力で食べ物を出せないだろうかと相談されて」
「それなら我らの暮らしが先ではござらんか」
「弾左衛門、お主が余を案じてくれてるのはようわかるが、先ずは民であろう。民が笑えねば日ノ本は暗いままじゃ」
「公方様にいつかお目にかかっていただきたい者がございまする」
「十兵衛殿、それはどのようなものじゃ。仮にも公方様に会わせるほどの者とは」
「十兵衛、教えてくれんか」
「はっ。黒峰なる者にござりまする」
「黒峰…近衛の手の者ではないか!断じて認めん」
大和守が激昂する。
「弾左衛門よ、落ち着くがよい。先の関白とて日ノ本を案ずるは同じじゃ。それに光源院様の朋でもあらせられる」
「して、十兵衛。その黒峰なる者と何ゆえ余が」
「黒峰なる者、淀より一緒に京に参ったのですが、身の丈を超える狼を連れているのでございまする」
「身の丈より大きい狼?そんなものおるのか」
「御意。確かでござりまする。拙者も見ました。それは大きく白い狼で、何やら神々しさもあり、公方様にも霊験があるやもしれませぬ」
「ほう。そんなものがいつか会いたいものよう」
「公方様!一大事にございまする」
剃髪している光浄院暹慶(こうじょういん せんけい )が走って来た。
「光浄院殿、今は公方様が文をしたためおられる最中ぞ」
弾左衛門が嫌そうな顔をする。
「もうよい。済んだわ。十兵衛、この文を美濃の兄上様の元に」
「はっ」
十兵衛は左近衛中将が差し出す文を恭しく受け取ると、部屋を出て行った。
「で、光浄院、何が一大事なのじゃ」
「そうでございまする」
「入江殿と烏丸少将(烏丸左近衛少将光宣)が参られました」
「何と!何ゆえじゃ。烏丸様は恐れ多くも公方様の妹姫を誑かした者にございまする。心赦されまするな」
「また弾左衛門の心配しすぎじゃ。余の弟、烏丸少将はよき男ぞ」
「烏丸様は確かにおなごのような顔立ちをされ、人気がありましょうが。心底はどす黒いものがありまする。将軍家を蔑ろにすること甚だしい」
「弾左衛門尉殿、拙僧も烏丸少将様は裏表のない方だと見まする。御仏に仕える拙者が言うので間違いはござらん」
「光浄院は経より、槍振る方が得意であろう。御仏に仕えるとはどの口が言うのじゃ」
「まま、よさんか。弾左衛門が余の妹を好いていたのは知っておる。じゃが、真に烏丸は気持ち良き男じゃ。妹も喜んでおる。弾左衛門も認めてもらえんか」
「いや、恐れ多くもそのような大それたお気持ちありませぬ。ただただ、公方様が…」
「申すな、申すな。弾左衛門の心はわかっておる。余もそのような気持ちを持ってみたいものじゃ」
「兄上様、何をそんなお楽しそうに」
部屋の外から女性の声が聞こえてきた。
板戸がゆっくりと開いて、一人の女性、華姫(入江殿)が顔を出した。
まるで雪の庭から歩み出てきたかのように、透き通った威厳をまとっている。
すっと伸びた背筋、乱れのない足取り。
その場の誰もが気圧されたように、自然と頭を垂れていた。
「おお、華よ。久しぶりよのう」
左近衛中将が席を立つと、華姫の方へと寄って行く。
「兄上様、お久しゅうございます。息災でございまするか」
「なに。民に比べれば何ともないわ、さ、中へ」
「兄上様は変わらずですわね」
「それが公方としての余の務めじゃ。亡き父も兄も皆、同じじゃ」
「それはそうと、華よ。余の弟はどうした?一緒に来たと光浄院が申しておったが」
「光宣様は今、皆さまに餅を配っておられます」
「それは忝なきことよ。いつか報いようぞ」
「兄上様。光宣様も好きでやられているので許していただきたいですわ」
「何を許さぬことがあろうか。皆に代わって感謝致す」
「兄上様、そのお言葉は光宣様にいただきたいですわ」
「言うまでも無きことじゃ」
左近衛中将が華姫に微笑んだ。
「公方様」
廊下の奥から男の声がした。
「参りましたわ」
華姫が微笑んだ。
その笑みは、名の通り花が咲いたようであった。
「華は真変わったのう。そんなに烏丸少将はよいか」
左近衛中将の言葉に華姫の頬がうっすらと染まった。
恥ずかしそうに袖で顔を隠す。
「公方様、ご機嫌でございまするか」
烏丸少将が部屋に入ると華姫の隣に座り、手を握った。
華姫の頬が更に染まる。
「烏丸少将よ、公方は無いじゃろう」
「ですが公方でなければ…左近衛中将様」
「水臭いことよ。余の唯一の弟じゃと言うに」
左近衛中将が態とらしく溜息をついた。
「恐れ多くも公方様のことを…」
「たった一人の弟が淋しいの…」
烏丸少将が困惑する。
華姫が握る烏丸少将の手に力を入れた。
「あ、義兄様…」
烏丸少将が恐る恐る言ってみる。
「何じゃ義弟よ」
左近衛中将が嬉しそうに言った。
烏丸少将が苦笑する。
「そうじゃ、華。兄上に土産は」
「あ、忘れおりましたわ。久しぶりに兄上様とお会いできたのですっかり」
華姫が持っていた漆の箱を左近衛中将の前に押した。
「兄上様、これをどうぞ」
「おお。忝ない」
左近衛中将が箱を開けると、紅白の餅と、桃の形をした菓子が入っていた。
「これはよきものを済まぬな。後で皆で頂くとしよう」
左近衛中将が箱を閉じると、光浄院に渡した。
箱を受け取ると烏丸少将と華姫に深々と頭を下げた。
「義兄様。この菓子は華の手ずからの品でございます」
「何と。華が作ったのか。これは嬉しいのう」
華姫が照れたように顔を伏せる。
「そう言えば。義弟よ。皆にも配られたと。皆に代わって感謝致す」
左近衛中将が頭を下げた。
「公方様、おやめください!」
弾左衛門が慌てて止める。
「その通りでございます。義弟に頭を下げないでくだされ」
「じゃが今の余にはこれくらいしか出来ん」
「義兄が息災ですと華が喜びまする。義弟とお思いならどうか頭を下げずに」
「相わかった」
「それにしても余の家臣に餅を配ると相当の量じゃが、いかにして集めた?」
「これは『牡丹屋』で手配させていただきました」
「『牡丹屋』は公家相手の商いをしておる店と聞いたことがあるが」
「左様でございまする。いつも世話になっておりまする。すぐとは参りませぬが、欲しいものが手に入りまする」
「ほう。それは余も一度行ってみたいものじゃ」
「光宣様、あのお話を」
華姫が烏丸少将の顔を見る。
「おお、そうであった。昨日驚くべきものにお目にかかりました」
「ほう。何やら面白そうな話のようじゃ」
「『牡丹屋』で昨日明日使う懐紙を買いに行ったところ、人より大きな白い獣がおりました。それはもう食われるかと」
「何とそれは白い狼か」
「あれは狼というような大きさではありませぬ。強いて言えば、神獣如きものでございまする」
「先ほど十兵衛も見たそうじゃ…余も見たいものじゃ」
「弾左衛門尉様、使いの者が参っておりまする」
部屋の外から声が聞こえた。
「何者じゃ」
「堺の使いと申しておりまする」
「何!堺じゃと…今参る」
弾左衛門が微笑んだ。
「公方様、席を外しまする」
「うむ」
弾左衛門は一礼すると部屋を出て行った。




