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狼の時代  作者: 閃紅
永禄十二年
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46/70

白狼、京に参る

元日が終わる頃、ガラガラ大きな音を立てて、強靱な馬四頭に引かれた車が『牡丹屋』の前に到着した。

馬の前を、提灯を掲げた男と、手ぶらの男が歩いている。

屈強そうな二人の馬借が轡を取り、車の後ろには女が二人。

そのさらに後ろを、もう一人の男がついていた。

「中庭に参れるよう」

一人の女、珠洲(すず)がもう一人の女、霞(かすみ)に言った。

霞は頷くと、『牡丹屋』の門を開けて中へ消えて行く。


「その荷は何じゃ」

提灯を掲げた足軽の二人組が近衛邸の傍らから向かって来た。

前の男二人に構わず、車の前までやってくる。

「荷を改める」

提灯の灯り金糸で縁取られた紅色幕が浮かび上がる。

その幕に牡丹の意匠が描かれている。

「その中は何じゃ」

「これは先の関白様に頼まれたものにござりまする」

珠洲が悪びれることも無く応えた。

「幕を開けよ」

足軽が凄んでみせるが、珠洲は恐れもせずに笑顔を浮かべて言った。

「本当に良いのでございますか…この幕の意味は存じておりますよね」

「だから何じゃ!織田に」

「そこまでです」

鋭い声で足軽の言葉を遮った。

「お役目ご苦労。じゃがその先を言うと…後にはひけんぞ」

馬の前の提灯を持った男、明智十兵衛(明智十兵衛光秀)が足軽たちと車の間に立ち塞がった。

「拙者は明智十兵衛じゃ。京の護りを仕っておる」

足軽が提灯を十兵衛に向ける。

着物の桔梗紋が見え、神経質そうで、それでいて知的な男の顔が照らし出された。

「これは失礼いたしました」

足軽二人が揃って頭を下げる。

「よい。お役目大儀じゃ」

十兵衛が笑った。

「珠洲殿。この際、この中身を見せてはどうか」

「明智様…それは先に騒動を起こそうと」

様子を見守っていた男、高来清房(たかき きよふさ)が車の側にやって来る。

「騒動というより、この中身が近いうちに京で騒ぎは起こすであろう」

「ああ。なるほど。ここでこの中身を知らせておくということですね」

「この中身が動けば間違いなく騒動になりますから」

「高来殿もそう思うか」

「なるほど」

珠洲が手を叩いた。

「ここで見せてしまえばもうお咎めなし、ということですわね」

珠洲が高来の方を流し見る。

「さすが、姫様。よい案でございます」

高来が態とらしく黒峰景秀(くろみね かげひで)を見る。

「おい!そうか。さすが織田の明智十兵衛殿じゃ名将じゃ、そなたたちも十兵衛殿の下で幸甚じゃのう」

景秀が笑いながら二人の足軽の肩を叩く。

「いや、あまり騒ぎを起こされても…」

十兵衛が違うと手を振るが誰も相手にしない。

「ではお見せしますね。お二方は車のもっと近くへ」

足軽が幕に顔が触れるくらい近づいて来る。

二人の目前に牡丹が広がる。

これに触れてはと思うと額から汗が出てきた。

景秀が二人の後ろに立つと提灯を掲げた。

「高来、引きなさい」

珠洲の指示で高来が幕を後ろに引っ張った。

先ず目に入ったのは提灯の灯りで真っ白に輝くものだった。

それは檻に入っていた。

二人にはそれが何だかよくわかっていなかったが、檻の中のものが動くと、目が離せなくなった。

二人を上から見下ろす二つの目は深い知性を感じさせる。

(これは何じゃ…何かどえらいものに見られておる)

(これは神様じゃろうか…なんや十兵衛様に似ておるわい)

二人がぼっと見ていると、珠洲が悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「白狼、御二方にご挨拶を」

檻の中の真っ白い狼、白狼が二人の顔を舐めた。

「ひいっ!」

二人は逃げたくても後ろに頑健な景秀が立っているので逃げられなかった。

「ま、お二方。そんなに騒がれては町の方にご迷惑ですわ」

「そうですわよね、十兵衛様。織田様の兵が京を騒がしては…」

珠洲が十兵衛を見上げる。

「もうそこまでで…お頼み申す」

「そうですわね。これでお互い騒ぎが起きても仕方ない、ということでお頼みいたしますね」

珠洲の丁寧な物言いに、景秀がにやけながら二人の後ろから退いた。

高来も面白そうに見つめている。

「わかり申した。ですがわざとの騒ぎは赦しませぬぞ」

「わかっておりまする。ただ歩くだけですよ。犬と同じですわ」

「犬…」

十兵衛が白狼を見上げる。

白狼が十兵衛を見て首を振った。

「戻るぞ」

十兵衛が溜息をつくと足軽二人を連れて去って行った。

足軽二人の足取りは景秀たちからは若干覚束ないものに見えた。


十兵衛たちが去ったことを見計らったかのように、門を開けて霞が店先に出てきた。

「珠洲様、万事滞りなく」

珠洲が頷くと檻を開ける。

白狼が檻から身軽に飛び出すと、馬が暴れ出した。

今にも高く嘶き、走り出そうとするのを白狼が睨んで止めた。

「お前様。今のうちに店内へ」

「うむ」

景秀が頷くと門の奥へと入って行く。

白狼が続いて行く。

「高来はどうしますか」

珠洲が振り返って残った高来の顔を見る。

「手前は既に織田方に見られた身、堂々と近衛の方に参ります」

「わかりました。では後ほど」

「はい。姫様。お疲れでございました」

「高来もね」

珠洲はニコリと笑うと門の中へ入って行った。

珠洲の姿が門の奥へ消えると、高来は荒れた近衛邸の前まで行き、頭を下げた

「ただいま、戻りました」

『大儀じゃった』と聞こえた気がするが、誰の姿も見えない。

高来は薄く笑うと、屋敷の中に消えて行った。


珠洲が門を潜ると、霞は『牡丹屋』の門を閉じ、閂を掛けた。

『牡丹屋』は門を潜ると砂利を敷き詰められた前庭があり、そのまま真っすぐ進むと、店の入口に続いて行くが、前庭の左側に竹扉があり、その先へ進むと中庭には入れる。

霞は開け放たれた竹扉の先へ進むと、松明で明るくなった中庭に出た。

中庭に白狼、景秀、珠洲が揃い、縁側には毛利少輔太郎(もうりしょうたろう)・あやや夫妻が座っていた。

「霞、不審なものは」

珠洲が霞の顔色を伺う。

霞が首を振る。

珠洲が頷いた。

「景秀殿、珠洲殿。毛利少輔太郎でございまする」

「こちらは室のあややでございます」

少輔太郎とあややが揃って頭を下げる。

「黒峰景秀になります。天下の大毛利のご子息と奥方様とお会いできるとは」

景秀が少輔太郎に頭を下げる。

「やめてくだされ。拙者は死人でござる。若も普通に接していただきましたわ」

少輔太郎が微笑んだ。

「申し訳ありませぬ。白狼丸は機微がわからぬ男。無礼な振る舞いはございませんでしたでしょうか」

珠洲が頭を下げる。

「いやいや、若に褒められましたわ」

少輔太郎が照れたように言う。

「珠洲様。この人、若に立派な頭じゃ、と言われたようで、それが嬉しかったらしく…昼からずっとこの調子で」

あややが横の少輔太郎を見やると、嬉しそうにしていた。

「景狼がそんなことを…あれは世辞などは言えない男なので少輔太郎殿が本当に頭として相応しいと思ったのでしょう」

景秀が言う。

「”殿”はやめてくだされ。今はこの『牡丹屋』を預かる身です。この店も珠洲殿にお返しする時でございます」

「それは困ります。ここの女将はあやや殿でございます。わたしはいずれ霧生に帰りますれば」

「わたしが帰られねば、この人も霧生に帰りませぬ。それではさすがに黒峰が危のうござりまする」

珠洲が景秀の袖を引く。

「儂は珠洲の傍であればどこでもよいわ。お役目も景狼に任せれば」

景秀が珠洲の腰を抱く。

「白狼丸はまだ党主は務まりませぬ。お前様にはもう少し働いていただかねば」

「京で少し二人を見てから霧生へ戻りましょう」

珠洲が景秀の腕を叩いた。

「そうじゃな。今すぐに危なくはないじゃろう。暫し珠洲の郷帰りに付き合おうぞ」

「ところで景狼と玲はどうしておる?」

「若は一人で京の町を歩いて疲れたのでしょう。戻ってからずっと眠っておりまする。玲も若の傍におりましたが、今は部屋で休んでおりまする」

「そうですか。白狼丸には暫く試練が続きますね。これに慣れる必要があります」

少輔太郎の言葉に珠洲は突き放すように言った。

景秀・珠洲の話であった明智十兵衛と高来清房と共に漸く白狼が京に到着しました。

『牡丹屋』は近衛前久が造ったので近衛邸と似た屋敷となっており、通常の京の店より遥かに大きいものとなっている設定です。

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