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狼の時代  作者: 閃紅
永禄十二年
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53/70

烏丸光宣

日が傾きかけ、正月の京の町では店々は閉まり始めていた。

そんな『牡丹屋』を一人の男が訪ねて来た。

いかにも公家然とした衣装、物腰柔らかく柔和な表情。

京の雀も騒がずにはおられないだろう。

「あややさん、いつもの入ってるかい。明後日、連歌会があってね」

「あら、烏丸様。越前のものが入っておりますが、絵懐紙も少ないですが入っております」

あややが烏丸光宣(からすま みつのぶ)に笑いかける。

「越前の懐紙か…あれはいいものだけど、値が張るのだよ」

「それに絵懐紙も捨てがたいな」

烏丸が悩んでいる。

「織田様のお陰で京も前より落ち着いてるから、この正月はお公家様は歌に忙しいようで、残り少ないですよ」

「そう言って、私ら公家の金子を奪おうとする」

「耳に悪いことですわ。近衛様ならお力になってくれますわ」

「それはまた近衛様のお頼みを聞かねばならぬということなのだが…」

「今回の絵は人気の蓬来山でございますよ」

あややが恭しく一枚の紙を烏丸に差し出す。

恐る恐る受け取ると、その紙を見た。


そこに描かれていたのは墨絵で激しい波しぶきの中にそびえ立つ、幻想的で奇妙な形の岩山。

崖の途中にしっかりと根を張る松の木と、その周りを優雅に舞う数羽の白い鶴。

岩山のふもと、激しい波が洗う岩陰に見える亀。

そして荒波の向こうから、眩い黄金の光を放ちながら昇る大きな朝日。


「これは見事よ。まさに蓬来山。しかも目出度き金箔の朝日よ。これはとても手が出ませんね」

残念そうに首を振るが烏丸の目は離れなかった。

「あやや殿…まさかこの絵はあの徐福殿の手のものですか!」

あややが微笑んで言った。

「蓬来山といえば徐福先生でしょ。これは今回特別に描かれた三枚のうちの一枚」

「越前の懐紙に蓬来山となれば、それは普通のお公家さまでも手に入るものではないですわ」

「二枚はどなたの手にあるか、お知りになりたいですか」

烏丸の目は相変わらず、絵懐紙から離れていない。

あややは構わず続ける。

「近衛様と禁裏様ですわ」

「何と申した!」

「近衛様が一つ頼みを聞いていただけるなら、差し上げてもよいと、申されておりました」

「要らないならこちらにお返しくださいませ」

「またあのお方の掌の中か…なんとも卑怯なお方じゃ」

烏丸の端正な顔が歪む。

「あのお方には勝てませぬ。何なりと、とお伝えくだされ」

「烏丸様以外にこの紙に相応しい方はおりませぬよ…お伝えしておきますね。これもどうぞ」

あややが一本の筆を差し出す。

「なんとこれは出回らない純紫毫筆(じゅんしごうふで)では!」

烏丸が毛の部分を曲げると直ぐに戻って行く。

「烏丸様、お見事でございます。惑うことなき兎の上質な毛だけで作られた紫毫筆でございます。近衛様がさる西国の毛利様より献上されたものだそうです」

あややが意味ありげな笑みを浮かべた。


「あやや様、商い上手ですわね」

「あら。珠洲様、それに近衛様も」

あややが振り返ると店の奥から珠洲が現れた。

近衛の姿もある。

「何!?」

烏丸が顔を上げた。

小柄な女性の隣に忘れられない近衛が視界に入る。

「誰が卑怯だと?」

近衛の目が細くなる。

「いえ。誰も申しておりませぬ」

烏丸が首を振った。

「光宣よ、お主に特別に教えてやろう。この娘は珠洲という儂の娘じゃ」

「このなよっとしたのは烏丸家の光宣じゃ」

「烏丸様、珠洲と申します」

「近衛様の娘!?どう見ても」

烏丸が珠洲を見る。

近衛を見た。

確かに珠洲は背も小さく、近衛の娘に見えなくもない。

再び珠洲を見た。

ただどうにも成熟した女性の魅力が伝わってくる。

「近衛様、お聞きしても」

「何じゃ」

「本当は、珠洲殿は近衛様の叔母上とかでございますか」

「烏丸様、それはわたしが若くないと申されてるのでございますか」

「何!?光宣よ、いくらお主でも許さんぞ。珠洲は儂の娘じゃ!歳はいっててもな」

「養父様、それはわたしが老けてると申されているのでしょうか」

珠洲の目がスッと細くなり、声から感情が消えた。

「す、珠洲様…?」

あややが見たことのない珠洲に戸惑う。

烏丸も近衛も珠洲を見た後にお互いの顔を見た。

どちらもなんとかしてくださいよ、と無言で訴えかけているように見える。

二人が顔を見合わせて勢いよく首を横に振った。


その時更に店から巨大な白い狼、白狼が現れた。

白狼が珠洲を見下ろす。

「あら、白狼、どうされたのです?」

珠洲が白狼を見上げる。

白狼が珠洲を守るように前に出た。

烏丸の前に見上げるほどの白い狼が現れた。

「近衛様、この目の前の白いのは何でございますか」

「狼に決まっておろうが」

「いやいや、これは狼では…どう見ても」

「烏丸様、まさか大きいから狼じゃないという申すのでございますか」

珠洲が白狼を撫でると、烏丸を見た。

「いえ、そんなことは…」

白狼が頭を下げた。

今にも口が烏丸の顔に当たりそうである。

「近衛様、助けてくだされ」

「諦めよ」

「そんな…珠洲殿、お助けくだされ」

「白狼は烏丸様に挨拶をしているだけでございますよ…そうですよね」

白狼が一度珠洲の方を見ると直ぐに烏丸の方に向き直り、頷いた。

烏丸は動けなかった。

そもそも武が不得手な烏丸には逃げることすら出来そうも無かった。

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