永禄十一年 徳川信康(前篇)
永禄十一年、秋。
京の都をまたたく間に平定した天下の風雲児・織田上総介信長から、三河国・岡崎城の奥御殿へと届いた荷の数々は、目が眩むほどの華やかさに満ちていた。
京の極上のお菓子に、白く滑らかな木綿、激務の合間に認めた文。そして何より目を引いたのは、見事な紅色に染め上げられた、寸分違わぬ姿をした二つの美しい小袖である。
「ほら、見て頂戴、亀!」
奥御殿の広間で、十歳の五徳は、一歳年下の義理の妹・亀姫の前に、その二つの小袖をドンと広げてみせた。
普段は織田上総介の娘としてツンとすまし、大人たちを寄せ付けない少女が、今ばかりは頬を紅潮させ、誇らしげに胸を張っている。
「父上から届いたの…しかも、同じものが二着も入っていたのよ」
「父上はね、わたくしがこの紅色の織物が大好きなことを覚えていてくださるのよ」
「天下の仕置きでお忙しいのに、わたくしのためにこんなに素晴らしいものを…」
「どう? 私の父上は、世界一優しくて素敵な父親でしょう!」
「わあ…素敵です!」
九歳の亀はまるで織り込まれた紅葉のような美しい小袖に、無邪気に目を輝かせた。
「素敵です、五徳姉様。 触るととっても柔らかくて、お日様みたいに温かい赤色です」
うっとりと小袖を見つめる亀の姿を、五徳はツンとすました顔で見つめていた。
しかし、その耳たぶは少し照れくさそうに赤くなっている。
五徳は二つのうちの一つの小袖を乱暴に掴むと、それを亀の胸元へぐいと押し付けた。
「はい、これ。あなたにあげるわ!」
「えっ!?」
「でも、これは織田の叔父様が、五徳姉様のために…」
驚いて目を見開く亀に、五徳はフンと鼻を鳴らし、そっぽを向いた。
「同じものを二つ持っていても仕方ないでしょう」
「だから、仕方がなくあなたに分けてあげるの」
「…勘違いしないでよね、わたくしとお揃いの格好をしていいのは、この城であなただけなんだから!」
強がりの言葉とは裏腹に、五徳の瞳は不安げに揺れている。
その健気な姿をじっと見つめていた瀬名は、胸がいっぱいになるのを禁じ得なかった。
今川の滅亡に心を痛めていた彼女にとって、この二人の愛娘の存在こそが唯一の救いだったのだ。
「まぁ、五徳。なんて優しいお姉様なのかしら」
瀬名は持っていた針箱を置くと、嬉しくてたまらないといった満面の笑みを浮かべ、二人をそっと後ろから抱き寄せた。
「五徳がこの城に来てくれて、母様は本当に幸せよ」
「こんなに可愛らしくて優しい娘を二人も持てるなんて、日ノ本一の果報者ね」
「さあ、亀、五徳お姉様にきちんとお礼を言いなさい」
「はい。 ありがとうございます、五徳姉様!
「五徳姉様とお揃いのお着物がもらえるなんて、夢みたいです!」
五徳の背中に、亀が嬉しそうに飛びつく。
「二人が並んで歩いたらどれほど可愛いかしら」
「今から仕立て直すのが楽しみね」
瀬名が優しく微笑むと、五徳は照れ隠しに亀の手をぐいと引っ張った。
「……お願いします、母様」
五徳が小さく呟く。
瀬名は二人を愛おしそうに自身の腕の中にぎゅっと抱きしめ、頬をすり寄せた。
その時、ぱたぱたと小気味よい足音が廊下から響き、広間の障子が勢いよく開いた。
「五徳!亀!、母上も、ここにいらしたのですか」
現れたのは徳川信康、幼名『竹千代』であった。
まだ少年の幼さを残しながらも、きりりと結ばれた眉が利発そうな少年である。
毎日学問や武芸に励む彼も、この部屋から聞こえる賑やかな笑い声に誘われ、思わず足を運んできたようだった。
「竹千代兄様!」
亀が信康に嬉しそうに抱きつく。
「亀、竹千代はわたくしのものよ」
五徳はすぐさまツンとすましてそっぽを向いて呟いた。
「五徳、よく聞こえないよ」
信康が亀の頭を撫でる。
「竹千代、案内も乞わずにドタドタ入ってきて」
「相変わらず三河武士は不作法ね」
「今、わたくしたちは父上から届いた素晴らしいお召し物の話をしていて忙しいの」
「おのこの入る隙なんてありません!」
口では冷たく突き放しながらも、五徳の視線はチラチラと信康の方を向いている。
信康はそんな五徳の態度にはもう慣れっこで、悪びれもせずに部屋へと上がり込んだ。
「何言ってるんだよ」
「五徳に会いたいんだから仕方ないだろう」
嬉しさで口がプルプル震えている五徳に気付いているのか、気付いていないのか、続ける。
「お、それが織田の父上様からの贈り物か」
「見事なものだな…部屋の中が明るくなったようじゃ」
信康が純粋に目を輝かせて紅色の小袖を見つめると、亀が自慢げにそれを胸に当てて見せた。
「ふふん、すごいでしょ」
「五徳姉様がね、『私とお揃いをしてよいのはこの城であなただけよ』って、一つ私にくれたの!」
亀が小袖を抱いてくるくる廻ってる。
「ちょっと、亀!」
「それはおなごだけの内緒よ」
五徳が顔を真っ赤にして亀の口を塞ごうとする。
その微笑ましい大騒ぎを見て、瀬名はいたずらっぽく目を輝かせ、信康の肩にそっと手を置いた。
「ねえ、、見てご覧なさい」
「五徳はね、あなたに見せるのが恥ずかしくて、こんなに真っ赤になって怒っているのよ」
「本当に可愛い子ね」
「母上まで…」
瀬名に楽しそうにからかわれ、五徳はますます顔を赤くする。
信康はニヤニヤしながら五徳の顔を覗き込んだ。
「五徳は本当に優しいな。いつもはツンツン怒ってばかりなのに」
「なっ…!」
「わたくしは優しくなんかありません!」
「わたくしは織田上総介の娘よ、ただ、同じ服が二つあっても邪魔だから良きようにしただけよ!」
「はいはい、そうね」
瀬名は嬉しそうに頷きながら、五徳の肩を優しく優しく撫でた。
「五徳は素直になれないだけなのよね」
「信康も、そんな五徳だからこそ、手習いを抜けて毎日会いに来るのでしょうね」
「母上!、手習いは抜けておりませぬ」
「そう、息抜きでございますれば」
信康が慌てた。
五徳は、真っ赤になった顔を隠すように、信康から奪った手ぬぐいで顔を覆ってしまった。
「五徳姉様、お顔が真っ赤っかです」
「竹千代兄様も」
「亀、暑いだけよ」
「竹千代、あなたも笑ってないで何か言いなさい!」
「笑っておらぬよ」
「…でも、本当に綺麗だ。五徳にも、亀にも、すごくよく似合っているよ」
信康が優しく微笑むと、五徳は手ぬぐいの隙間からじっと信康を見つめた。
賑やかな部屋のすぐ外、廊下の影には、一人の若い武将、大岡弥四郎が直立していた。
弥四郎は刀の柄に手をかけ、生真面目の面持ちで奥御殿の警護に当たっていたが、部屋の奥から聞こえてくる子供たちと瀬名の弾んだ笑い声に、ふと張り詰めた表情を緩めた。




