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狼の時代  作者: 閃紅
永禄十一年
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34/43

永禄十一年十二月 黒峰景秀と珠洲(後篇)

翌朝、冷たい朝霧が一面に立ち込める中、景秀と珠洲は片岡の町を出て、白狼と合流する。

霞が既にいた。

「霞、今日の手筈は」

「万事滞りなく…白狼様には淀で待っていて貰います」

「わかったわ」

珠洲は白狼の首を抱いた。

「白狼は淀まで大丈夫なのよね」

「途中の生駒、交野に天狼が待ってます。淀にはわたしが」

「ならば安心ね」

「では」

霞が頭を下げると、茂みの方に消えて行った。

白狼も一度珠洲の顔を見ると、霞の後をついて行った。


「わたしたちも参りましょう」

景秀と珠洲は生駒山地を左に北上して行く。

道端の草や田んぼのあぜ道が一面真っ白な霜で覆われていた。

二人の吐く息も真っ白だった。

時折、地元の薪割りの老人や炭焼きの煙が見える。

そのまま進んで行くと、見渡す限りの鬱蒼とした巨大な竹林が広がっていた。

「珠洲、あれを」

景秀の言葉で珠洲が見ると、藪の地面に、巨大な獣の足跡が残っているのを見つけた。

「どうやら白狼はとっくに先に行ってるようね」

珠洲が景秀を振り返る。

「儂らも疾く」

景秀が珠洲の手を繋いで進んで行く。

竹林の外に足軽の集団が見えた。

見つからないように竹林を抜ける。


竹林を抜けて緩やかな丘を降りると、視界が急に開け、眼前に巨大な大河が姿を現した。

「ここを渡らないと淀には着かないが、ちょっと時間がかかりそうだわ」

珠洲の言う通り、渡船場には凄い熱気と殺気に満ちている。

軍に徴用された兵糧米を積んだ何十台もの荷車、大坂や播磨方面からやってきた旅の商人、地元の漁師たちでごった返していた。

人で溢れる渡船場の脇には、人払いされた船着場が見える。

「お前さん、あれを使うけどいいわよね」

珠洲は景秀を見上げる。

「ま、仕方ないじゃろう」

景秀が一つ溜息を付いた。

「では」

景秀と珠洲が受付に並んでいる。

二人の番になった。

珠洲が門番に金糸の布の手形を見せる。

「こ、これは…」

「左馬亮様をお呼びしろ」

門番が別の門番に声を掛けた。

直ぐに奥から一人の男が出てきた。

温和な雰囲気の武将である。

「松永家の瓦林左馬亮秀重と申します」

「関白様の御印の手形、お返しする」

瓦林が門番から手形を受け取ると一瞥し、景秀に返した。

「淀からの船の手配は」

「手配済みです」

「では、松永の船を使っていただきたい」

瓦林が人払いされた船着場に二人案内した。

「忝ない」

景秀と珠洲は案内された船に乗った。

長々と受付に並んでいる商人たちが不審な目で二人を見ている。

「関白様の御客人とあらば、お待たせする訳には参りませぬ」

瓦林が二人に頭を下げた。

対岸に渡るだけの船には景秀と珠洲以外に船頭の姿しかなかった。

船を降りると景秀と珠洲は人のいない門に案内された。


門を出ると左手に滔々と流れる淀川の水面を見ながら川沿いの道を北へ進んで行く。

右手には切り立った崖や竹林があった。

「この先に霞はいるのですよね」

珠洲が尋ねる。

「もう、こちらに向かってるじゃろう」

「白狼も近くに居るはずじゃ」

道が背の高い葦が生えてる湿地のようになってきた。

「お館様、お待ちしておりました」

前から霞が現れた。

「霞、待たせたのう」

「首尾は」

「滞りなく…この先で既に待っておられます」

「では疾くしよう」

景秀と珠洲が足を速める。

葦の影に、四頭の馬が繋がった檻者があった。

檻に掛かってる幕が金糸で縁取られた紅色のものに変わっている。

牡丹の絵柄がやはり付いている。

「幕にこんな贅沢しなくとも…」

珠洲が呆れたように言うと、幕を捲った。

白狼が檻の中で眠っている。

珠洲は微笑むと、幕を下ろした。

「船へは一般の門からではなく、もう一方の門からとのこと」

霞が馬借に馬を歩かせる。

白狼の檻者がゆっくりと動き出した。


船着場の門は枚方とは比べるべくもなく大きく、一度に四組が受け付けられるほどであった。

門には二組づつの足軽が立っている。

薄暗くなり始めて篝火が門番の足軽の緊張した顔を浮かび上がらせている。

景秀が門列に列ぼうとすると、霞が言った。

「お館様、こちらでございます」

霞はそこから右の道の奥へと案内する。

そこには先程よりも小さい門があった。

一般の旅人の姿はなく、周囲には静かな緊張だけが漂っていた。

織田木瓜の幟が掲げられている。

こちらの門にも足軽が立っている。

しかも前の門より殺気立っていた。

霞と珠洲を先頭に、檻車、景秀の順で列ぶ。

「手形を」

足軽の言葉に珠洲は布手形を見せる。

「こ、これは…十兵衛様にお伝えしろ」

足軽が手形を受け取り、暗闇の中へ走って行く。

直ぐに松明を持ち、戻ってきた。

後に一人の男を連れている。

男は珠洲の前まで来ると跪いた。

「拙者、織田家明智十兵衛と申します。」

「関白様より我が主に内々に報せを承りましてございます」

「こちらへ」

十兵衛手ずから中に案内する。

こちらの門内から向こうの門内から見えないように柵が出来ている。

十兵衛が案内した船はおよそこの船着場には似つかわしくないものだった。

近衛牡丹の定紋が打たれた御用船。

その大きさは四頭の馬も檻車も何もかも載せられるものであった。

舳先には、「近衛家の高札」が掲げられている。

屋形自体は、上質な檜の板で組まれており、隙間なくきっちりと漆黒の漆で塗り固められている。

その壁や、屋形の前後にある両開きの扉には近衛牡丹の紋章が、見事な金蒔絵で大きくあしらわれていた。

「これはやりすぎでは」

珠洲が唖然として言う。

「拙者もこのような見事な船はお目にかかった事はございませぬ」

十兵衛が言う。

「お待ちしておりました。おひいさま」

船の中から男が現れた。

「これは高来殿、お久しぶりでござる」

景秀が男の姿を見つけた。

「おひいさまの嫁入りの際でございまするな」

高来が景秀の肩を叩く。

「あの時の景秀の剣舞は見ものでござった。また拝見したく存じる」

「いや、お見苦しいものを」

景秀が珠洲の様子を伺いながら、言った。

珠洲の顔に陰が差した。

「そうそう。十兵衛様、こちらは高来清房(たかききよふさ)殿でござる」

景秀が十兵衛に高来を紹介する。

「おお、貴殿が関白様の懐刀、高来殿か。織田家の明智十兵衛と申す」

「なに。手前は関白様のただの使いでござる。明智殿こそ文武兼ね備えられた織田家の麒麟児と噂でござるよ」

高来が穏やかに笑う。

「美濃の粗忽者です」

十兵衛が微笑んだ。

「高来、乗っていいのよね」

珠洲が口を開いた。

「これはおひいさま。勿論でござる。関白様がいつでもおひいさまが帰って来られても大事ないよう、手配された…」

珠洲が高来の言葉を終わらないうちに船に乗り込んだ。

「相変わらず、高来は長い」

「霞、載せてくれる」

珠洲は下にいる霞に合図を送る。

霞は四頭の馬をゆっくりと船に載せるよう馬借に指示した。

「高来殿、拙者も護衛の為乗らせて頂くが良いだろうか」

「構いませんとも。お役目ご苦労でござる」


巨椋池のど真ん中を近衛の御用船が行く。

周囲を進む一般の商人たちの荷船は、その圧倒的な気品と権威に怯え、大きく距離を取って道を譲った。

「そろそろいいわよね」

珠洲が高来に尋ねる。

「はい。もう誰も何も言えませぬ」

高来が応える。

珠洲が檻の幕を上げた。

檻の中が十兵衛の目に入る。

十兵衛が目を見開いた。

「こ、こ、これは何ですか」

十兵衛が檻の中の白狼を見て後退る。

「白狼、狼よ」

珠洲がさも当たり前のように言った。

「狼!?」

「そうです。この船はおひいさまとこの狼を運ぶ船でござる」

高来が言葉を継いだ。

「狼の為の船?」

十兵衛は呟いた。

十兵衛の事など構わずに珠洲は檻を開けた。

白狼は檻から出ると一度身体を震わし、十兵衛の方を向く。

白狼の方が背が高いので見下ろす形だ。

「いや、その、拙者は…助けて下され」

十兵衛が傍らの景秀を見る。

景秀は笑う。

「十兵衛殿、何も襲ったりはせぬよ。狼は人を襲わないのじゃ」

「のう?白狼よ」

白狼は景秀の言うことなど聞いていないのか反応しなかった。

「十兵衛様を襲わないわよね、白狼は」

珠洲はそう言うと、白狼の身体を撫でた。

白狼は一度珠洲を見ると瞬きし、再び十兵衛を見る。

白狼の目が十兵衛を見定めるかのように。

白狼は十兵衛の前に伏せるようになった。

「白狼は十兵衛様を気に入ったようですね」

珠洲が十兵衛に笑いかける。

十兵衛はなんとも言えない顔で笑うしかなかった。

父と母の京への旅行の話でした。

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