二人だけの旅路15
景狼と玲は新左衛門が見守る中、障子を開けた。
冬の柔らかな日差しが入り、室内が露わになった。
飾り気のない土壁に、簡素な掛け軸や煤けた仏像、季節の野花がひっそりと生けられている。
そして部屋の奥には淡い飴色の御簾があり、光が射しても後ろは窺えない。
「失礼します」
玲と景狼は草鞋を脱ぎ、部屋へと入り、御簾の前に座る。
それを見て新左衛門は障子を閉め、庵の前に立った。
まるで何ものからも守るように。
「よく参られました」
御簾の奥から女性らしい高い声が聞こえてきた。
「老尼は松吟庵と申します。新左衛門の母です」
御簾に向かって玲が頭を下げる。
「こちらは黒峰景秀が嫡子、景狼でございます」
「わたしは娘の玲と申します」
「どうぞよしなに」
玲が再び頭を下げる。
「老尼は俗世と縁を切った身ゆえ御簾越しではなはだだ申し訳ござらん」
「申し訳ありません。わたしたちは山育ちゆえ、左様なことは存じません」
玲が首を振る。
「そうですか。柳生は遠かったでしょう。難儀はありませんでしたか」
「いえ。見るもの聞くものはじめてのことばかりで驚いてばかりです」
「何が心に残ってますか」
「舟です…」
「舟?ですか。老尼は知りませんので教えてもらえますか」
「舟に乗って凄い速さで川をくだるのです。わたしはじめて怖いと思いました。凄い跳ねるんです。もう乗りたくありません」
玲が思い出したのか震える。
「聞くだけでも恐ろしいものなのですね、舟とは」
そういう松吟庵の声は少しも恐怖は感じられなかった。
「他には何かありませんか」
「あ!」
玲が叫んだ。
「どうしました?」
松吟庵が慌てて言う。
「一番残ってることを忘れてました」
「それは何ですか。食べ物ですか」
「いえ、会った人たちです」
「会った人?…どんな人でしたか」
「凄い綺麗な女の人でした。優しくて、一緒にお風呂したり、寝たり、本当に夢のようでした」
「そうですか」
松吟庵の声から感情が薄れて来ていた。
「わたし、いつも一人か、黒峰の人としか一緒にいないので、違う人と一緒にいることが楽しいと思ったんです」
「家族以外の人と一緒にいるのが、ですか」
「はい。知らないことを知ることができます」
「そうですか。ところで新次郎の嫁にはなるのですか」
「え」
玲が口を噤んでしまう。
「玲は儂の付き添いじゃ、京まで」
景狼がはじめて声を発する。
「漸く話してくれましたね。どうして話をしなかったのですか」
松吟庵の声が少し興奮を帯びたのか、高くなっている。
「つまらんから」
「つまらん、と」
「そうじゃ。なにゆえ、お前は話さない」
景狼が御簾の先を睨む。
玲が景狼と御簾を交互に見た。
「どういうことですか。今話していますよ」
松吟庵の声に怒りが混じってきている。
「お前じゃない。もう一人だ」
「若君、どういうことですか」
「はじめから二人いる」
部屋の中に暫しの静寂が訪れる。
一言でも発しようものなら斬られるような緊張感が御簾越しに交わされている。
突然御簾の奥から大きな笑い声が起きた。
それは今までのような高い女性の声ではなく、大軍を叱咤するかのような低い声であった。
「やめじゃやめじゃ」
「志乃、上げよ」
「よいのですか。柳寿丸様」
「もう無駄じゃろう」
御簾の奥で低い男の声と高い女の声の会話が交わされる。
そして御簾が少しづつ上がっていく。
御簾が完全に上った後、二人の人影が現れた。
「あ……」
玲が思わず息を呑んだ。
厳かに光る金襴緞子の座褥に座るのは僧侶姿であった。
墨色の薄絹の頭巾を被り、鈍色の直裰、内側に白衣、胸に掛ける袈裟は黒漆の如法衣といった姿である。
その横座すのは紅梅色の小袖を纏った女性だった。
髪には銀の簪が一本差されている。
派手ではないが、その場に咲く花のような華やかさがあった。
「身共が松吟庵と申す」
僧侶姿が低い声で言う。
「志柳と申します。松吟庵様にお仕えしております」
女性の方が深々と頭を下げた。




